興福寺
 710年、平城遷都直後に藤原不比等が一族の氏寺として建立した。平安遷都後も摂関家(藤原北家)の隆盛とともに寺運はますます強大となった。もともとは別物であった春日神社を神仏習合思想を利用して包含し堂衆に神人を加えた大武装集団として大和一国を支配したという。
 1180年に平家一門による南都焼き討ちに遭い東大寺とともに全焼したが復興も早かった。春日若宮祭を通じて田楽・猿楽を発達させ、能楽の興隆につなげた。
 その後も罹災と復興を繰り返したが1210年再建の三重塔や北円堂、1415年の東金堂、1426年のこの五重塔などが現存している。興福寺から若草山一帯にかけては何時行ってみても京都と違ってゆったり・のんびりした気分になれるのがいいですね。
戻る