邪馬台国の全貌


■著書名:【邪馬台国の全貌】
■ジャンル:古代
■著者名:橋本 彰
■出版社:文芸社
   発行年:2000年   定価:1200円
■ISBN4-8355-0048-2
■おすすめ度:★★★(多少,古代日本史の好きな人に)

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 琵琶湖のある滋賀県の中ほどに「野洲」という町がある。人口3万人余りの
町で,その中を通って一級河川の「野洲川」が琵琶湖に注いでいる。古事記に
記載されている「天の安川」と同じ読みで,もしかするとその「天の安川」が
今の野洲川かもしれない。

 野洲町はつい数年前までは日本一であった。なにで日本一であったかという
と,ここにある「大岩山」という所で24個もの銅鐸が出土したのである。江
戸時代と昭和とに分かれて出土しているが,合計24個というのが日本一の出
土数であった。ところが数年前に島根県の加茂岩倉で39個の銅鐸が一度に出
土してしまったため,数における日本一の座を譲ってしまった。ただ。大きさ
の点ではまだまだ日本一の座を守っている。

 野洲町には先の野洲川だけでなく,知っている人には有名な「三上山」が聳
えており(聳えてといっても低い山なのだが),別名「近江富士」と呼ばれる
くらいスンナリとしてきれいな山で,これがまた古代から信仰の対象とされて
いた。麓には重要文化財の「御上(みかみ)神社」があって,ここには第10代
天皇『崇神天皇』に関わりある『天御影命(あめのみかげのみこと)』が奉ら
れている。

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 野洲町の宣伝が長くなってしまった。ただこれには訳があって,なぜ宣伝し
てしまったかというと,今回ここで紹介する「邪馬台国の全貌」の著者が野洲
町の住人なのである。(それに私もまたここの住人である) 野洲町は銅鐸の
町である。JR野洲駅を降りると銅鐸の看板が出迎えてくれ,駅には銅鐸のミ
ニチュアも飾ってある。駅前の和菓子屋やには「銅鐸サブレ」という菓子も売
っているし,さらには町営の「銅鐸博物館」という施設もある。

 そのせいか,ここの住人である著者は銅鐸と邪馬台国を関連付けて考えてい
る。邪馬台国は銅鐸祭祀集団であった。銅鐸が人里離れた山の斜面に無造作に
埋められているのは,銅鐸非祭祀集団に攻め滅ぼされたときに,あわててそこ
に埋めたのであると。この見解は非常にたのもしい。何といっても私も住んで
いる野洲町が,かの有名な邪馬台国に大いに関連していると思うと,本当に嬉
しくなってくる。

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 さて少し,「邪馬台国の全貌」について触れてみよう。

 邪馬台国の所在地を,魏志倭人伝記載のルートから素直に割り出そうとする
と,九州のはるか南方にいってしまう。これを避けるために江戸時代から多く
の研究者が諸説を唱えている。所在地の候補としては,九州説(この場合は九
州内の各地が候補地とされる)と畿内説(この場合は主に大和が候補地)とに
大別されるが,この本の著者は後者の大和説を採用している。

 韓国から邪馬台国に至るルートとしては,対馬・壱岐を経由した後,日本海
側の出雲を経由,そして丹後から内陸にはいり各河川を使って大和に至るとし
ている。何故わざわざ日本海ルートを辿ったかというと,その当時の瀬戸内海
は,後の大和朝廷勢力にすでに抑えられていたため,通行できなかったとして
いる。

 何を根拠にそのような説を唱えているかというと,ここに銅鐸が登場してく
る。ご存知の方は知っておられるように,銅鐸というのはちょっと人里離れた
山の斜面などに埋められていたり,またわざと破壊された様相で,土中や海中
から発見される。

 朝廷に伝わる「三種の神器」というのは,鏡・剣・珠でここに銅鐸は含まれ
ない。しかも日本書紀や古事記にも銅鐸は一言も登場してこない。にもかかわ
らず銅鐸は中部から九州地方まで幅広く発見されている。さてそれは何故か?
つまり大和朝廷は銅鐸を嫌っており意図的に記録から銅鐸の存在を抹消したと
考えている。つまり大和朝廷は銅鐸を祭っていた前期政権を滅ぼしたのである
と捉えている。

 記紀には神武東遷の話が出てくる。神武天皇は西方から瀬戸内海界隈を攻め
上り,その周辺にある銅鐸祭祀の国々を滅ぼしてきた。その証拠に瀬戸内方面
にある遺跡からは破壊された銅鐸の破片などが出土している。攻め上ってきた
神武はそのまま大和に攻め入ったが攻めきれず,一旦熊野地方に迂回する。そ
の後数十年の間,熊野で体制を整え,崇神天皇の時代になって満を持して大和
に攻め入ったとしている。(この熊野を,邪馬台国の南に位置していたという
「狗奴国」にあてている)  

 大和に在った邪馬台国が朝廷側に敗れたため,邪馬台国側の国々は「銅鐸」
をことごとく埋めて隠した。それが滋賀県「野洲」や島根県「加茂岩倉」の銅
鐸大量出土につながっている。

 記紀には,崇神天皇が大和を手に入れた後に宮殿に入ったところ,祭ってあ
った天照大神の気が強すぎるので一緒には住めないと言って,娘の「とよすき
いり姫」に天照大神の御神体を託して放浪の旅に出かけさせる。「とよすきい
り姫」は,近江・丹波・丹後・美濃・尾張と旅していくが,何故そんな地方を
訪ね歩いたのかが不思議である。
 ここで著者は,「とよすきいり姫」とは崇神の娘ではなくて,実は卑弥呼の
宗女「台与(とよ)」であって,邪馬台国が征服された後に,台与が邪馬台国
側の国々を訪ね廻ったのであるとしている。

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 最近の遺跡発掘や年代測定の成果で,邪馬台国「大和説」が優勢になってき
ていることもあって,ここで述べられている見解も,それなりに納得できると
ころもある。まして大学教授とかの専門の研究者ではなくて,いわゆる素人研
究者に,よくこれだけの体系が作れたなあと感心する。
 ただ中にはかなり強引な説もあって,例えば,『天照大神=卑弥呼』,『素
戔嗚尊=卑弥呼の弟王』『難升米=建波彌安王』などが挙げられるが,まあこ
れはご愛敬でもあるし,真実かもしれない。

 とにかくストーリー展開もそこそこ興味深く,読んでいて「ああ,そうだっ
たのか」と思わせてくれる。それに何よりも,個人的には私の住んでいる地方
が大きく扱われているので,楽しく読むことができたというのが実際である。

(2000.6.28)

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