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         デフレ・インフレの一般理論
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2009年2月26日 デフレは物の墓場、インフレはお金の墓場。

デフレは物の墓場、インフレはお金の墓場である。


国内だけでなく、国外も相変わらず政策と言えば、公共投資やグリーンニューディールなどの生産者部門への優遇策ばかりが目につく。所得減税も外国ではある程度視野に入れているが、日本国内ではほとんどがもの作り優遇政策になっている。これだけものばかり作ってどうするのだろう。ものは売れて初めて完結するのが経済である。

このような状況は、現在主流となっている経済学がデフレに対応でき無いことが根本的理由である。単に需要と供給の差をを埋め合わせる経済対策しか持ちあわせていないのである。

ものを作れば所得が増えるという神話を盲信しているからである。

しかしながら既に、デフレにおいては、物をいくら作っても所得が増えないということを、日本の2千2年から2千7年まで続いた経済消耗が教えていよう。
デフレでは資金逓減の法則が成り立つ事が日本で実証されたのである。(http://blog.so-net.ne.jp/siawaseninarou/経済学がたいへん。参照)

消費が不足している経済では、(需要が不足しているのではなく、資金の減少から購買力が無くなっているのである。)ものを作れば作るほど、1単位辺りの利潤が下がり、それが個人賃金を下げていく。民間の負担額が変わらなければ、賃金から捻出される消費額が漸次減少するのである。この繰り返しがデフレ経済で行われている。(http://blog.so-net.ne.jp/siawaseninarou/資金逓減の法則が支配するデフレ)

デフレは、資金量が、生産量に比べて著しく少なくなり、資金と生産量の比率が変り、所得線の角度が45度以下になった経済的状態である。所得線の角度が貯蓄量以下に下がった地点から所得線の下降が始まる。

この時、資金量の減退から消費不足を招くため、企業競争が激しくなり、低価格競争が起こる。その結果1単位辺りの利潤すなわち付加価値に対する貨幣の評価が少なくなる。

このような現象が起こっている市場では、正常な状態の経済より生産物が過剰な状態になっている。
言い換えると、同じ売上であっても、低価格品が多くひしめきあっている状態なのである。

さらに言うと企業は低価格品を売っているため、正常な状態の時より多く販売しなければ適正な利益額を確保できない状態にある。

さらに言うと労働者は低賃金のため生活を維持するため過剰に働かなければならなくなっている。従来以上に働いていても賃金が少なくなっているのである。(これは生産性が低いのではなく、本来の付加価値以下に賃金が抑えられているに過ぎない。恐らく日本の生産性は世界一であろう。)

このような状況下でさらに物を作り、市場に押し込めば、余計に消耗し、さらなる低価格競争を勃発させることは明らかである。(http://blog.so-net.ne.jp/siawaseninarou/デフレに内在する生産量増強システム)

日本は今このような状況にある。(http://blog.so-net.ne.jp/siawaseninarou/水槽経済学,1)

水槽の中で、資金という水がどんどん少なくなり、小さな金魚ばかりがひしめきあっている状態がデフレである。水が十分に行き渡らず栄養素や酸素が十分でないため、貧弱な栄養失調の金魚がたくさんアップアップしているのである。

金魚は生産物に例えられる。このような時さらに金魚を増やす政策を立てているのが今の経済政策なのである。

所得線が45度以下の角度で、名目GDPが実質GDPより下位にくるような経済では、物の生産量を増やしても所得は上がらず、所得線の角度は永遠に上がることがない。物を増加させるたびに収穫は逓減し、付加価値が、減少するためである。

資金を大量にどれだけ生産者側に投入しても、無意味である。これは金魚をどんどん増やすことになるからである。

お金を永遠に刷って、あるいは政府紙幣を発行して、生産者側に投入しても、物が大量にできるだけであり、一向に所得が上がらず、デフレからも解消されない。インフレが起こらない。これがデフレというものである。

これは日本政府が取ったバブル崩壊後の低金利政策や金融緩和政策が、インフレをもたらすどころか、所得低下というデフレをさらに促進させたことからあきらかであろう。

バブル崩壊後既に20年近く、日本はこのような生産量増大策を繰り返し疲弊したのである。その間民間所得が上がったことは無い。これまでの経済理論がデフレにおいては消費者側に資金を投入するべきであるということを、書いていないため、このような愚かしいことをしているのである。

経済学者は反省すべきである。今なお同じ繰り返しをしようとしている。

低金利、企業への過剰融資、企業への公的資金の注入
、銀行の保有社債の買い取り、これなどいくらやっても、消費が増えないのは明らかであろう。

住宅取得に対する減税をしても、
デジタルテレビ普及のための2万円還元にしても、
自動車の取得に対する減税も、
国に依存する体質を作り、ものを増やしても借金も増えて行くことになる。
また、他の製品の購買力を削ぎ、他の産業への需要を減少せしめる。極めて恣意的なえこ贔屓なものになる。
しかもこれらすべてが、物を作れば、ご褒美を上げますよというものである。

直観的に分かると思うが、貯水量が少なく過剰に金魚が多い水槽へ、さらに金魚を増やそうとすればどうなるであろうか。極めて大きな力で押しのけながら無理やり増やさなければならない。そして増えた分だけ、金魚は、さらにやせ細らなければ多くは生きていけなくなる。

そして金魚を増やすために増やした借金は、水をすくい上げ、貯水量を減らす事を意味する。貯水量がさらに減少すれば干上がった金魚の屍が累々と堆積される。
それが倒産企業、や廃業の増加を意味する。
(http://www.eonet.ne.jp/~hitokotonusi/suisou1.htm)

このようにデフレでは資金を市場に増やす事なく生産量を増やすことは、返って市場から資金を奪う事になり、所得線の角度が下がる要因になる。

にもかかわらず日本はなお生産物を作らせようとしている。まだ補正予算を計画しているらしい。むだな生産をしても借金が増えるだけだ。

もはや誰も買えない状態であることを知るべきだ。需要不足ではなく消費不足なのである。所得が少なくて買えないということなのである。

これと同じように労働人口をどんどん供給しても、どこまで行っても限界がなく、例え日本の総人口を完全に雇用しても賃金は上がらない。雇用すればするほど賃金が下がって行き、低賃金の外国人労働者を増やしても限界がくる事なく際限なく増やすことになる。人々はものを作りながら食えなくなり、万骨涸れるのである。理論的既決である。

物をいくら作っても、限界がなく、際限なく市場に供することになる。物が市場に溢れ返り、累々たる生産物の墓標ができる。
それはまた際限なく利潤が下がっていくことになる。
お金は底無し沼に嵌まったようになくなっていくのである。

ここまで書けば、インフレやデフレでは、財政出動がどの方向にすればよいか自ずと分かるであろう。
消費者側に上から水を入れれば良いだけだ。

金魚を増やし、水を汲み上げ(借金を増やし)てはいけないのである。

デフレにおいて経済原理に則した合理的な水の入れ方は消費税の減税でありあるいはマイナスの消費税を掛けることである。

一言主
http://www.eonet.ne.jp/~hitokotonusi