肺炎&気胸入院日記


2005年の1月から2月にかけて、1ヶ月間の入院記録である。 ひどい肺炎を起こして地元の病院に入院したのだが、10日目にして気胸を発症する。 胸腔ドレナージ(専用のビニールチューブを肺に刺入して胸腔内の空気を体外に排出する治療法) により治療していたのだが治療しきれず、結局転院して手術することになってしまった。

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1月24日(月) レントゲン写真の真っ白な肺に愕然。 即日入院へ。
1月25日(火) ひたすら高熱と闘う。 氷を目一杯詰めてもらった氷枕が痛い。
1月26日(水) 薬を飲まなくて医者に怒られる。 高熱時に読むのは漫画に限る。
1月27日(木) 病院での初めての洗髪。 タバコの禁断症状が出てきた?
1月28日(金) 血中酸素濃度測定器がおもしろい。 長男の中学受験。
1月29日(土) アッチッチの蒸しタオル。 おっさんたちのお見舞いが2件。
1月30日(日) 次男と二人で病院内を大探検。 今夜から食事が白米に。
1月31日(月) 今朝からパン食に変更。 呼吸リハビリを始める。
2月01日(火) 胸が痛い、なぜだろう? 自閉症のドキュメンタリ番組を見る。
2月02日(水) 肺に穴が開いてしまった。 身体中がチューブだらけ。
2月03日(木) 萎んだ肺がちょっと回復。 だいぶ入院生活にも慣れてきた。
2月04日(金) 看護師が次から次へ。 長男が中学入試の結果報告に来る。
2月05日(土) 呼吸専門医の診察。 咳がひどくて呼吸が苦しい。
2月06日(日) 部屋の引越しでレイアウトに頭を悩ます。 臨床看護技術の勉強。
2月07日(月) やっぱりまた穴が開いていた。 新しいドレーンの挿入。
2月08日(火) 早ければ17日に退院見込み。 長男の進路についての話し合い。
2月09日(水) 看護師の名札について。 進路についての長男の結論。
2月10日(木) CRPがついに陰性になる。 今日で抗生物質の点滴が終了。
2月11日(金) 三たび肺に穴が開く。 真夜中の処置。
2月12日(土) 胸の傷口が一日中痛い。 何度も筋肉注射のお世話になる。
2月13日(日) 今日も一日傷口が痛い。 この病院も今夜が最後。
2月14日(月) 転院、救急車に乗って新しい病院へ。 担当医から病状の説明。
2月15日(火) 明日の手術についての説明。 事前準備で腋毛剃りと胸毛剃り。
2月16日(水) 手術。 さすが全身麻酔だ、知らぬ間に終了。
2月17日(木) 一日読書で過ごす。 TVに懐かしい人物が。
2月18日(金) 今日も一日読書。 ようやく胸腔ドレーンが抜ける。
2月19日(土) 病院内自由の許可。 家族全員で見舞いに来る。
2月20日(日) 展望レストランでひと休み。 1ヶ月振りに身体を洗う。
2月21日(月) 煙草が吸いたくなってきた。 展望風呂に入って満足。
2月22日(火) やっと退院。 あ〜長い入院生活だった。


1月24日(月)
 先週の金曜日に40℃近い高熱が出た。近くの医者に行き薬を出してもらうが、今日に
なっても熱は下がらず、朝からもう一度医者に行くことにした。前回はしなかったレント
ゲンを撮り、現像が終わって呼ばれて行くと、いきなり「すぐ入院です」のひと言。目の
前に掛けられているレントゲン写真は、右の肺が真っ白け。医者でなくても、さすがにこ
んな写真を見たら「なんやこれ〜!」というくらいにひどいものである。

 そのまま市内の病院に入院依頼をしてもらう。今のところ個室しか空いていないと言わ
れたが、遠い病院に入るのも面倒だし、まあそんなに長くもないだろうと、「個室でいい
ですよ」と返事をする。電話での予約を終わり、撮ったレントゲン写真と紹介状を持たさ
れ、その足で病院へ。血液採取とCT撮影の後、一度家に戻りたかったのだが、病院の方
は血液検査の結果が出てからでないとだめですと言う。ちょうどまた熱も上がってきたみ
たいでその場で点滴を開始。もうこうなったら帰ることもできそうになく、あきらめるし
かない。

 そうこうしているうちに血液検査の結果が出る。どうにもめちゃめちゃひどい数値らし
い。一度帰るなんてとんでもないという雰囲気で、車椅子に乗せられて(歩けると言った
のだが)病室まで運ばれる。入院なんて幼稚園の頃にしたきりで、もう40年以上も前の
ことだから、今回が初めての経験みたいなものである。でももう入ってしまったものはど
うしようもない。折角の入院生活をしっかりと経験してみようと開き直る。ただ長引かな
きゃいいのだけれど。

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1月25日(火)  夜11時頃、咳がひどくなって頓服を飲む。熱も上がってきた。看護師が氷枕を持って きてくれる。熱のせいか寝ていてもチョコチョコ短時間で起きてしまう。0時45分、起 きたついでに熱を測る。38.7℃。解熱剤を飲もうかどうしようか、39℃を越えたら看護 師に相談してみよう。1時15分、看護師の点滴確認で目覚める。部屋が乾燥してると言 ったら、吸入器に薬を入れる代わりに水をいれて加湿器代わりにしてくれた。なかなかい いアイデアである。いつもこういうことをしてるのだろうか。  2時5分、氷枕に氷を足してもらう。いっぱい入れときました、と言うので見てみると 氷枕がポンポコポン。これは長持ちしそうだ。起きたついでに体温を測ると、38.5℃。お っ、ちょっと下がってる、何かの効果があがってるんだろうか。ついでに小便にも行く。 点滴とお茶飲みで、しょっちゅう小便に行きたくなる。まもなく2時半になるので、この まま起きていて宇宙戦艦ヤマトでも見ようと思ったが、残念ながら明日だった。とりあえ ず寝る。  2時55分、目が覚めたので加湿器に水を補給するが、どうも湯気が見えない。でもポ コポコはしてるから多分OKなんだろう。あ〜でも、寝てもほんの30分ほどで起きてし まうなあ。  3時45分、咳き込んで起きる。こんなに咳ばっかりしていてはまた骨折するかもしれ ん。加湿器からは相変わらず湯気が出ていない。やっぱりどこかがおかしいのだろう。よ 〜く見ると、ホースの中に水が溜まって湯気が出るのを堰きとめていた。水を抜いたら快 調。ホースの曲げ方も、あまり鋭角にならないようにしておくのがコツのようだ。4時半、 また咳き込んで起きる。今夜は1時間と続けて寝ていられることがない。

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1月26日(水)  5時15分、外の物音で起きる。体温は、38.7℃。21日に発熱してから始めて夜中に 解熱剤を使わなかった。咳が出て胸が痛い。頭も痛い。う〜ん、夜中じゅう熱を上げっぱ なしにしてたからだろうか。血中酸素濃度が上がらないのは、あのレントゲン結果を思う と仕方ないといったところか。ところで痰を調べて抗生物質を決めるとか言っていたが、 そろそろどんな抗生物質が効くか判っただろうか。しかし今日は頭が痛い。特に左側が。 何やろうねえ。  9時頃、担当医が回診に訪れる。「昨日の夜は39℃までしか上がらんかったから解熱 剤飲まんかった」と言ったら、「そんなとこで無理してどうするんですか。しんどいとき は薬を飲むもんです」としっかり怒られてしまった。それで素直に解熱剤を飲むと、その 後はすこぶる好調になる。  午後、小便に行った帰りの廊下で、三男が生まれるとき世話になったおばさんに出会う。 (失礼だが名前が思い出せない)さらにそのしばらく後、同じく小児科の担当医に出会う。 (同じフロアが小児科病棟になっているんだった)二人ともいっぱい心配してくれ、「き っと神様が少し休みなさいと言っているんですよ」と言葉をかけてくれる。  晩飯前に抗生物質の点滴1本。2本目は飯を食い終わった後にしますと言いながらもな かなか持ってこないので、「今日はもう1本の点滴ないんですか」と聞くとすぐに持って きてくれた。9時頃、「咳止めは飲まれましたか」と聞きに来てくれたので、「はい」。 ついでに「夜の吸入はしなくていいですか」と聞くと、あわてて持ってきてくれた。今日 はいつもより忙しいのか、引き継ぎがちょっとうまくいっていないようだ。  ベッドに入ってしばらくするとひどい寒気が襲ってきた。熱がぼんぼこ上がると非常に しんどくなるので早めに解熱剤を飲んでおく。  熱が上がってしんどくて、かといって眠れるわけでもないときには本でも読むしかない のだが、今日は奥さんの買ってきてくれた漫画本が役立った。実は本といえば古事記しか 持ってきておらず、いくら何でも熱でぼーっとした頭では古事記など読めはしない。その 点漫画はいい。なにせ字が少ないし絵を追っていればストーリーも判る。難しい漫画でな い限り高熱時の読み物は漫画に限る。ところで病院には入院患者用の図書ってあるのだろ うか。あれば便利なんだろうが、ここではあまりそういうのを聞いたことはない。  夜中1時頃、汗もおさまり体温も36℃台に下がる。この機会に着替えをすます。今日 は下着を買い込んで来てもらってあるので、回数を気にせず着替えられる。パジャマも新 しいのと交換してもらい、余計に気分もさっぱりした。ところが4時頃にまたまた大汗を かいて身体中ビショビショになってしまう。さてどうしようかと思いつつベッドの上でぼ ーっとしてると、ちょうど看護師が見回りで入ってきてくれた。これ幸いと着替えを手伝 ってもらう。またまたパジャマも新しくなった。入院の手引きだったかに、パジャマは週 に2回と書いてあったように思うのだが、いいのだろうか。

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1月27日(木)  6時20分起床。またしても大汗をかいていた。ついさっきも大汗かいて着替えさせて もらったばかりなんで、「また汗かきました」と言うのもちょっと気が引けて、とりあえ ず下着だけでも着替えてみようと、やってみると一人でも割合簡単に着替えることができ た。「なんや一人でもできるやないか」と満足したのはいいのだけれど、かなりビショビ ショになっているパジャマだけはもう一度着る気にはなれない。どうしようかなあと、た だ部屋の中をウロウロしていると、ちょうど看護師が朝の見回りに来て、気持ちよくパジ ャマの替えを出してくれた。やっぱり乾いたのはさわやかである。無理して濡れたパジャ マを着ないでほんとに良かった。  朝飯は食欲がなくてどんぶりのお粥を7分程度残した。頭がガンガンしてきたので解熱 剤を飲む。  午後、廊下の案内板を見ていて洗髪室というのがあるのを見つけた。看護師に使えるの かどうか聞いてみると、「いいですよ。じゃあ今日洗ってみますか」と言うので、「お願 いします」ということにした。若い看護師さんたち、みんな嫌な顔せず何でも引き受けて くれるからとてもありがたい。洗髪用のシートを準備しているところにちょうど奥さんが やってきたので、洗髪は奥さんに任せることにした。頭を洗ったのも1週間振り、油と汚 れを落としてすっきりした。風呂にも入りたいのだが、こっちは果たしていつ頃入れるだ ろうか。またそのうち聞いてみよう。  晩飯を終わって家に電話を入れる。長男が出ると次男も出たがる。次男が出ると三男に しゃべらせたがる。三男はまだしゃべらないんで、しばらくしてまた次男が出る。そんな ことを繰り返していたら30分ほどが過ぎていった。電話を終わり布団を揃え直して、寝 る前にと体温を測ってみると39℃近くに上がっている。解熱剤と咳止めを飲んでベッド に入る。  夜中に3回、大汗をかいて起きる。身体が冷えてしまうので着替えるのだが、その度に 看護師を呼んで蒸しタオルと新しいパジャマを持ってきてもらうことになる。一晩に何度 もお願いするのもこちらとしては気が引けるのだが、みんな気持ちよく引き受けてくれる。 腕に点滴が繋がっているのでシャツを脱いだり着たりするのも手伝ってもらわないとなら ない。シャツを脱がせてさらに熱い蒸しタオルで背中を拭いてくれる。この熱いタオルが ほんとに気持ちがいい。  着替えを終えた後はすぐには寝ないで、ベッドの上に座りながらしばらく起きている。 こういうとき、その日のできごとや思い付きなんかをメモ書きしておくことがある。ベッ ド横のテーブルに手を伸ばしてペンとメモ帳を取り上げるのだが、どういうわけか頭の中 に煙草を取り上げようとしているイメージがほんの一瞬浮かぶ。ペンを取ろうと腕が動き 始めてから実際にペンを取るまでの間のある期間で、多分コンマ数秒もないだろう。高熱 を発して寝込んでから1週間、煙草の禁断症状が出てきてもおかしくない時期なんだろう。 これからまだまだ入院生活が続くというのに不安である。  これから入院が続くことでの心配ごと。その1は煙草の禁断症状だろう。早めにみんな に忠告しておいたほうがいいのかもしれない。ヘビースモーカーなんだよと。ここ最近、 頭の片隅に煙草と灰皿のイメージが浮かぶというのも一種の徴候なのかもしれないから。 その2は肺炎の原因調査だろうか。身体でも工業製品でもハードでもソフトでも不具合の 原因は徹底してつぶさないといけないわけだが、さてその原因が嫌な方向に向いたときを 考えると憂鬱になる。まあでも今はそういうことは考えないでおこう。考えてもしようが ないし。そろそろ夜も1時になるので寝ることにする。

