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世界の窓

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【 アメリカ・ワシントンレポート VOL.1】

由美子 シェーン女史




(97/9/21 アメリカ・ワシントンレポートより)

◆ 子育ての独り言

アメリカに住んでいたことがある方はきっとご存じだろうが、トークショーという”頭の良い人は観ない番組”の代名詞のよ うな番組が幾つも毎日全国ネットで放映されている。毎回スタジオのパネルにはゲストが座り、観客席のオーディエンス側に 番組の司会者が立っていてゲストにさまざまな質問をしていく、といった設定になっている。テーマというのが昼間の番組に しては結構どぎついものが多く、”私の主人を寝取った妹”などといった類の女性週刊誌の中味をそのまま番組にもってきて しまった様な物が多い。前述の代名詞がつくような番組なのだいう偏見がありながら、先日ついついしっかり一時間たっぷり と観てしまった。

その日のテーマは”美少女コンテスト熱中母”というものであった。美少女コンテスタントであったジョン ベネット ラム ジーちゃんが何者かに殺害されたというニュースは日本でも大体的に取り上げられていたのを耳にした。あのニュースがあっ てから特にコンテストの実態がどういうものなのかが取り上げられたりして、コンテストの裏表が批判される対象になること もしばしばなのである。

この日のゲストは5組の母娘。年間、数中〜百回以上のコンテストに出場し、各々が入賞経験があるという子供達は2歳から 13歳までと年齢も幅広い。なんでも、熱心な母親達はコンテストの度に何百ドルもするドレスを買って、完璧に化粧をした 子供を舞台の上に立たせるとの事。たまには水着審査もあるらしい。ところで、この手の番組はオーディエンス参加型なの で、あちこちの観客から意見が飛び交うのがお決まりである。観客からは少女の美しさを競うのになんで化粧をする必要があ るんだ、と怒りの声。人前で子供に水着を来させて化粧をさせて、喜んでんのは母親だけなんじゃないの?という意見も。 2、3才の女の子でも肌を露出した衣装だとか、つけまつげは常識というような化粧などは審査員の気を引くためにと、年々過 激さが増しているのが実情だとか。ゲストの一人の子は年齢13才ということで自分で分かってやっていることだろうから良 し、と観客も柔軟な態度であったが、2歳、3歳の子の親に対しては観客の意見は厳しいものが続き、茶の間の私はその様子 をしっかりと見入ってしまっている。

そして、最初は御淑やかだった幼女の母親達もそのうち”家の子がやりたいって言ってんだからいいじゃないのよ”、と興奮 気味に反発。観客からはブーイング連発である。パネルと観客が反発しあうところがこの手の番組のウリなのであるが、この 状態になると話しが動かなくて観てるだけの私は一人苛々してくるのだ。

どんな女の子でも、一度はきれいな服着てお化粧したいと望まないはずがなかろうに。でも本当のコンテストの目的はそこに はないような気が私はした。司会者が番組の締めで、”この子たちがコンテストを止めたいといったときに引き受けられる母 であっていてください。お母さんのためにコンテストに出る、と思い始めたときからきっとお母さんの期待に答えることばか り意識する様に育ってしまうかもしれませんから。”と奇麗にまとめる。とにかく、私はこの一部始終を観ていて、司会者& 観客側に勝利の旗揚げ、という意見であった。

この番組終了後、今度は立て続けにフジテレビのニュースが放映されるので早速チャンネル変更。今度はこちらでは日本の” お受験”の話題が取り上げられているでわないか。面接に向けて、服だけでも何十万円もかかるんだとか。幼稚園生が毎日塾 に通うことは何てことないらしい。高額の月謝を払って有名な塾にいれることから親たちはしのぎを削っているのだとか。小 学校受験に向けて面接の練習をしている子供たちの映像がながれる。”お父様が、お母様が、”と何となく無理に言っている のが見え見えなのが哀しい。『お受験』という本の著者が”や〜、お受験ってお母様たちのためでしょうね”とアッサリ言っ てのけていた。このニュースを観ながら、母親よ、ここでもか、とどうして思わずにいられよう。立て続けにこれらの番組を 観てすっかり疲れてしまった。
 

