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世界の窓

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サイパンからのたより VOL.1】

イロ2女史

  



 

(99/04/21 サイパンから便り)

◆   【もっとタフに?】  by イロ2
 
 

 先日、フィリピーナ(フィリピン人女性)の友人が12月に結婚する話しを聞いた。

私は彼女に頼まれて、少々仕事絡みのホームページをボランティアでメンテナンスしているのです。

そこにはフィリピンに残している娘たちや、ハワイ在住の米国人ボーイフレンド(以下、BF)も登場するのだけど、彼女には他にこちらに一時出張していた米国人のBFもいたの。その第2のBFとは私も面識があって、知り合ってすぐ帰国という運びになってしまったけれど、7月に彼女はバケーションを取って順に彼等に会うのだと私に話してくれていた。が、ここに来て12月の結婚話しである。

さて、相手はどっちなのかと尋ねてみると、また別の名前が。。。。グアム在住のBFなのだそうだ。(注:グアムは米国なので、通常労働者もGenevaUSシチズンやグリーンカード取得者に限定されます。)

 と、これはその彼女が『トンでもないクワセモノ!』と告発する話しではなく、私が島に来て、日本に住んでいては想像も出来なかったろう彼女に限らずタフな人々と沢山出会い、生きるっていろいろな道があって、また大変な事なんだなぁ、と考えさせられてたって事なんです。

 

 この島は小さい乍らも多種多様な民俗が集い、総人口(約6万人)の半数以上が私を含めて?外国からの期節労働者。期節労働者って云ったって、私もそろそろ在住7年。それ以上滞在しているヒトはざらです。そして短期で移動するヒトも。。。。フィリピン、タイ、韓国、中国、日本。バングラデシュ、ペルーはここ2、3年急上昇。もちろん米国やカナダ、欧州からも(彼等は期節労働者だなんて思ってないでしょうね)。

 ここは何とも不思議な島で、外国人労働者が米国のグリーンカードを取得する為の、一時滞在場所として利用されている事が公然の秘密みたいな気がするのは私だけでしょうか? サイパンは米国の自治領であり、北マリアナの政府がちゃんとあるのだけれど、北マリアナが出生地がであれば、GenevaUSシチズンとして米国のパスポートを発行して貰えます。子供がGenevaUSシチズンする為に島での出産を励むヒトが多いのは、日本人の中にも例外はいない筈。そしてこの島を拠点にGenevaUSシチズンと出会い、結婚まで持ち込めば憧れのグリーンカード取得も夢ではない! また日本人と結婚すれば、日本に住み着く夢もあるんですよね。

 さて、なにに『タフ』さを感じるかというとですね。グリーンカードやら日本に住む事を切望するヒト各々、自国の経済事情というものがあるのだろうけど、グリーンカードやらを取得する為に使うエネルギーたるや、半端でないと。にこやかに、しかし全身全霊を駆使して狙いを定めた相手にぶつかって行く、そんな風に私には見えます。ヒトによってはパートナーが居ようが何だろうがお構いなしで、手を替え品を替えだし。実際、米国人夫にまとわり付く中国人女性に数年来頭を悩ませている日本人妻も。。。。

 その中国人女性の場合、彼等の子供を舐めるように可愛がる事も忘れてはいませんでした。まぁ子供の方はありがた迷惑で、モノゴコロがついた頃から、しょっちゅうダディにまとわりつく彼女に嫌悪感さえ覚えているようですけど。Geneva(^^;

しかし彼女は挫けずに、米国やカナダに留学する手配をしてくれとか、ビジネスの話しを持ち込んだり、ついには養女にしてくれと言い出して、私達を感嘆させてくれました。自分の希望を遂げるため必死なんですよね。

 島に来た当初知り合ったフィリピーノ(注:フィリピン人男性とフィリピン人全般を意味する)は、別の場所で働くフィリピーナとの間に子供をもうけました。しかし、彼のジャパニーズ・ガール好き?はとどまることなく、ある日滔々フィリピーナのGFと子供を残し、ゲットしたジャパニーズ・ガールと日本で暮らす為に島を出て行きました。彼はジャパニーズ・ガールを日本で職を持ち高収入を得る為の突破口として使っていたんですよ。ジャパニーズ・ドリームは彼等の中で未だ健在なのです。

