1 街道の激戦
――アルゴンの州都ジェラトへ続く街道。
暮色が濃くなるとともに、空気もじわりと冷たさが増してくる。
あと数キロで町並みも見えてくる。一刻も早く抜け出たいような、両側に鬱蒼とした木立が茂る山道に、馬車の足並みも自ずと急ぎがちになる。
荷馬車が三台。それぞれ御者の繰る鞭にも力がこもる。
――突然、駆け抜けようとする先頭の馬が、ひときわ高く嘶き、大きくのけぞった。御者も驚いて必死に手綱を抑えようとしている。
道の両側から幾つもの太い丸太が投げ出され、馬たちの行く手を塞いでいたのだ。後続の馬も同様に次々と止められた。どの馬も興奮し、鼻息も荒くその場を狂ったように行きつ戻りつしている。
そこへ、道の両脇から、疾風のように幾人もの黒い人影が躍り出た。
皆、頭から足の先まで黒装束にすっぽりと身を包み、殺気を帯びた目だけが頭巾の中から露出し、外を睨みつけている。
薄闇の中で、白い刀身が不気味に閃いている。
「ひいっ!『黒い狼』だあっ……お、お助けっ……!」
馬を抑えるのに必死だった御者たちは、今度は抜き身の短剣を手に襲いかかる黒い一団を見るや、忽ち手綱を放り出し御者台から転がり落ちた。
そんな御者の一人の上に馬乗りになった黒装束の賊が、にやりと笑いながら短刀を振りかざした。
が、その瞬間、彼の笑みは凍りついた。信じられぬように大きく目が見開かれたかと思うと、彼の頭はがくりと垂れ、それきり動かなくなった。
彼の背から血に塗れた剣の先端が突き出ていた。
その体の下から見えた御者の顔つきは、先程までとはまるで別人のようであった。
冷淡なまでに落ち着いた表情で、何事もなかったかのように、剣をゆっくりと引き抜くと、息絶えた賊の体を無造作に横に押しのけて立ち上がった。
その時には御者の顔はもはや完全に、場慣れした一兵士の精悍な表情へと変化していた。
「ケニーっ……!」
すぐ傍らで仲間が殺される場面を目撃した別の賊が恐怖の叫びを上げたが、彼も次の瞬間には御者の冷徹な剣の一振りで仲間と同じ運命を辿ることとなった。
「こいつら……違う!兵隊だ……騎兵だぞ!」
「騎兵だ!だましやがった。はめられたぞ!」
荷馬車の幌の中に乗り込んだ他の賊たちにも同じ悲劇が待ち受けていた。
幌の中には何人ものアルゴン騎兵が潜んでいたのだ。
怒号。悲鳴。剣が交差し、人が倒れ血飛沫が飛んだ。
「アルゴン騎兵団だ!罠だ!」
盗賊たちは狂ったようにわめいていた。アルゴン騎兵団の逆襲に、彼らは完全に恐慌状態に陥り、今やどうにも統制がとれなくなっていた。
「……ちっくしょおおお……このおおー!……」
果敢に立ち向かおうとする者の刃を、アルゴン騎兵の一振りがあっけなく打ち砕く。その凄まじい剣圧に、盗賊の体まで吹き飛ばされた。
地面に尻餅をついた盗賊の前にアルゴン兵の大刀が迫り、彼が思わず恐怖に目を見開いた時、脇から騎兵に勝るとも劣らぬくらいの逞しい体躯の大きな体が飛び出し、瞬時に目の前の騎兵の剣を薙ぎ払った。
毒づく騎兵をよそに、レトウ・ヴィスタは素早く仲間を引っ張り上げた。
「……馬鹿が!まともにやり合うんじゃねえよ!」
その耳元に怒鳴りつけると、乱暴に横へ突き飛ばす。飛ばされた者は、それでもよろよろと何とか平衡を保ち、慌てて安全な場所へ走った。
「盗賊ごときが……!」
一方、獲物を逃したアルゴン騎兵はぎらぎらした眼をレトウへ向け、再び大刀をかざした。
しかし、レトウはそれをなんなく受け止め、何太刀かを交わしたあと、強烈な一太刀で騎兵の大きな体をざくりと縦に裂き、斬り捨てた。
