10. ポリエステルのラピッド染色

現在の私たちの日常生活の最も重要な位置を占める合成繊維がポリエステルです。その染色のためには高温での炊き込みが必要です。 クイックレスポンスが要求される中、染色形態は、綿や糸から、織物や編み物で行う反染め(たんぞめ Piece dyeing)へと大きく移行してきました。その染色には、高温高圧での染色が可能な液流染色機 (Circular Dyeing Machine, Over-flow Jet Dyeing Machine などと呼ばれる)が使われます。液流染色機の基本は、下方に染料を含んだ液だまりがあり、 その中を定期的に生地が回り通過するという構造で成り立っています。 このため、生地が染色液を通過するタイミングやしわなどの状態により部分的な色ムラや色違いが生じます。

機械工学が進む中、性能のよい液流染色機も次々に登場し。それに合わせて、ポリエステルを素早くムラ無く、 しかも再現良く染色するための染色理論も出てきました。この章では、その幾つかを紹介し説明します。

ラピッド染色

ラピッド染色の名は Rapid=“素早い” と言う単語から来ていますが、染色を速く終えるだけでは、ラピッド染色ではありません。課題として、右の三点を満たすことが重要です。

この三点を満たすために、様々なメーカーが独自の方法でアプローチをして行きました。









(Rapid化へのアプローチ A)
先ず、一番目の「如何にして短時間で高濃度に到達するのか?」 と言う課題に対する解決法ですが、 既に他でも説明しました様に、染色は、吸着→拡散 と進みます。そして繊維内に拡散した染料を補うべく、染浴中の染料が吸着し、 また拡散していきます。そのため、より拡散しやすい分子量の小さい染料は、分子量の大きい染料より、より短時間で濃く染まるということになります。 ただし、この点ではベストチョイスとなる E タイプの染料で、実際に高濃度での染色を行なうと、

    (1)湿潤堅牢度が低い。
    (2)染料に力が無く濃色に見えない。
    (3)価格が高くつく。                   等の難点があります。

そこで、そうした欠点のない SEタイプ = 中位の分子量を持つ、中エネルギータイプの染料に的を絞って、高発色性の発色団=高い濃度が出る染料を開発する方針を立てました。


次に、染色再現性に対しての課題ですが、染色の再現性を考えると、それに影響する幾つかのファクターがあります。 例えば、温度に対する感受性や、時間や浴比などに対する感受性、更には、染色時のpHや使用する助剤の影響などがファクターとして考えられます。 この内、温度と時間に対する感受性は、三原色の全てをSEタイプとすることで、ある程度解決することができます。
また、三原色の組み合わせで作る対象は、三次色ですから、使う黄、赤、青成分の色相の近いものを使えば、 それぞれの染色濃度が多少動いても目にはそれ程の色差としては捉えられません。そこで、三原色に用いる染料を、従来の、鮮やかな黄色、 鮮やかな赤、鮮やかな青、から黄味のブラウン、ルビン(Rubine 青味の赤)、ネービーに変えれば再現性は上がる筈です。    
          *三次色 (tertiary shades) : 黄・赤・青の全ての要素を持った色。代表的には茶色や、灰色、オリーブ色など。



さて、最後の課題のムラの解消です が、 ムラを出さないためには、拡散が速く、 その速度が揃った三原色であれば良い筈です。もちろん、分子量の揃った SEタイプで統一すれば、ある程度の成果は期待できますが、高温での可溶化速度がコントロール出来れば、拡散の速度をより合わせることができます。 こうしたことを盛り込み分子量、分子形、置換基(可溶化速度調整のための)設計を行ない。Rapid 用の三原色が作られました。
ICI の Compact C レンジがこれに当たり、現在は、DyStar の Dianix CC にその思想が引き継がれています。








(Rapid化へのアプローチ B)
染料の使用濃度と染着の速さを考えますと、染色工程において、染色温度の上昇と共に加速度的に染料の可溶化が進み、拡散が始まります。この可溶化度は、 水の単位容積当たり一定ですので、染色濃度が上がると共に、染色の速度は遅くなります。 つまり一つの染料を多く使えば使う程、すべてが染着するまでにかかる時間は長くなります。 これを逆に考えると、一つの染料で3%の濃度で染めるよりは、同じ染色性を持つ二つの染料を、 1.5%ずつトータル3.0%で使った方が短い時間で済むと言うことになります。



次に、染料の色/濃度は、 光の染料への吸収で決まるということは理解して頂いていると思いますが、 この時得たい色濃度の光の吸収波形があれば、それを、複数の染料を組み合わせて出す事は可能です。 (実際に、そのための計算を日常的に行なっているのが、コンピューターカラーマッチング=CCMです。) こうして、作り出された仮想の染料は、広い吸収範囲を持ち、吸収ピークの高い染料の様に働きます。
つまり、一つ一つの染料では出ない濃い色の仮想単品染料の出来上がりです。

上の、染色速度を上げるための染料配合アプローチは、こうした、仮想(濃色)染料を作り出すことにも有効な手段になってきます。

それでは、染色の再現性を確保するためにも配合手法は有効でしょうか?