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1月28日(金)  6時50分起床。汗はかいてなかったが頭がガンガンする。熱が上がってきているのか なと思い測ってみたが、36.9℃。それほど上がりかけてはいない。そういえば今日は血液 検査をすると言っていたが、予定通り7時15分頃に看護師が採血にやってきた。さて今 日の結果はこの間に比べて多少はよくなっているだろうか。あの末期症状と言われた、C RP(身体の中の炎症の度合いを見る指標だったかな)は少しは改善されているだろうか。  食欲は全然ない。お粥にはほんのちょっと手をつけただけで食えなくなった。昨日の方 がもう少しは食欲もあったような気がする。朝飯の後しばらくして久しぶりにうんこが出 た。何日振りだろうか。入院以来初めてとしたら5日振りか、そんなに出てなかったかな あ。細目のうんこがつるんと出た。1本、2本、3本くらいか。久し振りにしては量は少 なかったけれど、これで下剤とか浣腸とかの世話にならなくてすみそうである。それが一 番ほっとした。  11時過ぎにレントゲンを撮りに行く。「車椅子で行きます」と言われて、えっそんな 大袈裟なと思ったのだが、車椅子を部屋に運び込んで酸素ボンベをセットし始めるのを見 て、まあしょうがないわなあ、と覚悟を決める。ところが幸いなことにもう一人一緒に撮 りにいく患者がいて、そちらは車椅子でないと行けないらしく、連れて行く方も車椅子2 台は無理と思ったのか、私の方は免除してもらえた。点滴もぶら下げているし車椅子だと 1人では戻って来られないからねえ。ところでレントゲン撮影は楽である。何と言っても 入院患者の特権か、あるいは予約管理がしっかりしているのか、何も待たずさっと行って、 ぱしゃっと撮って、さっと戻って来られた。  携帯式の血中酸素濃度測定器がある。血液の中にどのくらいの酸素が取り込まれている かを非接触で測定する機器(パルスオキシメータと言うらしい)で、最大値を100とし て、90台の後半が正常の目安らしい。健康なひとでは大体98〜100近くの値がでる。 私が入院したときの最初の数値が92、酸素チューブをつけて94だった。この測定器に 個人的に興味があって(意味はないのだけれど測っていると面白い)、ちょうど部屋に入 ってきてくれた看護師に「あの酸素濃度測るやつないですか」って聞いたところ、「私も 他の患者さんを測ろうと思ってるんだけど、ステーションから出払ってるんです」という 返事が返ってきた。もしかして私以外にもあれの好きな人が結構いて、なかなか流行って いるんだろうかと思ってしまった。(そんなことないわなあ)  16時頃に長男が到着。今日は長男の中学受験日で、もともとの予定では私が朝、学校 まで送り届けて受験中は会社に行って、試験が終わればまた迎えにいくという段取りだっ たのだが、この入院ですっかり予定が狂ってしまった。それで今回の受験は一緒に受験す る近所のUさんに送り迎えを頼むこととなった。受験が終わりJRの駅まで戻って来たと ころで、長男はUさんとバイバイして病院まで直行したわけである。受験に付いて行って やれなくて、長男にも寂しい想いをさせてしまった。  しっかり元気に入ってきた長男の受験話は面接から始まった。やはりしたこともない面 接が一番インパクトが強かったのだろう。面接話のあとは、作文→国語→社会→理科→算 数の順で試験問題を紙に書いて教えてくれた。それぞれの教科とも試験内容を結構覚えて いた。(50%くらいの記憶か)試験話をしている途中、算数でポカミスしていたことを 発見したときにはちょっと顔が暗くなっていたが、まあそれも御愛敬。いきなり受験を決 めた割にはよくやってきたようである。  17時をまわって、ニコニコ教室(三男の通う療育教室)帰りの三男と奥さんがやって きた。ここで長男を拾って帰る段取りをしていたのである。久々に三男とも会った。次男 とはまだ会えていないが明日来る予定である。  1週間振りにたくさんの顔を見て、たくさんしゃべっていたら、みんなが帰った後に一 気に疲れが出てきた。晩飯もきっとあんまり食えないだろうなと思っていたのだが、思い のほか食えてちょっとびっくり。やはり少しづつ快方に向かっているのだろう。  日が変わって0時10分、本日の点滴終了。今日の最後の点滴が終わったら、もう栄養 剤は止めて抗生物質だけにするという。今、その最後の栄養剤の点滴が終わり、ようやく 一日中つながれていたスタンドから解放された。点滴の口(注射針)は腕に残したままな ので、次に点滴するときもすぐにつなぐことができるようになっている。  身体に何もつながっていず、身ひとつというのはほんとに楽で、一人で着替えもできる しトイレに行くにも場所を気にせず行ける。こういう些細なことでも実感すると、早く治 らんといかんと思うのだが、軽く見て1ヶ月とか言ってたからなあ、あ〜先が長い。  夜中にちょっと咳き込んで起きた。掛け布団の首のあたりが汗で湿って冷たくなってい る。ちょうど見に来てきてくれた看護師と一緒に掛け布団を180度回転させた。点滴が つながっていないとこういうこともできるんだ。

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1月29日(土)  6時半起床。寝ながらずっと汗をかいていたため下着もパジャマもじっとりしている。 少し前、明け方5時頃に看護師が回って来てくれた時には、もうすでに濡れていたのだが、 「起きたときに着替えます」と言ったため、今まで我慢する羽目となってしまった。  看護師に連絡するとすぐに熱いタオルを持ってきてくれた。このタオルがまたほんとに 熱い。不用意につかむと「アッチー!」と思わず喚いてしまうくらいに熱い。ロールされ ているタオルを開いてパンパンのばして、ほんの少し冷ましてから使い始める。顔から足 の指先までしっかりと拭いて新しい下着とパジャマに着替え終えると、あのじっとりして 気持ち悪かったのがほんとにすっきりする。(タオル一枚で身体全部拭いてたら冷たくな ってしまうと思われるかもしれないが、このアッチッチのタオルは4枚〜5枚もくれるの でまったく問題はない)  たびたび寝汗をかいては夜中に着替えるが、さあこれから一日が始まるぞという朝に着 替えるのとでは、「あ〜すっきりした」という感覚が朝の方がずっと強く感じられる。普 段は別段そういうことも感じないが、やはり入院という特殊な状況に置かれているからち ょっとしたことにでも感じやすくなっているのだろう。今日に限っていえば、夜中にひど くなった咳が少しマシになったことも影響しているかもしれない。咳といえば、何日か前 とは違って咳き込んだときに胸に響く痛みが少なくなってきたように思う。  朝飯はお粥を6割ほども残したが他のおかずは全部食った。おかずといっても卵焼き2 切れ、青菜の和え物少々、海苔の佃煮一袋、そして味噌汁だけ。これでどんぶり一杯のお 粥はとても食えない。これからは和食を止めて洋食にしたほうがいいかもしれない。  朝飯の後はうんこ。点滴のスタンドがないので久々に和式でやった。ちょっと長めのコ ロコロうんこが4つ。量はともかくうんこが出てくれているのがありがたい。  今日の天気はどうかいなと、シャッターの隙間を広げて外を見ていると、何やら後ろで 気配がする。振り向いてみると、あれあれ主治医のY先生。 「あれ〜、土曜でも回診やるんですか?」 「私の休みは火曜なんで、土曜は普通の日なんです。」 そらそうや。医者は大概シフトしているはずで、土日が休みと勝手に自分が思い込んでい ただけなんだねえ。仕事でも「思い込みはいかん」といつも言ってるのに、それと同じこ とを自分がしててはいかんわ。反省と再認識の一こまだった。  10時頃、薬局より頓服用鎮痛解熱剤の追加10回分が届く。そのついでじゃないが、 熱は37℃程度で低いけれど頭痛が少しするので薬を飲んでおくことにした。  何気なくテレビを見ていると映っているのは「中学生日記」。懐かしさも手伝ってその まま最後まで見てしまった。「中学の頃だけでなく大人になってからも見ていたけれど、 最後に見たのは一体いつだったろうか。結婚した頃までかな。それでも20年前くらいに なる。使われるグッズはパソコンとかインターネットとか時代によって変わるけれども、 根本的な中味はあんまり変わらないように感じた。まもなく我が家の長男も中学生。息子 が中学生の風を親父にも持ってきてくれるのだろうが、さてその風は親父の風とはどのく らいの違いがあるのだろう。  11時頃、長男次男が到着。次男は相変わらず元気一杯。折り紙を3つ折ってきてくれ た。ありがとさん。ところで三男が現れないので、どうしたんかと聞くと、駐車場で車の ドアで指を挟んだとのこと。それで今外科にかかるための手続き中なもんで、2人だけが 先に来たということである。少しすると指をガーゼで押さえられながら三男がやってきた。 外科の順番がまだまだなんでとりあえずここまで来たとのこと。三男の怪我は皮がめくれ て結構出血しているが骨は何も問題なさそうに見える。あとでゆっくり、外科で処置して もらおう。  長男次男とも,お昼からサッカー練習があるのでゆっくりはしていられない。でも三男 の外科処置もあるので帰るに帰れない。ということで長男次男の昼飯は売店でパンを買っ て部屋で一緒に食うことにした。二人ともソファに座って割と大人しく食っている。  ドタバタしたけれど昼飯も終わって家族を見送って部屋に戻って、ようやくベッドに入 ってのんびりし始めるとドアがトントン。「はい」と返事をしても動きがないので、もう 一声大きく「はい、どーぞ」。そしたらおっさんが3人入ってきた。会社からの3人。折 角の休みにワザワザここまで来てくれるなんて、いやありがたいありがたい。しばらく部 屋の中で話をしてから、外にある食堂に行って缶コーヒーで仕事の話を続けた。  晩飯はお粥以外は全て食った。お粥は60%くらいかな。どんぶり一杯のお粥というの はそうそう毎日食えるもんやない。いつから普通のご飯になるのだろうか。  晩飯も終わって点滴を始めてしばらくすると、近所のKさんが会社の帰りとか言って顔 を出してくれた。ワザワザお見舞いまで持ってきてくれてありがたいことである。自分も 肺炎で入院したことがあるためか、年が同じで親近感があるためか、世代が同じで似たよ うな経験を持つ人のお見舞いというのは本当に嬉しいものである。  真夜中2時半頃、えらくひどい咳が出て起きる。喉の奥がむず痒いといった感覚がある。 起きたついでに小便に行くが戻ってくるまでずっと咳が止まらなかった。咳止めの薬を出 して飲んだが、やはり寝る前に飲んでおくべきだったかなあと少々後悔してみるが、当然 ながら今更遅い話である。  欠伸が出た。途中で止めたので小さな欠伸だ。具合が悪くなってから思いっきり大きい (深い)欠伸ができない。深く吸い込むと胸が痛くなるのだ。欠伸を途中で止める(欠伸 をかみ殺すって言ったかな)ようになったのは、いつ頃からだったろう。少なくとも入院 する1週間以上前には溯るように思うが、はてどうだったかな。

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1月30日(日)  ひどく咳き込んで起きたらちょうど6時だった。珍しく夜中の汗は全くかかず、一眠り の周期も今夜が一番長かった。咳はひどかったけれど、汗をかかなかったから起きずに済 んだのだろう。今朝は頭痛もほとんどない。無理に頭を振れば痛いかなという程度。  毎朝のことながら、朝飯はおかずに比べてあまりにもお粥の量が多すぎる。今日もおか ずと言えるのは「野菜の煮浸し」の小鉢のみで、後はゆかりのふりかけ、味噌汁、缶詰の 白桃2切れ、牛乳だけなのだから、とてもどんぶりのお粥を食べられはしない。そもそも お粥にふりかけをかけたって美味しいわけがない。  9時半頃、例のアッチッチの蒸しタオルをもらってゆっくりと身体を拭いた。汗でビッ ショリなった身体を拭くんじゃないので気分が違う。汗ビッショリの場合は汗を拭き取る のだが、今朝の場合は身体を洗うというのが主目的になる。そういう気持ちでゆっくりの んびり、おでこから足の指の先っちょまで拭くと、新しい下着に着替えサッパリした。  11時半頃、次男到着。一人でこの部屋まで来ることができるようになったようだ。三 男は昨日の怪我を外科で再度見てもらっている。(外科に行っても多分、ゲンタシン塗っ て包帯を替えるくらいなんだろうが。。。)  外科での処置を終わって三男と母親が戻って来たので、みんなで昼飯を持って食堂へ行 く。ここの食堂(というか談話室みたいかな)はテーブルが大きいので、小さい子のいる 家族には便利そうだ。しかも何といっても人が少ないんでぶつかる恐れが殆どない。病院 の昼飯はスパゲティのミートソース、次男が食べたがってしようがない。なかなか美味し くできていて嬉しいのだがかなりの量がある。次男がそこそこ食べてくれなかったら残し てしまったかもしれない。(次男はデザートの洋ナシもほとんど食ってしまった)  昼飯後は、三男が寝てしまったのでベッドを明け渡す。そうこうしているうちに、母親 もベッドに突っ伏して寝てしまい、残された父と次男は遊ぶしかしようがない。ナースス テーション前においてある体重計などで一通り遊んだ後、病院内を大探検。6階から順繰 りに下の方へと探検してまわった。こっちは少々疲れたけれど、次男は結構喜んでいたよ うである。  3時頃にみんなとバイバイした後は、やはり疲れのためかベッドで居眠り。薄めの毛布 2枚で寝ていたらちょっと身体が冷えてしまった。  夕飯は今夜から普通のご飯。朝、男の看護師が気を利かして、ご飯のことを聞いてくれ たので、今夜から普通のご飯にありつけることになったのである。普通のご飯ならしっか り残さず食えるというのがよく判った。ただ今夜はちょっとおかずが多すぎる。天ぷらが たくさん、帆立の酢の物、サツマイモの煮物(これがでかい)、味噌汁(具にでかいジャ ガイモ)とあって、ご飯は残さず食ったのだが、どうしてもおかずが少し残ってしまった。 でも入院生活の中で今日が一番たくさん食ったと思う。

