……愚か者の話をしよう。
大切な存在を救えなかった、愚かな男の話だ。
初めて逢った時、あまりの美しさに驚いた事を覚えている。
黄昏の刻限。
道場の一角に、その二人は佇んでいた。
きっと何か会話をかわしていたのだろう。
近くもなく遠くもない距離感。あと少しでふれあいそうな指さき、けれど決して繋がれない二人の手。
その距離感が、不安定な関係を表しているようだった。
男は黒髪に黒い瞳の端正な男だった。切れの長い目が鋭く、印象的だ。すらりとした長身に黒い着物を纏っていた。どこにでもいる浪人姿だが、得も言われぬ艶がある男だった。武家姿で正装などさせれば、誰もが振り返ることだろう。
少年の方も黒髪に黒い瞳で、だが、男とはまるで違う華奢な躰つきだった。花のように美しく可憐で、どこか淋しげだ。白い頬に伏せられた長い睫毛が煙るようで、憂いを漂わせた横顔は大人びていた。
絵のような二人に、思わず見惚れてしまった。
永遠に手に入らない、だが、だからこそ大切に守りたい、そうあり続けてほしいと思う二人。
あれが恋愛だったとは思わない。
ただ、大切にしたいと願ったのだ、心の底から渇望するように。
試衛館という道場に斉藤が通うようになると、たびたび、二人とも逢うようになった。
男の方は土方歳三、少年は沖田宗次郎といった。
二人は念兄弟という訳ではなく、ただの道場仲間のようだったが、互いに想い合っていることは明らかだった。周囲は気づいていないようだが、二人だけを見つめる斉藤にはすぐさまわかったのだ。
二人が結ばれてくれればいいと願った。いつも淋しそうな瞳をしている宗次郎が土方に愛されることで幸せになるだろうと思ったからだ。
だが、二人の仲は近づくどころか、離れるばかりだった。
宗次郎が総司と名をかえて大人になり、やがて、試衛館の面々が京へのぼることになり、新選組を立ち上げてから。様々な事があったが、二人の距離は離れていくばかりだったのだ。
一度、聞いてみたことがある。
「おまえは土方さんをどう思っているんだ?」
と、斉藤にしてはかなり単刀直入に問いかけたのだ。
それに、総司はさっと頬をこわばらせた後、目を伏せた。手を握りしめたのが視界の端に映った。
「……副長として、尊敬しています」
「いや、そうじゃなくてさ、あの人自身のことなんだ」
「意味がわかりません」
そう言ってから、総司は斉藤を真っ直ぐ見つめた。澄んだ瞳で、きっぱり言い切る。
「あの人にとって私が隊士にすぎぬように、私もあの人のことを副長としてのみ捉えていますから」
「総司」
「話はこれだけですか? 稽古があるので失礼します」
静かに一礼してから、総司は去っていた。すっとのびた背は美しいが、小柄で華奢な躰はどこか痛々しい。あの細い肩にある重責を思うと、斉藤は息がつまりそうな気がした。
一番隊組長、筆頭師範代という大幹部、近藤の一番弟子としての立場。
総司に甘えは一切許されていなかった。友などいないこの新選組で、総司は孤独に戦い続けているのだ。その上、恋する男は遠い存在であり、ほとんど言葉さえかわさない。
土方もまた、総司に手をさしのべられる状況にない事は明らかだった。諸刃の上を渡るような日々であり、冷徹な副長として振る舞い続けている。
その状況の中で、自分を拒絶している総司に手をさしのべられるはずもない。
だが、だからといって、今の状況はまずかった。
先日の争いごとから、総司は土方に酷く反発するようになり、伊東と急接近しているのだ。このままでは伊東の一派に取り込まれてしまうだろう。
その危惧はあたった。
伊東が隊を割り脱退することにした時、その隊士たちの中に総司の名が含まれていたのだ。斉藤もそこに加わっていたが、土方の指示によるものだった。間者として潜り込んでいたのだ。だからこそ、総司が離反することを告げられた時の、土方の様子も知っている。
愕然とした後、長い沈黙の後、酷く冷たい目をしたのだ。何かを決意した男の表情だった。
それを知りながらも、斉藤は二人の関係が修復されることを願った。そのため、隊を出た後、総司に逢いたいと言ってきた土方を引き合わせたのだ。
二人が昔のように寄り添えることを願って。
