がやがやがやがやがやがやがや
通りに溢れる人、人、人。そこらじゅうから漂う、チョコレートの甘い香り。キラキラと顔を輝かせながら、手にとった商品を品定めをしていく女性達。
そしてそんな中、そこだけ時間が切り取られたように動かない男女が、一組。
青年はだらだらと冷や汗を流し、少女はそんな青年を物凄い形相で睨んでいた。
Act.2
「・・・・・・・・ふうぅぅぅぅぅん、パパ。そう、パパね」
ロゼットの刺々しい声音に、クロノはようやく我を取り戻した。足につかまり、グズグズと泣きかけている女の子とロゼットを見比べ、言うべきことがまとまらず口だけがパクパクと動く。ロゼットをなだめるべきか、女の子をなだめるべきか。しかし、何より先に言うべきことは、
「僕の子供なわけがないだろ!?」
ロゼットがいるのに!という言葉は寸でで呑みこんで、クロノはやっとの事でそう叫んだ。
しかしそれも虚しく、ロゼットから返ってきたのは絶対零度の冷ややかさだった。
「さーどうかしらね?クロノ、私の知らない所で結構お付き合いしてるみたいだし。子供が一人くらいいても、不思議じゃないんじゃない?」
「あのねロゼット…いくらなんでも、そんなわけないだろ。この子、どうみても4、5才じゃないか」
万が一この子の親だったとしても、逆算して自分が16の時の子供である。いくらなんでもそれはありえない。そう、ありえないのだ。
自身に言い聞かせて落ち着いたのか、クロノはしゃがみこみ、女の子に優しく話し掛けた。
「ほら、よく見て。君のお父さんは、僕じゃないだろう?」
女の子は目をパチクリと瞬かせ、じっとクロノの顔をみつめた。
「・・・・・・パパじゃ、ない・・・」
小さな呟きに、クロノがほっとしたのもつかの間。次の瞬間には、女の子の目は再び涙で溢れていた。
「パパ、パパァ!どこぉー!」
道行く人は、何事かと視線だけをクロノ達に投げかけてゆく。中には、あからさまに嫌そうな顔をする者もいた。
しかしそんな事はおかまいなしで、女の子は大声で泣き叫び続けた。
「弱ったな。迷子…だよね?」
「お父さんとはぐれちゃったのかしら?でもここ、屋外だからアナウンスなんてないし…」
子供疑惑が晴れたことでロゼットの機嫌もとりあえず直ったらしく、クロノと顔をあわせて困った表情を浮かべた。
「クロノと間違えたってことは、背格好や服装が似てるってことよね?」
「たぶん。ねぇ君、名前は?」
「・・・・・・・・コーシャ」
涙をしゃくりあげながら、しかし意外としっかりとした声で女の子――コーシャは名前を返した。
「よし、コーシャ。お父さんと、はぐれちゃったの?」
「パパ?…パパ…コーシャを、おいていっちゃた…うっ、ひっく…」
「あーよしよし、泣かないで、大丈夫。お母さんは、どこかな?」
ふとすれば再び泣き出してしまいそうなコーシャをなだめながら、一つ一つゆっくりと質問していく。
「ママは…ママは、おしごとってゆってた」
父親とはぐれ、母親は仕事。つまりコーシャは、完璧に独りぼっちの迷子だった。
「…ねぇコーシャ。コーシャは、チョコレートを買いに来たの?」
それまで静かだったロゼットが、何かを考える風にコーシャに声をかけた。
「うん。コーシャ、チョコレートがたべたいって言ったの」
「…じゃぁお父さんは、この通りでコーシャを探してる可能性が高いわけね」
そう呟くと、ロゼットはおずおずとクロノの方を見た。
「あのねクロノ…その、私、コーシャのお父さんを探してあげたいんだけど…」
見上げる視線は一生懸命で、例えクロノがダメだと言ったとしても、一人で探しに行くであろう事は容易に想像できた。
ため息をつきながら、しかし顔には笑顔をうかべ、クロノは『よいしょ』とコーシャを肩に乗せた。
「ロゼットなら、そう言うと思ったよ。この方が探しやすいだろ?」
「ありがとうクロノ!よーし、それじゃぁサクサクお父さんを探しましょうか!」
さっそく人ごみの中に消えようとするロゼットを、クロノは慌てて引きとめた。
「待ったロゼット。この通りは一本道だろう?コーシャのお父さんがこの通りを探しているなら、通りの端から歩いた方がいい。そうすれば、必ずどこかですれ違う」
「あ、そうか。じゃぁ、いったん通りの入り口まで戻りましょう」
「・・・・・・なんで、見つからないのよ」