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1月31日(月)  フッといった感じで目が覚めた。時計を見ると6時半。ちょうどいい時間に起きたなと いうところか。汗も全くかいていない。湿っていたパジャマの襟も体温で乾いてしまった ようだ。身体が何となく熱っぽく感じたけれど測ってみると、36.8℃。まあほぼ良好とい った体調か。  今日から朝はパン食にしてもらった。今朝の献立、バターロール、野菜炒め、バナナ、 牛乳、ジャム。和食との違いはバターロールがお粥に、ジャムがふりかけに替わるだけの ような気がする。とにかく、あのどんぶりのお粥がパンに替わったおかげで、これまで必 ず残していた朝飯も全部食うことができた。しかもまだ少し食えそうだったので冷蔵庫に 入れてあったクロワッサンまで食ってしまった。この食欲を考えれば今日の体調はやはり いいのだろう。  お昼前に血中酸素濃度の測定をした。酸素チューブをつけたまま測ったら「97」、で はチューブを外したらいくらになるかなと外してみたが、なかなか変化しない。このまま 待っててもらうのも看護師さんに悪いと思って途中で止めにした。ちなみに健康な人はど のくらいかなと看護師さんに自分のを測ってもらったら「97」。なんや、そんな数値じ ゃあかんのやないの、と言ったら、90台の後半だったらいいとかつぶやいていた。さて 私の方もチューブを外してしばらく経ったので測ってみると、同じく「97」。ふ〜ん、 こんなもんか。。。  15時過ぎから約1時間、「呼吸リハビリ」というのをやってもらう。まず悪い肺の側 を上にして寝転んだところを指先で肋骨を掴みながら揉んでくれる。肋骨と肋骨の間にあ る筋を柔らかくするためという。薬を吸入しながら、吸い込んだ後の吐くときに肋骨の上 の方から下に向けて絞るように揉む。肺に溜まった痰を出やすくするのだという。肋骨を 掴むというか撫でるようにするので、こそばいけれどマッサージみたいでなかなか気持ち がいい。吸入しながらでなかったら寝てしまうかもしれない。  一人でやる体操の指導もしてもらう。棒(今日はなかったから代わりにタオル)を両手 に持って、上に上げて吸って下に下げるときに吐く、横に振ったときに吸って前に戻した ときに吐く、という2つの動作。手を上に上げると胸が大きく開きやすいとのこと。この 一人体操を毎日やりなさいということで、今日はおしまい。明日も3時からの予定。  夕飯の後、点滴するまで時間もあるので、昼間教えてもらった呼吸体操をやってみた。 タオルを両手に握って、ゆっくり上げて深く吸い、ゆっくり下げて吐くを繰り返していた ら、だんだんしんどくなってきて、おまけに咳までえらく出てきて、やり始めて5分も経 たないうちにできなくなってしまった。呼吸の仕方が悪いのだろうか、明日またリハビリ 先生に聞いてみよう。そうそうこのリハビリ先生、えらく面白い人で一言しゃべるだけで 楽しくなってくる。患者をリラックスさせようとしてくれているのか、それとも地なのか、 多分後者なのだろう。いづれにしても楽しい人は大歓迎である。入院患者にとっては周り の人たちの笑顔というのが、やはり一番大切なんだと思う。今接してくれている看護師さ んたち、男も女もみんないい顔してやっている。肉体労働でもあるし変則勤務でもあるし、 当然しんどいだろうけれど、それは表に出してはいけないのだろう。どんな仕事もしんど いけれど病院業務っていうのはやっぱりきつそうだねえ。

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2月01日(火)  6時起床。昨夜11時頃に始まった胸の痛みは変わらず続いている。胸の真ん中が痛く て、起き上がったり、胸を反らせたり、咳をしたりすると痛みがひどくなる。みぞおち周 辺の痛みで、筋を違えたような痛みというか、筋肉痛というか、とにかく筋肉系の痛みの ような気がする。ただ今日のY先生は休暇のはずだから回診もないだろうし、さて誰に聞 けばいいのだろうか。それに息を吸うと痛いのだから、今日はリハビリもできないだろう な。リハビリの先生は面白い人なんで私としても楽しみにしているのだが。  少々身体がだるくて熱っぽい感じがして体温を測ると36.6℃。起きたてでこのくらいの 体温だったら多少だるく感じるのも当然なのだろう。夜中の汗は全然かいていない。そろ そろ熱もおさまったと考えていいのだろうか。それに夜中に目が覚めたのも一度くらいで、 眠っているスパンも長くなってきた。熱さえ出なければ普段の生活リズムに乗ることがで きるということなのだろう。  朝飯の後、コーヒーを飲んでいたら一瞬コーヒーが胸のあたりに詰まった。これまでビ ールを飲んでいるとき、たまに詰まって、一瞬息ができなくなって「ウッウー」とかがみ 込むことがあったが、それと同じような状況である。もしかして今の胸の痛みは食道系統 なのかもしれない。(と勝手にいろいろ想像していてもしょうがないなあ)  てなこと考えていたら、「おはようございます」と声がして休暇のはずのY先生が入っ てきた。  「あれ、今日は休みやないんですか」  「はい、休みです」  「あかんやないですか、休みのときはちゃんと休まんと」  「そうですね、ありがとうございます」 という会話はしたけれど胸の痛みのことを話すと、咳をしすぎての筋肉痛か、胃酸が出す ぎて食道のあたりで炎症を起こしているのかもしれないとのこと。一応、胃酸を止める薬 を出しておきますと言って帰っていった。(ふむ、私の想像もそれなりに当たっているみ たいだな)  入院の日から使っていた点滴針(ルートという)がついに駄目になる。最初はいつもの ように点滴し始めたが、まもなく滅茶苦茶痛くなってきて、さすがにたまりかねてSOS。 新しい針で新しい血管に入れてもらうと何の抵抗もなくスムーズに入っていく。昨日の夜 もかなり痛いのを我慢してやっていたことを思うと、もっと早くさしかえてもらえばよか ったなあと後悔。これからはあまり我慢せずに早め早めに言うようにしよう。だがこの新 しく入れた場所があまり良くなかったらしく、夜の点滴のときにえらく苦労することにな る。でもこれをやってくれた看護師の女の子も、どの場所にするかというのを一生懸命考 えてやってくれたんで、やはり私が点滴針の入っているあたりを、昼間にちょっとぶつけ たことが災いしているような気がする。  昼飯を食っているとき、「仕事で近くまで来たんで」と近江紫陽会(20人くらいが集 まってやっている勉強会)のSさんが見舞いに来てくれた。まさかこんな時間に見舞い客 が来るとは思いもしなかったので本当にびっくり。でも見舞い客というのは大概いきなり なもので、アポをとるなんてこと普通はありえないのだから、突然来るというのも当然な んだ、としばらくたってから思い付いた。  地元Y中学の入学説明会が2時からあるというので奥さんが午前中にやってきた。説明 会には、長男も連れて行くとのことだが、さて説明会ってどんなことを説明してくれるの だろうか。まあ明日教えてくれるだろう。ところで長男は受験した中学に受かっても絶対 地元のY中に行くと言っているらしいが、なんでだろうね。何かそれなりに奴のこだわり があるんだろうが、そのうち折りをみて聞いてみよう。  昨夜、「自閉症の我が子へU」というドキュメンタリ番組をTVで見た。取りたてて説 明するつもりはないが、この番組の中で心に残る言葉があったので書き留めておく。子ど もを連れて出かけるときの言葉である。 「症状が落ち着いてから出ようというのは、泳げるようになってから水に入るのと同じ」  これとは別に一つ思い出した言葉がある。三男が生まれてダウン症だと話したときの、 自閉症児をもつ友人の言葉。 「こう言っちゃ悪いけど自閉よりマシよ!」  そうだよなあ、とその時も実感したし、今もまた実感した。  夜中の3時頃、小便に行く。咳がひどい。例の胸の痛みはほぼなくなった。(筋肉痛説 が当たっているのか、胃酸説が当たっているのか) ナースステーションでは男女4人が だべっている。今夜が暇なのか、ちょうど手のあく時間帯なのか、結構大きな声でしゃべ っている。笑い声がよく聞こえる。元気があっていいことだ。

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2月02日(水)  今朝も6時起床。昨夜寝たのが11時だから却々いい生活リズムだ。TVのニュースで 今日は大雪と言うので窓から覗いてみたが外は真っ暗。そりゃまだ6時だからなあ。  7時頃、血液検査のための採血をする。看護師はTさん、ほとんど痛さを感じなかった。 上手な人なんだねえ。検査結果は多分午後に判るのだろう。どのくらいの数値が出てくれ るだろうか。そこそこの値が出てくれないと、外出もできないし困るんだよねえ。と言っ てても仕方がないか。  9時過ぎ、Y先生の回診。肺の音がだいぶきれいになってきたと言う。昨日の今日でそ んなに変わるもんなのかねえ。まあでもきれいになってきているというのは嬉しい。この 間から聞こうと思っていた「お風呂は入れますか」っていうのを聞いてみる。「熱も下が っているしいいでしょう」ということで今日から風呂にも入れることになった。ただその 後看護師からはシャワーと言われ、なんだお湯につかれないのか、とちょっとがっかり。  今日は付属中学合格発表の日。長男の結果はどうだろうか。折角の試験なので受かるに こしたことはないだろう。発表は3時からだが雪はまだボンボコ降っているのだろうか。 道路が雪だらけだと母親も学校まで見に行けないし、さて困ったことになる。まあ天候次 第だな。  1時頃、レントゲンを脇に抱えてY先生が入ってきた。「残念なお知らせがあります」 だと。いきなりそういう言い方をしないで欲しいねえ。一体何事が起きているのかとびっ くりしてしまう。  それで残念なお知らせとは何かというと、気胸ができているという。気胸というのは胸 膜の間に空気が溜まり肺が萎んでいる状態をいうらしい。それでどうするかというと、ま ずその空気の溜まっているところに針を刺して、そこから吸引してやって内部を陰圧にし て肺を徐々に膨らませるという処置をとるという。それでも肺が膨らんでこなければ今度 は外科的手術をしないとだめで、それには転院しないといけないと言う。そんな遠くまで 行きたくはないし、もちろん手術なんてやりたくはない。そもそもこれまで手術なんてし たこともないのに。  2時頃、針刺しスタート。大袈裟ではあるが、この病室がいっとき手術室になったよう だ。手術道具を入れた大きなワゴンを運び込んできたが、使う器具は全て真っさらだ。消 毒済みで購入してあるのだろう。普段は飯を食うベッドの上のテーブル上にも消毒済みの クロスを広げる。その上にバットを置いては鋏とか注射器とかを入れている。医者はもち ろん手術用手袋をはめている。  刺す位置は肩甲骨のちょっと下あたり。まずチクチクと麻酔から始めるがこれが結構痛 い。針を刺し始める。どんな針か見ていないので判らないが、そこから吸引するんで多分 点滴針に近い針なのだろう。ぎゅうぎゅうという感じで刺し始める。刺すというか身体の 中に入れていくというか、とにかく、ぎゅうぎゅうというふうに感じる。麻酔をしている から痛くはないのだが、精神的なものか冷や汗が出てくる。 「こういうことされるのに弱いんで冷や汗出てきたわ」って言っても、看護婦は笑ってい るだけであんまり信じてくれてない様子だ。普段から冗談っぽい会話ばかりしていたツケ がここに回ってきたか。本当にもう少し長くかかるとやばかったかもしれない。失神して いたかもしれん。まあそこまでいかずに処置は一旦終了。  レントゲンで針の位置を確認すると、「ちょっと下の方にいってしまったがとりあえず OK」と言う。あとはこの針にチューブをつけて吸引器をつけて弱く引っ張って(-10mHg) 処置完了。あ〜、とっても精神的に疲れてしまった。  刺された右胸が痛いながらも晩飯は食える。しかし胸の中に針を刺してチューブ付けて 引かれていると考えるだけで気持ちが沈んでくる。点滴も針を刺してチューブにつながれ ているというのは同じなのだが、気分的にどうにも違う。そもそも肺が萎んでしまってい るというのがショックである。それに病室でこんな処置をするとは思わなかった。手術手 袋はめて、手術道具並べて、ほんまに手術もどきやからなあ。この内科処置でだめなら外 科処置(手術)って言ってたがそれはしたくない。でも今の炎症起こしている肺が、針突 っ込んで陰圧に引いているだけで膨れてくるものなのだろうか。身体っていうのは不思議 なもんだとつくづく思う。  身体中がチューブだらけである。右胸、左腕、鼻と3本もチューブにつながっている。 三男が入院していたときよりすごいような気がする。とにかくこういう経験はもうしたく はない。点滴しようが鼻から酸素を入れようがそんなには気にならないが、胸に針を突き 刺したというのがどうにも気分を落ち込ませている。レントゲンやCTで小さくなってし まった肺を見せられたのがショックなようだ。最初の日、レントゲンで全体が白くなった 肺を見ても「あ〜すごい炎症おこしてるんだなあ」と思う程度だったのだが、形が萎んで しまったのを見るのはやはりすごいインパクトであるようだ。  夜中に目覚めたとき看護師のOkさんに「痛いんだけどどうしようねえ」と相談したら、 当然のように「鎮痛剤飲んでおいた方がいいんじゃないですか」と言われた。ここは素直 に従って、数日振りにロキソプロフェンを飲むことにする。これで多分明日は少し楽にな っているだろう。それに一晩寝たら精神的にも少しは回復もしているだろう。そうなるこ とを期待して。。。

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2月03日(木)  6時過ぎに携帯メールの振動音で目が覚める。目覚しで起こされたというのは久しぶり である。結構しっかり眠れたということなんだろう。針を刺された胸の方はまだちょっと 痛いけれどマシにはなっている。やはり夜中に飲んだ鎮痛剤が効いているのだ。Okさん の勧めに従っておいて良かった。前にも「病気のときに我慢してもしょうがないですよ」 とY先生も言ってからねえ、これからも我慢はしないようにしていこう。  10時半頃、いつもの点滴開始。今日は私のお気に入りの看護婦さん。でも名札がない ので名前が判らない。点滴つけてもらいながら「吸引器がついちゃたんで新聞買いに行け ないのが辛いなあ」としゃべっていたら、「下に行ったついでに買ってきてあげますよ」 と言ってくれる。嬉しいものである。昨日から落ち込んでいたけれど、今は少し元気が出 てきた。やはり何事も精神的なものである。  昨夜といい入院の最初の夜といい、一番しんどい夜の看護師がOkさんで、笑顔は少な いけれどしっかりしていて(多少どっしりもしているが)頼りになる。こちらは肉体的に も精神的にもしんどいときなので、ついつい頼ってしまう。でも昨夜はよく眠ってしまっ たので、残念ながらあまり頼れなかった。  コーヒー、紅茶を飲むために小さな水筒にお湯を入れている。今のようにチューブがつ いてないで動き回れていたときは、自分で汲めに行けるからこのくらいの大きさで良かっ たのだが、今の状態ではちょっと小さい。なにしろマグカップ2杯分しか入らない。看護 婦さんに何度も汲んできてもらうのも悪いのだが今はしょうがないか。とにかく早くチュ ーブが外れるように身体を良くするしかない。  今朝撮ったレントゲンの結果、少しばかり(肋骨1本分くらい)膨らんできており、こ れからの回復がスムーズに進めば手術はせずにすみそうとのこと。今日のところは一安心。 ただ医者は楽観的なことは言ってはくれない。言ってはいけないと教育されているんだろ う。まずはまた明日の結果を期待しよう。  そういえば明日は長男の中学入試抽選会。だが抽選会に行くのに長男はあまり気乗りが しないようである。夕方、「何とか言ってやって」と母親が連れてきた。前もってそこそ こ言われていたからか、あるいはここに来たら何を言われるかを予測していたからか、明 日抽選に行けよ、と言ってもとくに反発はしなかた。彼の性格として自分からは「行く」 とは言いにくいので親父から勧めて欲しかったところもあるかもしれない。  抽選に当たったときにどうするかについて、「親父としてはやはりそこに行った方がい いと思うで!」と話したときも、とくに反発はしなかった。でも「力試し、運試しって言 ってたよねえ」と言い返してはいたけれど。  まあ明日の運試しの結果を見ないことには何とも先には進まんのだから、とにかく明日 待ちである。男が23人中9人、女が17人中7人。確率4割ねえ。外れる方が多いやな いの。何でこういう入試の仕方をするんやろうか。  身体がチューブに繋がれていると不便でいけない。「トイレ行くときにはチューブを外 してもいいですよ」なんて言ってくれるが、1時間毎くらいに看護師を呼んで外してもら って、また戻ってきてから排気量調整してもらってという面倒ななことを頼むのは、やは り少々気が引ける。格好は良くないけれど、尿瓶にしている方がまだ気が楽でいい。  入院して11日が経った。ベッドからあまり動けはしないが、だいぶ入院生活にも慣れ てきた。慣れないうちに退院できるのが本当はいいのだが、そこそこ長くなってきている ことだし、折角の入院生活をしっかりと経験しておこうと思い始めている。これからの人 生でも、そうそう入院もないだろうから。(というかあったら嫌だねえ)

