ここでは「アーサー・C・クラーク」の作品を紹介しています。
若いときからSFが好きでたくさん読んできましたが,クラークはいつになっても面白いですね。
でもやっぱり,初期の作品のほうが興味深い気がします。「宇宙のランデブー」などを読んでいると,
特にそんな気がしますが,単に私の趣味のせいだけかもしれませんね。 ところで,読むのは殆どが文庫になってからなので(安いから),古いものが多いです。 また下に書いているのは主に長編で,短編はあまり載せていません。
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映画「2001年宇宙の旅」は名作である。多分,SFという分野に限らなくても多くの人がこの
映画をベスト10の上位のほうに上げるのではないだろうか。それにあのバックに流れる音楽もいい。
「ツァラトゥストラ」が迫力をもって迫ってくるのも素晴らしい。 ところで,小説は映画とほぼ同時進行で書き進められたらしい。大筋は同じであるが,行き先が映画では 木星であるが小説では土星であるとか,細かいところでは少々違っている。でも,映画では訳の判らなかった ところも,この小説を読むとやはり判ってくる。
SFというのは,科学的には現実と違ったり,想像や
創造であっても,それなりにフンフンと納得したいものであるのだが,映画では「よく判らんな」と
思っていても小説ではやっぱりそれなりに納得させてくれる。
2001年宇宙の旅 (2001:A SPACE ODYSSEY) 1968
![]() ![]() タイトルが示すとおり,オデッセイ・シリーズの最終章。1997年の発売以降ベストセラー・リストの上位を占めていたらしいが, そんなにいいものかなあと思ってしまう。クラークのファンが多いことと,あの2001年から続いてきた物語が どのように締めくくられるのか知りたいという気持ちだろう。(私もそうなのだが・・・)
さて時は31世紀,あの2001年から十世紀が過ぎている。
物語の大半は,生き返ったプールが31世紀の世界でカルチャーショックに出会いつつ,時を過ごしていく展開が進む。(あまり面白くない)
さて,ボーマンの語るところによれば,モノリスは21世紀初頭に500光年彼方の上位存在のもとに地球の状況を報告しており,
そろそろそのアクションが訪れる頃だというのである。20世紀というのは人類最悪の時代のひとつであり,この時代のリポートを見れば,
必ずや地球人類は抹殺されるであろうという。 モノリスは一種のコンピュータプログラムである。 それならばと,地球でこの1000年間に開発された邪悪なウィルスを送り込むこととした。 この作戦は大成功。モノリスは崩壊した。これで人類の現況を伝えるものはいない。 モノリスが消えたことの情報が伝わるまで500年,そのアクションがあるまでさらに500年。 こうやって人類には,さらに千年の猶予が与えられた。
2001年に比べて,動きが少なく手に汗握る部分は少ない。できれば前半部分のカルチャーショック部を少なくして,
もっとモノリスとの関わりとか,モノリスの出自のようなことを展開してほしかった。というのが読後の感想である。
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「宇宙のランデブー」はシリーズとして,4作が出版されている。
テーマはファーストコンタクトものである。22世紀になって外宇宙から巨大な円筒型物体(直径20キロ,長さ50キロ)
が太陽系に侵入してくる。これは高度な技術文明により建造された宇宙船であることが判り,ラーマと
名付けられた。 2作目は,70年ほど後に再び「ラーマ」が太陽系にやってきて,再度人類の調査隊が乗り込むというもの。 3作目は,「ラーマ」内部の人類コロニーでの生活と異星種とのいさかいを描いたもの。そして,最後の 4作目は,人類と異星種との争いに超知性体が調停に入り,やがてその超知性体とこの宇宙との関連を 解き明かしていくものである。 最後に明らかにされるが,この超知性体というのが,実はこの宇宙外に存在するものであり,しかも 我等の宇宙やまたそれ以外の数多くの宇宙を作って実験を進めているという。 最後に神のようなものが出てくるのは,あまり好きになれないが,現宇宙の中の非常に進んだ知性体と いうだけでは,おさまりがつかなくなったのだろうか?
私個人としては1作目が一番好みである。あとの3作は読んでいて面白いけれども,1作目ほどの
感激は得られなかった。
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この物語は,月着陸を目指した人類初のプロジェクトを綴ったものである。
作品が書かれたのはおよそ半世紀も前で,アポロ11号が実際に月に着陸したのが1969年
(私も深夜のTVに見入っていたものである)だから,その約20年前になる。 さてこの人類初の大プロジェクトを進めるにあたり,真に正式な歴史的記録を残し,将来の役にたてようということになった。 記録編纂のために,一人の歴史学者が招かれた。この物語は,その歴史学者の視点にたって物語られていく。
プロジェクトを進めているのは「インタープラネタリ」という組織である。歴史学者は,
ここの広報部の一人を通して,多くのことに接していくのである。 20世紀半ばにおいては,近未来の宇宙船をコントロールするコンピュータが, 数千個の真空管で構成されているとするのは,まあ仕方がないとは思うが,この小説は近未来の状況をかなり正確に予測している。 そういう意味でも今この「宇宙への序曲」を読み返すのは,なかなかに面白い。
時は,1979年オーストラリアに設置された宇宙港(発射場)から,
プロジェクトメンバーや各国マスコミが見守る中,「プロメテウス」は静かに飛び立っていく。
![]() ![]() 「幼年期の終わり」,これは傑作である。そう,傑作だする人が非常に多いらしい。私も確かにそうだと 感じるが・・・・・。 20世紀の末頃,異星人の宇宙船団が地球に飛来する。それも一カ所ではなく,主要都市の全ての 上空に現れる。異星人とのファースト・コンタクトが始まるかと思われるが,如何せん,この異星人達は 強行に姿を見せることを拒み続ける。彼らは,決して姿を見せることなく,上空に留まっているだけで, 確実に地球の生活水準を向上させていった。
さて,この異星人は,彼らのオーバーマインド(上霊)に従い,地球人種の精神のメタモルフォーゼ
を見守る(産む)ためにやってきたという。 ラストの地球の子供達が親元を離れ,群集まってメタモルフォーゼを始めていく描写。大人は取り残され 子供達は去っていく。そう,確かに,地球人種の幼年期がまさに終わろうとしている。宇宙意識のような ものに入っていく。2001年宇宙の旅でもこんなことが書かれていたようである。SFもこうじれば 一種の哲学のようになっていく。
ただ,あらゆる子供が去っていく。子供なしに大人だけが残っていても,決して地球は維持できない。
子供の減少する世界は滅びの世界である。これは現代でも当然当てはまる。だから,このラストは
極めて寂しいものである。特に自分の子供が去っていくところは非常に寂しいものがある。
子供に去られた大人達は,その殆どが死を選んでいる。確かにそうなのだろう。
SFの傑作であると同時に,哲学的でもあるが,同時にちょっと現代への警鐘にもつながるのかもしれない。
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ファーストコンタクトものである。
ストーリーはシンプル。
ところで,恒星間宇宙船は宇宙に存在する全ての生物種を保護育成することを目的としており,
今回不時着していた宇宙船も,現在の生物が発生する遙かな過去において地球からサンプル採取し,
母星系の生物園で育成してきた生物種を地球に戻しに来たのである。
このように先進文明によって育成されてきた生物種が地球に撒かれ,
それらが増えていけば現地球人類は滅ぼされてしまうかもしれない。
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