騎兵は愕然とした表情のまま、口から血泡を噴いて地に倒れた。
レトウの尋常ならぬ太刀さばきを見た周囲の騎兵たちは、一瞬ひるんだ。その間隙をついて、レトウは叫んだ。
「てめえら、いいか!慌てるな。できるだけ、団を組め。一対一で騎兵とやりあうんじゃねえぞ!」
その声に元気づけられたかのように、盗賊たちは少しずつ冷静に動き始めた。
確かに、数自体では、『黒い狼』たちの方が上回っていたが、相手は皆、彼らの倍以上の体躯の騎兵たちでしかも戦闘にかけては玄人中の玄人である。
まともに剣を合わせて到底かなう相手ではなかった。
レトウの指示は的確であったろう。
ところが丁度そのとき、荷馬車の来た方角から微かに新たな馬蹄の音が響いてきた。レトウは舌打ちした。
(ぬかりなく、手を回してあるってことか。……奴ら、相当本気だな。まずいぜ、こらあ――)
「新手だ!今度こそ騎兵団が来るぞ!」
誰かが悲痛な声を上げると、落ち着きを取り戻し始めた盗賊たちの中に再び混乱が起こった。
「……だ、駄目だ。このままじゃあ、皆殺しにあうぞ。逃げろー!」
誰かが叫ぶと、盗賊たちは忽ち右に左にばらばらと散り始めた。
「逃すな!一人残らず斬り捨てよ!」
騎兵の一人が容赦なく仲間に向かって叫んだ。
木立の中へ逃げ込もうとする盗賊たちをアルゴン騎兵たちが追いかけた。
ところが、茂みに入り込んだ騎兵の一人が、やにわに大きく悲鳴を上げると剣を振りかざしたまま後退り、そのまま後ろ向きに倒れた。
その喉が一文字に切り裂かれ、鮮血が噴き出している。
周りの兵士たち、或いは残っていた盗賊たちも思わず動きを止め、息を呑んだ。
木立の間から凄惨な返り血を浴びた黒装束の姿で現れたのは、小柄でどちらかといえば華奢な人物ではあったが、その圧倒的な存在感は、他の盗賊たちとはまさに段違いであった。
その黒い覆面の間から見える双眸は、夜闇に溶け込むように黒く、しかも爛々と燃え立つような激しい光を放っていた。
「……イサ!」
レトウが、にやりと笑った。
「首領だ!」
他の盗賊たちも忽ち歓声を上げた。
「狼めが――!」
近くにいた兵士が我に返って剣を上げようとしたが、それよりもイサスの短刀の動きの方が早かった。
兵士はあっという間もなく、血飛沫を上げて地に倒れた。
その目にもつかぬほどの刃の動き。短刀の長所を最大限に生かした動きであったが、とはいえ、常人にでき得るような技でもなかった。
騎兵団の中を見回しても、恐らく短剣をこれ程までに鮮やかに使いこなせる者はそうはいなかっただろう。
「――やっぱり、ティランの野郎か。……騎兵団に見事に嵌められたぜ。イサ、どうするよ!」
レトウは、イサスの横にするりと身を滑らせた。言いながらも周囲に間断なく、目を注ぐ。
イサスの目の表情は淡々としていた。
「……逃げるしかないな。新手が来る前に、おまえと俺とでここを凌ぐ」
「しゃあねえな!」
レトウは肩をすくめてみせたが、その目にはいつになく真剣な光が閃いていた。
仲間を逃がすためには、相当数のアルゴン騎兵を相手にしなくてはならないだろう。かつてない激しい闘いになることは間違いない。レトウにとっても緊張感が漲るひと時だった。
(しかし、それにしても――)
と、レトウはふと隣りに悠然と立つイサスを見て、思わず息を吐いた。
(こいつは、やっぱりすげえ奴だな。この俺でさえ、こんなに手に汗かいてるってえのによ。まったく……表情ひとつ、変えやがらねえ……)
そんなレトウの思惑をよそに、イサスは荷馬車の周囲で立ち尽くしている盗賊たちを睨み据えた。
