海上自衛隊第1術科学校(旧海軍兵学校)
大講堂
大正6年に建築されました。兵学校時代から入学式、卒業式等に使用され、
現在でも幹部候補生・自衛隊生徒の入学式・卒業式などに使用されています。

大講堂の車寄せです。裏口のように見えますがこちらが正面になります。

大講堂入口側です。中央の扉を入ると下のような光景が目に入ってきます。

講堂内部です。兵学校時代には宮様のご臨席を仰ぎ儀式が行われたそうです。

幹部候補生学校
明治26年に海軍兵学校生徒館として建築されました。通称「赤レンガ」です。
現在でも海上自衛隊の士官養成学校として使用されています。

候補生学校正面玄関です。

中庭に続く廊下です。ハ○ー・ポッ○ーに出てきそうな感じです。

幹部候補生学校全景です。背景は古鷹山(重巡洋艦古鷹の名前の由来)です。
ちなみにこの建物に使われている煉瓦は英国から一つずつ紙に包まれて送られてきたそうです。
第1術科学校
昭和13年に兵学校西生徒館として建築されました。現在は第1術科学校学生館として使われています。
当初は3階建てでしたが平成10年に改築された際に4階建てになりました。

建物はアメリカのアナポリス海軍兵学校をモデルにしたそうです。

術科学校全景です。今までの画像を見てもわかるとおり電柱がほとんど立っていません。
戦前の海軍兵学校時代から電線は地下に埋設されていたそうです。
教育参考館
教育参考館はギリシャ神殿風の鉄筋コンクリート造の2階建てで昭和11年に建築されました。
中には英国のネルソン提督や山本五十六連合艦隊司令長官の遺髪を始め幕末から太平洋戦争
までの海軍関係者の遺品等が展示されています。特に特攻隊として散華された方々の遺書・遺影
等もたくさん展示されています。この建物の中では脱帽・静粛が徹底されています。撮影ももちろん
厳禁です。(当然ですが遺族の方にとっては故人をしのぶ大切な場所です。)

表桟橋
こちら側が海軍兵学校の正門であり現在でも術科学校の正門です。
卒業後候補生はここから練習艦隊に乗艦し遠洋航海や近海練習航海に出発します。

学校内に展示されている砲弾、兵器
大和級46cm砲弾

戦艦大和に搭載されていた46cm徹甲弾
三景艦使用の32cm砲弾

三景艦とは日清戦争の折、清国の戦艦「鎮遠」「定遠」に対抗してフランス及び横須賀海軍工廠で建造
された防護巡洋艦「松島」「厳島」「橋立」のことである。32cm砲を1門だけ備えたアンバラスな艦で案の
上,黄海海戦では主砲は打てず敵弾は当たりまくり甚大な被害を被っている。予算のとぼしい中で無理に
相手の戦艦に対抗しようとして小型艦に大口径砲を積んだ失敗作である。ただその明治時代の艦の砲弾
が残っているあたりさすが旧兵学校である。
金剛級36cm砲弾

昭和17年10月12日米軍占領下のガダルカナル飛行場を艦砲射撃した高速戦艦「金剛」「榛名」
から発射された36cm一式徹甲弾である。

長門級41cm砲弾

長門級戦艦に使用された91式徹甲弾

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