フレームシフト


■著書名:【フレームシフト】
■ジャンル:SF
■著者名:ロバート・J・ソウヤー
■出版社:早川書房(早川文庫SF)
   発行年:2000年   定価:880円
■ISBN4-15-011304-1
■おすすめ度:★★★★

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 このところ遺伝子を取り扱った書物が,町の本屋に結構たくさん横積みにさ
れている。ちょっとした流行なのだろうか。

 日米欧で官民あげて「ヒトゲノム」の解析が進められているようで,人間の
遺伝子の解析も,このスピードでいくと,もうまもなく済んでしまうかもしれ
ない。人間の遺伝子の数は,これまで十万くらいとか言われてきたが,最近の
研究では3万とか12万とか言われ,幅は随分あるが,もしかして3万程度な
らかなりの速さで解析が進むのであろう。

 遺伝子解析の成果をもって,かなりの特許が出されているようであるが,ま
あ新薬を作って,そのアイデアを守っていこうというのも判るが,あまり商業
主義に走らないで,これからのいわゆる究極の治療,「遺伝子治療」の世界を
広く開放していってほしいものである。

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 フレームシフトというタイトルを見て,最初は何のことかさっぱり判らなか
った。本屋で横積みにされていたこの本を買ったのは,作者が「ソウヤー」と
なっていたからにすぎない。ソウヤーのこれまでの作品,「さよならダイノザ
ウルス」,「ターミナル・エクスペリメント」「スタープレックス」といった
ものが文庫で出されているが,これが結構奇想天外でなかなかに面白い。

 さてこの「フレームシフト」であるが,これまでの作品とは異なって,奇想
天外さがあまりなく,なかなかにシリアスな作品である。SF的な要素も少な
く,まあどちらかといえばミステリー小説といったところといえるかもしれな
い。

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 プロローグでは,ヒトゲノム計画に関わる遺伝学者が暴漢に襲われるところ
から始まる。『くそっ,なんでわざわざぼくを殺そうとするやつがいるんだ?
・・・どのみち...,(ぼくはもうじき死ぬのに)』 この独白で主人公が
何らかの病気にかかっているんだなと想像できる。しかも遺伝をテーマにした
小説であるから,遺伝的な病気にかかっていると・・・。

 プロローグの後は,いきなり第二次大戦中のナチ収容所(ガス室)の話題に
変わる。短いながらも生々しい描写,たとえば,『いつものように,素裸の死
体はどれも直立したままだった。狭苦しいガス室に最高で五百名もの人びとが
ぎっしりと押し込まれているため,倒れるだけの隙間さえないのだ。だが,扉
が開いた途端,出口の死体がばたばたと倒れて,暑い夏の太陽の下にこぼれだ
してきた。一酸化炭素中毒により,どの顔もまだらになっている。』

 章は変わって1980年代に移る。18歳の主人公が実の父親に会いに行く場面に
移る。父親は一人寝室に寝ていた。『ベッドに横たわった男は,ピエール(主
人公)に向かって右腕を差し上げた。それは風にゆれる大枝のようにゆらゆら
と左右へ動いた。』父親はハンチントン舞踏病にかかっていた。『自分がそう
だと知っていたら・・・絶対に子どもを作ったりはしなかった。すまない。ほ
んとにすまない。』

 ハンチントン舞踏病は,優性遺伝子によって受け継がれる。つまり親の片方
が,それにかかっている場合,子どもが発症する可能性は五分五分となる。こ
の病気はおよそ全世界で50万人いるとされ,脳の運動を制御するふたつの部
分だけを破壊する。はじめて症状があらわれるのは,普通は30歳から50歳
のあいだで,異常な姿勢や進行性の痴呆,無意識の筋肉の動き等が見られる。
【舞踏病】と呼ばれるのは,この病気の典型的な症状として,身体が踊るよう
な動きをするからである。患者は病気そのものによって,あるいはその合併症
によって最終的に命を落とす。

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 さて,わけも判らずに暴漢に襲われた遺伝学者とナチの収容所とハンチント
ン舞踏病が,この後どのようにストーリー展開されていくのであろうか。

 欠陥遺伝子を持つ可能性のある遺伝学者,役に立たないと思われているジャ
ンクDNAの研究,生命保険会社,ナチの残党を追う特別捜査官,美人女性と
のロマンス,そしてなぜかネアンデルタール人。いろいろな登場人物と多くの
アイデアが散りばめられ,読んでいる者にとっては,さあ次はどんな展開にな
っていくのだろうかと,ついつい寝る間を惜しんで読んでいってしまう。

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 ところでフレームシフトとはなんなのであろうか。最近読んだ遺伝子の入門
本によると,以下のように説明されている。

 DNAは塩基,糖,リン酸という3つのパーツからできていて,この3つの
パーツが1つのユニットとして何度も繰り返されるのがDNAである。糖とリ
ン酸はどのユニットにも同じものがついているので,遺伝情報は各ユニットで
異なっている塩基にある。

 DNAを構成する塩基は4種類あって,A(アデニン),G(グアニン),
C(シトシン),T(チミン)がそれで,A・G・C・Tの4つの塩基が長い
DNAの上に並んでいて,その並び方が遺伝情報を決定しているのである。こ
れらの塩基(AGCT)の並び方に時として欠陥が起こったり,分裂複製する
ときに,この並びを読み間違ったり(フレームシフト)したりすると,遺伝疾
病が生じることとなる。

 つまり遺伝情報の読み誤りを「フレームシフト」といい,この小説ではこの
フレームシフトが大きなテーマとなっている。

 先にも述べたようにSF的要素は少ない。作者のSF的アイデアとしては,
ジャンクDNA(現在はDNAの5%〜10%が遺伝子に相当する考えられて
いるから,残る90%くらいのDNAをそう呼ぶ)に画期的な意味を見出して
いくところくらいであろうか。ただそれだからこそ,比較的身近で,「ああ遺
伝子というのは,こういうものなのか・・・」と,その気にさせられてしまう
ところがある。

(2000.6.10)

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