通りの2度目の往復を終えたロゼットは、疲れの混じった声で文句を言った。コーシャを肩車したクロノの顔にも、いささか疲れが見て取れる。
「本当に、なんですれ違わないんだろう。僕らも目を光らせてるし、すれ違えば向こうもコーシャに気づくはずなんだけど」
「クロノっぽい格好を目印にしてるからダメなのかしら…」
今日のクロノの出で立ちは、紺のマフラーに黒いコート。しかしコーシャにも改めて確認したため、これ以外の格好は考えにくい。
「コートを脱いでるぐらいはありそうだけど…でも、それを言い出したらキリが無いし」
「あー、もういったん休憩。これ以上闇雲に歩き回っても、しょうがないわ」
「じゃぁ、どうするのさ?」
クロノの肩の上できゃっきゃっとはしゃぐコーシャをちらりと見て、ロゼットはニィっと口の端を上げた。
「コーシャ、チョコ食べたくない?」
「たべたい!」
間髪いれず返ってきた明るい声に、ロゼットはよしよしと頷いた。そして、やおら『コホン』と咳をつく。
「コーシャのお父さんの格好は不確定。したがって、向こうがこっちを見つけてくれるのを待つのが効率的。でも、この長い通りの一箇所に腰を据えてたんじゃ、時間がかかりすぎる。したがって、試食をしながら買出しの続きをするわよ!」
右腕の荷物の重さを再確認して、クロノはひくっと頬を引きつらせた。
「…ロゼット、本気で…?」
「もちろんよ。残り半分の買い物もできて、コーシャのお父さんも探せるんだから一石二鳥。あぁ、私って賢ーい!」
頭の上で『かしこーい!』とロゼットの口真似をするコーシャの声を聞きながら、クロノは観念したようにため息をついた。
「それじゃ、まずこのお店から・・・・・・あ、このチョコおいしいー!ほら、コーシャもクロノも食べてみて!」
クロノには有無を言わせず口の中へ放り込み、コーシャには食べやすいように小さな欠片を渡しながら、ロゼットはあれこれと品物を物色した。
「むぐ。うん、確かにおいしいけど…ロゼット、もう少し丁寧に勧めてくれる?」
「あはは、おいしかったんだからいいの!どう、コーシャ?」
「おいしい!コーシャ、チョコ好き!」
「よし、じゃぁレミントン先生にはこれにしよう。すみません、これ1箱」
「はい」
先ほどからロゼットたちのやり取りを見守っていた売り子が、ニコニコと話し掛けてきた。
「仲がよろしいですね。ご夫婦ですか?」
ぱちくり。
「ふ、夫婦ぅ!?」
一拍の間をおいて、カ〜っと顔を赤くしたロゼットが裏返った声で叫んだ。
「あれ、違いました?てっきり、そちらはお二人のお子さんかと…」
手についたチョコレートを舐めていたコーシャは、ぱちくりと目を瞬かせた。ある程度予想していたクロノは、少し困ったような笑顔を取り繕った。
「この子、迷子なんです。お父さんとはぐれたみたいで…お心当たりありませんか?」
「さぁ…男性連れの女性のお客様は、何組かいらっしゃいましたけど…」
商品を紙袋に入れながら、売り子はう〜んと困った声を出した。朝から何十人というお客を見てきているのだから、当然の反応だった。
「ごめんなさい、あまり覚えていなくて…」
「あぁ、いいんです。気にしないで下さい」
売り子の差し出した紙袋を受け取りながら、クロノは簡単に礼を言った。
「そうだ、暖かいココアがあるんですが、いかがです?さっき差し入れにたくさん貰ったんですが、今他の売り子の子達が出払ってしまってて」
温くなってももったいないですし、とまだ熱いココアの缶を差し出される。そういえば、こちらに来てから何も飲んでない気がする。
「わー、ありがとうございます!良かったねコーシャ、ココア・・・・・・・・・・・・」
言いかけたロゼットの言葉が、視界を横切った影を見つけてつまった。
黒い髪。紺に近い青いマフラー。黒いジャケット。背丈は、大体クロノと同じくらいに見える。
「…いた!」
ロゼットは反射的にそう呟いて、ココアの缶をクロノに押し付けると人ごみの中へと駆け出した。
後ろでクロノの呼ぶ声が聞こえた気もするが、今はこっちを確認するのが先決だ。
向かってくる人の波を掻き分け、視線の先に縫い付けた人影を追いかける。そして、やっとの事で目の前のジャケットをつかんだ。
「あの!コーシャのお父さんですか!?」
「・・・は?」
振り向いた顔は、予想以上に若かった。大学生くらいだろうか?