分散染料の染色において色の違いが出る要素の一つが温度感受性です。一般に小さい分子量の染料は、低温でもよく染着しますが、 温度を上げすぎると染着した染料が浴に吐き出されかえって淡くなります。分子量の大きい染料は、これとは逆の動きをします。 染色時間や浴比への動きにもほぼ同じことが言えます。 そこで、大・中・小の分子量の染料を混ぜることによって、染色の再現性が上がるだろうと言う考えが出てきます。

これをより具体的にいえば、理想的な染着の動きをする三原色をシュミレーションし、 それに近い動きをする染料を分子量の違う三つ(あるいはそれ以上の)染料を配合して作り出す訳です。

それでは、こうした分子量の違う染料を組み合わせた染料は、ムラなく染めるのにも有効でしょうか? 
ご存知のように染料の均染には、小さい分子量の染料がより有利です。従って、そうした低分子量の染料を三原色のそれぞれに少しずつ入れておけば、 ムラの一部は解消されます。 また、三原色のそれぞれが、大・中・小の染料を持っておれば、染色時には、分子量の小さい染料 → 中程度の染料 → 大きい染料の順 で拡散が進みますので、目にはいかなる時間や温度帯であっても、オントーンでの染色が行なわれているように見えるのです。 それでも、この三原色でムラができる様なら、三原色の染着挙動は一致していますので、 その染着速度が速い部分で昇温や速度をコントロールしてそれを落としてやれば良いという訳です。



こうして、幾つかの染料を組み合わせて、 Yellow、Red、Blue とし、更にそれらを組み合わせて、Rapid 用の三原色とする方法で、住友化学の RPD シリーズやDyStarのACE、UN-SEシリーズなどが作り出されました。
    *オントーン(on tone) :濃度が違っても色調が同じ色目に見える事。

 (Rapid化へのアプローチ C)
これは、Rapid 染色で起こるムラを如何にして素早く解消するかと言うポイントから発したアプローチです。
染色の過程で、染料は必ず、 生地表面への吸着 → 拡散 → 染着座席での染着 というルートをたどります。
しかし、このルートは、常に一方通行でしか起こらないものではありません。実際に染色実験で確認してみると、 一度生地上の乗った染料(=吸着した染料)の全てが内部拡散(=染着)に向かう訳ではなく、再び染液の中に帰ったり、 生地の表面を移動する事がわかりました。そして、結果的にこの吸着と染着の差が大きい程、均染が優れた染料である事が分かったのです。 これは何故でしょう?



被染物の上に乗っているだけの染料は、ごく弱い力で そこに存在しているだけですので、容易に染色の中に帰って行きます。 そして再び被染物の表面に戻ってきます。
しかし、その位置は、大きな確率で、元あった位置とは違っている筈です。
つまり、染料は常に動きながら、繊維表面に(吸着−染着)分の平衡状態を作り出しているのです。 しかし、それが平衡状態である限り、繊維表面のどこであっても次第に同じ濃度になって行きます。 つまり、均染のための平均化が、繊維内部での平均化よりはるかに少ないエネルギー・少ない時間で成し遂げられます。 これが、日本化薬の「IM 論」の骨格です。日本化薬では、この「IM 論」を元に、再現性の面からの染め足の揃った染料の中から、「IM 値」の大きい染料を選び、 「短時間で均染し染め足も揃った」 Rapid 染色用レンジを作り上げました。




まとめ

現在当たり前のように行なっているポリエステルのRapid 染色は、一朝一夕に成し遂げられたものではなく、それぞれの染料メーカーがそれぞれに知恵を絞った結果が、今の姿となっています。 目標とする染色は同じでも、違ったアプローチの仕方があることを知り今後の染色に役に立てて頂ければと思います。

Appendix

染液の流れを利用して布を循環させる液流染色機が市 場に発表されたのは、凡そ50年前1962年Gaston County(米)によってですが、その後、日本やヨーロッパで改良が重ねられ、 今ではポリエステル布帛の染色に欠かせぬ主要染色機となっています。上で述べたRapid理論の数々も、そうした改良の中で提唱されたもので、 具体的には、1970年代中頃から、80年代初頭にかけて各社がRapid用染料を拡販する原動力となりました。
そうしたRapid理論の歴史をひも解くと、 その理論を成しうるため、幾つもの染色・染着・均染理論や、それに基づく方程式を見付ける事が出来ます。
例えば、三菱化成では、分散染料の均染に関する染着速度と循環の関係について下の様な方程式を示しています。
    T : 昇温速度、V : 染料の吸収速度(%/℃・分)、
        上段の、布循環式-液流染色機に対する式では、
  Vf : 布速度(m/分)、Kf : 布循環式染色機の均染能力(%/サイクル) 、L : 1フロー当たりの布ループ長
        下段の、液循環式染色機(パッケージやビーム染色機)に対する式では、
  Vp : 液流(l(リットル)/分/kg)、Kp : 液循環式染色機の均染能力(%/サイクル)、R : 浴比。