 

 中国人の彼女や先にあげたフィリピーナを含め、場所を変えて少しでも多く収入を得る為に適した土地で職を得たいという彼等の行動には、ファミリーを養って行くというのが後押ししてるらしいんだけれど、宗教の問題も含まれているのかもしれませんね。(まぁ宗教に関しては、無宗教というか、その時々にシントイストや仏教に変わり身を余儀無くされる日本人その他大勢に含まれる私は言及しません。)そこには、ファッションとして米国人や他外国人との結婚を望む僅かな日本人とは懸け離れた意識の差が見えます。とにかく、自分を含めファミリー全体が生きて行く為に必死だという姿が生々しく、彼等の行動を批判や中傷する気持ちなぞ持つ事を許されない緊迫感さえ私に見せつけてくれます。そして私は自分の生き方というものが、ぬるま湯に浸かったふにゃふにゃなモノなんだと思わざるをえなくなってしまうんですよ。

 日本人って諦めが早いヒトが多いなぁ、と実感しているここ数年。何のアクションもしていないうちに、ちょっと無理みたい?だと思うと直ぐに諦めてしまう。『無理だよ。』とか『そこまでする必要はないんじゃない?』なんて言葉を近親者からも浴びる日々。タフな彼・彼女たちの姿を見る度に、簡単に物事を諦めていいのか?って気持ちがムクムク湧いてきます。

 ファミリーを何が何でも守るため、自分がもっと良い待遇を受けられる職種や職場を得られるよう励む人々。もちろん中には自分が楽しんで生きて行ければいいのさ♪ なんてタイプもいるけれど、臨機応変且つ、目標には強かに、応用の利く生き方を模索し続けるのを見習うのは悪くないのだと思う、今日この頃なのでした。

  

 


(99/01/24 サイパンから便り)

◆   『ここ2年を振り返って。。。。』   
 
 

 97年と打って変わり、98年は台風の被害も受けずに安堵の年でした。

 例年ならサイパン北側に位地する湿地帯・タナパグは雨が続くと道路に水が溜まり、 道路脇には巨大なススキの様な草むらも続く為、まるで川の中を車が行き来している様です。 そして有るか無しかの路肩にはエンジンが動かなくなった車が思い思いの場所に。。。。

 今、その道も徐々に変わりつつあります。片側2車線にするべく、工事が進んでいるから。

 米国からの多大な援助を受けてのインフラ整備も後1、2年で資金が入らなくなるとかで、 それこそ怒涛の勢いで行われている様な。それはタナパグだけでなく、ビーチロードでも ミドルロードでも穴を掘っては埋め、の作業を繰り返していると表現すれば良いのでしょうか。

 ソーラーパネルを利用して夜間、横断歩道のサイドに埋め込まれたランプが点滅する信号なぞも 数カ所登場したけれど、果たしてそれは夜間は有効でも昼間は点滅が見え難く、ツーリストの皆さんには私を含めたドライバーには気を付けて頂きたいものです。 Geneva (^^;

 どちらかと云うと余りにも97年が台風三昧だった所為か、ちょっと拍子抜け気味だったけれど、 今改めてこの島のパワーについて考えてしまいます。何故って、台風がなくても停電は日常茶飯事だしね。

 先日の日曜は風邪でダウンしていて、そして朝から停電でした。多分2、3時間もすれば 回復するものとタカを括っていたのだけれど、一向にその兆しもない。。。。
ランチは台風時の 必需品・カセットコンロを棚から下し、お湯を沸かしてインスタント食品なぞにありつけたけれど、 まだまだ続く停電ライフ。結局12時間以上もGeneva "No power !" を続けてしまったのね。。。。

 ただラッキーなのは、家中の窓を開けておけば風が入り、クーラー無しでも流石に心地よく過ごせる日だったと云う事かしら?ベッドの中に居ても心地よい風が部屋中を吹き抜けてくれてました。

