土方が総司を連れ出すようになってから、二人の関係は少しずつ深まっていった。
だが、早くから、総司は土方が自分に向ける感情に気づいていた。
わかって当然だ。いっそ清々しいぐらい、土方はその感情を隠そうとしなかった。
好きだ、惚れているなど、幾度も言われた。
髪や頬にふれ、抱きしめられたことも多々あった。
そのくせ、土方は、総司に答えを求めなかった。色恋沙汰に初な総司が己を受け入られるよう、気長に待つつもりのようだった。
それが遊んでいる男ゆえの余裕と安堵する一方で、簡単に手の中で転がされている気がして、苛立ちも覚えた。
もっとも、総司は、色恋沙汰で主導権を握るつもりなど全くなかった。
その手の感情に関しては淡白な性質のため、積極的に動こうと思わなかったのだ。むしろ、流されるように受け身でいる方が気楽でいい。弄ばれることになる可能性もあったが、それでも構わなかった。
総司にとって、恋は、線香花火みたいなものだ。
ほんの少しだけ瞬いて、ぱっと消えてしまう線香花火。
否、恋だけではない。総司にとって、人との繋がり自体が希薄だった。誰よりも大切で愛している姉以外、本当の意味で信じる気になれないのだ。
孤独、だとは思う。
明るく素直で朗らかな総司は誰からも好かれた。この新選組でも同じで、同僚の幹部たちはむろん、己自身が率いている一番隊隊士たちからも親愛と敬愛を向けられているし、それを総司はわかった上でしっかり甘受していた。
だが、受けるだけなのだ。総司が己の気持ちや想い、愛情を返すことはない。
所詮他人だと思っていた。
最後の瞬間、誰だって自分が一番かわいいのだ。なら、初めから信じなければいい。期待しなければ、裏切られることもない。
総司は無邪気な笑顔で周囲の話を聞きながら、そんなことを考えていた。
それは当然ながら、土方に対しても同様だった。
決して心を許す気はない。いや、むしろ、土方という男こそ、心を許してはいけない存在だった。
むろん、土方も、そこまで総司に気を許していないのだから、お互い様だ。
好きだ、惚れたと言っても、その場限りのこと。そのうち飽きれば、どうせ見向きもしなくなる。
だが、それを総司は酷いと思わなかった。人とはそういうものだとわかっているからだ。
(皆、自分のことしか考えていない)
今は乱世だ。そうであるから、尚更のことだった。
他人の事になど構っていられるはずがないのだ。自分が一番大切、一番かわいい。それが当然のことだと割り切っていた。
(私は、姉上だけが大切だから。私自身よりも、姉上さえ幸せであれば……)
そう思いながら、総司は柱に凭れかかった。
初冬の陽射しの中、そうして目を伏せる姿は玲瓏な少女のようだった。
一つに結わえた黒髪が、柔らかく細い肩にかかる様が清楚で美しい。なめらかな白い頬に翳りを落とす長い睫毛、微かに開かれた桜色の唇、細い顎、ほっそりとした小柄な躰に淡い色合いの着物を纏う様は、一幅の絵の如くだ。
男装した少女のように見える事から、どこか倒錯的なものを感じさせ、その危うい美しさが見る者の心を惹きつけた。
当然、廊下の反対側からそれを見つめる男も、例外ではない。
「……総司」
突然かけられた声に、はっとしてふり返った。見れば、土方が歩みよってくるところだ。
慌てて身を起こした。
「土方さん」
「昼飯を誘いに来た」
前置きもなく告げる土方に、総司は目を瞬いた。思わず笑ってしまう。
「いきなりですね」
「これが俺の流儀さ。だいたい、他に何と言えばいいんだ」
「知りませんよ。私、土方さんみたいに遊び馴れていないし」
「馴れてなんかいねぇよ」
そう言ってから、土方は軽く身をかがめた。総司の耳もとに唇を寄せると、少し落とした声で囁く。
「……本気の恋にはな」
「!」
総司の頬がぱっと紅潮した。慌てて飛び下がって距離をとると、大きな瞳で睨みつける。
両手で耳をおさえる様が可愛らしかった。
「もうっ、そういうのは女の人にどうぞ」
「俺はおまえにやりてぇんだよ」
「面白いから?」
「そんな事あるはずねぇだろう。惚れているからさ」
冷徹な策士として知られている男は、きれいな笑顔で言い切った。
屯所の廊下という公の場で、何の躊躇いもなく告白してくる男の豪胆さというか、羞恥心の無さに、呆れてしまう。
これ以上注目の的になるのは嫌だと、総司は歩き出した。それに、土方が「おい」と声をかけてくるのに、ちょっとだけ振り返る。
