宇 宙 消 失


■著書名:【宇宙消失】
■ジャンル:SF
■著者名:グレッグ・イーガン
■出版社:東京創元社(創元SF文庫)
   発行年:1999年 初版  定価:700円
■ISBN4-488-71101-4
■おすすめ度:★★★★

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 子どもの頃読んだ漫画に,テレキネシスやテレポーテーションといった超能
力が描かれていた。確か石森章太郎氏の「サイボーグ009」などにも少し出
ていたような覚えがあるが,はたしてどうだったろうか。
 そういった超能力ものを読んでいると,そんな能力があれば,本当に便利と
いうか力強いだろうなあと,常々思ったものである。たとえば銀行の巨大金庫
に忍び込んで札束を抱えてさっと抜け出すとか・・・。
(でもちょっと銀行泥棒はいかんか。。。)

 話は変わって,「量子論」というえらい難しい理論がある。アインシュタイ
ンの「相対性理論」と並んで20世紀の画期的な物理理論であるが,相対性理
論以上にその概念を掴むことが難しい。(ただ現在の半導体は,この難しい量
子論のおかげで生み出されたところもあるし,使う分には何らそのややこしさ
を理解する必要もないのだが・・・。)

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 量子論は物事を確率的に解釈する。たとえば,こちらにいるかあちらにいる
かはどちらにもいる可能性があり,それは確率をもって表される。また観測問
題というのがあって,我々が物事を観測するまでは,その物体はどの場所にい
るのか確率的にしか判らないが,いったん観測すると100%の確率でその場
所にいることになる。これを波動関数の収縮という。

 このことを考えると,例えば,空にある月は我々が見たときにはそこにある
が,目を外すともうそこにあるかどうかは判らないという,我々の常識ではと
ても考えがたいことが出てくる。

 さてこの難解な「量子論」をわざわざ選んで作られたのがイーガンの「宇宙
消失」というSFである。読んでいくとさすがに量子論だけあって,頭の中が
ごちゃごちゃになって,ついていけなくなってくるところもあるが,あまり気
にせずに読み進めればスケールも大きくてなかなかに面白いSFである。
 まあSF好きの人間ならば,ベースに量子論というややこしい理論があって
も気にせずに読んでいくのであろうが,そうでない人にはおそらくすぐに嫌に
なってしまう類のものかもしれない。

 しかしSFファンにとっては,大変お勧めの一冊であるのは間違いない。

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 21世紀のある時期,突如として地球の空から星が消え去った。調べてみる
と冥王星の2倍ほどの距離のところで何かが空間を遮断している。人々はそれ
をバブルと名づけたが,一体なぜそんなバブルが形成されたのか。どこかの宇
宙生命が地球を閉ざしたのであろうか。しかしやがて人類はそんな状況にも慣
れて普段の生活を続けていく。

 バブル発生の数十年後,生まれながらに脳障害を持った女性が(ずっと病院
で暮らしているのだが),あるとき突然行方不明になる。本人は赤子程度の知
能しかないと言われており,ドアのノブさえ回せないとされている。そんな彼
女がどうやって病室を抜け出すことができるのか。もしかすると何か誘拐事件
なのかもしれない。しかしこんな彼女を誘拐してどうなるのであろう。

 一人の男にこの疾走事件の調査が依頼されてきた。調査を進めるうちに彼女
は過去2回ほど病室からはるか離れた場所をさまよっているところを発見され
たことがあるという。彼女には一体どんな能力が秘められているのか。

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 その後,オーストラリアにある秘密研究所に彼女がいることが判明した。男
はそこへの侵入を試みるがあと一歩のところで捉えられてしまう。そこで男が
見たものは・・・。

 一人の女性科学者が無心に「上,上,下,上,下,・・・」とつぶやいてい
る。ここで行なわれているのは「シュテルンーゲルルハの実験」といって,銀
イオンのスピンの向きを調べる実験であった。しかし普通の実験と違って,ど
うやら意識的にスピンの向きを決定させようとしているらしい。

 かといって,テレキネシス(念力)の開発でもないらしく,どうやら量子論
的に波動関数の収縮を制御(固有状態を操作)しようと企ているようなのであ
る。先にも書いたように,波動関数は収縮する前にはいたるところに確率的に
拡がっている。これを人間に当てはめれば,収縮していない時の人間はあらゆ
る状態に存在しており,一人の人間が無限にいることなる。その中には,銀行
の大金庫の鍵番号を知っていて潜入できる人間も確率的には存在することにな
り,そのバージョンの人間が大金をそっと盗み出して逃げた後に,収縮すれば
それが現実となって,大金持ちになれるということもあり得る。

 ただし普通の人間は,波動関数のようには拡散できないし,常に現実は一つ
で,量子論的に言えば収縮している状態である。しかし例の誘拐された彼女は
自主的に拡散する能力を持っていた。そこで研究所の面々は彼女の脳システム
をコピーし,『波動関数収縮阻害モッド』と『固有状態操作モッド』が作られ
たのである。(モッドというのは,脳内に埋め込むコンピュータみたいなもの
をいう)

                                  *

 さて常識では考えられないようなこのモッドを使って,一体何をしようと企
んでいるのか。 無限に拡散した自分を作り出して大強盗でも働くのか,マフ
ィアのような組織でも作ろうとしているのか,バブルを築いた宇宙生命との交
流を企てているのか?それとも人類全員を拡散させて無限の地球を生み出そう
としているのか。

 冥王星軌道の2倍に位置するバブルの存在。人知れず病院を抜け出す能力を
持った女性の失踪。秘密研究所における固有状態操作の実験。これらがどのよ
うに絡み合っていくのか。

 バブルを作ったものは何者なのか,不思議な能力を持った脳障害女性と秘密
研究所の実験,さらにはバブルメーカーとの関わり,これらがラスト近くなっ
て,雪崩のように明らかにされていく。

 スケールの大きさ,荒唐無稽さ,量子論を踏まえたそれなりの物理的解釈。
物理でもあり形而上学でもあり,はたまた訳の判らない理論が駆使してあり,
やはりこれはSFの王道といったところである。

 疑念の渦巻くサスペンス風ストーリー。さて最後に行き着く所は・・・。

(2000.8.29)

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