ホームスクーリング研究会リポート No.10

子どもをどう理解するか

第3章 自律の子ども

「自律の子どもが、下に子どもの生まれた場合、どのように反応するかについては私の経験がない。嫉妬は永遠に消ゆることのない人間の特性であるかどうかも、私は知らない。」としつつ、ニイルは次のように推論していきます。「嫉妬は、愛する相手に対しての、愛と所有の念との結合から生ずる。・・・嫉妬はつねに何か一定のものを失う恐怖である。・・・そこで自律の子どもの場合も、上の子どもの気持ちがどれほど認められるかに、かかっている。もしも自律の子どもがじゅうぶんな独立を与えられ、絶えず親たちにほめてもらい認めてもらう必要がないならば、そのとき下に生まれた子どもに対する嫉妬は、型にはめられて育った子どもの場合よりも、ずっと少ないであろう。」

今まで親の愛を独占できていたのに、ある日突然、小さな競争相手が出現することは、おそらく想像以上のショックを子どもに与えていることでしょう。その点に親は十分配慮する必要があることをニイルは強調しています。「すべての年齢の子どもは、公平、否むしろ不公平に対してはなはだ敏感である。・・・赤ん坊が母の胸に抱かれるのは、兄からは不公平と見えるかもしれない。しかしその兄も、小さいとき母に抱かれた満足感をじゅうぶん感じているなら、そうは思わないかもしれぬ。この点については独断を避けて、大いに実証を示す必要がある。」

下の子が産まれたとたんに、上の子のおねしょが始まったとか、喘息を起こすようになったとか、赤ちゃん帰りをするようになったとかというような話をよく聞きます。親の愛情、関心をいつも引きつけておくことに、かくも必死な思いを小さな子どもは抱いているのかと思うと、とても切なく、また愛おしくなります。

 

子どもが「不公平に対してはなはだ敏感である」ということは、兄弟姉妹関係の中だけでなく、あらゆる場面で忘れてはならないことだと思います。このことでとても印象に残っていることがあります。昔、我が家は”子どもサロン”と化していたことがあって、子ども達が毎日遊びにやってきていました。いつものようにおやつを出してみんなが食べ終わった頃、たまたまやってきた子どもが、自分の分がないといっていきなり猛然と怒り出したのです。その子が来ると約束していたわけではなかったので、私としてはその子の分を用意しておく義理はなかったわけですが、そんなことにはお構いなく、とにかく彼女は自分が不当な扱いを受けていると本気で怒っていました。残っていたお菓子を出してあげて、とりあえず彼女の怒りは収まったのですが、子どもは理由や状況を理解するよりも、まず自分が不公平にあつかわれた(と感じる)ことが一番の問題なのだと、妙に納得したものでした。子どもには子どもの事情があるのです。

(つづく)


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