「おまえら、何をぼうっとしている!死にたくないのなら、早く逃げろ!」
イサスが怒鳴りつけると、彼らはようやく我に返って動き始めた。蜘蛛の子を散らすように両脇の木立の間へ次々に逃げ込んでいく。
その後を追おうとする兵士たちを阻むべく、イサスの剣が更に宙を舞い、あっという間に数人の兵士がその刃の前に倒れた。
レトウもそれを援護するかのように、後に続いた。しかし、力の上では騎兵たちと互角かと見粉うような体躯のレトウはともかくとして、やはり小柄なイサスの動きには目を瞠るものがあった。
正規の訓練を受けた兵士の剣を赤子の手をひねるかのようにいともたやすくはね返し、正確無比な動きで確実に急所を突いてくる。
そこには、ただ単に剣を振りかざしているだけではなく、確実に計算された動きと、習熟した高度な技法が感じられた。到底ただの盗賊の荒技とも思えない。
さすがに、兵士たちの間に動揺が走った。
たった二人に、彼らの大半がその場に足止めされてしまったのだ。異常としかいいようがなかった。
しかし、そのとき――
蹄の音が急に近くなった。立ち込める闇の向こうから疾駆してくる数騎の姿がくっきりと浮かび上がった。
「やべえ、きやがったぜ……!」
レトウがイサスを見て、叫んだ。
イサスはちっと舌打ちをしたが、周りを囲む兵士たちの壁を突き破ることはすぐにはできそうもない。
応援の部隊が到着したことに勇気づけられたのか、兵士たちの動きに若干の余裕が生まれた。
慎重に、ゆっくりと相手との距離を詰めていく。残った十人程度の兵士たちで彼らの周りを完全に取り囲む形となった。
イサスたちにとっては部の悪い状況となった。完全に進退を阻まれた。敵の注意は一点に集中している。
目の前の敵全員を確実に倒す以外、進路は開けない。
そのうちに、騎団が到着した。
「きさまら、これはどういうことだ。『狼』どもを一匹残さず討ちとれといったはずだぞ!」
先頭に立った騎手が到着するなり、怒号を浴びせた。
ひときわ大きな体躯が威嚇するかのように馬上で揺れる。
「隊長!」
兵士たちが姿勢を直し、さっと間をあけた。
馬から下りた大男が、颯爽と兵士たちの間を抜けてイサスの前にその姿を現した。
「第三騎兵隊長、モルディ・ルハトか――」
イサスは男と向かい合うと、蔑むような目を向けた。
(モルディ・ルハト、だと……!こりゃあまた、大変な奴が出てきやがったぜ……)
アルゴン騎兵団の中で最も悪評高い第三騎兵隊隊長の威圧感漲る巨体を前にして、レトウは、やや身を強張らせた。
が、次いでその巨体の影から現れたもう一人の姿を見ると、彼の目は怒りに燃え上がった。
「……ティラン、てめえ――」
ティラン・パウロは悪びれもせず、モルディの一歩後ろから黙って彼らを凝視していた。
青白い顔には、僅かに勝ち誇ったような笑みが浮かんでいた。しかしその視線がイサスの氷のような瞳にぶつかった瞬間、忽ち彼の顔から笑みは消え、険しいながらもどことなく冷静を欠いたような落ち着きのない表情へと変わった。
一方、モルディ・ルハトは残忍そうな目を細めると、そんなイサスを品定めするようにじろりと一瞥した。
「……おまえとは、初めてではないな。イサス・ライヴァー。確か、以前リース・クレインの兵営で見た覚えがある。おまえのような子供が『狼』どもの頭目だったとはな。ザーレン・ルードも余程酔狂なお方よと笑いたいところだが、この有様を見れば、そう暢気なことも言ってられんか」
そう言うとモルディはおもむろに周囲を見渡すと、軽く鼻を鳴らした。彼の目は再び目の前の少年に戻った。