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2月04日(金)  6時、看護婦のKさんが見回りに来て目覚める。酸素飽和度を測る。酸素チューブを付 けて寝たままで「98」。こういう安静状態ならば99か100くらい出てもよさそうな のだが、やっぱりなかなか回復はしていないということか。起きたついでに身体を拭いて 着替えをすます。熱いタオルで拭くのは気持ちいいのだが、やはりそろそろ風呂に入りた い。それもシャワーではなくて、ゆっくりとお湯につかりたいと思うのだが、さていつ頃 実現するだろうか。どうせ入院中はよくてシャワーなのだろうし。  9時頃、早々とレントゲン。身体がチューブに繋がれているので、移動型のレントゲン 装置を部屋に運び込んで撮影する。ちょうどY先生も回診に来たのだが重なってしまった。 「また後で来ます」と言って帰っていったが、その後いつまで待ってもやって来ない。こ ちらも少々うんこの我慢ができなくなってきたため、回診待ちは止めてうんこに行く。固 い。昨日してないせいかしっかり固い。思いっきり、りきんでやったんで、そのせいでま た肺が萎んでしまうんじゃないかという気もするくらいだ。  部屋に戻って吸引器の調整をし直してもらう。してくれる看護婦はKoさん。美人で落 ち着いたベテランの女性である。めったに部屋には来ないのだけれど、今はたまたまみん な出払っていたのだろう。  今朝、点滴をセットしてくれたのはKaさん。血圧を測ってもらっているとき、手の甲 に「ポット」と書かれているのが目にとまった。昔も今もちょっとメモするという動作は 変らないもんだなあとつくづく思う。下に行くついでがあれば新聞買ってきてくれますか、 と聞くと快く引き受けてくれる。ありがたいことである。  点滴の途中交換はSさん、終了の処置はKtさん。いろんな人が次から次へと来てやっ てくれる。呼ばれたときに空いている人が対処しないとならないのだろうが、いろんな人 がいろんな患者の相手をしていると、ミスが起こりやすくなるだろうなと思ってしまう。 たまに指差呼称もどきをしている人もいるけれども、患者を安心させるためにも指差呼称 などはしっかり導入したほうがいいような思いがする。  少々腹が痛んできた。もしかして下痢気味かと思いつつトイレに行ってみたが出ない。 数日前から洋式トイレにウォシュレットが付いて、便座の位置がちょっと高くなっている。 それも踏ん張りにくい一つの原因かもしれない。部屋に戻ってから吸引器の調整をしてく れたのは、お気に入りの看護婦さん。  2時半頃、Y先生がやって来る。今朝のレントゲン結果では昨日よりも少しだけ膨らん でいるとのこと。明日、呼吸器専門の先生が来るので診察してもらって、これまでの結果 を見せて、手術した方がいいか、このまま進めていったらいいかを相談して決めたいと言 う。確かに専門家の意見を聞くのが正しい道なのだろう。ただ患者に向かっての伝え方が 悪いためか、こちらにとってすごく頼りない医者に思えてしまう。  もう少し患者に説明する技術を身に付けないといけない。簡単なことである。自分の使 う単語を患者が知っているかどうかを把握すればいい。単語を知っている場合は、それを 使って会話するほうが理解しやすいし、知らない場合は他の単語に言い換えるか、あるい はその単語を理解させてから話しを進めればいい。話し上手話し下手というのではない。  話している相手がスムーズに理解しているのか、それともギクシャクしながらでも理解 しようと苦しんでいるのか、すでに諦めているのか、それらを感じて話しを進めていけば いいのである。会社でも同じ。同じ単語を使って言い回しを変えて説明しようとする人が いるけれども、理解されていない単語を使う限りはどう言い回しを変えても同じである。  6時頃、長男が到着。こっちはちょうど晩飯の時間。「ちょっと悪いけど、とうちゃん 晩飯食うで!」しかしまあえらく遅く来たもんだ。(今日は入試抽選会の日) 「で、どうだった?」 「二人とも通ったよ!」 (近所の子と一緒に受験したのだ) なかなか運が強いというところか。強運コンビと長男は言っている。何人か棄権者がいて、 男が18人中9人、女が15人中7人。(5割の確率やね) 二人とも自分でクジを引いたという。そりゃそうだ。自分の人生には自分で関わっていか なければいけない。自分でクジを引いた子どもは男が10人、女が3人。今時は女の子の 方が何でも自分でやるのかと思っていたのだが、そうでもないのだな。私も固定観念に捉 われているということか。  「入試受かってやっぱり良かったよ」とぼそっと言っていたが、どういう気持ちで言っ たのだろうか。行こうという気持ちがあるからか、落ちるのはプライドが許さないからか、 それとも落ちるよりは受かるほうがいいや程度の気持ちなのか。親父といってもやはり本 人じゃないから深い気持ちは解らない。

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2月05日(土)  6時起床。隣の部屋からドタバタという物音と何人かの声が聞こえてくる。5時頃かな、 「おうちの人を呼んだ方がいいですよ」という看護婦の声も聞こえた。別に差し迫ったよ うな会話じゃなかったから、なんだろう、ただの引越しかもしれない。  朝飯食って8時半頃にうんこ。できれば回診も終わって看護師の人数も増える9時以降 にしたかったのだが、ちょっと我慢ができなくなってしまった。身動きとれないというの はやはり世話をかけてしまう。吸引器をいじってくれたのはKtさん。彼女は夜も結構早 めからいたが、何時から何時までの勤務なのだろうか。  点滴のセットに来てくれたのはOoさん、男の看護師である。おっさん患者としては、 そりゃあ女の子の方がいいがそんなことは言えないし、それにしっかりとやってくれるの で、ありがたく世話してもらう。入院してみて判るが、昔は女の看護婦さんだけだったの が今は男も女もいるし、やることも同じ。でも同じことだけやっててはだめだろうな。や はり男の特徴、女の特徴を出しつつ同じ業務をやれば相乗効果が得られるものだが、この 病院はそんなふうになっているだろうか。多分なっているのだろうな、接する相手が人間 であれば自然にそういう対応をとってしまうように思えるから。  9時頃回診。午前中に呼吸専門医に来てもらうとのこと。午前中は外来の診察じゃない んですか、と聞くと、外来の一環として来てもらいますと答える。ほお、そういうもんな んだ。そうすると何時頃になるのだろうか。朝撮ったレントゲンの現像が終わり、外来が 一息ついてと考えると、11時頃だろうか。それで呼吸専門医はどういう判断をするのだ ろう。またY先生との信頼関係はどの程度のものだろうか。まあ何にしても来てからだな。  お昼前から1時まで家族3人が来る。(長男はサッカーの試合)ここに来たのがちょう ど昼飯の時間で、病室で全員が食べるわけにもいかず、3人は買ってきたカップ焼きそば を持って食堂へ行く。戻って来たらもうまもなく帰る時間。次男の練習が1時半からある ので、ここを1時に出ないと間に合わない。結局家族の中でそこそこ話のできたのは次男 だけだった。  ところで1時をまわっても一向に診察に現れる気配がない。いくら入院患者相手でも、 午前中と言ってたのが昼を回っても来られないのだったら、一応連絡を入れるべきだと思 うのだが。失礼なことである。  2時半頃になってようやく現れる。呼吸専門医はNという。何をするのかと思うと吸引 器(吸引器というのかどうか判らないが、吸引圧力を一定に保つための器具)の確認。  「深呼吸してみて。今度は咳をしてみて」 それで吸引器の状態がどう変わるのか見ているのだろう。  「リークもみられないし多分穴は塞がっているように思いますよ。それでも肺が膨らん   でこないのは、炎症がひどかったから気管支の先に痰とかがたまっていて、それで肺   に空気が入っていきにくいためでしょう。吸入の薬を気管支を広げるタイプから痰を   溶かして出すタイプに変えてみた方がいいでしょう」 というような見解を話している。Y先生もそばで肯いている。多分自分の考えと同じよう な見解を出してくれたので安心しているのだろう。このN先生、病室に来て実際に見たの は吸引器だけ。その前にこれまでの診察結果やデータを確認しているのだろうが、胸の音 さえ聞こうとしないのは何故なんだろうか。医者の仕事も現地現物だと思うのだが、デー タだけ見る医者が増えているのかもしれない。  ところでこの診察時に「ちょっと咳をしてみて」と言われて嘘咳をして以来、咳が止ま らなくなってしまった。二人の医者の目の前で急にゲホゲホと苦しそうに咳き込み始めた のに、この二人は全く気にした素振りも見せずに帰って行った。Nさんよ、データを見る だけでなく少しは自分で診察しろよ。それにあんたのせいで、こっちはこんなに苦しむ羽 目になったんだぞ。  咳き込み過ぎるせいだろう、夕方にかけてどんどん体調が悪くなる。座って前かがみに なっていないと、咳と息苦しいのと胸が痛いのとの三重苦である。ちょっとでも横になろ うとすると息が止まりそうになる。  看護師のMさん(男)がすごく心配してくれ、いろいろと考えてくれる。胸と背中の痛 みは咳のし過ぎによる筋肉痛っぽいといいうことで湿布を貼ってもらう。痛み止めも飲ん でおいたほうがいいでしょうというので、夕飯後に鎮痛剤(ロキソプロフェン)と咳止め (りん酸コデイン)を飲む。Mさんは夜になっても何度も来てくれる。ありがたいことだ。  夜も11時をまわる。そろそろどうしたら寝られるものか考えないといけない。試しに 左側を下にして寝てみたら何とかいけそうだ。ずっと横向けで寝るのもしんどいと思い仰 向けになろうとした途端、息が詰まりそうになってあわててやめる。2時頃になってよう やく仰向けになっても我慢できるようになる。とにかく何とか眠れそうで一安心だ。しか しこの苦しみの全てはあの嘘咳から始まったのである。

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2月06日(日)  5時50分起床。小便しているところに看護婦さんが入ってきた。  「あさださん」  「おしっこ中です」(小用は部屋の中で尿瓶にしているのである)  「ごめん、吸入おいときますね」 ごめんと言いながらも気にせずどんどん中に入ってくる人である。  相変わらず咳が出る。咳が出れば胸も痛いし痰も出る。熱こそ出ていないが、2週間前 の状態に戻ったような気がする。あ〜くそ、すべては昨日の嘘咳のせいや!  6時40分。酸素飽和度93。酸素チューブを繋いでいながらこの数値、入院初期より も悪いんやないか。なんか最悪の状況だ。  今の胸の状態は入院以来いちばんしんどい。身体をちょっと上下に動かすと息切れがし て咳が出て胸が苦しくなる。これまでいくら熱が高くても咳が出ていてもこんな苦しさは なかったのに、一体どうしたというのだろう。今日は日曜日なんで回診もないしレントゲ ンもない。「あ〜しんど」と看護師相手ににぶつぶつ言ってるしかしょうがないか。相手 になってくれる人がいればいいのだが。  11時過ぎ。子ども3人登場。母親は少し遅れて到着。子どもたちはみな元気だが、三 男はちょっと父親のことを忘れてきたかなあ。もう2週間も離れているのだからそういう こともあるだろう。三男が生まれる前後に母親が入院した。そのとき次男がちょうど2歳。 母親がしばらくいない間に次男はすっかりとうちゃんっ子になってしまった。そのことを 思い出すと、三男が私のことを忘れ始めるのも無理はないかなあという気がする。  昼飯の後のんびりしていたら、看護婦が入ってきて、「緊急で小児科の入院があるので 今から部屋を代わってもらえませんか」と言う。別段どこの部屋でもこちらは構わないの で、「いいですよ」と答える。今までいた部屋は病状が重くて看護の手のかかる患者を入 れる部屋らしい。どうりでナースステーションの目の前にあったはずである。じゃあやは り私は重病だったんだと今更ながらに思い至る。  新しく与えられた部屋は病棟の奥の方にある個室で、これまでの部屋と広さと設備は変 わらないが、用力類と洗面の付いている壁がこれまでの部屋と180度逆になっている。 荷物など一通り運び込んでもらったが、さてベッドや棚をどうレイアウトすれば快適に住 めるだろうか。何せ身体にはチューブが繋がっているので行動範囲が半径2メートル程度 に限られている。とりあえず仮置きしたベッドに座ってコーヒー入れてのんびり考えてい たら1時間ほども経ってしまった。一応レイアウトも固まったので看護婦2人に来てもら って配置してもらう。ちょっと計算違いもあったけれど、それなりに快適な空間ができあ がった。  3時頃、引越しの最中にY先生がやって来る。  「咳が出るって聞いてますが、どうですか」  「昨日のお昼の嘘咳以来ずっと咳が出て、息苦しいのと筋肉痛とでひどいもんです」  「咳でまた穴があいたということもあるかもしれませんね。気胸の治療はとにかく安静   にしていることです。絶対に動き回らないようにしてください」  「はいはい、わかりました」 あんたらのせいでひどくなったんだぞ。もう少し何か言いようもあるだろうに。  朝、看護婦のKさんに吸引器の目盛の見方について質問したら、私の説明だけでは解り にくいと思うので、と言ってわざわざ本を貸してくれた。『写真でわかる臨床看護技術』 という本である。おかげで大体の仕組みを理解することができた。泡の出る具合など、そ んなに神経質に見てなくても大丈夫ということも理解できて気が楽になる。本を貸してく れるなんて、なかなか嬉しい対応だった。