「あの、コーシャのお父さんですか?」
先ほど言った言葉を、荒い息でもう一度繰り返す。期待に満ちた目で相手を見やると、それとは裏腹に訝しげな視線が返ってきた。
「コーシャ?…悪いけど、俺、子供なんていねぇから」
それとも、新手の逆ナン?と、男はからかったように質問を返してきた。
「なっ、そんなわけないでしょ!悪かったわね、間違えて。それじゃ!」
気分を害したロゼットが、それでもおざなりに謝罪を述べて立ち去ろうとすると、男がさっと腕をつかんだ。
「待ちなよ。君、一人?誰か探してんの?」
「は、離してよ!あんたには関係ないでしょ!?」
「人のこと間違えといて、関係ないはないだろ。なぁ、一緒に探してやろうか?一人じゃ大変だろ」
傍目は親切そうな台詞に聞こえるが、男の顔に浮かんだ嫌な笑顔が『下心あります』と物語っている。気の短いロゼットが一発殴ってやろうかと思った所に、聞きなれた低い声が聞こえた。
「・・・・・・誰の連れに手を出してるのかな?」
「クロノ!」
明るい声ににこりと応えると、いつまでもロゼットの腕を掴んでいる手にココアの缶を押し付けた。火傷はしないものの、それなりに熱い缶である。
男は小さくうめいてロゼットの手を離した。
「てめ、いきなり何しやがる!」
「それはこっちの台詞だけど?彼女は僕の連れだ。嫌がらせはやめてもらおうか」
「やめてもらおうかー」
『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』
肩の上のコーシャの口真似に、一瞬気まずい沈黙が落ちる。
「…だ、第一なぁ、こっちは人間違いされて、親切にしてやろうとしただけだ。それを、なんだよいきなり!」
缶を押し付けられただけとはいえ、それがナンパしようとした女の連れだったのなら怒りは尚更。ましてや、小さな子供を肩車しているような奴に引いたとあっては、いい笑いものだ。男はめげずにつっかかった。
「…あー、わかったよ。じゃぁ、何かお詫びをしよう。このココアなんてどうかな?まだ温かいよ」
「はぁ!?てめ、ふざけんじゃ…」
ベコッ!
なお言い募ろうとした男の目の前で、『スチールの缶』がクロノの手によってベコリとへこんだ。男の頬に、どっと冷や汗が流れる。
「さぁ、遠慮なくどうぞ?」
そう言ってにこりと笑うクロノの後ろに、何か黒いオーラが見えた気がした。
「…い、いらねぇよ!もういい、じゃあな!」
男は捨て台詞ともいえない台詞を残して、そそくさと人ごみの中に消えていった。
「ありがとうクロノ…でもあんた、絶対力の使い方間違ってるわ…」
男の後姿を見送ってから、ロゼットはあきれた口調で礼を言った。当のクロノは別段気にする風もなく、今しがた変形させたココア缶をすすっている。
頭の上のコーシャも同じようにココアをすすっているものだから、なんだか微笑ましい光景だ。
毒気を抜かれたように、ロゼットはくすりと微笑んだ。
「まーいっか、結局助かったわけだし。また次も頼むわね」
なんだか不謹慎なロゼットの台詞に、『次があっても困るんだけど』と、クロノは苦笑を浮かべた。
「まぁ、何があっても、ロゼットは僕が護るけどね」
「・・・・・・・へ?」
さらりと言われた言葉に、ロゼットの頬がほんのりと赤く染まった。前を歩き出そうとしていたクロノが、不思議そうにこちらを振り返ってくる。
「ロゼット、どうかした?」
「な、なななななんでもないわよ!やーねクロノったら!」
ロゼットは照れ隠しにクロノの背中をバシっ!っと叩いた・・・・・・・・が、それが悪かった。
バシャ!