アメリカでも日本でも形は違うけれど、親の子供に対する期待のパワーは変わらないなと感じた。でもそこでふと思ったの が、コンテスト少女たちには、疲れてしまったら舞台はいつでも降りれるということ。ドレスや化粧を忘れて普段着に着替え て子供に戻ればいい。受験戦争の舞台に立たされてる日本の子供たちはこのままどこにいってしまうのかな?自分が好きで始 めたんだから嫌になったら止めるよ、って言えるのかな?私の子供が男の子で、アメリカで育てていくことがとても気が楽に 思えたりして。
 
 

(97/9/17 アメリカ・ワシントンレポートより)

◆ 人に手を差し伸べる心の余裕から

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Q. 現在、日本では第2次橋本内閣が発足し、1976年に発覚したロッキード事件で有罪が確定した佐藤孝行氏が、行政改革の 担当の総務庁長官に起用され、マスコ ミ等で多くの批判が繰り広げられています。内閣の人事が国民の分からない所で、 派 閥人事が行われることに大変、憤りを感じます。 アメリカでは、どのように報じられているのでしょうか。?  (by Fine View管理人 本庄)

A. 第二次橋本内閣のことは地元のワシントンポストにも取り上げられていました。 橋本総理が国民の反発よりも党内の派閥 の反発の圧力を重視したためだと。しかし見出しには”重罪人が内閣に採用”としてとりあげられており、恥ずかしい思 い をしました。しかし、橋本総理を非難することはあまりにも単純なことであって、佐藤氏を当選させた地元の(北海道でした っけ?)人々の無知無責任さも無 視できることではないと思いました。日本の民主主義はまだまだ長い道のりがあ るように 思います。 (by Yumiko Shaneさん)

海外では、橋本内閣と有権者の意識が低いことが、奇異に映るんでしょうね。 日本に住んでいても、何故!?と思うことが 多々あります。 海外では、肩身の狭い思いをしている方が多くいらっしゃるではないでしょうか? (by Fine View管理人 本庄)

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 子供を産んで3ヵ月ほど経った頃、日本に一度里帰りをしたのですが、滞在中に子供を連れて外出をすることが一気に億劫 になってしまいました。乳母車 を押していると良く分かるのですが、公共の建物でさえ階段があってもスロープがない。駅 にたどり着くと乳母車はたたむように注意書きがされている。ながい階段を目の前にして、やれやれ、子供を片腕にかついで 汗だくになりながらなん とか乳母車をもう一方の腕できように畳もう。本当は通りすがりの人に手伝って、とお願いしたい ところ。電車のなかに至っては社内放送で乳母車をたたむように更に注意される。もう既にこの時点で子連れで外出したこと が後悔されてくる。これで子供が泣き出したりなんかしないかしらと内心ひやひやしてしまう、 とまあどこにいってもこの 調子でした。

アメリカで生活をしていて子連れで外出するのが億劫だと思ったことはありません。地下鉄に乗って外出するのも平気。階段 のあるその隣にはエレベーターも設 置されています。電車で乳母車で乗り込んで、他人の邪魔にならないように気配 りする のは本人の責任。注意書きなんてありません。うっかり電車が混んできたらやっぱり他人の邪魔にならないようにと乳母車を たたみましたが、同時に席を 譲ってくれる青年の言葉に甘えさせてもらいました。漫画雑誌に夢中になって無 視されるよう なことはまず経験してません。こちらに来て嬉しくなるのは、男性 が非常に子連れにたいして親切にしてくれるということ でしょうか。年齢も幅広く、少年からお年寄りまでたった2、3段の階段を乳母車で上り降りするだけで も親切に手を貸し てくれることがしばしば。助けが必要でないときでも、”彼何 才?大きいね〜、愛想いい子だね〜、”と話しかけられるこ とが多いのです。うちの母が”若い男の人なのに赤ちゃんがすきで声かけてくれることなんて日本で は珍しいのにね、”と 驚いていました。