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2月07日(月)  6時起床。確か朝6時が1度目の吸入時間だったと思ったのだがまだ持って来ない。お かしいなあ。昨日は6時頃来たのだが、あれはただ持って来ていただけだったのだろうか。 看護師が来たら吸入が何時の指定になっているのか聞いてみよう。どうせ間もなく来るだ ろうから、とりあえず吸入器をテーブルの上において置こうと思ったのだが見当たらない。 おそらく夜中に持って行ったのだろう。たいがい人が入ってきたら、その気配で目覚める のだが、よほどしっかり眠っていたときに来たのだろう、全然気付かなかった。  一晩小便の処理を頼まなかったので、尿瓶の中に6割ほど溜まっている。おかげで朝の 小便をしきれなかった。尿瓶があふれそうになって途中で小便を止めたので我が膀胱はス ッキリしてくれない。いやはや夜中に捨ててもらわなかったのは大失敗である。  夜中といえば、3時半頃に小便がしたくなって目が覚めた。相変わらず咳が出て胸が苦 しい。ベッドで起き上あがると息切れがする。尿瓶を取ろうと身をかがめると全力疾走の 後のように息切れがする。小便しながらこんなことを考えた。入院していても起き上がれ なくなったら、いったい小便はどうやってするのだろう。おそらく惨めなことになるのだ ろうな。息切れしているとしゃべるのがしんどくなる。いくら入院しているからといって しゃべれなくなったら、、、、、ちょっと想像するのは嫌だねえ。  7時、看護婦のKaさんが採血と同時に吸入器を持ってきた。早速、吸入の指定時間を 聞いてみる。  「吸入って何時でしたっけ」  「6時なんです。ごめんなさいね」 今朝は立て込んでいたのかな。  9時回診。肺の上の方の音は聞こえてきたが、下の方の音があまりよくない。もしかし たら下の方に針を刺し替えないといけないかもしれないと言う。まあそのときはそのとき だ。9時半レントゲン。引っ越してからベッドの配置が悪いためだろう、レントゲン装置 がうまく入らない。パイプ椅子に座って撮影する。(これは便利でいい)  新しく移った部屋はメイン通りに面しているだけあって、さすがに車の音がうるさい。 だが病院内の物音だけでなく外の生活の音が聞こえるのが嬉しい。朝まだ真っ暗なうちの 新聞配達らしき音、始発のバスのでかい音。向いのマンションで布団を叩く音。そんな生 活の音が聞こえてくる。  午後、Y先生がレントゲンを抱えてやって来る。「やっぱり穴が開いたみたいで肺が小 さくなってます」と言う。予想通りである。そりゃあこれだけしんどくて息苦しいのだし、 炎症の方は快方に向かっているのだから、そうとしか考えられない。そんなことは遅くて も昨日時点で推測できているはずである。胸膜にまた穴が開いたのは、おそらく土曜日の 嘘咳直後に咳が止まらなくなったときだろう。その頃から息苦しくなって酸素飽和度も下 がったのだから。  完璧で信頼できるデータがあれば、誰でも経営者になれる。しかしそんなデータはあり えないのだから経営者になるためには、それなりの資質がいるし自らスキルアップを図ら ないといけない。一番重要なのは「直感」だと思う。アシモフによると直感というのは、 「知識と経験に裏付けされた推測である」と定義される。そのとおりだろう。熟練者の直 感がよく当たるのはこういうことのためである。直感を磨くためにも普段から論理思考の 訓練と個別のスキルアップ努力が大切である。  話が逸れたような気もするが、医者にはこの「直感」なるものが必要だと言いたいのだ。 知識があって、そこに完璧なデータがあれば誰でも正しい治療行為はできるだろう。でも それなら医療コンピュータでいい。医者たるものはアシモフ定義による「直感」を身に付 け、さらに磨き上げていってほしいと思う。  胸の状況を調べてみると、刺してあった針に痰が詰まって肺の中の空気をを引けなくな っていることが判った。多分胸膜に穴が開いたとき、肺の中から出た痰がその穴から飛び 出して針の先に飛び込んだのだろうと言う。ということは土曜日からこの針は何の役にも 立っていなくて、肺を萎むにまかせていたということになる。  そんなこんなで新しい針を刺し直すことになった。アシスタントは今回もOさんである。  「なんでいつもOさんがついてくれるんですか。ベテランやからですか」と聞くと、  「たまたまこの時間帯に私がいることが多いからかなあ」と言う。 でもOさんは安心感を与えてくれるので私にとってはとてもありがたい人である。針を刺 すことについては、2回目で慣れがあったおかげか比較的楽に終わった。刺す時間自体も 短かったように思う。  この刺し直しでも肺が膨らんでこなければ手術にすると言う。前もってS病院の医師と 相談して決めたらしい。(手術の場合は呼吸器外科のあるS病院でやることになる) 手 術での治療の方が治るのも早いし、手術自体は1日くらいの入院で済む簡単なものだとい う。そこで質問してみた。  「簡単な手術でしかも早く治るというのだったら、とりあえず今はこのままにしておい   て、準備ができ次第手術するとした方がいいんじゃないですか? 針を刺し直して、   明日その結果を再確認するよりも、その方が手っ取り早いんじゃないんですか?」  「S病院の方が再確認したいと言われたのです」 なんだ自分の意志じゃないのか。たとえ自分の意見でなくても患者に対しては自分がそう いう方針でやりたいからだと言った方がいいと思うのだがねえ。  さて新しい針に刺し代わると胸がすごく楽になった。それまでは身をかがめるだけで息 苦しくなって咳込んでいたのが、今はそういう息苦しさがなくなり咳も減った。刺し直し たことで急に肺が膨らんで空気がたくさん入ってくるようになったのだろうか。それとも あの詰まった針を抜いたことで良くなったのだろうか。詰まって役に立たなくなった針が 入っていることで息苦しくさせる何かがあるのだろうか。当然私には判らないので、明日 医者に聞いてみるかな。ただ明日のレントゲン結果が良くなってなかったら、そんなこと を聞く意欲もなくなりそうだが。  7時頃、義弟が見舞いに来た。会社帰りということで身一つでやってきた。昨日じゃな くて良かった。昨日だったらしょっちゅう咳はするし話すのもしんどかったから、おそら くかなり心配をかけたのではなかろうか。高熱を発してから入院に至るまでの過程や気胸 の説明、胸にチューブをつなげて何をしているのかと、一通り話して約1時間後の8時頃 に帰って行った。  義弟が来たときに、「こんなのが肺につながってるんや」と説明しようとしてチューブ を見たとき、何やら茶色い液体が溜まっているのにビックリした。でもビックリしている のを見せると心配かけるのでそうもいかず、胸膜の間にこういう水が溜るんでそれを抜く んだと、さらっと説明する。最初の針で引いていたときには、こういう体液は出てこなか ったのだが、癒着していた所が剥がれたおかげで、下の方に溜まっていた体液が引かれて きたのだろう。  この気胸がなかったら、肺炎の方はだいぶ数値も良くなってきているようだから、もし かしたら今週一杯で退院できたかもしれない。でも今はこの気胸が治らんことにはどうし ようもない。いつまでの入院になるのだろう。あ〜こんなに長くなるとは思わなんだ。  そうこうしているうちにチューブの中の茶色い液体がなくなってきた。肺にあったのを 全部引いたのか、それともまた針が詰まったのか。咽喉の奥の方がムズムズする。咳がし たくなる。思い切り咳をすればいいのかもしれないが、ちょっと怖くてできない。少々眠 くなってきた。今夜はオシッコの始末を忘れずに頼んでおかなくては。

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2月08日(火)  6時20分起床。小便する。夜中に捨ててもらってあるので、尿瓶の中は空っぽ。安心 して放尿する。(昨日はあふれそうになって途中で小便止めたからなあ) 夜中の何時こ ろだったか、部屋に入ってきて捨ててきてくれたのは、あれはKさんだったろうか。  咳はほとんど出ない。外は雨らしい。車の音で道路が濡れていることが判る。吸引器で 引かれていた体液は一晩たっても増えていない。もう出ないのか、それとも詰まっている のか。昨夜寝る前に考えていたのと同じだ。我ながら進歩がない。深く息を吸うと気管支 の付け根あたりで息が止まりそうになる、というか入ってくる空気を押し返そうとするよ うな感覚がする。体調としては昨夜と変わらない。  6時予定の吸入は7時近くなって開始。なかなか6時というのは難しいのだろうか。酸 素飽和度は97。酸素チューブをつけずにこの値は初めてか。朝飯の準備中、私のしゃべ り方が循環器系のMaという医師に似ているわ、といつも食事などの世話をしてくれるM さんに言われた。でもこっちはそんな医師は知らないしなあ。  今日は9時過ぎから点滴開始(めずらしく早い)。やってくれたのはKtさん。酸素飽 和度も測る。酸素チューブなしで91〜94。良くない値だ。直前にレントゲン撮影のた めに少し動いていたためだろうか。そうだとするとあまりにも肺の力がなさ過ぎる。ある いは肺がまた萎んできたか。点滴完了後、処置のついでにオキシメータを持って来てもら って酸素飽和度を測る。酸素チューブを付けて98、外して96。やはり安静にしている と飽和度も高くなる。相手をしてくれたのはOkさん。このところ、Okさんがよく来て くれる。  2時頃、Y先生が呼吸専門のT医師とともに入って来る。T医師の外来診察が終わった のだろう。予想していたよりは少々早い時間だった。早速T医師が話し出す。要約すると 大体以下のようだ。  今朝のレントゲンで見ると肺も結構膨らんでいるので、このままいくことにする。ただ 肺炎のおかげで胸膜にも炎症が起こっていることもあるし、弱くなっていることもある。 それに喫煙のために肺や胸膜自体が弱くなっている。こういう状況ですぐに吸引のチュー ブを抜くとまたすぐに穴があいてしまうこともある。だからチューブを入れたまま週末ま でレントゲンで様子を見ながら過ごして、週明けに炎症の程度を表すCRPが低くなって いたら、チューブはつけたままで吸引をSTOPして肺が萎まないかどうかをみる。それ でOKであればようやくチューブを抜くことにする。何も起こらずにもっとも早い場合で、 2月17日頃の退院になる。というものである。  患者としては他に提案できるわけもないから、それに従うしかないのだが、まあ無理は しないでいこうということに反対する理由はない。この間みたいに急に穴が開いて萎んで 滅茶苦茶しんどくなるのはもう懲りたから。  夕方長男が来る。今日は中学をどこにするかについて、二人で話し合うことにしていた のである。S大付属中学かY中学かの二者択一。母親によると、「おれは絶対Y中に行く」 と断言しているとのことだが、ここに来て言うには、「う〜ん、どっちとも言えないなあ」 というふうに変わる。父親に対して言うのと母親に対して言うのとがどうしても変わるよ うだ。母親に対する所謂反抗みたいなものもあるのだろう。  「中学に行って一番やりたいことは何や」  「え〜っ、やりたいことって?」  「やりたいことはやりたいことや」  「部活かな」  「何の部活?」  「そりゃあもちろんサッカー」  「Y中の方がいい理由って何かあるのか」  「知り合いが結構いることかなあ」  「他には?」  「通学かばんが指定されてないことかな」  「4年生とか5年生のときに、いじめというか村八分みたいなことされてたやろ。Y中   に行くとそういうことがまたあるかもしれんで」  「う〜ん、今はそういうこともないし、気にしてへんし」  「どっちの学校にしても嫌な理由ってあるか?」  「どっちもない。付属は時間がかかるかなあ、でもとうちゃんと一緒に行くんやったら   問題ないし」  「高校受験を考えるんやったら付属の方がええやろなあ」  「高校ってどこ行くの?」  「Z高や」  「なんでZ高なん?」  「一番勉強ができるとこやからや」  「何にしても高校受験するんやったら、Y中に行ったら3年生のときは塾に行かんとあ   かんやろうな」  「え〜っ、おれ塾は絶対いやや」  「付属は小学校から104人も上がってくる。そやから仲良しグループの中にはいって   いくみたいで、やりにくいかもしれんな」  「ふ〜ん」 というようなことを話して、  「ほんで決めるのは、おまえなんやで」  「自分の人生やから自分で決めんとな」  「明日中に決めればいいから、今日よ〜く考えてみ」  「明日の夜、とうちゃんと電話で最終的に決めよ」 と言って、そろそろ暗くなりそうになってきたので帰らせた。さて、どんな結論を出すだ ろうか。

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2月09日(水)  6時20分起床。昨夜寝たのは11時頃だったから調子良く寝られている。体調は昨日 と特に変わらない。咳が少し出る。深い息はまだできない。炎症の方よりも肺の膨らみ具 合の影響だろうか、入院前はもう少し深い息ができたように思うから。  テレビの天気予報では晴れから雨と言っている。奥さんと長男が来るときには雨になっ ているかもしれない。  Y先生の回診時、胸腔内圧力調整ユニット(ほんとの名称はなんていうのだろうか)の 見方がいまいちよく解らんのですがと聞いてみたところ、そんなことは気にしなくていい です、と言って出て行った。この先生はどうも説明というのをしたがらない。もしかした ら患者にはあまり説明しない方がいいと思っているのだろうか。  そんなのは患者次第である。何にも聞きたくない患者もいれば、詳しく聞きたい患者も いるだろうに。もしかして説明できるだけの技量を持ちあわせていないのだろうかと疑っ てしまう。多分こちらがしつこく聞けばそれなりに説明はするんだろうが、如何せん、こ の先生は説明下手だから理解するまでにお互いに疲れてしまうかもしれない。  ところで今日はレントゲンはなし。明日、血液検査とレントゲンと両方やるとのことだ。  10時頃、今日2回目の吸入と点滴を開始。世話をしてくれるのはTさん。いつも名札 をつけていないので聞いてみたところ、付け忘れているだけと言っていたが、やはり入院 患者側としては名前がすぐに判ったほうが接しやすい。できるだけきちんと付けていてほ しいものである。人数は少ないが男の看護師は見たところ全員付けている。付けていない のはどちらかというと若い女の子にいるようだ。  点滴しながら会社に電話を入れ、久しぶりに仕事の状況を確認する。指示を入れるとと もにみんなの元気な声を聞く。  3時過ぎ、母子が到着。中学をどこに行くことにするか進路決定の最終協議をする予定 である。5時間目の授業が終わったところで、母親が学校でピックアップ。そのまま病院 までやってきた。まずはお茶でも飲んで、ちょっとおやつでも食べてから進路の話題に入 ろうと思っていたのだが、長男は早く本題に入ろうよと言う。では本題に入ろうか。  「おまえの結論はどうなった?」  「え〜、結論っていっても、どっちでもいいし」  「ほんでも結論出したんやろ?」  「う〜ん、どっちかっていうと付属かなあ。高校受験のことも考えるとなあ。それに塾   に行くのも嫌やし」  別に高校受験のことだけではなくて、長男なりにまじめに考えてきたようである。塾が 嫌というのも確かに主要な理由であろう。なぜ塾が嫌なのかを聞くと、時間がなくなるか らと言う。まさかカード遊びの時間ちゃうやろなと聞くと、ちゃうちゃうパソコンやった りする時間がとれなくなるからと言う。  付属の方が教師のレベルもいいかもしれない。(こういうことを言ってはいけないかな) 実験校みたいな位置付けというからにはY中よりはいろんな経験ができるかもしれない。 BIWAKO TIME とか HUMAN TIME とかあって総合学習の時間なのだろうが、そういう授業に 関する工夫は割と積極的にやっているのではなかろうか。心配なのは内部から上がってく る子が9割近くを占めることと部活が不活性かもしれないこと。でも心配事を挙げていて もしょうがないか。  とにかく長男は自分で決めた。父と母からの意見もあったけれど自分で決めたというこ とを尊重してそして誉めてやらないといけない。3人協議が終わって帰るときには、何と なく清々しい顔つきになっていた。  晩飯を食っている最中、ふっと煙草が吸いたくなった。ちょっと体調がマシになると時 々こんな感覚が浮かんでくる。この間の土日の滅茶苦茶しんどかったときには全然そんな 気持ちは浮かんでこなかったのだが。これは退院した後が非常に心配になってきた。とこ ろで、ふっと酒を飲みたくなるような思いは今のところは襲って来ない。