次の瞬間、その衝撃でコーシャの持っていたココアの缶がポロリとすべり落ちた。無論、中のココアの行き着く先は、クロノの頭の上である。
「あっつ…!」
「ご、ごめんクロノ、大丈夫!?」
頭からココアを被ってしまったクロノを見て、ロゼットは慌てて謝った。カバンからハンカチを取り出して、わたわたとクロノの顔や頭を拭いていく。
缶を落としてしまったコーシャも、泣きそうな顔をしながら自分のコートの袖でクロノの頭をゴシゴシと拭いた。
「くろの、ごめぇ…っ!」
「あー、大丈夫だよコーシャ。そんなに熱くなかったし」
「で、でもこのままだと風引いちゃうし、ベタベタよね。何かもっと拭くもの…」
そう言ってあたりを見回したロゼットの目に、一軒の屋台が留まった。チョコ作りのデモンストレーションをやっているらしく、湯煎用のボールや布巾が並べてある。
ロゼットはぐいっとクロノの手を引いて、迷わずその屋台に突っ込んでいった。
「うわ、ちょっ、ロゼット!?」
「いいから来て!・・・・・・すみません、そのお湯と布巾貸して下さい!!」
「はい、いらしゃいませ・・・・・・・・・・」
ロゼットの呼びかけに、屋台の脇から出てきた売り子の言葉がパタリと止まった。信じられないといった様子で、クロノたちを見つめている。
「(ほ、ほらロゼット、店員さんが困ってるじゃないか)」
「(だってしょうがないでしょ!このままじゃクロノ、風邪ひいちゃうかもしれないんだから!)」
クロノとロゼットは口に手をあててこそこそと言葉を交わしたが、売り子はそれを全く気にしなかった。否、それどころではなかった。
慌ててクロノに駆け寄り、一言。
「コーシャ!」
「…ママ!」
『・・・・・・・・・・・・・・・・は?』
全く予期していなかった再会に、クロノとロゼットは呆然と立ち尽くした。
「…本当に、お世話になりました」
「いえ。でもコーシャのお母さんが、まさかこの通りで働いてたなんて」
慌しい再会を果たしたその後。とりあえずクロノにかかったココアを拭き取り、4人は屋台の脇でほっと息をついていた。
「コーシャは元々、企画本部のテントに預けていたんです。私はこの通り仕事ですし、他に頼める人もいなくて…でもまさか、抜け出してくるなんて。本当に、誰に似たんだろう」
呆れた笑顔を浮かべながら、コーシャの母親は腕の中で眠る娘の頬をつついた。
はしゃぎ疲れたのだろう。先ほどまでの活発さとは打って変わって、コーシャはすやすやと寝息を立てていた。やはり、母親の腕が落ち着くらしい。
ロゼットたちも、くすくすと笑いながら、その可愛い寝顔を見つめた。
が。クロノはふと、底知れない違和感を覚えた。さっきコーシャの母親は、『他に頼める人がいなかった』と言わなかっただろうか?
触れてはいけないような気がしながらも、クロノは恐る恐る口を開いた。
「あ、あの。ところで、コーシャのお父さんは?」
クロノの言葉に、ロゼットもはっと顔を強張らせた。まさか。いや、そんなはずは・・・・・・
「夫ですか?今日は、仕事でここには来てませんけど?」
「・・・・・・・・・・なにぃぃぃぃぃぃぃいい!!!?」
「ハハハ…やっぱり…」
ロゼットの悲鳴のような怒声のような叫び声に、コーシャの母親の体がびくっと震えた。
「あ、あの、それが何か…?」
「何かもなにも、私たち今までコーシャのお父さんを探していたんです!!」
行き様の無い怒りというか虚しさを表現したロゼットの両手が、わなわなと震えた。
「えぇ!?な、なんでまた…」
「最初にコーシャに会った時に、コーシャ、『お父さんに置いていかれた』って言ってたんです。それでてっきり、お父さんとはぐれたものだと…」
母親の話によると、元々このチョコレート街にはコーシャと父親の2人で来るはずだったのだが急遽父親に仕事が入り、現在にいたったらしい。
「夫の仕事柄、こういうことはよくあるんです。でもこの子、いつも聞き分けよく夫を見送っていて…今日に限って、どうしたのかしら」
コーシャの顔を、心配そうに覗き込む母親。人ごみの中でクロノを見かけ、必死で足にしがみついてきたコーシャ。
そこには目に見えない、しかし確かな家族の絆があるように思えた。
「…今日に限って、なんてないと思います」
ぽつりと、ロゼットが呟いた。
「え?」
「…誰だって、置いてきぼりにされれば淋しいです。それが小さい子なら、尚更」
―――大好きなお父さんお母さん。いつものように出掛けて、そして帰ってこなかった。
「コーシャはお父さんに迷惑かけたくなくて、いつも我慢してたんじゃないですかね?」
先ほどの大声で目を覚ましたのか、こしこしと目をこするコーシャの頭をロゼットの手が優しくなでた。
「だってコーシャは、お父さんのことが大好きなんだもの」
『独りぼっちで探しに出掛けるくらいにね』、と笑うロゼットにつられて、コーシャの母親もくすりと微笑んだ。
空は、いつのまにか優しい朱色に染まっていた。