 私の住む地区は島内でも最もパワーラインが古い所らしく、そこに昨今押し寄せた建設ラッシュ で一番トビやすいとかで、本当に一時期はどう仕様も無いくらい停電だらけで真面目に引っ越しを 考えたり。

 建設ラッシュと云っても、多分想像されるのとは違うんです。ここでは大抵がブロックを積み重ね、 そこにセメント塗ってペイントして出来上がり!なので、ポコポコ建てられているアパートも殆どが 2階建て。ここ3年位の間に、ムスリムの方々(バングラデシュがメイン)が大量に入居してるって具合。

今迄労働の主流だったフィリピン人はまだまだ人口の半分近くいるけれど、目立つのは中近東・ ネパールなんかかしら?フィリピン人は島に根付いてるので、ローカルや米国人との間に子供も儲け、 政府機関の重職に就いている人もいる位。

 さて、話がちょっと逸れてしまったけど、97年には流石に大家さんも水を汲み上げる為の ジェネレータ(発電機)を購入してくれて、1回だけ使いました。でも、その後は台風は来なく なったし、『音が煩いから』『空港の近くに家を建てたから、最近こちらには余り戻っていない』等の 理由でたまに起こる停電に、そのジェネレータは活躍する事なくポンプ小屋の横に佇んでる。

 う〜ん、もっと音が静かで、当てにならない政府と電力供給会社を頼りにしないで済み且つ、 停電時に泣かないで済む事はないのだろうか????

 ソーラーパネル?風力発電?ここは年中太陽熱は豊富で、風が吹き抜ける島。それを利用する手はないんじゃないか?

 一家又はひとつの建物毎に発電し、それを利用するのがベストなんだと思ったけれど、何しろ 外国人はこの島で土地を持つ事は出来ないし(55年レンタル可)、この島の市民権を持つ事も出来ず、 おまけに何時島を出なければいけないか何も解らない暮らしでは、それを自分で負担するのは。。。。

 そして私は毎回停電の度に途方に暮れるのでした。

 幾ら費用が掛かるからといって、アジアからのツーリストを迎える事で成立つ島なんだし、台風 対策の為に電柱を太くするよりは、穴をしょっちゅう掘るんだから電線を地下に埋めて欲しいと強く思う今日この頃です。

 

 


(98/11/22 サイパンから便り)

◆   ワタシハ ナニジン?   
 
 

皆さんは自分の事を『ナニジン』だと思っていますか? 国籍はパスポートを持っていれば解りますよね。 私は日本で生まれて日本で育ってますし、両親も日本のヒトだから日本人です。 でも両親の(所謂)人種が違ったり、国籍が違ったりする人はどう考えているんでしょう?

そこで友人の娘に尋ねてみました。『あなたのナショナリティーは何?』 彼女の母親はパラオ人で父親はヤップ人です。オマケに母方の曾お祖父さんは米国人。そして彼女の国籍は米国。 私の問いに彼女は平然と『パラオとヤップ。』と答えて、何でそんな事聞くのか不思議そうです。

彼女には日系人と中国人の両親を持つ友人がいます。この両親共、日本語や中国語を話す事は出来ませんし、もちろん彼女も英語でしかコミュニケーションを取れないんです。でも彼女も自分は『日本と中国』の両方であると答えます。

日本名を持つパラオ人がいます。元々パラオには日本名を子供に付ける人が多いんですけど、彼に何故日本名なのか尋ねると、お祖父さんが日本人だそうで、トラック人の奥さんも日本人のお祖父さんが居て、自分たちの子供の何十%かが日本人なのだと話してくれました。