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2月10日(木)  6時15分起床。まだ昨夜からの雨が残っている。7時前に採血と吸入。今日の血液検 査の値はどのくらいになるだろう。CRPが1を割るかどうか。  朝からお気に入りの看護婦が来たので気分がいい。ただこの看護婦、どうも忘れっぽい ようで「後で行きます」と言っておきながらまだやって来ない。でもまあ早朝の時間帯は 人手も少ないし忙しいのは確かだ。朝になって患者が起き出してくると、その世話だけで も仕事が一気に増えるから。日勤帯になって人員が揃うまでは我慢の時間帯ということか。  9時前に回診。胸の音を聞きながら「上の方がちょっと弱いけど、まあ炎症もあります しねえ、レントゲンの結果を見てみたいと思います。血液検査の結果がお昼頃出ますので、 またそれから来ます」とのこと。  1時半頃、Y先生来る。レントゲンの結果はとくに萎んでもいないので予定通りのスケ ジュールでいくとのことである。ところでこの先生、レントゲン写真を持ってきたけれど チラっと見せるだけで説明しようするわけでもない。一体何のために持って来てるのだろ うか。  これからいついつレントゲンを撮って、いつ採血して、そして云々といきなりしゃべり 出す。ちょっと待ってメモを取るからと一旦制して、聞き取りながらメモを取った。1週 間ほどの予定をいきなりしゃべったって覚えられるわけもないのに一体どう考えているの だろう。患者はそういう治療計画を知っていなくてもいいという思いがあるのか。それと も説明の義務があるから取りあえず話すだけは話しておこうという姿勢だろうか。なぜ簡 単な治療スケジュールのようなものを作って持ってこないのだろう。そんなに時間がかか るようにも思えないが。外来ではなくて入院患者相手なのだから、そういう計画を見せて おいて、毎日の回診のときにでもその進捗を教えてくれれば、とっても解りやすくてあり がたく思うのだが、医者というのはそういうことは考えないのだろうか。  血液検査の結果でCRPが陰性になった。多分そのためだろう、今夜の点滴で抗生剤の 投与を終わると言う。飲み薬はそのままですかと聞くと、はいそのままです。まあ咳止め と痰切りの薬だけど飲みつづけてうんこ詰まりになると嫌だねえ。しかしこの先生、さら っと話し終わったら逃げるように出て行こうとする。いつもそうなのだが何故だろう。何 か質問されるのが嫌なのだろうか。それとも私が面倒なことを聞くからなのか。  今朝の点滴を始めたときに看護婦のKaさんにまた新聞をお願いした。多分お昼前頃に は下に行くことがあると思いますと言っていたが、11時頃に持って来てくれた。何かつ いでができたのかねえ。ところで看護師というのは、男も女もみんないい人たちだ。ただ みんなちょっと子どもを相手にしているようなしゃべり方というか接し方をするので、こ ちらも何か子どもになったような感じがしてしまう。入院患者には年寄りが多いからどう してもそういう対応になってしまうからだろうか。私のような中途半端な年齢の患者はち ょっと扱いにくいかもしれないな。  そういえば医者の方が患者を子ども扱いする。何故なんだろう。若い医者からぞんざい な言葉をかけられると、「なんだこいつ」と思ってしまう。目上の人を敬えとまでは言わ ないが、目上の人に対する言葉遣いというものがあるだろうに。毎日毎日患者の相手をし ていると、接し方も話し方もぞんざいになってしまうのかもしれない。とするとこれも職 業病。それならこちらも文句を言うより同情しないといけないかな。  夜10時に最後の点滴終了。これで抗生剤も終わり。18日間も刺していた点滴針が腕 からなくなると何やら少し寂しいような気がする。点滴スタンドもすぐに持って出て行っ た。明日からは何もなしになるなあ。

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2月11日(金)  夜中1時過ぎ、目が覚めたので小便をする。何やら胸が痛くて咳が出る。小便が溜まっ たので捨ててもらおうとナースコール。Oさんが来てくれたついでに「胸がちょっとしん どい」と言っておく。  息苦しさがつのってきた。ベッドの上に座って前かがみになっていないと息が詰まりそ うになる。これは前にも経験した状況だ。念のためメモ帳のぺージを繰ってみる。あった。 2月5日の夕方、「ベッドの上で前かがみになっていないと咳は出るし、息は苦しいし、 胸は痛い、と三重苦。横になれば楽になるかと思ったが横になろうとすると息が止まりそ うになる」と書いている。まったく同じ症状だろう。再度「息が苦しい」とナースコール するとOoくんがオキシメータを持ってやってきた。酸素飽和度は90。  Ooくん、すぐに部屋から出て行ったと思うと少し経って当直医を連れてきた。(なか なかすばやい対応である) まずチューブが詰まっていないかどうかを確認する。チュー ブに注射器をセットして押してやるとズポッと音がする。何やら詰まっていたものが抜け たようである。これで行けるかか思ったがその後も引きが悪い。「何でこんな細いチュー ブを入れてるんだ」とか「ちょっと場所をずらしてみるか」とか言いながらチューブをい じっていると、すぽっと抜けてしまう。抜けたチューブを見ながら「何でこんな短いんだ」 とまたブツブツ言う。抜けたものはしようがない。また入れ直しだ。可哀相にレントゲン 技師も急遽呼び出される。  今回は太いチューブを入れる。トロッカーというらしい。医師も「これだけ太けりゃ詰 まらんでしょう」と言う。アシスタントをしているOさん(またしてもOさんがアシスタ ント)も「太いよう!」と傍で言っている。ギュッギュッ、ゴリゴリという感じで胸の中 に入っていくのが気持ち悪かったが、思っていたたよりも早く終わった。後でOさんに聞 くと、当直医の専門は外科とのこと。ふむ、だから縫ったりするのも早かったんだ。  トロッカーを入れ終わると息も楽になった。胸腔内圧力調整ユニットを見ていると、エ アリークがあるので胸腔に穴が開いてるのは間違いないのだろう。麻酔が切れてきたため だろうか、処置(切開)したところが痛くなってきた。鎮痛剤のロキソプロフェンを飲ん でおく。目覚めたのが1時、再度寝たのが4時、処置は2時〜3時過ぎという夜だった。  朝は6時に起床。夜に処置したところがめちゃめちゃ痛い。ロキソプロフェンはあまり というか殆ど効いてないようだ。「痛いのが全然ひかんわ」とOさんに訴える。  「かなり太いのを入れるのに胸膜も切り開いていたから前とは痛みも全然違うと思うよ。   先生に連絡とって痛み止め出してもらうわね」と言ってくれる。 その後も痛みは徐々に徐々にひどくなってくる。  11時頃。看護婦のTaさんが手袋して座薬をつまみながら入ってくる。  「あさださん、座薬いれましょ」  「え〜、座薬ですか。他にはないの?」  「注射もあるけど痛いですよ〜!」  「そうかあ。ちょっと抵抗あるけどしょうがないか」 ペロンとお尻をめくられてスポっと入れられてしまう。  「あ〜、うんこしたい」  「えっ、朝したって言ったやないですか」  「いやいや、したいって気がするんや。あ〜あ我慢するしかないんやなあ」  しばらくして座薬が効いてくる。それまでは右胸全体が痛かったのだが、傷口付近の局 部的な痛みに変わってきた。おかげで右腕も上げられ、昼飯を食うことができた。何せ昼 飯は「にしんそば」やったから右が使えなかったらちょっと食い辛かっただろう。 1時頃、Y先生がやって来る。(今日は祝日だから当然休暇だったろうな)  「夜は大変でしたねえ。今はどうですか」  「差し替えてから楽になりました。今はとにかく痛いですねえ」  「肺の膨れ方があまりよく膨れていません。トロッカーだとこうなのかもしれないけど。   とにかくこう何度も穴が開くようだと、もうここでは無理なんで、やっぱり呼吸の専   門があるS病院の方に行ってもらおうと思ってます。今日明日明後日と休みなんで連   絡がとれないと思うので、月曜に連絡とってスケジュールを決めたいと思います」  「わかりました。ところでS病院に空きがなかったらどうするんですか?」  「ちょっと遠いけどH病院とかO病院とかがありますよ」  「まああんまり遠いとこは嫌ですねえ」  ということで月曜日以降に転院することとなった。せっかく看護師さんたちとも仲良く なってきたのに、転院はちょっと残念である。  処置した箇所の痛みがきつい。寝転ぶ体勢が一番きつくて眠ることができない。今日の ところはベッドに座ってウツラウツラしているしかなさそうだ。座薬の効果も切れてきた と思い、今度は筋肉注射の方をしてみる。思ったほどには痛くない。これからは注射でい くことにする。

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2月12日(土)  起床は6時頃。眠っていたり目覚めていたりウツラウツラであったりと、寝ているのか 起きているのかさっぱり判らない夜だった。ベッドに座ってベッド用のテーブルに突っ伏 した体勢が一番眠れたような気がする。起きてすぐにトイレに行ってみるがうんこは出な い。痛くてあまり気張れないというのも影響しているかもしれない。それにあんまり気張 ると、そのせいでまた肺に穴が開くかもしれないし。  朝飯の後で筋肉注射。午前中に次男と母親が来る。次男の目が真っ赤になったというの で眼科に連れて行くことになり、その待ち時間に病院にやってきたという。診察の結果、 赤目はアレルギーとの診断で、とりあえず薬をもらってきたとのこと。また三男が(次男 も)少し咳をしているので、明日は二人を小児科に連れて来ないとだめかもしれないと言 う。明日の朝もややこしくなりそうだ。  昼飯後、非常に眠くなってくる。点滴しつつ横になってみると、少々痛いながらも何と か耐えられそうで、そのままにしていたら知らぬ間に眠ってしまった。Y先生の「こんに ちは」の声で目覚める。S病院の方と連絡がとれて、転院が月曜の10時になった。レン トゲンの結果は昨日とあまり変わらずちゃんとは膨らんではいない。といったような話を 痛さと眠さに耐えながら聞いて、またすぐに寝入ってしまう。  3時頃、割とすっきり目が覚めた。再び筋肉注射。その後痛みが少しましになったとこ ろでAさんに洗髪してもらう。こうやってときどき頭は洗ってもらえるが風呂には入れな い。もう1週間すれば、風呂入らず期間が1ヶ月になってしまう。あ〜、ええ加減に早く 入りたいものだ。  夜中の3時過ぎに目が覚めて小便に行く。点滴針を刺し直した所がまだ痛い。横になる と胸がえらく痛む。これはあかんと思いナースコール。Kさんが顔を出してくれたので痛 み止め注射を頼む。しばらくして今度はKaさんが来て注射をしてくれた。

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2月13日(日)  昨夜は3時半頃に痛み止めを打ってもらう。おかげで起き上がっているときの痛みは少 なくなったが、横になるとだんだんに痛くなって、とても寝てはいられない。しようがな いので5時頃まで座りながらウツラウツラを続ける。5時頃に思い付いて、立て向けにし ておいた枕に横向けに首を乗せて、少々上半身が起きたような体勢にしてみると、胸の痛 みが減らすことができた。この格好で朝まで眠ることができた。  6時50分起床。Yaさんが顔拭きタオルを持って来てくれて目が覚める。朝飯後うん こに行く。固い。出口近くまでうんこの固まりが来ているのだが出てくれない。必死にな って頑張れば出るような気もするのだが、あまりに気張るとまた肺が潰れるかもしれない と不安になる。出口の所で詰まっているのがムニュっと出てくれれば、あとはニュルニュ ルと出てくれると思うのだが。  出口にお湯でも当てて刺激してみようかとウォシュレットをしばらく当ててみる。あま り効かない。う〜ん、和式の方が出やすいかななどと考えていると、何となく出そうにな ってきた。おっここで気張れば絶対出るぞ。でも思いっきりはダメやぞ。それなりに気張 る。おっおっ、モコっと出てきた。同時に腹の横でビチョっと音がする。胸に入れている チューブから体液が出てきて床に落ちた音だ。気張ったせいで肺が圧迫され胸腔内の圧が 高くなって体液が外に押し出されたのである。一旦モコっと出ると後はニュルニュル。出 る出る出てきた。うんこニュルニュルニュルニュル、スゥー、ポン。はぁ〜だいぶすっき りした。もっと気張ればもっとすっきりするのだろうが、腹の横からビチョビチョ音がし ているのも気になるし、このくらいで止めておく。いやあ、それにしても30分以上は座 っていた。  うんこを頑張りすぎたせいか、ひどく胸が痛くなってくる。立っても座っても寝ても痛 い。前かがみになるのが一番マシなのだがそれでも痛い。たまらずまた痛み止め注射を依 頼する。Y先生は、注射は中毒になるから座薬と併用したほうがいいとか言っていたが、 座薬はどうにも好きになれない。数十分したらだいぶ落ち着くことができた。楽になった せいで、おやつのいかり豆を食い過ぎて腹が膨れてしまう。さて昼飯を食えるだろうか。  この病院にいるのも今夜でおしまい。明日は10時に出発の予定だ。ここを去ることの 寂しさと新しい病院と治療に向けての不安。治療に関してはS病院に行った方がうまく治 るのだろうが、手術のことを考えるとどうしても億劫になってくる。ここの看護師さんた ちともようやく親しくなれてきたところなのも転院の寂しさを誘う。あのお気に入りの看 護婦と話すことももうないのだろう。さてとにかく明日から新しい病院、新しい生活が始 まる。