だが、それが間違いだったことを知ったのは、その日の夕刻だった。
「……殺され、た?」
篠原に聞かされた事実に、斉藤は呆然と呟いた。
それに、篠原は沈痛な表情で頷いた。
「先程知らせが入った。沖田君は斬られ、その亡骸は新選組の屯所に運ばれたそうだ。晒し者にでもするつもりなのか、わからぬが」
「まさか……」
「伊東先生は今、事実関係を確かめに出られている」
「……」
何が起こったのかはわからない。ただ、一つ明らかな事があった。
それは、土方が総司を殺した――ということだ。
二人は今日、逢っていたのだ。ならば、手を下したのは土方だろう。
気がつけば、走り出していた。二人が逢っていたはずの場所に。
神社で落ち合うと言っていた。そこに行ってみたが、斬りあいの痕などは何処にもない。しかし、そのすぐ傍にある路地裏で血痕を見つけた。
「……っ、総司……ッ」
思わず呻き、膝を折った。血にふれると、まだ温かい気がした。砂にまみれるのも構わず、掴む。
どれ程の間呆然とそこに蹲っていたか、ふと気がつけば、影がさしていた。のろのろと顔をあげた斉藤は、相手の顔を見たとたん、思わず叫んだ。
「どうして……ッ!」
「……」
「なぜ、殺したのです! なぜッ!?」
斉藤の叫びに、土方は顔を歪めた。
しばらく黙った後、低い声で呟いた。
「なぜ、と聞くか。おまえがそれを……聞くのか」
「……」
「わかっていただろう。おまえは俺の気持ちを知っていたはずだ」
「土方さん」
「俺は総司を愛していた。奪われれば気が狂うぐらい、この世の何よりも愛していた。惚れていた、心の底から欲していた。だが、あいつは俺のものに決してならなかった……」
土方は黒ずんだ瞳で斉藤を、否、その手につかまれた血を見つめた。
微かに笑った。
「だから、殺した。俺のものにするために、殺した」
「……っ」
「これで、もう……誰にも奪われない」
そう言ってから、土方は跪いた。斉藤の手を掴むと、その手から砂を血を奪い取る。
「すべて、俺のものだ……ッ」
掠れた声で呻くように呟く男は、もはや狂っていた。その瞳は正気の世界に身をおく者のものではなかった。
そして、それは間違いではなかった。
伊東一派を討ち、新選組が京から大坂、江戸へと撤退して、戦いに明け暮れる日々の中で、土方は以前の彼には二度と戻らなかった。血に飢えた獣のように戦いへ身を投じ、敵を葬ったのだ。その残酷さ、容赦なさは、人としての範疇を超えていた。
男の瞳は狂気に染まり、血を死を求め続けていた。
その懐に抱かれた一房の黒髪を、斉藤は知っていたが、誰に口外することもしなかった。
ただ、彼の傍らで死ぬまで戦い続けたのだ。
絶望の中、北の地で散るその瞬間まで。
以上が、前世の記憶である。
否、一度目の。
斉藤が、「あれ? これ二度目の人生じゃないか?」と気づいたのは、十才の頃だった。
気づくの遅っと思われそうだが、記憶が蘇ったのがその時点だったのだから仕方がない。近藤と知り合い、試衛館へ遊びに来ないかと誘われてすぐの事だった。
むろん、思いだした後は、しばらく呆然としてしまった。突然流れ込んできた凄まじい量の記憶に混乱し、熱を出してしまった程だ。
同じ人生を二度もやり直すことになったのは、おそらく自分自身が望んだからだろう。過ちを犯したくない、あの二人を救いたい。その気持が強かったからだ。
何しろ、一度目は酷かった。本当に悲惨そのものだ。
涙なしには語れない日々、いや、気苦労の連続だった。とくに後半、どれだけ胃痛に悩まされたことか!
まぁ、それはさておき、今度こそ間違えないぞ! 頑張るぞ! と固く誓っていた斉藤だったが、年月が過ぎる中で何か違うことに気づいた。
(総司、なんか……違わないか)
あの憂いをおびた瞳や、雨に打たれた花のような儚さがない。
どこをどう探しても、欠片一つッなかったのだ。
今、斉藤の傍にいる総司は、やんちゃで元気いっぱい、明るくてちょっと我儘で天然で可愛い若者だ。まったく違う、一度めと完璧に違いすぎる。
何でこうなった? 誰か、一度目と違う行動をしたのか!?
…………一度めと違う行動?
(オ・レ・かぁぁぁーッ!)
