世界の窓

このページでは海外で現在活躍されているビジネスマンや暮らしておられる方の生の声を、掲載しております。
現在、海外で滞在されている方で、その国について、レポートして下さる方、広く募集いたします。

  fineview@hotmail.co.jp

 
 

◆ 海外特派員:福井 正允( Fukui Shoin)


中国満州生まれ。東京下町人形町育ち、北海道で青春、東京で一回目の結婚、渡米で十年の間
ロスアンゼルスを学校流転、日本帰国で集英社、NHK,NHK出版、CF制作などで世界を
歩き回られ、十年居候の日本で二回目の結婚、百姓もどきからアメリカに再流浪、現在、
セントラルフロリダ、ディズニーワールドとデイトナビーチの真ん中辺に滞在されている。
娘さん二人を友として、教育パパとして活躍されている。
現在従事されているお仕事は、NHK出版の仕事を継続の他、日本企業へのアメリカ企業紹介、
視察企画運営;輸出子供服バイヤーのお手伝いなどをされている。 
(→  プレリリースボード

1997/9/8より、カリフォルニア・バーバンク市に転居される。



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私のアメリカ知人・趣味人交遊録「ヨットの家族」
私のアメリカ知人・趣味人交遊録 「小学校三年生受け持ちのパティー先生」
私のアメリカ知人・趣味人交遊録 「アメリカインデアン・パイユートとショショニー族」
アメリカ教育事情



(97/7/8 アメリカレポートより)
「ヨセミテ国立公園」旅行記より
by ShoinFukui
バケーションはヨセミテに行ってテントを張ろう。
アンセルアダムスの写真で有名なヨセミテ バレーに行こうと言い続けて十八年は経ってしまった。ある意味でポピュラーな景勝地は人口に膾炙されている良さを確かめに行きたい気持ちと同時に、皆が行くのなら他に行こうと言った天の邪鬼な気持ちの戦いで何時も後者が勝利を得ていた。それが子供が出来たことで私の嗜好は変った。
1890年アメリカで三番目の国立公園になったのがこのヨセミテ。
ヨセミテ公園に入る前にビショップ市のパイユート・ショショニーインデアンミュージアムを訪ねてきた。そこで聞いた歴史のひとこまと関係あるだけに別な意味でヨセミテにちょっと興味を覚えた。
カルフォルニアのゴールド ラッシュはフットヒルと呼ばれるシェラネバダ山脈のその地方にも及び、その鉱山一帯から原住民を追い立て移籍したのがマリポサ大隊と呼ばれる軍隊であった。そのマリポサ大隊が1851年ヨセミテ・バレーを発見したと言われている。(そのしこりは今でもインデアン居留地の住民の口にのぼっている)
その後ヨセミテは1864年のアメリカ議会で公共自然公園第一号になった。
当時ヨセミテは48.6スクエアーマイル(12、587ヘクタール)の広さであった。そして1914年までアメリカ騎兵隊の警備保護を受けていたが、1916年誕生したナショナル・パーク・サービスの管轄となり現在まで続いている。
今回ヨセミテナショナル パーク サービスのパークレンジャー広報担当スコット・ ギディマンさんにヨセミテ公園内を案内してもらいながら話を聞きました。
現在95%から自然が保たれているヨセミテ公園の広さは1,169スクエアーマイル(302、694ヘクタール)。その中に滝の数九つ、氷河二つ、山歩き出来るトレイルは全長840マイル(1、344キロ)。普通三ヶ月前の予約が必要と言われるキャンプグラウンド十五ヶ所(1,840キャンプ サイト)に夏場だけのロッジングは1、785ユニット。写真や雑誌などで見慣れた高さ2、695メートルのハーフ ドームやヨセミテ滝それにヨセミテバレーを一望出来るグレッシャーポイントは我々の足を引き止めて放さない。
テントを張ったキャンプ場からミラーレイク・メドウ、テナヤキャニオンを半日かけて歩き楽しんだ。いたるとこで老若男女ハイカー達や乗馬隊に会った。汗ばむ日差しも日陰では冷気をたたえ、雪溶け水の渓流は冷たく五秒と浸かることは出来ない。舗装された間道はサイクリングの散歩道。
それとヨセミテ ビレッジのミュージアム、アンセルアダムスギャラリーからキャンピングの買い出しに出向いたビレッジストアーやカリービレッジなどはバスやマイカー族の観光客でどこもいっぱいだった。
キャンプサイトには、キャンパーやテント群が松林の中にあふれているものの比較的のどかな静けさ。
人間達のマナーの良さを見透かしてリスや小型リスのチップモンク、パンク冠のたてがみを持った真っ青なステラーズ・ジェイや赤いベレー帽をかぶったエーコン・ウドッペカーなどの野鳥が食事時めがけて訪ねて来た。まだこのような可愛い訪問者はよいが、夜中には熊も訪ねてくるとの注意書き。食料その他一切車の中やテント内に保管は出来ない。そのためキャンプサイト個々に分厚い溶接鉄板製キャビネットが用意されていた。その食料庫からなるべく離してテントを張ったもの の真夜中、耳の冴えて寝苦しいことこの上ない。小心さを妻子を守る心意気に置き換え悪夢にうなされた二泊であった。
過去二年続けて年間四百万人を越すビジターの数はヨセミテ国立公園の人気を物語っている。
ヨセミテを去る日挨拶に立ち寄ったパークレンジャーのオフィスで私がビジターの多いことを言うとスコット氏は「これはオフレコですが近い将来入場制限が出来るかも知れません」と漏らした。それを聞いた時何となく満足感にひたれた気分になったのは何故だろうか。