未来を生きる子ども・家庭・学び その25





「違っていてあたりまえ」という社会で育つこと
 1995年の7月2日、戦後50年に合わせてポーランドのアウシュビッツから 世界各地の戦跡や紛争地をまわりながら8月に広島・長崎まで行く「平和巡礼」に参加して来日され、 高砂市にあるフリースクール「地球学校」に滞在されていたエリック・ジョイさん、 パートナーのコリーンさん、息子のビヨーンド君のジョイ・ファミリー3人と姫路での交流会が開かれることになりました。 ジョイさんたちはアメリカ・カリフォルニア州在住のクエーカー教徒※でホームスクーラーでもあります。 ホームスクーリング・ネットひめじのメンバーやフリースクール、 オルタナティブ教育に興味のある人達が集まって、シロトピア公園でのピクニックパーティー、 公園の道路向かいにある市民センターでのお話というふうに空模様をうかがいながらの交流会となりました。 エリックさん達のお話はとても興味深く、中でもコリーンさんの二人の子どもたちのホームスクーリングについての話は、 私たちにとってとても参考になるものでした。

   コリーンさんのお話の中で、子どもたち(ビヨーンド君とそのお姉さん)のホームスクーリングについての話には、 おおいに元気づけられました。

 お姉ちゃんが“読み”を始めたのは9才の時。アメリカでは一般的に4才で“読み”を教え始めるので、 9才までじっと待つというのは、やはりハラハラドキドキだったそうです。 ビヨーンド君の方は何と11才。二人が“読み”を始めるきっかけは 好きな雑誌の写真の説明や映画のパンフレットを読みたいと思ったことだったそうです。 それまで本の読み聞かせなどでベースはできていたので、覚えるのは早かった。 4才の子どもにとって“読み”を覚えるのは大変だけれども、 9才の子どもにとってはさほど難しい課題ではない。二人とも外で動物たちと遊ぶのが大好きで、 その事で優しさを学んでいたと言っておられました。その後二人はハイスクールへの進学を選んだそうです。 お姉ちゃんの方はトップクラスの成績をとり、現在は大学に在学中。 ビヨーンドくんは3年で取る単位を2年でとってしまって、あいた1年を今回の旅に当てているそうです。 ハラハラドキドキが現在進行中のホームスクーラーにとって、 すでに成長した子ども達との体験に基づくお話には何よりも励まされました。

 さて、ホームスクーラーとして成長した17才のビヨーンド君に感想を訊いてみました。 「なかなかおもしろかったよ。人が違うということはあたりまえだから、別に気にならなかった。」 アメリカではホームスクーリングが法的に認められているとは言っても、 やはり少数派であることには変わりないわけで、そういう意味で違った育ち方をしたことについて、 彼はサラリとこう言ってくれました。みんなと同じでなければならない、 違いは排除されてしまうという同質化傾向の強い日本社会の中で、 ホームスクーラーのしんどさはまさにそこにあります。 “違ってあたりまえ”という共通認識が持てる社会を作っていくことが大事なのだと、 あらためて思いました。

 それからもう一つ、コリーンさんのお話の中で思い出したことがあります。 学校に行かないことで子どもが孤立するのではないかという質問に対して、 同じ年令集団しか与えられないことの方が、より子どもを孤立させてしまうと答えられました。 子どもはいろんな人のつながりの中で育っていくことこそが大切なのだということだと思います。

 学校は子どもたちに他と同じであることを強要し、囲い込み競争させることで、 人のつながり・社会とのつながりを断ち切ってしまいます。 ホームスクーリングを選ぶと言うことは、多様な社会を作って行くことへの 一つのアプローチでもあると言えないでしょうか。

HSNニュース No.25(‘95,9.10発行)より抜粋

 

※クエーカー教徒;クエーカー(Quaker)は17世紀半ば、イギリスのジョージ・フォックス(1624〜1691)
 によって始められたキリスト教の一宗派。
 教会・牧師・儀式など一切の形式を求めず、自らの内に直接働きかける神(聖霊)を体験することに信仰の中心をおく。
 正式の名はフレンズ(Friends)、教団は友会(The Society of Friends)と呼ばれる。



前へ
次へ

目次のページへ戻る