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2月14日(月)  6時前起床。寝方が悪かったせいか胸が痛い。今日は転院のため朝から時間がおしてい る。6時前からOoくんが点滴を持ってきた。  出発前、看護主任のKoさんが気にしてくれてか、少しの間、部屋に来ておしゃべりし てくれる。退院して元気になったら報告に来ると約束する。  10時、救急隊到着。ストレッチャーに乗せられ毛布にくるまれて出発。部屋近くにい た看護師たちが見送ってくれる。3週間もお世話になった人たちだ。彼らはしょっちゅう 見送ってるだろうが、初体験のこちらとしてはやはり寂しいものがある。  Y先生、看護師のみなさん方、お世話になりました。  サイレンを鳴らして救急車は走って行く。こういう転院でもサイレンを鳴らしていくん だとあらためて認識する。車の窓には全てカーテンがかけられてあって全然外は見られな い。救急車からの眺めというのも経験してみたかったが残念である。  S病院では4人部屋が準備されていた。先客は2人。私よりかなり年配の方たちである。 この病院、確か新館が建ってまだ1年余り、そのためだろう内も外もきれいである。広々 とした造りでなかなかいい環境だ。病室に入るとすぐに看護師が来て説明してくれるが、 非常に事務的な感じで印象が悪い。そもそもS病院に着いて、救急入口を入った途端にし ばらく待たされたことからして、ここの第一印象が悪くなっている。こちらの到着予定等 がうまく伝わってなかったのだろう。大病院ということか。そういうことも手伝って看護 師の事務的な応対に腹が立つ。担当医師が顔を出す。頼りになりそうだが態度がでかい。 医師というのはこういうものなのか。  胸が痛くて横になるのがしんどいので、何かでかい枕みたいなものはないかと尋ねてみ ると、長いクッションを探してきてくれた。なかなか素早い対応をしてくれる笑顔の看護 師である。最初に来た看護師の対応に気分を悪くしていたのが少々マシになる。  午後からは病室で採血とレントゲンをした後、CTと心電図をとりにいく。車椅子に乗 って酸素ボンベと胸腔吸引用簡易ポンプを付けて運ばれて行く。S病院は広い。一人で行 くと迷子になりそうである。手術が終わって歩きまわれるようになったら、退院前に一度 院内を散策してみよう。  夕方、奥さん到着。熱を出している次男と三男は長男が面倒をみている。担当医師がレ ントゲンとCT画像を示しながら状況説明をしてくれる。肺にブラ(空孔)ができていて、 そこが弱くなって胸膜が破れるから手術ではそのブラおよびその周辺を切り取るとのこと である。手術としては簡単なもので、若い人の場合は午前中に手術をしたら、夕方には胸 腔吸引用のドレーンも抜けるくらいのものだと言う。ただ私の場合は若くはないのと炎症 の跡もひどいので、2日位はドレーンを入れておいて様子をみるつもりらしい。ブラので きる一番の原因は煙草だと言う。どこの病院でも煙草は一番の悪者だ。まあこれはしょう がないわい。  一年の間に何度も肺炎を起こすのは異常だと言う。そういう場合に一番疑うのは肺ガン ですとも言う。なかなか脅かす医師である。ただそう言った後、CTで見る限りは炎症で よくは判らないけれども、その可能性も少ないと思います、とフォローしていた。  夜は9時消灯。大部屋なので遅くまで手元電灯を点けておくのも憚られて、しばらくテ レビを見たり本を読んだりしていたが、10時前には寝ることにした。寝ることにしたの はいいが、さてどういう姿勢にしたら寝られるか、その工夫をしなければならない。まず はもらった細長いクッションを二つ折りにして背を高くし、これまでしていたように身体 を横向けに頭を高くして寝てみた。胸の痛みは抑えられて寝られるのだが、この姿勢は背 中や腰に負担がかかって1時間か2時間が限度である。身体が痛いなあと思って起きたの はまだ12時前だった。  さて次はどうするか。クッションの上に枕を積み上げて、その上に頭だけでなく肩近く まで乗せてみると胸の痛みを感じなくなった。(頭だけを乗せるとやはり痛い)この姿勢 で朝まで眠ることができた。(途中、一度位は起きたかな)

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2月15日(火)  6時、看護婦の元気な声で目覚める。元気な看護婦だ。夜勤でこの時間にこれだけの元 気が出せるというのはえらいものだ。やはり若いのだろう。そういえばここは看護婦ばか りが来る。男はいないのだろうか。  同部屋の人たちは60歳〜80歳くらいだろうか。(昨日のうちに一人増えて満員とな った) おじいさんという感じの人が2人。70歳台だろうか。あとの1人は60歳台か。 さすがに呼吸器外科だけあって、みんな酸素チューブをしている。だが胸腔ドレーンに繋 がっているのは私だけだ。早くドレーンを外して歩き回りたいものである。  9時頃、歯磨きをしているところにK医師がやって来た。外来の前に来たのか、それと も今日は外来担当がないのか。  「どうですか。鎮痛剤飲んで寝られましたか」  「ああ、痛いけど寝られましたよ」  「えらい微妙な表現やなあ」 ドレーンに溜まっている液を見て、「ちょっと液が汚いなあ。胸腔内で膿んでくると嫌だ からなあ」とか言いながら、「じゃまた夕方に」と出て行った。  午前中に明日の手術のためといって、身体拭き、脇毛剃り、胸毛剃りをする。洗髪もし てもらう。Y病院と違って、こちらから言わなくても「洗髪しましょ」と誘ってくれる。 愛想はあまりよくないけれど親切な看護婦だ。また手術前までに髭も剃ってもらわないと いけないと言う。  お昼前には麻酔科のスタッフが来て麻酔の説明をしてくれる。丁寧な説明でそこそこ安 心できる。覚醒後の寒気はどうかと聞くと、そういう話もあるけれど、ここでは寒気がす る人はまずいないと言う。麻酔の仕方の違いかもしれないですねとも言う。ついでに髭の ことを聞いてみる。しばらく悩んだ後、剃らなくてもスタッフの方で何とか対処してくれ ることになる。その代わり、少し短く整えておいてくださいと言われた。  夕方、K医師から手術の説明。奥さんと共に面談室に行って説明を受ける。今回もレン トゲンとCTのフィルムを見せられ、ここにブラがあってこれらを切り取ります。こうい う器具を使って切り取りますといった内容で、器具の現物まで持ち出してきての説明であ る。手術前にはこういった説明をしないといけないという決まりがあるのだろう。説明後、 説明を受けましたよという書類に署名捺印をした。  この先生、こちらがちょっと質問をすると、すぐに話を遮って自分の意見をしゃべり出 す。「人が話している途中で割り込まないように」と注意する。医師というのは何故、人 の話をきちんと聞こうとしないのだろうか。不思議である。きちんとコミュニケーション がとれないとできない仕事のように思うのだが。  夜9時頃、腹の立つことがあった。明日の手術時にうちの者が来られない可能性が高い ので、それでいいかどうかを主治医に確認して私に連絡するよう、看護婦との間で約束し ていたのだが、いつまで待っても連絡がない。それで9時頃ちょうど入ってきた看護婦に、 「担当の先生と連絡はとれましたか?」と聞いたところ、「何のことでしょう」と答える。  「いや、明日の手術の時に、うちの者が来られない件についてですが」  「ああ、それなら来られないものはしょうがないということで聞いてます」  「えっ、そういう連絡はもらってないのですが」  「でも来られないのはしょうがないので予定通りやることになってます」  「私に連絡をもらうことになってたのですが」  「どうしてですか」  「どうなったかをうちの者に伝えないといけないので、担当医と連絡がとれたら私に連   絡をもらうようになっていたのです」  「あ、そうなんですか」  「うちに連絡したいので電話はどこに行けばできますか」  「連絡はこちらからしておきますが」  「あ〜いや、私からすることにしていたので、こちらからします」  「じゃあ車椅子を持ってきます」  「いや歩いて行けますよ」  「チューブが届かないので行けませんよ」     ――そんなことは判っとるわい。――  「いや、ボンベを押して行けますということです」  「あ〜じゃあ、誰かのを借りないと。。。」     ――なんでそんな発想になるんや――  「あ〜いや、いいですわ。そちらからしておいてください」 これ以上、会話を続ける気がなくなってしまった。その後しばらく経っても「連絡してお きました」の報告がない。これだけこじれていたら、普通ならばすぐに報告すると思うの だがなあ。(だいぶ経ってから報告があった)

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2月16日(水)  5時50分起床。小便をしていると看護婦がやって来て「ちょうどいいから浣腸しまし ょう」と、プスっと刺されてしまう。手術時には麻酔で全て麻痺してしまうので、垂れ流 しにならないように腸の中を空っぽにしておくのである。浣腸の後、「5分くらいは我慢 してください」と言われたが、1分も経たずに我慢しきれず出してしまう。こりゃやり直 しかなあ、と思っていると、いきなり便意をもよおしてきた。でかいのがズポっと出る。 次いでニュルっと出る。だがまだまだ腹の中には溜まっていそうである。しばらくトイレ に座っていると猛烈な痛みが腹を襲ってきた。上からはもどしそうになり、脂汗が滲んで くる。とても座ってられる状態ではない。SOSを押して看護婦に小テーブルを入れても らい、これに突っ伏す格好で痛みに耐える。トイレにこもること約40分。何度かうんこ が出るにつれて腹の痛みも和らいでいった。いやしかし、浣腸一個でえらい目にあってし まった。  9時前、ストレッチャーに乗せられ手術室へと運ばれる。さすがに新築だけあって手術 室もピカピカである。(といっても手術室というもの自体を見るのは始めてなのだが)  手術室に入る。スタッフは5〜6人か。まだ医師は来ていないようである。(そりゃそう だろう。まだこれから麻酔なのだから) 両腕に血圧モニター、点滴等が付けられていく。  「これは何の点滴ですか」  「ここから麻酔を入れます」 あ〜胸が苦しい。気持ちが悪い。まだ意識があるぞ。こんな状態で手術されたらたまらん。 このひどい状態を伝えようと思うのだが声が出ない。手を動かそうと思うがいくらやって も動かない。左足の指先だけがかろうじて動くことが何とか判る。必死で指先を動かす。 もどかしい。思いほどには動いてくれない。それでも必死に動かすが誰も気付いてくれな い。え〜なんで気付かんのや。この手が、この口が動いてくれれば。。。。。という必死 の戦いも手術終了後の覚醒時の状態だったようだ。それならそれで「もう終わりました」 の一言くらいかけてくれればいいものを。  病室に戻ったのは12時頃。1時半頃に奥さんがやって来る。9時半頃からずっと待ち 合いにいたのに、終わっても誰も声をかけてくれなかった。業を煮やして聞きにいったら、 もう終わりましたと言われた、とブツブツ怒っている。ここのスタッフはどうもそういう ところに抜けがある。なぜだろう。勤務交替時の引き継ぎがうまくいってないのかねえ。  身体が痛い。寝てると余計に痛いのだろうと思うが、手術後なので夕方までは横になっ ていてくださいと言う。とにかく我慢するしかない。5時頃、もう寝ているのも限界、ベ ッドを起こしてもらう。ちょうどK医師が入って来て、肺の切除した部分を見せてくれる。 切り取ったのは2ヶ所。1個はすぐにでも破けそうな薄い小さな風船(ブラ)が付いてい る。もう1個は風船(ブラ)が潰れて穴が開いて、そこから空気が漏れていた今回の元凶 部分らしい。見ていてあまり気持ちの良いものではない。(当然か)  この日は絶食。飲むのはようやく夕方から許される。腹も減ってないし食う気も起こら ないのでとくに辛いことはない。咽喉の渇きに苦しまなくてすむだけありがたい。  身体はすごく痛いながらも少しづつ眠ることもできた。夜中に目覚めたときテレビをつ けると宇宙戦艦ヤマトをやっていた。痛いなあ、眠いなあと思いながらも、1時間近く楽 しむことができた。この日は痛み止めの筋肉注射を3回打ってもらう。

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2月17日(木)  7時起床。相変わらず胸が痛い。朝飯後に筋肉注射を打ってもらう。その直後に痛み止 めの飲み薬が出てきたのでそれも飲む。お昼頃より痛みがかなり引いてきた。我慢しなが らであれば何とか咳もでき痰も少々なら出せるようになる。せっかく個室にいて景色もい いのだが、チューブに繋がれているため窓際まで行けない。チューブさえなければ、もし くは長ければ、たとえ身体が痛くても窓際のソファに座って景色でも見ながら、コーヒー 飲んでいられるのになあと思う。  夕方、奥さんが来る。三男は気管支炎で明日も病院に行くという。レントゲンでは肺は きれいというので、それはよかったのだが薬を嫌がって全然飲まなくなったらしい。これ がまた飲ます方にとってはストレスになる。こぼされたり吐き出されたり払い除けられた りすると、くそーっと思ってしまう。とにかく奥さんに頑張ってもらうしかない。  ドレーンは明日抜く予定だ。明日の何時か判らないが抜けるものは早く抜いてほしい。  この日は殆どの時間を読書で過ごす。グレッグ・イーガンの『万物理論』を読み終えた。 読後の感想は「つまらない」の一言。もう彼の作品を読むのは止めよう。  夜、テレビをつけていたら銀閣寺のラーメン屋『ますたに』が出ていた。1〜2度しか 行ってないが懐かしい。ところがその後にもっと懐かしい人物が出てきた。百万辺の飲み 屋『梁山泊』の主が出てきたのである。あのおっさんもまだやってたんだ。ぶり大根をス タジオで作っていた。今あの店はどんなふうになっているのだろうか。最後に行ったのは 20年くらい前だったかな。