こうした方程式や、同時期に唱えられた、領域交換論などの詳細を知る事は有意義な事ですが、 現実の私達は、日常の染色を重ねる中で、染色機の構造、 液流ノズルの形状、被染物の種類、形態等こうした理論では語られる事は無いちょっとした違いも、染色結果に影響する事に気付いています。 (液流染色機の場合、これらのファクターが生地や液の動き方、ひいては染料の吸尽の仕方に大きな影響を及ぼす事は容易にイメージできますが、 被染物が動かないパッケージ染色機やビーム染色機においても、糸の巻き方(角度・密度・パッケージ芯の種類-圧縮の有り成し・圧縮度)、生地の巻き密度、 に加え染色機内部での空隙比、染液の流れ - 内→外、内←外、切り替えの有無、切り替えサイクル等、染色結果に影響を与える多くの要素が存在します。 これに加え、分散剤など使われる助剤のイオン性やその使用量も、染料の吸収速度や分散に影響を与える事は、 「20.繊維用助剤」に 述べた通りです。)

染色工場では、染色性だけで使う染料を選ぶ訳ではありませんので、染料メーカーが、新染料や、新レンジを設計する為には、Rapid 適性に対しては、分子の大きさや形、極性を決定するための置換基などを考慮しますが、 最終的には、何度も試染し、染めやすさを確認すると共に、色目、濃度、堅牢度、製造コストなどを加味し最も市場に受け入れられそうなものを上市します。 (それに先立って、毒性や特許ポジションを押さえておく事は言うまでもありません。)
恐らく、染色機の開発に当たっても状況は同じであろうと思います。価格がいくら安くても、染めやすさ、使いやすさがなければ、市場では相手にされません。 膨大な試染結果を基に、そうした染めやすさ、使いやすさを追求しながら、水やエネルギーの削減、 染色工程における時間短縮についても改良を続け最終製品に結び付けます。
と言う事は、一応名のあるメーカーの染色機と染料を使えば、それなりの結果が出て当たり前なのです。もし、結果が期待にそぐわなければ、 改善する為の方法について、先ず メーカーにアドバイスを求めて下さい。(同時にその染色機や染料の限界を知っておく事も大いに有用です。 )

Rapid染色も含め染色での不上がりをなくすための現場管理については、「23. 染色における工場管理」にまとめておきました。参考にして下さい。
いくら最良の機械や染料を使用しても、生地をねじって繋いだり、 生地がもつれて正しく動かなければ、ムラが発生します。もっと単純に言えば、押すべきタイミングでボタンを押さなかったり、 投入すべき染料や助剤の量や順序を間違ってもその染色は失敗です。その失敗の原因を後から付き留める事は易しくありません。かと言って、 起こってもいない失敗を予見する事は更に難しい事です。
日々の失敗を避ける為には、管理者の仕事として、
1. 誰もが簡単に理解でき、且つ、履行できる操作マニュアルを作る。
(作成は、メーカーのパンフレットをそのまま流用するのではなく、実際に自分で機械を操作し行なう事。 出来るだけ目で見える資料=写真を使う事がコツです。Videoに映して見せるのも有効ですが、それを現場でいちいち映し確かめる訳にはいきません。 (今後は、タブレット端末やDVDプレーヤーを使ってそれを行なう世の中になるかもしれませんが。))
2. 予行演習を何度も行ない、作業員が確実にマニュアルを理解し、操作できるか確認する。   事が必要です。
その上で、3. 不測の事態が起こった時の対処の仕方を話し合っておく。  事が出来れば申し分ありません。
これに対し、現場の作業者としては、
1. 一人ひとりが、決められた動作をマニュアル通り間違いなく確実に行なう。
2. 操作するのに難しい点、不合理な点を見付けたら、直ちに管理者に報告する。
3. 作業の失敗については、たとえ不上がりが生じていなくても その事実を正直に管理者に報告する。(出来ればその内容を書き留めておく。)   
事を行なって下さい。

ミスを起こす事は人間である限り避けられません。 考え得る全ての自動化を行なっても、飛行機は落ち、列車は脱線します。機械の不調に気付いたり、プログラミングのミスを直したり出来るのは、 やはり、人間でしかありません。失敗を避けるべく日頃の注意を怠らない努力が大切な事は言うまでもありませんが、 起こった失敗で、マニュアルや作業内容を改善し、 より良い結果に結びつける事こそ管理者・現場作業者両方にとって会社のために出来る一番の貢献だと思います。