ホームスクーリング研究会リポート No.12

子どもをどう理解するか

第3章 自律の子ども

この章の終わりに、ニイルは「性教育」について語っています。幼児期における性の問題としては幼児自慰(性器的遊戯)をあげていました。それ自体が問題なのではなく、それに対するおとなの態度の問題としてです。「性器的遊戯は善良な、正常な健康なものとして認むべきものであって、これを禁圧するいかなる企ても有害であり、子どもの興味を他に変えさせようとするずるい不正直な企てもいけないということだけである。」確かにそうだとうなずけるのですが、子育ての実感としては「この幼児自慰の問題は、もっとも複雑な問題である。なんとなれば、ほとんどすべての親たちは赤ん坊のときから性否定的に条件付けられており、羞恥、罪悪、嫌悪の感が、深く自分のパーソナリティーの中にしみこんでいて、これにうち勝つことができないでいるからである。性器的遊戯は悪くない、そして健康なものであるという、強い啓蒙的な意見を持つことはできる。それでいて同時にまた、感情的には、子どもの性器的遊戯の満足を子どもの権利として認めていないことを、声の調子や、眼つきによって、子どもに知らせることもありうる。」という態度をとっていたように思います。それがどう子どもに影響したかは、今のところよくわかりません。

 「性教育は、自律の子どもには、必要がないはずである。なんとなれば性教育なる語は、今までこの方面に注意しなかった人々へのことばだからである。子どもの自然におこす好奇心は・・・すべて明朗な、感情を交えない態度で答えてやっているならば、性について特別に教えなければならぬというようなことはなくなる。結局それは、消化器や、消化機能や、排泄機能について、特別に教えることを、しないのと同じである。」子どもはまず、自分がどうやって生まれてきたのかを知りたがります。我が家の場合も娘が3歳くらいの時でしたか、そのことを訪ねたので、ありのままの事実を話してやりました。たいていそういう会話は、一緒にお風呂に入っているときに持つことになります。その後、しばらく娘は「誕生ごっこ」を喜んでいました。それはこうです。夜、布団にはいる前、娘が私のパジャマの上着の中に頭をつっこみます。まだ生まれる前の、おなかの中にいる状態です。それから陣痛がおこって赤ちゃんが産まれます。すると娘が「オギャーオギャー」と泣き真似をして、わたしが「まあ、こんなに可愛い赤ちゃんが産まれてうれしいわ」といいます。そしてお互いに抱き合って「愛してるわ!」と言い合って終わりです。どのくらいの間、やっていたのか忘れましたが、しばらくは絵本を読んで寝る前の就寝儀式のようにやっていました。

 

 性に関する情報は、ニイルの時代に比べようもなく、テレビや雑誌や漫画など、子どもの世界にも氾濫し、「援助交際」と称する売春の低年齢化が進んでいるといいます。少し前に、裁判官の少女買春が話題になりましたが、性に関して商業主義的欲望はどんどん肥大化していく一方で、本質的な部分での抑圧は大きくなっているのではないでしょうか。「性に対する正常な態度、子どもの自然な性の受け入れ方を邪魔しないで認めてやる態度」を大人も社会も未だに持ち得ていないのだと思います。子どもが成熟して大人になるということを、あらためて見つめ直す必要があるのではないでしょうか。


目次に戻る    No.13を読む