ホームスクーリング研究会リポート No.8

子どもをどう理解するか

第3章 自律の子ども

「自律は誕生とともに始まるべきである。」まず乳児期においては、自律授乳で育てるべきであり、時間割授乳は「明らかに誤りであり、危険である。」と、育児の基本を強調しています。今では自律授乳が一般的には受け入れられていますが、最近までは、産院での出産後の指導では3時間おきに飲ませるようにといわれました。そこで新米の母親は泣きやまない赤ちゃんを前に、時計とにらめっこをしながら途方に暮れ、育児ストレスをつのらせるということになってしまったのです。病院出産が当たり前になり、出産が医療の対象として管理されるよになってしまい、その結果、産まれたばかりの赤ちゃんがその人生の輝かしい出発の時点で受ける仕打ちが、時間が来るまではおなかがすいていてもお乳がもらえないという「残酷な、反生命的な訓練」ということになるわけです。お産が家庭で行われていたときには問題にならなかったことでしょう。「心すべきことは、時間割の育児では、母親はいつも子どもより数歩前にあって、次は何をすべきかを心得ていて、おとなに手数をかけることが極度に少なくてすむような機械的な育て方をしていることであるが、これに反して自律的な育児においては、母親はいつも子どものうしろにあって、たえず観察によって学んでいくのであるから、毎日毎時間、いや一瞬間一瞬間が発見である、ということになる。」もし赤ちゃんがお乳を飲んでもすぐに泣き出したら、その理由を「つまらぬ書物の教える規則の中に発見しようとするのでなしに、本能的な愛情によって発見すべきである。」自律的な育児というのは、「子どものパーソナリティと、うちにもつ機能を信じて、まちがった干渉によって、そのパーソナリティをゆがめ、その体を硬直させるようなことを、決してしない考えをもっている」ことであり、「きまった規則で育てるのよりも、ずっと精力を要することを、大いに注意する必要がある」「最初の数年間は、もっとも注意深く見守っておるべき年月である。なんとなれば環境全体は自律に反対であり、われわれは子どものために、意識的な努力をもって、戦わねばならぬからである。」

明治初期、日本を訪れた西洋人の眼には、この国は子どもの天国のように映ったということです。子ども達は叱られることもなく大切にされ、それでいて子ども達は人なつっこく、とても行儀がよいと。添い寝やおんぶなど、西洋にはない育児習慣や、子どもは宝だという子ども観が、子どもの受けるストレスが少ない環境を自然のうちに作っていたのかもしれません。でも現在では、古き良き習慣が残っている反面、育児環境は大きく変わりました。便利な育児用品や育児サービスが提供されるようになっています。何より大きな変化はテレビ、ビデオの存在でしょう。確かに親にとっては楽で便利に、子どもにとっては退屈しないですむようになってきたかもしれません。でもそういった環境は、むしろ自律に反対である方向に強化されているような気がします。子どもに与えるモノが増え、テレビやビデオにお守りをさせて、「子どもはくすぐられたり、抱きしめられたり、からかわれたりするのをのぞんでいるものである」ことが疎んじられる傾向にあるのではないでしょうか。

(つづく)


目次に戻る    No.9を読む