「おまえのことはこのティランから聞いている。さすが、盗賊団を束ねるだけのことはあるな。おまえのその目を見ればわかる。リース・クレインに仕込まれただけあって腕も確かなようだが――俺の部下を何人殺した?」
モルディは周囲に倒れている騎兵の死体に冷淡な視線を投げた。
部下の死を悼むというよりも、むしろ無能な部下を侮蔑するような冷やかな目つきだった。
ついで、彼は周りで立ち尽くしている兵士たちをもじろりと睨めつけた。
「まったくどいつもこいつも役にも立たん奴ばかり揃いおって。――一人として、小僧にまことの剣の使い方を教えてやれる者がおらんとはな」
モルディはゆっくりと腰の大刀を引き抜いた。
普通よりもかなり大振りな大刀も、モルディ・ルハトが握るとやけに小さく、軽いものに見えた。
「では、この俺が教えてやるしかないか――」
そう言った瞬間、モルディの剣がやにわに空を切った。
意表を突いた突然の素早い動き。
刃先は真っ直ぐイサスに向かっている。
「イサ――!」
同時に、イサスの前にレトウが飛び込んだ。刀身が凄まじい勢いでぶつかる音がした。
ちっと、モルディは舌打ちをした。
間一髪で、レトウの剣がイサスに打ちかかろうとしたモルディの凶刃を防いだのだ。
しかし、その途轍もなく重い剣圧に、さすがのレトウもたまらず均衡を崩した。そこへすかさずモルディの二刀、三刀が襲いかかる。
「レトウ!無理するな」
イサスが警告を発した丁度そのとき、モルディの刃がレトウの右肩をざくりと裂いた。レトウは短い呻きを漏らし、地面に転がった。
「――レトウ!」
イサスは叫ぶと、足元の騎兵の死体の傍に落ちていた長剣を掴み、今度は逆にレトウとモルディの間に素早く身を躍らせた。
例の如く、黒い双眸が激しい興奮でぎらぎらと燃え立っていた。
モルディの重い剣をすかさず受け止める。両者の顔が間近に接近した。
モルディの表情が僅かに緩んだ。
「ほう、さすがは……その華奢な体で、よく俺の剣を受けられたな」
彼はにやりと笑った。獲物を捉えた肉食獣を思わせる、酷薄な笑みだった。
モルディはイサスの燃える瞳を直視した。
「いい眼をしている。……イサス。俺はおまえを気に入った。どうだ、いっそ俺の配下に入るというのは。かわいがってやるぞ。おまえが想像もつかんくらいの、良い暮らしをさせてやる。無論、『黒い狼』も存続させてな」
しかし、イサスはそれには何も答えなかった。ただ、彼の眼には憤りの色が漲っていた。
剣が離れ、再び交叉した。凄まじい剣撃がイサスを襲う。
その剣の下を、イサスは敏捷な動きでかいくぐっていた。
(こざかしい……!)
モルディの顔には次第に苛立ちの色が表れ始めていた。
周囲はそんな二人の戦いを憑かれたように呆然と見守っていた。
(イサ……おまえ、何を考えている――?)
レトウが気付いたときには、イサスは既にモルディを十分に挑発し、しかも二人は騎兵たちの輪の中からいつのまにか抜け出していた。
モルディの一振りをよけそこない、もんどりうって地面を転がっていくイサスを、モルディは満足げに眺めたがその微笑は一転してその口元で凍りついた。
倒れるかに見えたイサスが素早く起き上がり、不敵な笑みを見せたのだ。
あっと思った次の瞬間には少年の体はそのまま木立ちの中へ消え失せていた。
「逃がすか――!」
モルディはイサスの消えた方向をぎらぎらした眼差しで睨みつけると、背後の部下たちに恐ろしい顔を振り向けた。
「奴を追え!絶対に仕留めるのだ。よいな!」
彼らは震え上がりながらも、すぐさまモルディの命に頷いた。
(...To
be continued)
|