「ご飯、奢って下さるのでしょう? 副長」
あどけない笑顔をむければ、土方が僅かに苦笑した。
他の隊士からすれば、信じられない態度だ。が、それを彼が咎めることはなかったし、総司も匙加減をわきまえた上でやっている。
むしろ、こうした無邪気で奔放な態度が好まれるとわかっているからこそ、艶やかに舞うのだ、演じてやるのだ。
静寂の舞台で、男が望む「沖田総司」という舞を。
(やり遂げてみせる……)
総司は部屋の文箱の中にある文を思いながら、密かに手を握りしめた。
その文が来たのは、池田屋事件の直後だった。
総司は吐血してしまい、労咳だと周囲に暴かれた処だった。近藤に江戸へ帰れと命じられるなら、それでいいと思っていた。
ここまでついてきたのは、近藤への恩義のためだった。幼くして口べらし同然で道場にやられた総司に、良くしてくれた師匠。
むろん、姉のお光は特別だが、それでも、総司にとって近藤は他者と違う存在だった。
その近藤が江戸へ帰れと言うなら、当然従うつもりだ。その方がお光のもとへ戻れるし、いいのかもしれなかった。
そこへ届けられたのが、あの文だった。
一見すれば、江戸にいる旧友からの文。内容も他人が見ても、時候の挨拶や世間話にすぎぬだろう。
だが、読み解けば、全く違ったものが浮かび上がった。
それは、命令だった。
逆らうことが一切許されぬ、命令。
新選組副長土方の暗殺
深く考える必要もない、明確な命令。
それを総司は病床で静かに眺めた。暫しの沈黙後、「あぁ、そうか……」と呟いた。
なぜ、突然この命令がよこされたのか、理解したのだ。ようするに、彼は目立ちすぎたのだろう。
新選組という武装集団は池田屋事件で一気に名をあげた。それにともない、土方は新選組副長として、この乱世でも注目される存在になったのだ。
当然、邪魔と思う人々もいる。目についた邪魔な存在は、鎌で刈るように排除する者たちがいる。
それが味方であれ敵であれ、無関係なのだ。裏にある臆病さに失笑せずにはいられないが、命令は命令だった。従う他ない。
総司は静かに文をたたみながら、目を伏せた。
(土方さんを殺す、か……)
躊躇いがある訳ではない。
ただ、常よりも困難な仕事である事は確かだった。
見知らぬ相手なら通りすがりにやればいいが、相手は身内だ。しかも、今や新選組副長として多くの隊士に囲まれている男だった。総司自身、その彼を護衛する立場にある。
総司の今後の身の安全も図りながら、やり遂げなければならなかった。
暗殺者が総司だと知れては困るし、土方の死後も、今の沖田総司としての立場、生活を捨てたくはない。かなり難しい仕事になることは確かだった。
それを遂行するためには、今までとは違う術が必要となってくるだろう。
「あの人に近づくしかない……かな」
今、土方と総司の関係は、同じ道場出身であり、上司と部下というだけだ。それ以上でも以下でもなかった。
私的な会話はむろん交わしたことはあるし、幾度か一緒にでかけたこともある。むろん、他の仲間たちも連れ立っていたが。
その距離を縮めなければならないのだ。
近づいてしまえば、後は簡単だ。彼が油断した時に殺ればいい、総司の仕業だという痕跡は一切残さずに。
(私の仕業だと知ったら、近藤先生、悲しむだろうし……)
心あたたかな恩師を悲しませたくはなかった。
総司は、ふ、と息を吐いた。
帰ろうと思っていたが、それどころの騒ぎではなくなってしまった。何が何でもこの京に、新選組にい続けなければならない。
「ちょっと苦手かな……」
思わず呟いてしまった。
人を騙したり、偽ったり演じたりする事が自分にできるのだろうか。今までのように、ただ、手を下せばいい仕事なら良かったのに。
それに、相手はあの土方だ。
総司にとって、苦手な男だった。
あの黒い瞳に見つめられると、何もかも見透かされているような気持ちになるのだ。
そんな事があるはずもないのに、土方には隠し事が出来ない気がした。だが、その彼を騙さなければならないのだ。近づき親しくなり、油断させて――殺す。
この所業を知れば、人は卑怯と罵るだろう。いつも皆に見せている素直さや優しさと裏腹の非道さに、愕然とするだろう。
だが、そんな事はどうでもよかった。他人が何を思っても構わない。
この世でたった一人、己の命よりも大切な彼女を守れるのならば。
「……姉上」
祈るように呟いた総司は、きつく両手を握りしめた。
「それ、おまえの癖か」