 さて、新学期より私は地元のコミュニティーカレッジに通い始めました。 (と言っても週一クラスなのですが。)主人が 仕事から戻るのを待ち、子供を主人に任せて夜間の7時半から始まるクラスに参加しているのです。社会人が大半 で約30 人程のクラスでしょうか。そのクラスのなかに聾唖の女性が一人参加しています。学校のスタッフである手話の通訳者が二人 一緒に授業に参加して交代 に教授の話を手話で彼女に説明をするのです。手話に気を配りながらノートを採ることが困難な ので、ノートのほうは私が担当してカーボン用紙を利用して彼女にわたす役を引き受けることになりました。すべての学校に このシステムが採用 されているわけではありませんが、なるべく広い範囲の生徒を差別なく受け入れ ていこうとする学校側 の姿勢には、全く頭が下がりました。

 乳母車を押すようになって車椅子の生活をされている人の不便さが分かるような気がします。自分も助けられることがあっ てから、困っている人がいれば 照れずに声をかけられるようになりました。社会が如何に寛容な態度で身体障害 者や子供連 れ、お年寄りを受け入れられるかは技術的なことだけでなくて、本当は素朴に個人の心の寛容さから始まるんじゃないかな、 と最近そんな気がしてならないのです。
 
 

(97/8/21 アメリカ・ワシントンレポートより)

◆ ワシントン紀行 −その1−

ワシントンの街角にはアメリカの政治はもちろん歴史や開拓精神を感じさせられるランドマークが沢山あります。今は夏休み なので家族連れの観光客で街はにぎわっています。大人はもちろん、子供も十分楽しめるスミソニアン博物館では日 本から の家族連れの方も多く見られます。私が長男を出産する半年ほど前にに私たちは日本からこちらに引っ越してきたので、日中 はメトロに飛び乗ってあちこち市内観光をしたものです。

こちらの市内観光をしてまず感じたことが、圧迫されるほどの建築物の大きさでしょうか。日本でいうところの霞ヶ関と同 様、各省庁のビルなのですが、ニュー ヨークのような縦長なものとは異なって、こちらのビルは横に長いのです。(とても 威圧感があり、少し怖いくらい。)

もちろん各国の大使館もこのワシントンに位置しています。高級住宅街には外交 官のライセンスプレートを付けたリムジン が多く目に付きます。各国のVIPがワ シントンを訪れていると、警察官のバイクやシークレットサービスの車で護衛さ れた リムジンがまるで大名行列の様に通っていきます。クリントン大統領の大名 行列はさすがに大がかりで、20分程前から、 警官が街に出て通行止めをするので、かなりの交通渋滞が発生してしまいます。先日、偶然にも副大統領の一行を 見ました が、大名行列とはいかず、ゴア副大統領と護衛車2、3台といった感じ の寂しいものでした。さっそうと車から降りてヘリ コプターに乗り、去っていかれました。

私たち一家の住んでいるマウントバーノンエリアは初代アメリカ大統領のジョージワシントン邸(マウントバーノン)があり ます。当時の面影をできる限り残 していこうと、農場や庭園は今でも家畜や草木の世話がこまめにされています。 邸宅から 見下ろすポトマック河の景色はとても美しく、この景色を当時一人苛め していた大統領がうらやましい限り。電気も水道も なかったころの当時の不便な 生活をさまざまな知恵を生かしてた様子がとてもわかりやすく残されています。 当時の奴隷小 屋も原型をとどめており、プランテーションとして成り立っていた 200余年前の歴史が感じられます。

とにかく、以上はまだまだワシントンの観光箇所のかじりです。たくさんの観光 名所を始め、普段の生活の様子なんかもこ れからお届けできればと思ってますのでどうぞ宜しくお願いします。