心の中で絶叫した。
いやってほど覚えがあったのだ。所謂フラグを思いっきり叩き割った記憶が。
あれは初めて試衛館を訪れた時だ。近くで虐められている少年を見かけた。体格のよい子供たちに囲まれ、暴力をふるわれていた。挙げ句、使い走りのようなものまでされていたようなのだ。おそらく少女のように綺麗で小柄な総司は、子供たちのちょうどよい獲物で、虐めも日常化していたのだろう。
以前はまったく知らぬ存在だったため、気の毒に思いながらも無関係だと通り過ぎた。だが、今回は違う。
あの!宗次郎が虐められているのだ!
愛しい愛しい宗次郎が!
放っておけるはずがなかった。
「おまえら、オレが叩きのめしてやるッ!!!」
斉藤は十才という年齢からすると、割合体格がよい方だった。
そして、宗次郎自身剣術が優れているのにそれを素人の子たちに振るうのはと遠慮していたところを、斉藤は容赦なく振り回した。竹刀だったが、それでも痛い。
未来の新選組三番隊組長の剣術だ、かなりやばい。
たちまち蜘蛛の子を散らすように逃げ出した子供たちに、斉藤は満足し、お礼を言ってきた宗次郎と仲良くなった。
以来、宗次郎は全く虐められる事がなくなったようで、その上、いじめのことを斉藤が近藤や土方たちに告げるとかなり怒り狂い、不憫に思ったからなのか、それこそ箱入り娘のように宗次郎を可愛がりだした。
もっとも、土方はこっそりだったが、近藤や原田や永倉などはおおっぴらに可愛がりまくったのだ。
可愛がられ甘やかされまくって、憂いのある若者になるはずがない。
結果、可愛くてキュートで元気いっぱいでちょっと我儘天然仔猫ちゃん沖田総司が完成した、という訳である。
しかも、その総司は今、土方に対して恋心はまったく抱いていない。
欠片もないし、意識外にあると言ってもよいほどの無関心さだ。
実際、同じ質問をしたことがあるのだ。いや、聞いた後、聞かなきゃよかったと思ったが……。
「おまえは土方さんをどう思っているんだ?」
「え、土方さん?」
きょとんとした様子で、総司は斉藤をふり返った。小首をかしげ、んーと考える。
「土方さんって、あの土方さんのことでしょ。新選組副長の」
「あ、うん」
「副長として尊敬してる、かな?」
同じような答えでありながら、ニュアンスが違いすぎる気がした。深刻さがまるでない。
その証拠に、総司はにこにこと笑った。
「いつも仏頂面でしんどくないかなぁと思うし、近藤先生に結構うまく仕事押し付けられまくって、それでも気づかず頑張ってるの尊敬しちゃうし」
「そ、尊敬って……そこ?」
「他にもありますよ、仕事忙しいのに結構女の人とも遊んでいるみたいでしょ。よく時間をつくれますよね。すごいなぁ、私だったら睡眠の方をとるのに、あ、お菓子を食べる方がいいかな?」
「…………」
「お菓子と言えば、この間、とっても美味しい甘味屋さん見つけたんですよ! 今度一緒に行きましょうね」
「あ、あぁ……」
もはや何も言うことが出来なかった。ぐうの音も出ない、である。
この総司をして、悲恋も悲劇も絶対絶対ありえない!
何がどうなっても、あの結末には至らないだろう。
それに、この総司の性格のためなのか、土方の方も微妙に違っていた。
総司を溺愛していることは同じだが、それが結構だだもれなのだ。一度目の時は秘めた恋に苦しんでいたし、斉藤以外にその想いは気づかれていなかった。そのため、土方も憂いにみちた表情になることが多く、どこか翳りがあったのだ。
が、今は違った。
土方は総司が可愛い好きだ、惚れているんだということを全く隠そうとしていなかったし(総司以外には)、誰が見ても涙ぐましいぐらい尽くしまくっていた。
以前の時、斉藤は、土方と総司の二人の繋がりというか、関係性、距離感、二人の美しさに、憧憬のような想いを抱いていた。だから、何としても二人を救いたいと思ったし、今度こそ守りたいと思ったのだ。
だが、正直な話、今回の二人には、そういった想いは全く覚えない。
総司の周囲をうろうろして尽くしても気づいてもらえず、がっくり落ち込んでは、近藤に半目で眺められている土方に、憧憬など抱けるはずもないし、今の元気いっぱいの総司も可愛いが、あの切ないような気持ちとは少し違う気がする。
可愛いなぁと思うし、ずっと仲良くしたいとは思うが、何かこう……違うのだ。わかる?
(まぁ、平和な方がいいさ。あんな結末だけは御免だから)
今日も総司の後を追い回しながら気づいて貰えない男と、お菓子だ可愛い小物だと楽しそうに笑っている天然子猫ちゃんを眺めた後、斉藤は少しだけ遠い目になったのだった……。