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2月18日(金)  7時起床。9時から元いた部屋の元いた場所に引っ越し。もうちょっと個室でゆっくり していたかったがしようがない。今日は午前中に手術が入っているのでドレーンを抜くの は午後になるでしょうと言われる。暇なので昨夜から本ばかり読んでいる。奥さんに持っ て来てもらった、J・P・ホーガンの『ミラー・メイズ』が時間潰しに役立っている。  昼を過ぎても医師の来る気配はない。はて本当に今日ドレーンは抜けるのだろうか。三 男の症状がちょっと悪くなっているとのメールが入る。CRPが6.1。私の60とは比 べものにならないが、Y病院のU先生が一桁になったら相当の重症だと言っていたので心 配になってくる。薬を嫌がって飲まないようだが、飲まなきゃ良くはならないし、とにか く奥さんに頑張ってもらうしかない。  晩飯も終わり7時前になってようやくK医師が来てドレーンを抜いてくれる。抜くとき の痛みはとくになし。これでようやく全てのチューブがとれて自由の身となれた。手術の 跡とドレーンを入れていた場所がまだまだ痛いが、自由になれたというのが非常に嬉しい。 最初にドレーンを入れたのは2月2日だから17日間つながれていたことになる。酸素チ ューブはどうしても嫌なときは勝手に外せるが、胸腔ドレーンはそうもいかないから、や はり嬉しさが違う。  夕方、奥さんがおやつを一杯差し入れてくれたものだから、ドレーンが抜けた喜びとあ いまってついつい食べ過ぎてしまう。寝る前に腹が重くなってしまった。

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2月19日(土)  6時40分、看護婦が血圧や酸素飽和度を測りに来て目が覚める。大部屋だと夜中に目 覚める回数がどうしても多くなる。隣で寝返りする音、咳き込む音、おならの音でも目覚 めることがあるし、看護婦が入ってきて患者に声をかけたりすると、これは必ず目が覚め る。今日からは院内自由である。さてどこらあたりに行ってみるか。  朝飯後、新聞を買いに11階まで行ってみる。確か新聞販売機がおいてあると思ってい たのだが見当たらない。仕方がないのでフロア見物に切り替える。レストランはまだやっ ていない。10時開店だ。ふれあいサロンというのがあったので覗いてみる。パソコンが 2台とプリンタが置いてある。ネットにも繋がっているようだ。また後で来てみよう。本 も少し置いてある。ここの本でも借りて、レストランでコーヒーでも飲みながら時間を潰 してみてもいいかもしれない。  新聞を調達できなかったので東館1階の売店に行くことにする。しかしこれがまた結構 遠い。廊下天井の案内表示板を見ながら何とか行き着く。せっかく来たので新聞以外にビ ッグオリジナルとアーモンドチョコを買う。病室に戻った後、新聞とおやつとコーヒーを 持って、食堂コーナーで1時間ばかりを過ごす。誰もいなくて広くて静かでなかなかいい。  3時頃、家族が全員でやって来る。雨のため、長男の練習試合は中止、次男の練習も中 止、二人ともあまり体調が良くなかったのでちょうど良かった。今日は保育園の発表会。 三男はとてもできる状態ではなかったが、見学にだけには連れて行ったという。母親に抱 っこされていたのだが、自分の出番になると出て行こうとしていたらしい。次男は元気一 杯やっていたとのこと。  全員でやって来たので差し入れのおやつを持って、すぐそばの食堂へ行く。おやつはも ともとの差し入れ以外に一人1個買っていいということにしたようで、すごい量だ。袋を 開ければ食い切らないといけないので腹が一杯。  さて折角ここまで来たのだから、一番高い11階まで連れて行く。ふれあいサロンのパ ソコンを見せたら、長男も次男も出てこなくなってしまった。(次男はただゲームをした いだけなのだが) 三男は、ちょっとした坂道があるのが嬉しいのか、行ったり来たりと 走り回る。このままこんなに動き回っていたら、きっとまた体調を崩してしまうだろうと 意見が一致。もう早めに帰って休ませることにする。パソコンで遊んでいた長男と次男は 渋るが無理矢理やめさせる。  4時頃にバイバイする。あっそうだ、次男が病室のトイレでうんこをしていった。何で あいつは何処かに行くと必ずうんこをするのだろうか。  今後の予定としては火曜くらいに退院と考えようとのこと。抗生剤の点滴は月曜までで、 その後は飲み薬。まあ土日も挟んでいるし、一番妥当なスケジュールだろうか。

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2月20日(日)  6時10分起床。部屋の電灯が点いて目が覚める。30分ほどして血圧、酸素飽和度測 定のために看護婦がやって来る。飽和度は96。ちょっと低いだろうか。(起きた後は髭 剃りしたのとお茶を入れに行っただけなのだが)  9時前、K医師が来て傷痕の確認。きれいなもんだと自分で納得していた。風呂および シャワーに入れるようにと防水テープに貼り替えてくれる。日曜日だからK医師は来ない と思っていたのだが、いつものことなのか、それとも何かのついでに顔を出したのか。い づれにしても命相手の仕事というのは好きに休むことはできないものだと再認識する。  午後、S病院にいる間に一度は来ようと思っていた展望レストランに入る。さて何を頼 もうか。コーヒーだけでは寂しいし、かといってサンドイッチやピザでは重過ぎるし、と メニューを見ているとホットケーキがあったので、これにすることにした。割高かもしれ ないが量としてはちょうどいいくらいとの考えである。  客は殆ど入っていない。昼飯どきは入っているのかもしれないが、今は私一人である。 (現在3時) あっ、たった今一人入って来た。    コーヒー 295円    ミックスサンド 520円    カツ丼  750円    親子丼     550円    定 食  780円    天ぷらうどん  680円 値段が特別高いわけでもないし、景色もいいし、見舞い客も結構いるし、入院患者も多い のだから、もっと客が入ってもいいと思うのだが病院のレストランというのはこんなもの なのだろうか。それとも今日が日曜日だからで平日は全然違うのかもしれない。明日また 見に来てみよう。  ボールペンのインクが出にくくなってきた。インクを使い切ってしまったのだろうか。 このペンを使い始めたのは2月4日、長男の中学入試抽選会の日に買ってきてもらったも のだ。半月でインクを使いきるほど字を書いたとはとても思えないので、このゲルペンと いうのはインクの消費が普通のボールペンに比べて多いのだろう。毎日毎日同じようなこ とを書いていることを思うと、ちょっと勿体無いかもしれない。しかし入院生活なんてそ んなに変化があるわけでもなし、同じような内容になるのはしようがない。  4時半頃、奥さん到着。着替えを整理した後、食堂コーナーでコーヒーを飲みながら、 しばし語らう。昨日と同じ場所だけれども子どもがいるといないで大違い。静かなひとと きであった。  5時半頃からシャワーを浴びる。高熱を出して寝込んだのが先月の21日だから、ちょ うど1ヶ月振りだ。まだ腕に力を入れると痛いためあまり強くは洗えないが、全身を石鹸 で洗うことができたのでさっぱりする。シャワールームの鏡を見ていて、どうも太ったよ うな感じがした。病室に戻る途中、廊下に体重計があったので測ってみる。56.8キロ。 どうも3キロほど太ったようだ。(あとで看護婦さんに入院時の体重を調べてもらったら、 53.3キロ)  手術日は絶食だったから体重が増え出したのは、その翌日くらいからだろうか。だとす ると17日だ。今日が20日だから、なんと1日あたり1キロ近く増えていることになる。 なにせこのところ朝も昼も夜もおやつを食ってるのだから、そりゃあ太るだろう。我なが らこんなにおやつを食うとは思いもしなかった。やはり煙草を吸ってないせいだろうか。 煙草をくわえていないので口が寂しがっているのか、あるいは吸ってないせいで満腹感を 感じなくなっているのかもしれない。今後、果たしてどうなっていくだろう。

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2月21日(月)  6時20分起床。夜中に何度も目が覚める。そのまますぐ寝つけるときはいいのだが、 しばらく悶々としているときが辛い。眠れないのだが起き上がって本でも読むほどの元気 はないといった中途半端な状態である。こういうとき急に煙草を吸いたくなってくる。ま だ無性に吸いたいというほどではないが、結構吸いたいという気持ちが募ってきている。 こういう気持ちが湧いてきたのはここ1日・2日だ。それまでは夜中に悶々としていても、 こんな気持ちにならなかったのだが、やはり身体が回復してきたおかげで以前と同じ嗜好 品を求め始めてきたのだろうか。これからちょっと厳しくなるかもしれない。  NHK『きょうの健康』テキストによると、ニコチン禁断症状は1ヶ月以内に全てなく なるという。私の場合は今ちょうど1ヶ月なんで、これに当てはまるとするともう禁断症 状は出ないのだろう。ただし、しばらく禁煙していた人が再度喫煙するのは3ヶ月以内が 多いらしい。食後や起床後に煙草を吸うと美味しいと感じるのだが、そういう記憶という ものは長い間残るもので、何かのきっかけで衝動が引き起こされて再喫煙しやすいと考え られているという。そうだとするといつまでたっても、そういう衝動が起こる可能性は消 えないではないか。う〜む、これはたまらん。  さらに困ったことに、アルコールには要注意と書かれている。アルコールが脳内の物質 依存にかかわる中枢を刺激し、煙草を吸ったときと同じ快感をもたらし、吸いたいという 気持ちを呼び起こすのだという。お酒を飲むことによって自制心も弱くなるとも。酒好き の私にとって、これから厳しい試練が待っているのだろうか。何せ入院中はアルコールな んて当然一滴も飲んでいないのだから、退院してからの生活ではアルコールに関する限り 劇的な変化ということになる。あ〜ほんま、これはしんどいかもしれない。  11時頃から点滴。この病院では平日の点滴は若い医者の練習のためにある。練習を積 んでスキルアップしていかなければならないのだが、患者にとってはいい迷惑としかいい ようがない。今朝来たのは研修医という名札を付けてなかったので正規の医者だろうか。 だがそもそも名札自体を付けていないのだからどっちなのかも判らない。この医者、一旦 入った点滴針を抜いて人を血だらけにしてくれた。(血だらけはちょっとオーバーだが) 一度入れた針がきちんと入っているかどうかが不安だったのだろう。押したり引いたりし て位置を確認しているうちに引っこ抜けたのである。可哀相だから文句は言わなかったが、 こんな練習台にはなりたくない。  午後、展望風呂に入る。11階にあるだけあって、なかなか景色もよい。ほとんど利用 者もいないようで、私の入っている間は貸し切り状態だ。後で今日の利用者を数えてみる と全部で3人。こういう風呂に入れるような患者が少ないということだろうか。入浴OK の患者でも病室から遠く離れている展望風呂には許可が出ないことがあると看護婦も言っ ていたので、そういうこともあって利用者が少ないのだろう。洗い場は9人分あるし浴槽 は結構広いのに勿体無いものだと思ってしまう。まあでも1日の営業時間は、1.5時間 だけだからいいのかもしれない。こうして展望風呂にも入ったし展望レストランにも行っ たし、あと記念に行っておくような施設はもうないかな。  7時頃、K医師が来て、  「もうだいぶ良くなってきたから点滴は今日で終わりです。明日からは飲み薬を出しま   す。退院は明日にしますか?」  「はいそうですね、明日にしましょう」 ということで、明日退院することに決まった。今度は来月1日に外来で来ればいいと言う。 それまで抜糸しないということだろうか。随分長いような気がするのだが。

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2月22日(火)  6時20分起床。夜の寝つきが悪い。昨夜は12時頃寝ついたが、その後も短時間眠っ ては何度も目が覚める。身体が元気になってきているのに比べて、全然疲れていないから 眠れないのだろう。もしもまだ入院が続いてこういう状態が毎夜続いたら、ちょっと精神 的にまいってしまうかもしれない。  今日はようやくの退院日である。奥さんが午前午後と保育園、幼稚園の用事があるため 退院は夕方に決める。今日は点滴も吸入もないから病室にいる必要もないし、さて一日を どうやって過ごそうか。病院の食事は朝と昼を出してもらう。夕飯は出しても出さなくて も費用は同じですと言われるが、夕飯まで食っていては退院が夜になってしまう。  K医師に退院後の注意点を聞くのを忘れていたので看護婦に確認する。  風呂 : 抜糸までは傷口を湯につけないこと。下半身はつかってよいが      上半身はシャワーにしておく。       (昨日は展望風呂で全身ゆっくりつかってしまったが)  お酒 : 抜糸まではほどほどにしておく。(ほどほども人によるなあ)  仕事 : ほどほどにしておく。(力を入れるような動作はダメ)  運動 : 全力でやるような運動はダメ。  大便 : 気張りすぎないこと。  風邪 : 風邪をひいたときはS病院に来る。昼間でも夜でも、まず連絡を入れて状況説      明の後、病院に来ること。 といった内容で、基本的には何でもほどほどにしておけということだ。ところで1ヶ月振 りに飲む酒はどんな味がするだろうか。確か家にはワイン以外の酒が切れていたような記 憶がある。帰りに何処かによっておいしそうな日本酒でも買っていくとするか。  病室と同フロアの食堂で1時間ばかり、11階の展望レストランで同じく1時間ばかり 時間をつぶす。新聞読んだり本を読んだり、他にとくにやることもなく退屈といえば退屈 である。展望レストランで外の景色を見ながらコーヒーを飲んでいる。なんで煙草を吸っ てないんだろうと不思議な感じがする。かといってここは病院のレストランだから当たり 前である。  普通のレストランや喫茶店にいて、煙草を吸わずにボケっとしている自分にフト気づい たとき、そんな自分をどんなふうに思うだろうか。三十数年、人生の三分の二を煙草とと もに過ごしてきたのである。自分にはそぐわないなあと、そんなふうに感じるのだろうか。 それと一抹の寂しさも。。。  荷物整理はほぼ完了している。紙袋に詰め込むだけだから整理というほどでもない。あ とそうだな、昼飯食ったらパジャマを着替えてしまおうか。だがおやつの食い過ぎでちょ っと太ったから、持って来てあるズボンが入らないかもしれない。入院太りっていうのは よくあることなのだろうか。  退院後の薬をもらう。この薬の効能書が欲しいなと看護婦に頼んだら、わざわざ薬剤師 が病室まで説明に来てくれた。抗生物質以外はこれまでにもY病院で説明を受けていたも のだが、折角だから熱心に聞いておく。抗生物質は手術後の化膿防止が主な効果らしい。  あとは何があったろう。血液の検査結果を頂戴と看護婦に頼んでいるのと、退院手続き や次回予約の説明があって多分おしまいだ。退院まであと数時間あるが、この日記もここ らで終わりにしよう。あ〜長かった。

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