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世界の窓

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【 アメリカ・フロリダレポート VOL.1】

福井 正允 氏



◆ 私のアメリカ知人・趣味人交遊録 「ヨットの家族」

一年半前コネチカット州よりフロリダへセーリングで降りてきたヨット、その名前は”一月の星”(January Star)。John Henson49歳,、妻のFrannieに五歳の娘Jessie の三人家族の住居がこの40フィートのヨットだ。愛くるしいジェシーの誕 生日が一月、そのため6才の娘の誕生日から取ったジェシーそのものの船名であった。 彼等は一ヶ月後に四ヶ月間の大旅行を計画している。行き先はバミューダの南サガーソーから南下して英国領のトルトラ島、ドミニカ、セントヴィンセント、島ずたいに南米のベネズエラ、カルビアン海、パナマ、ユカタン半島など巡る予定だそうだ。エメラルドに輝く無人島の入り江、骨休みのヨットに世俗から逃れ、止まった時間のHenson家族、弾んだ彼等の話から無人島にいる彼等の姿を想像していた。


Johnは元UCLAで歯学を教える先生であった。ジョンソン・ジョンソンの基金で身体障害者達への歯科プロジェクトを担当していた。大学の3ヶ月の有給はロスアンジェルスから友人とヨットでハワイ島巡り。風景の美しさにしびれ、待ち合わせた彼女Furannieにも痺れて、それ以来夢見る人生、海上の人。Frannieは資格を有するTraveling Nurse。彼女はJohnよりも船との遭遇は早く、住居の貸し借りで船上生活を経験していた。それがJohnへの羅針盤となり海上人生の船出となったのではと彼等の話から推察した。屈託のないのジェシーの遊び場であるヨット内、ウサギ小屋にも等しい狭さ、それも2メートルの背丈のジョンには生活空間と思うより趣味の空間と思えば愛おしさ娘にも優る。ホームスクールの教材を机に教える母親Frannieの背中に陸上の根差した生活の憧れを見るも、操舵輪を握るヨットではすべてが吹っ切れていた。

出発前にこれから訪ねる島々や国への表敬にボートに掲げる国旗群の手作りをFurannieさんが始めると、ジョンさんは船底にあるボルボジーゼルエンジンの点検(風の無い時の航行と船内の電気供給源)を始めました。「電気は冷蔵庫が一日に60アンペアも使うのですよ」「それと通信機などには欠かせませんからね、それと電力予備としてヨット後尾にある太陽電池もあります」ジーゼルのための軽油使用量は一日1ガロン(3.8リッター)に押えているとのことです。水、食料などは三人家族で 60日分を貯えていくと話すジョンさんは、もうその視界が広い洋上にあるようでした。

「これを忘れてました、一番大切な道具です」と通信室戸棚からハンディーな計算機のような物を取り出しました。それは サテライト衛星利用によるGeographic Positioning System。彼等の命綱だ、広い海原で現在位置を教えてくれるこのハンディーマシーンは昔4、5千ドルしていた物が現在3百ドル程度で買えるそうだ。もう一つの予備を持っているのジョンの説明に、”人生の羅針盤の予備”と私の頭の翻訳機械が打ち出していました。

(97/6/25 アメリカレポートより)




◆ 私のアメリカ知人・趣味人交遊録 「小学校三年生受け持ちのパティー先生」

低学年の教育に意欲を燃やしているパティー先生は三十才。退職した化学者である中国人の父に、アイルランド人でカソリックスクールの教頭先生をしている母をもっている。彼女はニュージャージー州に生まれアリゾナ州の短大からフロリダ州USFで小学校教育のBAディグリーを、そうしてマスターを修得している。家庭に恵まれた五人兄弟の下から二番目であるパティーさんは尊敬するお母さんの教育を小学生の時受けただけにその訓等よろしく二代目教育者の道を選んだ。

「家族が私にとって一番大切」「小学校4年生の時もう先生になる決心をしていたんです」男女平等を常に唱える子供中心の父親に、教鞭を取って25年の母は尊敬して止まない家族の強い絆の元になっているのでしょう。「兄弟皆仲が良く両親の近所に住んでいて事ある度に甥と姪を含め総勢16名からがよく集まる」と楽しそうに話すパティーさんの教育者としてのそれは指針になっているようでした。

彼女は、[LOVE(愛)=RESPECT(尊敬), ENJOYMENTS(享楽), PERSONAL CONTENT(個人的満足)], [FREINDSHIP(友情)=TRUST(信頼), ENJOYMENTS(享楽), FAMILY ORIENTED(家族志向)],[MARRIAGE(結婚)=SOON(まもなく), PLAYING(遊び), WORKING(仕事), EXPERIENCE,(経験) LIVE(生活), COMMITMENT(委任), FAMILY(家族)] と即座に答えました。