サイパンで生まれた日本人同士の子供たちも米国籍を取れるので、彼等は2重国籍となります。(サイパンは米国の自治領になります) 因に中国人の子供の場合、米国籍を選べば中国籍は取れないのだそうです。否、もしかしたら選べずに中国籍を始めから取れないのかもしれません。これについてはもう一度確かめておくとして、私が日本に住み続けていたら自分がナニジンかなんて考えもしなかったでしょう。それよりも性別とかそういった区別に否定的で、ひとりの人間であれば良いと思っていましたし、今でも其れに関してはそれで良いと思います。でも、別の国で生まれ育ち、両親や近い先祖が日本人であったらその人はどういう考え方をするのでしょうか。 日本人である事の定義ってありますか?日本人とは日本の国籍を持っている人の事を指すのでしょうか?日本人の血を受け継いでいる人の殆どは私の知る限り、例え国籍が違っても自分を日本人だと云います。 ネットワークがこれだけボーダレスになり、地球上のあらゆる場所から瞬時にコミュニケーションを取れるようになった今、そういう事自体考える方が可笑しいのかな?なんて自問自答してしまいます。

『人は辛い事があった時に故郷を思い出す』なんて話もありますが、育った場所を故郷だと思う人も少なくなっているのではないでしょうか。日本に住んでいても転勤族の家庭に育てば、自己を確認した土地(例えばモノゴコロついた頃に住んでいた場所)を故郷だと思う人もいるでしょう。

『根無し草』という言葉がありますが、自分がナニジンであるかを自己確認出来ていなかったら、そう呼ばれてしまうのかもしれませんね。人によっては母国語を話せないとそう云うかも。でも、日本に居ても『根無し草』になっている人も多いと思うのです。 貴方はナニジンですか? 

 


(98/10/15サイパンから便り)

◆ 「慣れるとはツマラナイものです。」  by イロ2:サイパン
 
 

3年位前でしょうか、突然フラッシュバックのごとく、都内の首都高下をバイクで通過していた時の映像が浮かびました。それから暫くして、日本に住んでいた時の自分が見た一瞬の光景やらが目に浮かぶ様になり、私は何を欲しているのだろうかと自問自答。思い直せばその時が、自分にとって一番充実していた時間かもしれないと。

 バブルの恩恵を受け、親からも独立していて、漠然とはしていても多くの夢を持ち、パートナーとその夢を実現させるべく毎日を過ごしていた。そんな時間を持っていた自分を振り返り、私の生活は随分変わってしまったものだと、ひとり苦笑します。

 近いながらも日本から来るにはパスポートの必要な島。ここサイパンに住む様になって6年があっという間に過ぎました。順風満帆に今まできた訳ではないけれど、やっとここでの生活が、自分にとって日常と呼べるようになった気がします。椰子やパパイアの木がそこらに立ちそびえる姿も新鮮ではなくなってしまったし、青いスターアップルの実を齧る事も無くなって、そんな自分が寂しくなってしまう。

 まだ飽きないでいる事は、運転しながら雲を眺める事でしょうか。カセットから流れるお気に入りの曲に、今日の雲の流れは曲の映像として良いかな?と思い描いたり。普段はシャワーを降らせるような雲があっても、何時の間にか風に追いやられ、直ぐさま青い空が顔を見せてくれる。その雲の行方をみていれば自分の行く先にシャワーを降らせるのか見当が付き、パーキングで雨に濡れずに済むかと予想したり。低気圧が近付いて空に重くのしかかる雲には、水の不自由な島なんだから、たまにはそういう事があってもいいさ、なんて自分に言い聞かせる、そんな瞬間。

 でも、ここに来て暫くはそんな事を考える余裕がなかったのかもしれない。海に沈む夕日をまともに見た事はなかったし、ましてやその時に起きるという『グリーンフラッシュ』という現象も知らずにいました。これは太陽が沈んでひと呼吸おくかおかないかの時に、一瞬ポワァっとグリーンのラインが上空を走るという現象だけど、タイミングが悪いのか、実はまだ一度もお目にかかっていないのです。夕日が沈む時に何をしているのか?と云うと、生活しているんですね。まだ仕事中だったり、買い物の最中だったり、シャワーを浴びていたり、、、、悔しいのは移動中。あぁ、なんて素敵な色彩が広がっているんだろう、車を止めてしまおうか、なんて躊躇ながらも車を走らせなくてはいけないなんて、ここに暮らしているからそうなるの?否、ビーチ沿いにあるそこいらのベンチで、まさしくその光景を眺めているローカルたちが居るではないか。その時々に理由なり目的があって走り続けるけれど、立ち止まる事が出来ない自分に少々腹を立てながら、毎日を過ごし続ける。

