![]() ■著書名:【蘇我氏四代 (臣,罪を知らず)】 ■ジャンル:日本歴史 ■著者名:遠山美都男 ■出版社:ミネルヴァ書房 発行年:2006年 定価:2800円 ■ISBN4-623-04560-9 ■おすすめ度:★★★ ====================================================================== 蘇我氏は専権横暴をはたらき,さらには天皇位にまで迫ろうとしたために滅 ぼされたというのがこれまでの通説である。しかし本書はこれに異を唱えてい る。蘇我氏は決して王権簒奪などは考えてはいなかった。それよりも時の天皇 に忠実であり,大臣としての職務を真摯に果てしてきたのだという。 蘇我入鹿が飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)で斬りつけられたとき,日 本書紀は入鹿の言葉としてこのように記している。『臣,罪を知らず。乞ふ, 垂審察へ(私が何をしたというのでしょう。どうか真相をお調べください)』 つまり入鹿は自分が無実であると主張している。 蘇我氏四代というのは,稲目(いなめ)?馬子(うまこ)?蝦夷(えみし)? 入鹿(いるか)の四代で,500年台の初め頃から645年に入鹿が暗殺され までを指す。本書では彼等四代それぞれの生き様が詳しく語られている。 * 初代の稲目から5代ほど遡ると建内宿禰(たけのうちのすくね)に行き着く。 建内宿禰というのは300年も生きていたという伝説の人物であって実在性に は乏しい。またその後の4代もやはり実在性に乏しいとして,稲目を初代とす るのが現実的であるという。 その初代稲目が日本書紀に登場するのは,536年の大臣任命の記載が最初 である。書紀の記載によると稲目以前に大臣であった人物も何人かいるがみな 実在性に乏しく,稲目こそが初代大臣であると本書は言う。なお稲目はいきな りトップの政治家として登場してくるが,その素性についてはよく判ってはい ない。そもそも蘇我という氏自体が稲目になって初めて出てくる。本書は蘇我 氏がどのようにして表舞台に登場してきたかについて,名門の葛城氏との関係 を中心に解析している。 2代目馬子のイメージは老獪な政治家・策略家というのが一般的であるが, 彼が亡くなったときの書記の記述によると,武略に長じ弁論の才に恵まれ,仏 法を厚く信仰したとあり,老獪な策略家のイメージとはかけ離れている。第2 章では書記にあるような人物像に,馬子がどのようにして至ったかの解説を試 みている。 物部守屋と馬子との確執はよく知られている。最終的には馬子は守屋を滅ぼ すが,最初から確執があったわけではなく,しかも初めのうち守屋は馬子の後 見人であった。しかし飛鳥寺の建立や次期天皇を誰にするかを巡って対立を深 め,ついには丁未(ていび)の役(守屋討滅の戦い)に至る。このあたりの経 緯を馬子側から見て解説している。また崇峻天皇暗殺に至る経緯についても, 任那復興に固執する崇峻と飛鳥寺建立を優先したい推古・馬子コンビの対立と いう形で述べている。 * 第3章は蝦夷。推古天皇没後の田村王子と山背大兄王の後継争いを巡って, 蝦夷が如何にして対処してきたかということに章の殆どを費やしている。蝦夷 としては,まずは推古の遺詔に従い田村皇子を次期天皇とし,やがて聖徳太子 の子,山背大兄に即位してもらいたいと考えていたという見解をとっており, 本書の中に以下のような一文がある。 蝦夷は,大臣としての公的立場と使命とを貫くという非常に公平で職務に忠 実な一面と共に,叔父として山背大兄の将来を親身になって配慮するという, 慈愛に満ちた一面をもっていた。それは,かつて馬子が甥の穴穂部王子に見せ た慈父の顔を想起させるではないか。 蝦夷は推古天皇亡き後,さらに舒明・皇極と仕えた。皇極元年には有名なエ ピソード「八つらの舞」がある。八つらの舞とは中国で天子のみに許された8 列64人による群舞のことである。従来この舞は蘇我氏が天皇家に取って代わ ろうとする野心を露わにしたものと解されていたが,著者はそれに疑問をはさ んでいる。 第4章は入鹿。入鹿は蝦夷存命中に大臣を譲渡されている。これも従来は蝦 夷が時の天皇に断りも無く独断で大臣位を譲渡したとされ,天皇の権限を犯す 蘇我氏横暴のしるしとされてきたが,ここでは決してそういうわけではないと 擁護している。 大臣となった入鹿がまず行なったことは山背大兄王の殺害である。日本書紀 には,古人大兄王を即位させたいがために入鹿が独断で山背大兄を殺害したと 書かれている。しかしが本書では,皇極天皇の命令があったがために群臣たち に諮ることなく独りで実行に移したにすぎないと解釈している。 645年6月12日が入鹿最後の日である。朝鮮三国の使者を迎えて,飛鳥 板蓋宮で厳かな儀式が執り行なわれている最中に入鹿は暗殺された。入鹿暗殺 の首謀者は中大兄王子(後の天智天皇)と中臣鎌足である。日本書紀には,入 鹿が王位を乗っ取ろうとしているがために暗殺されたと記されている。しかし 本書では,暗殺の真実は天皇の弟,軽王子(入鹿暗殺後に孝徳天皇となる)に より仕組まれたものと結論している。さらに皇極天皇と軽王子が共謀していた ともする。(従来の説とはえらい違いである) * 蘇我氏は王権簒奪を企てたために滅ぼされた。稲目から入鹿に至る四代のそ れぞれが多くの大罪・悪行を為してきたというのが従来の説である。しかし本 書は,決してそうではなく大臣としての職務を忠実に果たしてきたのだと,重 ねて主張している。 2006年3月8日,飛鳥板蓋宮の一部とみられる石敷きなどの遺構が見つ かったというニュースがあった。飛鳥板蓋宮は上でも記載したように蘇我入鹿 が暗殺され,大化改新が始められた古代史きっての舞台である。今後さらに多 くの発見が進み,古代史の研究がより進んでいくことを期待する。そうなるこ とによってまた新しい歴史本も発刊されるであろうと思うと,古代史好きの私 には大きな楽しみとなってくる。 (2006.3.24) |
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