6 訣別の瞬間(とき)
「では、遠慮なく申し上げる」
ユアン・コークはザーレンの目を真っ直ぐ見据えながら、心もち声を高めて、その沈黙を破った。
「先般、ジェラトへ上る街道に出没していた盗賊の一味を我が第三騎兵隊が征伐し、その首魁の少年を捕らえた……」
「盗賊――あの、『黒い狼』のことか。しかし、首魁が少年とは、一体……?」
タリフ・プラウトが、ザーレンの背後で驚いたように呟いた。
しかし当のザーレンは身じろぎもせず、黙ってそれを聞いていた。
その氷のような冷やかな表情には僅かの変化も見られない。
「……そうです、タリフ・プラウト。たった十六才の少年が、あの盗賊団『黒い狼』を統率していたというのです。何とも意外なことだと思われたでしょう。――しかし、驚くのはまだ早い。……我が部下モルディ・ルハトによると、その少年は、どうも初めて見る顔ではないという。それも、彼を見かけたところは、このアルゴン騎兵隊の兵営の中だというのです。すなわち第二騎兵隊の兵営の中である、と……」
最後の言葉がユアンの口から飛び出した瞬間に、ランス・ファロンやタリフをはじめ、皆が大きく息を呑む音が聞こえた。
「第二騎兵隊といえば、ザーレン・ルード様の……」
タリフが信じられぬように、大きく目を瞠った。
ランスが厳しい視線をザーレンに向ける。
「――ザーレン!……どういうことか。ユアンの申していることはまことなのか!」
ザーレンは相変わらず無言で立ち尽くしていた。
ランス・ファロンやタリフ・プラウトの問いかけるような眼差しにも全く応えず、その瞳はすぐ目の前のユアン・コークただ一人に注がれている。
「――誤解なされますな。何も私は、ザーレン様を疑っているわけではない。実際、当の少年も口を閉ざしたままだ。――どうやら、私が思うに、彼も犠牲者なのだ。彼の背後には何者か、もっと大きな黒幕がついているに違いない。そやつが何もわからぬ子供をうまくだまし、操ってあのような所業を為さしめたのだ。自らは手を汚さずに、ね。何とも巧妙な、卑劣極まりないやり口ではありませぬか。……私としては然るべき詮議の後には、何とかまだ若きこの少年を引き取って、立ち直らせてやりたいと思う。素晴らしい能力を秘めた子ですからね。ただ、その能力の使い道を誤ったというだけで……」
ユアンのザーレンを見る瞳に明らかな皮肉の色が見えた。
「ただ、私としては、事が事だけにザーレン様の名誉のためにも、この場ではっきりとご自身の口から釈明をされてはいかがかと……」
「――その必要は、ない!」
突然後方から割って入ったその声の激しさに、当のユアンやザーレンはともかく、その周辺にいた他の者たちも皆、驚いて一斉に声のする方向へ視線を向けた。
ユアンの座っていた列の遥か後方――一般参列者の仕切りにむしろ近い席の間から、その声の主がすっと中央通路へ進み出た。
彼が顔を上げると、その面が明らかになった。
まだ年若い少年。
整った顔立ちをして、黒い礼装の軍服に身を包んでいるところは、一見どこかの貴族の令息かと見間違いそうだが、その瞳に爛々と燃えさかる黒い焔はいかにも野性の獣のような猛々しい気性を露わにしている。
その姿を見た瞬間、ほんの僅かにザーレンの表情に変化が表れたのを、ユアン・コークは見逃さなかった。
しかし、彼がそれ以上何か言うより先に、イサスの言葉が激流のように迸った。
「俺が、『黒い狼』の首領だ!」
彼はそう言うと、振り返って後ろの大衆にもよく見えるようにその姿を曝した。
その燃えるような眼差しに睨まれた最前列にいた者たちは思わずたじろいで、我知らず後退った。
「俺は誰の命も受けてはいない。今ここにいるのも、俺だけの意志だ。仲間を殺された……その仇をとらせてもらう。――ユアン・コーク!」
イサスの手が懐ろへ伸びたかと思うと、その手にはいつのまに手に入れたものか、抜き身の短刀の刃先が光っている。
彼はそのまま通路を駆け、一直線にユアン・コークへ向かっていった。
「ユアン様!」
「誰か……そいつを押さえろ!」
「警備の兵は何をしている!」