 もしかしてこれからも、何処へ行っても、そんな気持ちのままで一生を過ごしてしまうのではないのか、と思うとゾッとしてしまう今日この頃なのです。(;_;)  

 


(98/ 8/ 6 サイパンから便り)

◆ 【恥ずかしながらの英会話】  by イロ2:サイパン
 
 

いくら飛行機で3時間ちょっと、と云っても、サイパンはやはり日本ではありません。小さい島 が人種の坩堝と化しているここでの共通語は英語。人口約6万のうち日本人は千名ちょっと。第二次世界大戦以前に南洋庁がおかれていた時には、日本人民間人が2万人以上居たというから、現在 しか知らない私には驚きです。これを読んでくれている方の中にも、お祖父さんやお婆さん、はたまたご両親の何れかがサイパン島生まれ、なんて事もあるかもしれませんね。その当時は日本語教 育を現地のチャモロ人たちにも受けさせていたそうですから、70才を過ぎたこちらの人たちと偶然 出会った時、難無く日本語で会話された方もいらっしゃるでしょう。

 実は私がこの島に来たばかりの頃、北マリアナの運転免許証取得の学科試験は日本語でも受けら れました。今?今は日本人より人口が遥かに多い中国人や韓国人たちの『日本人ばかり贔屓するな んて!』と云う声に、日本語の学科試験は消え失せ英語のみです。

 さて、こういう島に住んでいながら英語が不自由だった私。否、恥ずかしながらこれは現在進行 形でもあります。この島を訪れるツーリストは以前より日本人が殆どで、急成長していた韓国人ツ ーリストたちは、お国の経済破綻から蜘蛛のコを散らす様に居なくなってしまいました。同じ経済 破綻でも、日本人ツーリストがそれほど減らないのはどうしてか?なんて事はさておいて、ツーリ スト相手の仕事がメインの日本人就労者の一人として、日本語を使うのは日常茶飯事。初めに居た 場所がホテル内という事もあり、外国人就労者トップのフィリピン人が当時の英語の先生でした。 お陰で私のイントネーションはタガログ・イングリッシュ!耳で覚えてしまうから"Thank you"も "タンキュー"になってしまい、指摘されるまで分らなかった。(^^; それからは仕事仲間のパラオ 人や米国人をその場教師に仕立て上げたのでした。大抵の日本語を理解している友人からは『アナ タは英語で話して、ボクは日本語で答える。そうすればお互いに理解出来ない時は話せない。』ナ ルホド良いアイデアだ!なんて思っていると、これは甘えに繋がってしまい上達しない。いつも辞 書を肌身離さず持ち歩き、でも言い回しを耳から覚えてしまって、肝心のスペリングが解らない。 書いても熱心な生徒ではないので、すぐ忘れる。なんて事の繰り返しでした。

 ある時、オフィスに一人で居た私のところに小さなビデオカメラを肩に担いだ大きなローカルが やって来て、『日本人学校はここに必要か?また日本語をローカルが勉強するのをどう思うか?』 と尋ねた。う〜ん、と云いながらボチボチ『学校はここに居る日本人の子供達の将来を考えれば在 った方がいいし、ローカルもツーリスト相手の仕事をするなら話せた方がいいかな、、、、』なん て話したつもりだったのに、その日の夕方から数回に掛けて地元のニュース番組に私のインタビュ ーが流れてしまったんですよ。それを知らない私は翌日港に行って『なんだ、あのアワワワワは !』と知り合いのローカル達に馬鹿にされ、日本人の知り合いからも『ア〜ウ〜、見たぞぉ〜!』 と島中の笑い者になっていたのでした。なんてこったい。

 と、今までの恥を書き出せばキリがないのですが、英語を中学でなんとも嫌な存在だと思い続 け、初めて英語と英会話が別だと実感したのは大学時代。当時、東ヨーロッパからの留学生夫人と 知り合い、彼女も英語は最近始めたばかり、という状況の下、堂々と云いたい事をそれなりに話せ ば通じるんだ!と。彼女のお陰で恥をかくのを厭わなくなったから、感謝しなければ。しかし語彙 を増やすには単語を覚えなければならないので、基礎学力は必要だったのですね。日々鍛練あるの み!

