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世界の窓

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インドネシア・ジャカルタ VOL.3】

ICA女史

 

 

 
(99/11/25 インドネシア・ジャカルタからの便り)

◆  「インドネシアの人々の食事」

 

 
食事は1日朝昼晩の3回だと、誰が決めた事かご存知ですか。詳しくは分かりませんが、私はこれは西洋諸国の習慣が世界に広まったのではないかと疑っています。日本でも昔は朝昼晩に食事をとっていたわけではないといいます。江戸時代などは1日に2度取っていたといいますし、もっと昔はお腹が空いた時に食べていたのみだと考えられます。これは、経済的な問題というより、習慣の問題ではないかと思います。社会のシステムが複雑になり一定の生活パターンが出来上がってくると、決まった時間に食べない事には、生産能率があがりません。

インドネシアの平均的な家庭では、朝、料理をして、お昼と夕方にそれを食べます。同じメニューを食べるのです。朝は食べないか軽く取るだけ。会社勤めでもしていない限り、家庭ではお腹が空いた時間に適度に食べます。これは、お金持ちでも変らない習慣です。

また、インドネシアには家庭平穏教育と言われるものがあり、主婦に働きかける事によって、健康な家庭づくりを推進しています。この家庭平穏教育によって、誰もが知っている有名な食生活に関する標語があります。すなわち、「4健康、5 完全」というもので、4とはご飯、おかず、野菜、果物の4種類のこと、5とはそれに牛乳を加えた5種類のことです。おかずとは通常、魚、卵、肉、大豆製品などの蛋白質系のものをいいます。つまり、主食としてのご飯とおかずとしての蛋白製食品を1種類、野菜を1種類、果物を1種類で「健康」としているわけです。とても、シンプルだと思いませんか。これに、牛乳がつくと「完全」で言う事なしといったところでしょうか。家庭平穏教育では、昼と夕方に同じメニューを食べることについても、ここの習慣であることを認めており、特にそれを否定してはいません。

牛乳と書きましたが、生の牛乳はあまり多くありません。こちらでは、粉ミルクが一般的です。脱脂粉乳は脂肪がないので上等とされ値段も高めです。生のミルクの値段は他のものに比べると高く、粉ミルクも安くありません。ミルクを好む人が多いのに、毎日のように飲む人があまり多くはないのは、価格のせいだと思われます。家庭平穏教育でたたき込まれているだけあって、「牛乳信仰」が理論として幅をきかせているように見受けられます。スーパーなどに並んでいる粉ミルクはとても種類が多く、カルシウム入りやビタミンE入り、はちみつ入り、チョコレート味などよりどりみどりです。日本もそうですが、もともと、遊牧民でもなく牧畜がなされていない風土の国で「牛乳信仰」が起こっているのです。値段が高いのにもかかわらずです。

私は母に、1日30品目食べなさいなどと言われて育ったのですが、このことをインドネシア人の主人に言うと「食べ過ぎ!」とのことです。日本では子供がよく強制的に食べさせられたりしていますが、そういったこともこちらではあまり聞きません。

「腹一杯食べるな」という、イスラムの教えを思い出しました。
 


(99/11/01 インドネシア・ジャカルタからの便り)

◆  「インドネシア人の奥ゆかしさ」

 

日本人である私は、すぐに感情的になってしまう。すぐ、カッとくるし、思っている事をすぐ口にしてしまう。インドネシア人はというとこれが大変「大人」なのです。
 

インドネシア人と書きましたが、本来インドネシアはひとつ物差しで括ってしまう事ができないほど多くの民族で構成されている国家なのです。地方語は250種以上もあると言われ、地方ではそれぞれの民族習慣、言語を守って生活しているのです。
 

私は首都のジャカルタに住んでいます。首都では、さまざまな地方出身者に出会う事が出来るのですが、圧倒的に多いのがジャワ民族です。ジャワ民族の人々の文化がこの国のスタンダードに影響を与えている部分が多いようです。
 

私の知人Lさんはスマトラ島のバッタク出身です。彼は「バッタク民族がストレートにものを言う、少し荒い性格だと言われるのは、本当の事であって、それを指摘されるのはちっとも構わない。社交辞令が多く、人当たりの柔らかいジャワ民族が多いので、余計にバタックのストレートさが目に付くのだろう。」と言っていました。
また、ジャワの文化を専門に勉強していた私の主人は「ジャワの方法が標準になり、インドネシアの社交作法が出来上がった。」と言っていました。
 

つまりは、こうです。インドネシアで人に会った時には、すぐにトピックに入るのではなく、まず相手の健康を尋ねたりするのが普通のようです。毎日会っている人でなければなおさらです。「お元気ですか。」の質問にイスラム教徒であれば「アッラーのお陰で、元気です。」などと答えます。そして、奥さんは元気か、ご主人は元気か、他のご家族はどうかといったこともよく聞きます。
 
 

感情的にものを言う人は軽蔑されます。「怒」は悪という考え方です。インドネシア人の書く文章をみてもこれは一般的に見られる傾向です。最初は読み手の心を楽しくするような内容で始まり、最後に自分の本当に言いたかった事を少しだけちらつかせて終わっていたりすることが良くあります。この方法に慣れていない日本人の方などは、「で、何をいいたかったのだろ?」などとお思いになるかもしれません。最初は読み手に同調する雰囲気で始まり、最後に読み手とは異なるかもしれない自分の意見を言って、「はい」と言わせる・・・どこかのビジネス成功術に出てきそうなやりとりが、日常的に行われているのですから、なんて「大人」なんだろうと思ってしまいます。
 

例えば、ある人が別の人に伝えたい事があるとします。たとえば、近所の人に「お宅の犬がうるさいので、何とかしてほしい。」ということを本当は言いたかったとします。しかし、本題をストレートに言う人はまずいないでしょう。
それは、内容的にその人を傷付ける恐れがあるからなのです。まず、家族の安否を尋ね、一般的な世間話をした後で、最後にやっと本題を言うという方法が考えられます。あるいは、珍しく高価な菓子折りを持っていって、本題はこれっぽっちも言わずに帰っていくかもしれません。
 

実は、こんなことがあったのです。私の家ではイスラム教を信仰しているので、いただき物の食べ物が宗教的にいただけない時があります。そういった、食べ物を隣のキリスト教徒のご家族に持っていった事がありました。ジャワ民族のご家族です。ただ、それだけの事だったのですが、「うちの雑音、うるさくないかしら?」と聞かれて困惑しました。そして、主人が言うには「どうも、あの菓子折りを持っていった日以来、隣の犬がおとなしい。きっと、閉じ込められているんだよ。何も言ってないけど、菓子折りの意味を、犬がうるさいですよと言う意味に取ったのだろう。」とのこと。本当なのか嘘なのか、予想外の「効力」を果たしてしまった菓子折り。別の近所の人が「その犬蹴飛ばしちゃっていいよ!」とその家の犬を毛嫌いしているのを目撃した事もあり、皆うるさいと思っていたのかもしれません。
 

近所中を救った菓子折りだったのでしょうか・・・。
 

こういった、インドネシア人の奥ゆかしさは、参考にする価値があると私は思います。ある日本人の駐在員の方が「うちの運転手に注意するんだけど、にこにこしていて全然反省の色が見えない。でも、何度もそれが続くと、実は彼の方が大人で、自分ばっかりが馬鹿みたいに怒り狂っているのが分かってきて、恥ずかしくなった。」とおしゃっていました。
 

感情をコントロールできるこちらの人々に私も見習わなくてはと、いつも思います。