様々な声が怒号のように飛び交ったが、イサスの身ごなしの速さに周囲は翻弄され、誰も彼の動きを急には止めることができなかった。
だが、当のユアンは中央に立ったまま、驚いた様子も見せず、そんなイサスを悠然と待ち構えていた。
(そう出たか……狼。やはり、私の想像通りだな。さて、ザーレンはどうするか――)
ユアンは隣のザーレン・ルードに目をやった。その途端に、彼は目を瞠った。
ザーレンの手には、既に抜き放たれた長剣が握られている。
(どういうつもりだ、ザーレン・ルード。そなた、まさか本気で――)
「ユアン・コーク、覚悟!」
イサスの声が近づき、ユアンは身構えた。
しかし、彼の前を人影が素早く遮った。
――ザーレン・ルードだった。
「ザーレン、そこをどけ!」
ユアンが低声で鋭く声をかけたが、ザーレンは答えなかった。
イサスはザーレンに行く手を阻まれてその前で立ち止まった。
その瞬間、彼の傷ついた体が悲鳴を上げた。
思わずよろめきそうになる足元を、彼は何とか気力で耐えた。
彼は目の前に立ちはだかる、その懐かしい姿と改めて対峙した。
(ザーレン――!)
イサスは一瞬何か言おうと口を動かしたが、相手のその氷のような冷えた瞳を見ると、出かかった言葉は喉元で凍りついた。
彼は、そのときザーレンの目が彼に向かって語りかけたことをはっきりと捉えていたのだった。
――私に刃を向けろ、イサス。……今この瞬間から、私はおまえの敵となるのだから――
ザーレンの言葉を感じ取った瞬間に、イサスの心は荒涼とした空間に投げ出された。
芝居……では、ない。
ザーレンの表情を見て、彼が本気で自分を殺そうと意図していることを、イサスははっきりと悟った。
――なぜ……?
しかし、そんな疑問は今さら間が抜けているようにも感じられた。
イサスは、ザーレン・ルードという人間について全てをわかっていたわけではなかったが、ただ一つ、確かだと感じていたことがある。
それは、彼がいかなるときにおいても、決して個人的な感情に流される人間ではないということだった。
ザーレン・ルードは常に冷静であった。
その判断力は彼の内奥に存在する、鋼のような固く強い意志に基づいている。
ザーレンが、決断したこと……それが、自分を殺すことなのだとしたら――イサス自身が選択する道は、ふたつにひとつしかない。
――ザーレン・ルードを倒すか、それとも彼の刃にかかって果てるか。
彼は自分がまさに今、運命の岐路に立たされているのだということを強く実感した。
そして、彼を導こうとするその新たな運命の手は、しきりにその刃を目の前の男に向けよと唆す。
運命の強い流れが、彼自身の意志を無視して、彼を思わぬ方向へ向けて、押し出そうとしているかのようだった。
それは、恐らく彼自身の力では止めようのないことであったのかもしれない。
石の力――彼の内に内在するあの力が目覚めたとき、彼を取り囲む全てのものが変わってしまったのだ。
ザーレンはそれをいち早く察知し、予防線を張ろうとしているのかもしれない。
しかし、それにしても――
(あなたに剣を向けるか。それとも、ただ俺が死ねばいいだけなのか……ザーレン――)
運命が何を望んでいるにしろ、それはただイサスにとっては、せっかく手に入れた安住の地を無残に奪われてしまうことでしかなかった。
――なぜ、こんなことになってしまったのか。
全てはあの石の力が解き放たれた瞬間から、始まった。
ユアン・コークは、自分の中にあるこの力に対して、異常なまでの執着を示した。彼は、この力を欲している。
しかしザーレン・ルードは、この力の中に、恐らくとてつもない脅威を見出したのに違いない。
だからこそ、彼はイサス・ライヴァーという個人を犠牲にしても、この力を滅することを選んだのだ。
――今や、ザーレン・ルードはおまえの敵となった。
何ものかの声が耳元で囁く。
――その刃で敵を打ち払い、おまえの最初の歩を進めるがいい。
(――違う……!)
イサスの心が、否定の叫びを上げた。
(――ザーレンは、敵ではない……!)