不意に言われたのは、一緒に昼餉をとった後だった。
土方が連れていってくれたのは、綺麗な小料理屋の離れだった。その贅沢さに驚いたが、昔の彼とは違うのだ。
縁側から見える綺麗な庭を眺めていると、土方が言及してきたのだ。
先程までの会話とは脈絡のない言葉に、「え?」と目を瞬く。それに、土方が苦笑した。
「自分では気づいてねぇって事か」
「癖って、何ですか」
「それだよ」
土方は手をのばすと、総司の手にふれた。固く握りしめられた手に。
柔らかく広げられれば、白い手のひらに爪痕が赤く残っている。その痕を目にした土方は微かに眉を顰めた。
が、何も言わぬまま、優しく指さきで撫でられる。
「!」
ぞくりと走った熱に、慌てて手をひっこめた。ぎゅっと握って後ろにまわす。
思わず俯いてしまったが、じっとこちらを見ている男の視線にいたたまれなくなった。なんだか頬が熱い。
それが奇妙で、胸がどきどきして、何かを堪えるように唇を噛んだ。
土方が嘆息した。
「今度は唇か……」
「……」
「悪かった。謝るから、そんな怖がらないでくれ」
「怖がって…なんか」
「本当に?」
くすりと笑ったかと思った次の瞬間、下から覗き込まれた。黒耀石のような瞳に、どきりと心臓が跳ね上がる。
悪戯っぽい男の笑顔がまっすぐ見られなくて、視線をあちこち彷徨わせた。それから、何とか言葉を絞り出した。
「こ、これは怖がっているんじゃなくて、怒っているんです」
「怒っている? 何に?」
「ッ、わかりませんっ」
子供のように叫んだ総司に、土方が目を見開いた。不意に、とんと、肩に重みがかかる。驚いて見れば、土方が総司の肩に額をおしつけていた。
そのまま緩く小柄な若者の躰を抱くようにして、くっくっと喉奥で笑っている。
「土方さん?」
「いや、たまらねぇな。すげぇ可愛い」
「可愛いって、私、もう二十歳すぎていますけど」
「それでも可愛いんだよ。おまえ以上に可愛いの、見たことないぜ? 誰よりも別嬪で素直で甘くて、本当に可愛くて可愛くてたまらねぇ」
「……っ」
何度も重ねられる言葉に、かぁっと耳朶まで赤くなった。
だが、一方で、こんなふうに彼の言葉に揺らされる自分が切なくなる。いけないと思うのに、初な自分は振り回されてばかりだ。彼にとって、いつもの手練手管に過ぎないだろうに。
こんな甘い言葉、きっと、他の誰かにも投げているに違いない……
「言った事ねぇな」
「!」
びっくりして顔をあげた。驚いた表情で見上げれば、土方が黒い瞳でこちらを見下ろしていた。
「おまえ、今思っただろう。俺が適当に言っている、他の奴にも言っているだろうと」
「……っ」
「だが、残念だな。全くの外れだ。こう見えても、俺は世辞を言わねぇ質なんだよ」
そう言ってから、土方は片手で黒髪をかきあげた。そうしながら、流し目のように総司を見やる。
「生憎、世辞なんざ言わなくても、向こうから寄ってくるからな」
「! でしょうね。私だって、そのうちの一人で……」
「おまえは違う」
きっぱりと言い切られ、息を呑んだ。目を見開いた総司に、土方は顔を近づけた。じっと瞳を覗き込む。
「総司、おまえは俺へ寄って来ねぇだろう。むしろ、俺がおまえを追いかけている」
「……土方、さん」
「なりふり構わず追いかけちまう。こんな事は初めてだ」
切ないぐらい真摯な声音に、胸が苦しくなった。
何も言えないまま、呆然と彼だけを見上げてしまう。そうして大きな瞳で見上げる総司に、土方は目を細めた。そっと細い肩に手がかけられる。
そのまま顔を傾け、静かに唇を重ねてくる。
「……っ」
一瞬だけの口づけだった。
初な総司を気づかうような、甘く優しい口づけ。
唇を離し、再び、土方は総司の瞳を覗き込んだ。先程とは違う、どこか気づかうような、不安げな表情。
思わず言ってしまった。
「……怒っていませんよ」
「そうか、よかった」
土方がぱっと破顔した。
少年のような笑みに見とれてしまう。
するりと手のひらで頬をつつみこまれた。もう一度口づけられるのかなと思ったが、優しく撫でられただけだ。
総司は甘えるように睫毛を瞬かせ、男を見上げた。無意識のうちに彼の手のひらに頬を擦り寄せる。
土方の目が細められた。
「……可愛いな」
なめらかな低い声が心地よい。
ゆっくりと顔を近づけ、再び――口づけられる。
今度は先程よりも長く、そして深く。
(私は……)
男から与えられる甘い口づけに、総司は瞼を閉じた……。