一ヶ月後に控えた結婚式からか、それとも本来教育者として生まれついた家系からか、弾んだ彼女の授業風景は見飽きませんでした。 その夕方同学校の講堂でPTA主催の「ピザ ファン ナイト」と呼ばれる学校教材買い入れ資金募集バザーが開かれました。ソフトドリンクを売る小学生達、ピザを売るPTAの父兄達に混ざり、パティー先生は講堂の隅でポップコーンマシーンのワゴン車で販売担当。講堂に溢れる父兄や子供達を前にピエロ達の余興が始まりました。色とりどりのバルーンやテープで飾り付けられた華やかな会場で何時の間にか生徒の父兄に混じって、ピザをぱくついているパティーさんがいました。その日の売り上げ金はコンピューター教材ソフト資金になりました。


(97/6/22 アメリカレポートより)



◆ 私のアメリカ知人・趣味人交遊録  「アメリカインデアン・パイユートとショショニー族」


南北アメリカに住むネイティブアメリカン(アメリカンインディアン )の数はメキシコなど中南米を含んだラテンアメリカでは4,500万そしてその混血は数100万いると言われています。またカナダではインディアン国勢調査で55万人の数字が上がっています。ここアメリカでは約200万のインディアンがいて、その1/3がインディアンリザベーションと呼ばれるインディアン指定居留地に住んでいます。今回そのインディアン指定居留地の一つ、カルフォルニア・ビショップ市パイユート・ショーショニーインディアン居留地を訪ねてみました。


今から十数年前に二三回訪ねた事のあるパイユート・ショーショニインディアンカルチャル・センターに行ってみますと、ミュージアムは展示物も増え充実していました。ただ訪れる人も少ない静かなたたずまいは昔と変りません。そのセンター内を切り盛りをしている、3/4パイユート族の血を持つ物静かな日本人にも似た婦人ジェラルディンさんがいました。彼女に昔の知人達の消息を聞いたのですが噂には聞いたことがある程度の反応しか帰ってきません。インデアン特有の口の重さなんでしょう。聞かれること以外は話さない姿勢でした。それでも私はこの土地風景が懐かしくビショップ市内に一泊して二日に分けて無駄話しにそのセンターに通ていました。このビショップ・インディアン指定居留地は1939年ロスアンゼルス市への水路建設のため処替えが起こり今ある土地に移ったそうです。現在約1、000名のパイユート・ショショニーインデアンが住んでいます。


この他にもアイダホ、オレゴン、ネバダ、ユタ、アリゾナ州の各地にも彼等の指定居留地があってパイユートインディアン人口総計約4,000名。それとショショニーインディアンは約1,000名と言われています。19世紀の始めには両インディアンはその数の二倍近くの人口があったと言いますから淘汰されつつある原住民の悲哀がその数字からもうかがえます。

昔ヨーロッパ人が未開のアメリカ、カナダに来た時インディアンの話す言葉が約300語あったそうです。それが1990年代に入って、数少ない老人インディアンだけが使用しているその言葉が190語になってしまいました。現在インディアン教育のなかに取り入れられて年代を問わず部族間で話されているインディアン語は40だけだと言います。きっとあちこちにインデアン居留地にもこのようなインディアン・カルチャルセンターがあるに違いません。少なくても彼等の歴史や伝統を後世に残してゆこうとする努力をしているのでしようがここを訪ねる度、なんとなく寂しい気持ちにさせられるのを禁じ得ませんでした。


ジェラルディンさんもパイユートインディアン語を話せる一人で、パイユート語の物語を通訳して聞かせてくれました。パイユートでは狼が天地の創造主と信じられていて、その同じ犬族のコヨーテはトラブルメカー・悪魔の化身と見られています。それが親戚関係にあるショショニー族ではそのコヨーテが人間の創造主と見られ、死者のスピリットはコヨーテの土地に戻ると信じられているから面白いです。

彼等の話す言語はどちらもUto-Aztecan言語学族に入りパイユートの 彼等は自身をNuwu(person)と呼ぶとか、ショショニーの全能の 神はApoと呼ばれる太陽であったなどはギリシャ神話のApollo(太 陽)に似ていたりして興味深い。それに今は無くなってしまった昔の風習の一つとしてパイユートインディアンは死者を火葬に付し、その死者の持ち物も焼却して、それ以後一切その死者の名前を口にしなかったそうです。その話をビショップを離れてしまった時思い出して、ひょっとしたらジェラルディンさんは私のインディアン知人を知っていたのではないかと考えていました。

(97/6/19 アメリカレポートより)


◆ アメリカ教育事情

先月でしたか、こちらの日本で言う中学3年生の三クラスへ日本を語る講師をやってきました。
マルチカルチャーとして異国文化を教えるのは良いのですが、そこに日本人種がいない場合、
日本の事はちんぷんかんぷんですね。やはり小さな国日本は存在感がないのでしょう。
これが西海岸に行きますと、全く違います。それだけアメリカは大きいのでしょう。
ここで日本の代表的イメージを子供達から拾いますと。

1) 忍者
2) 任天堂ゲーム
3) 五レンジャー(TV)
4) セーラームーン(TV)

でしょうか。
教師が日本について教えていればやりやすいのですが、それでないと、世界地図上日本の
所在さえ知りません。先生ではアメリカの人口数すら知らない人もいます。
もう三年近く請われるとこの社会奉仕講師をやっていますが、先生や学校の教育姿勢で
生徒が違うことを、いやという程見せ付けられています。

(97/6/13 アメリカレポートより)