――敵であるはずがない。
たとえ運命の力がそう仕向けようとしているとしても、敢えてそれに逆らいたいという強い反抗心が、昂然と湧き起こった。
――このまま、ザーレンに殺されるなら、それでもよい。
不意にイサスの手から力が抜け、短刀が床へ落ちていった。
それを見ても、ザーレンの表情は変わらなかった。
「……私の手で、この賊を成敗する」
彼は無機質な声でそう言うと、剣を振りかざした。
「ザーレン、何をする……!」
ユアンは、ザーレンの腕を取ろうとしたが、相手は強い力でにべもなくそれを振り払った。
彼の剣が確実に少年の心臓を狙って動こうとしている。
しかも、少年は全く無防備にその前に身を曝しているのだ。
(――なぜ、逃げない……?)
ユアンは苛立たしげに、少年を見つめた。
先程までの動きからは信じられぬくらいにその体からは生気が抜け落ち、まるで全身が石か銅像のように固まってしまっている。
しかし、面を上げた少年の目に浮かぶ表情を見た瞬間、ユアンは思わず口をついて出ようとする言葉を呑み込んだ。
彼はそのとき、ようやく理解したのだ。
……ザーレンとイサスの間で、無言の内に交わされた一瞬のやりとりの結末を。
少年のその小昏い瞳が、それらすべてを雄弁に物語っていた。
(こいつ……そうか、こいつも最初からそれが望みだったということか――)
ユアンは遅まきながら、そのことに気付き、我ながら衝撃に打たれずにおれなかった。
(最初から、殺されるつもりで――)
何ということか、とユアンは今度こそ少年のそのあまりにも廃頽的な思考と、死への躊躇いのなさに愕然となった。
――この少年の頭には、『生』への執着というものがまるでない。
常に、彼の脳裏を支配しているものは『死』という概念だけであるかのようだ。
彼がそのようなことをぼんやり考えている間にも、ザーレン・ルードの冷たい鋼の先端は、少年の胸のすぐ手前まで迫っていた。
イサスは目を閉じた。
その瞬間、足元がふらつき、体の平衡が大きく崩れた。
彼は剣先が迫るまでに床に膝をついた。
ザーレンの刃先が目標を捉えそこない、一瞬宙をさまよった。
そして、その間隙をつくかのように――
「……なりません、ザーレン様!」
横から飛び出してきたリース・クレインがすかさず制止の声をかけながら、ザーレンの刃先を自らの剣で受け止めた。
「リース――!」
ザーレンは、明らかな非難の眼差しをリースに向けた。
しかし、リースはひるまなかった。
「いいえ、なりません!――お父上のご霊前を、血で汚すおつもりですか……!」
リースの常ならぬ激しい口調に、ザーレンはやや意表をつかれたように目を見開いた。
「……邪魔するな、リース・クレイン……!」
そのとき、リースの背後から、イサスが微かな声で、そっと呟くのが彼の耳に入った。
(俺は、もう既に、ザーレンの手にかかって死ぬ覚悟ができているのだから――)
そんなイサスの胸の内の言葉が、リースに届いたのかどうか。
リースは振り返ると、きっと強い眼差しで少年を睨みつけた。
イサスは思わずその迫力に、たじろいだ。
彼がかつて見たことがなかったような、激しい憤りに包まれたリース・クレインの姿が、そこにあった。
「――賊が抵抗しているならともかく、今なら十分取り押さえられる。詮議にもかけずに州侯の葬儀の式典の場で、手にかけるなど……殊に然るべきご身分にある方がなされるようなことではありません」
リースの断固とした言葉に、ザーレンは軽く息を吐き出すと、その剣に込めた力をやや緩めた。
「……リース・クレインの申す通りだ。剣をお引きなされ、ザーレン様」
さらに後ろから出てきたタリフ・プラウトが、諌めるように付け加えた。
ザーレンは、止む無く剣を引いた。
「さあ、賊を連れて行け!」
機を逃さず、リースがそう叫ぶと、すかさず横から二人の騎兵が現れ、イサスの体を両脇から抱え上げた。
イサスは抗う様子も見せず、終始俯きその目は固く閉じられたままだった。
それはまるで、今あるその現実を受け入れることを頑なに拒絶しているかのようでもあった。
(...To be continued)
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