 サイパンに来て、英語を話す日本人にポォ〜っとしてしまった方はいますか?気を付けて下さい ね、よっく会話を聞くと文法も何も滅茶苦茶な輩が大勢います。こちらの人々はある程度の年にな れば、一度反芻して「アナタの云ってる事はxxという事ね。』なんて拙い英会話を理解してくれま す。でも、幾つかの決められた母音・子音の組み合わせによる発音を徹底的に学校で習う小学生に は馬鹿にされちゃいます。彼等に理解してもらおうと思ったら、発音には神経質にならざるえな い!日本人学校が完備されていないこちらで、英語による教育を受ける日本人子女もしかり。彼等 を羨ましく思うのは私だけでは無いんでしょうね。でも、いくらシャパニーズ・イングリッシュで も話したい事は堂々と話せば何時かは通じるので、私同様英語が不自由な方は恥をかくのを恐れず に、お喋りに華を咲かせましょうよ。

 


(98/ 6/23 サイパンから便り)

◆ 『サイパンの新しい顔の裏事情』  by イロ2:サイパン
 
 

サイパンのキリリビーチからガラパン方面に向けてのビーチロードに、 コンクリート製の遊歩道がもうじき完成します。ここは一度でも来島した人なら、 誰でも通っている道です。 現在ここではローカルたちがウォーキングに精を出し、特に日没時にはフィリピン海 に沈む夕日が美しく、所々に設置されたベンチに腰掛けたり、ビーチロード沿いに車 を止めた人々が、ビール片手にそれを眺めている姿を多く見掛けます。

さてこの遊歩道ですが、別に島をあげてのダイエット作戦の為に造られたのではあり ません。ここ数年騒がれているエル・ニーニョの所為なのか、詳しい事は専門家でも なんでも無い私には語れませんが、以前より砂浜の面積が確実に少なくなっているこ とは、私の目から見ても確かな事です。

この遊歩道は、現在深刻な海岸侵食が進むビーチロードを守る手段のひとつの様です が、 地元の新聞や日本人ツーリスト向けの情報誌に掲載されているコラムによると、 総工費118万ドル(1ドル\130だとすると、1億5千万円ちょっと)で、その内90%は 米国からの援助です。(サイパンは米国の自治領です) 実際どのような方法が取られているかと云うと、遊歩道の部分には地下深くに 海に面した壁を埋め込んでいるのだそうです。この方法は条件によっては適切で ない場所もあるそうですが、サイパンでは海岸侵食防止に役立ちそうです。

また遊歩道を造るにあたって、それまで生えていた樹木を伐採する事無く、他の場所に 移植する方法も取っているようです。その費用も118万ドルに含まれているのでしょう けど、たまに緩やかに曲がった道をボケッと歩いていて、不意打ちをくらう人もいるか もしれないですね。

何故これほどまでお金を掛ける必要があるのか、と思う方もいらっしゃると思います が、 サイパンでは地下水もあまり豊かではなく、海岸侵食が進むと海水が地下水に侵入して しまい、多くの樹木が生きられなくなる恐れがあるのです。いくら南の島のシンボルで ある椰子の木だって、海水だけでは生きていけません。加えて島の住民たちの生活も 脅かします。

サイパンは水が不自由な島です。水道水は塩分があり飲料用には向かないため、日頃 私達はドリンキングウォーターと呼ぶ飲料水を水屋さんに5ガロン(18.9P)のボトル を持って買いに行ったり、デリバリーサービスを受けています。 また雨水を溜めるタンクを設置して、それを使用する家庭もあります。 水道水にしても各地区毎に水が出る時間が決まっているので、やはり貯水タンクを 設置してシャワー等の生活用に使用します。 殆どのツーリストはホテルに滞在する為、乾期の水不足に悩むローカルたちの不便さを 知らずに帰国する事でしょうけれど、こういった島が消えてしまっても、日本に住む 人たちには何ら影響はないのでしょうか?