ホームスクーリング研究会リポート No.15
子どもをどう理解するか
第4章 遊戯
「私の学校の男生徒たちは一般に女生徒とは遊ばない。男生徒たちはギャング遊びをし、自転車競争をし、木立のなかに小屋を作り、洞穴や塹壕を掘る。女生徒はめったに組織化した遊びをしない。・・・小さな女の子は人形で遊ぶ。大きい女の子は物よりも人との接触から大きな喜びをうるように見える。・・・男児と女児とは遊戯について違った考えをもつことは明らかであると思われる。男児は女児よりもいっそう多く遊ぶ。女児はときには遊びの代わりに空想生活をもつと思われる。」
私の周辺の子ども達はと言うと、女の子は確かにニイルの指摘しているように小さい頃は人形やぬいぐるみが好きで、少し大きくなってからは友達とのおしゃべりで過ごすことが多くなり、手紙交換もよくやっていました。おもちゃはままごと遊びを卒業するとあまり必要ではなくなるようです。空想世界でお料理をするよりも、実際にお料理をすることの方に興味が移ります。男の子たちはと言うと、格闘技をまねたり、テレビゲームやカードゲームに夢中です。子どもの遊びは時代や世相を反映し、今では商業主義に取り込まれてしまう部分が大きいわけですが、子どもには”子ども本来の遊び”があるのではないでしょうか。自由な時間の中では、子ども達はそういう風に遊び出します。そして遊びの中で成長し、また癒されもするのです。「子どもに思いやりのある親は、子どもの空想をこわすようなことを決してしないであろう。」
この章では、おもちゃや子どもの本についてもニイルの見解が述べられています。おもちゃについては「ポールとかマージョリー・アバットなどの玩具店では、おもちゃをいっそう創造的なものにし、所有的なものを少なくしようと相当研究しているが、しかもなお私自身の感じから言えば市場にはまだまだ創造的なおもちゃと言えるものははなはだ少ない。構成的なおもちゃ、すなわち金属製や木製のメカノ類の多くのもの、それらも創造的であるとは言えない。」「そこで私は、ゾーイも、もう六才になったのだから、おもちゃよりも図画帳や鉛筆や絵の具を買ってやることだと考えるようになってきた。」さて、もしニイルが今の時代に生きていたら、テレビゲームをどう思うでしょうか。
(つづく)