結局血判するのかよ!


 眉間に皺を刻んだ土方は、総司がその様子に怯えた表情になるのを見たとたん、はっと我に返った。


 あれだけ自分に怯えて怖がっていた総司が念弟になってくれたのだ。
 仮初めとはいえ、恋人になってくれた。
 なのに、それをこんな事ぐらいで怯えさせて、また逆戻りにしたいのか。
 可愛い総司を手にいれるためなら、血判でもなんでもしてやろうじゃねぇか!


 土方は紙を受け取り、さらさらと筆を走らせた。その後、血判を押す。
「これでいいか」
 差し出された誓文を総司は真剣な表情で見つめた。じっと見つめて確認している。やがて、顔をあげ、安堵したように微笑んだ。
「はい、ありがとうございます」
 いそいそと懐にその誓文をしまいこんだ後、総司はまた手をのばして紙を取り上げた。もう一枚か? 複製がいるのか? と思っていると、総司は同じような誓文を書いた後、自分も血判した。それに呆気にとられる。
「はい、受け取って下さい」と言われたその誓文を受け取りながら、思わず言ってしまう。
「俺は……望んでいねぇんだが」
「でも、私だけ頂くのはおかしいと思うのです。それに、これは私の決意の証なのです。土方さんには理解してほしいから、私が絶対に裏切らないと」
「それは、その、有り難いというか安心する話だが……」


 確かに誓ってもらえるのなら、有り難い話だった。
 仮初めだと思っていた恋人という繋がりがこれからも続くことを意味するし、何よりも、他の男――とくに伊東などに奪われる心配がかなり薄れる(完全ではないが)。
 が、そこまで土方は総司に求めるつもりはなかったのだ。
 何しろ、まだまだ始めたばかりの関係だ。なのに、この先のことまで誓わせるなど、到底できなかった。
 むろん、自分は絶対に気持ちが揺るがない自信がある。何しろ、長年もう周囲から呆れられるほど総司だけを一途に想ってきたのだ。
 確かに遊んだりはしたが、あれはあれ、これはこれ。総司を手に入れることが出来るなら、今後、一切遊ぶつもりもないし、目を向けることもない。


「俺は絶対におまえから心変わりすることねぇからな」
 念押しするように言った土方に、総司はちょっと目を見開いた。大きな瞳で男を見上げ、きょとんとしている。
 半開きになった桜色の唇とか、ふくふくした頬とかが、めちゃめちゃ可愛い!
 やがて、総司はにこっと笑った。
「ありがとうございます」
「……」
「? 土方さん?」
 ぱっと花が咲いたような笑顔にくらくらしていると、総司は不思議そうに小首をかしげてきた。その仕草も何も可愛くて可憐で、砂糖菓子みたいに甘くて。たまらず手をのばしてしまった。
「え、え?」
 びっくりしている総司を引き寄せ、ぎゅっと抱きしめる。男の腕の中で、総司は一瞬身体を固くした。が、その後何もされない事を知ると、ほっとしたように力を抜いた。華奢な躰が従順に凭れかかってくることに、土方はたまらない幸せを感じた。
 どうしてこんなにも愛しいのだろう。一度この愛しい存在を手にいれてしまえば、手放すことなど出来るはずもない。
 総司は何も心配することなどないのだ。彼が総司を手放すことなど、ありえないのだから。むろん、奪われることも許さない。決して。


(奪われるぐらいなら、いっそ……殺してやるさ)


 総司が聞けばそれこそ「やっぱり夢あたってるー!」と絶叫しそうな事を思いながら、土方は愛しい恋人をその腕に抱きしめたのだった。














 その数日後のことだった。
 島原で宴が開かれた。総司はあまりこういった場所が好きではないのだが、今回はとりあえず出ることにした。理由はない、何となくである。
 行ってみると、土方は何か用事があったようでまだ来ていなかった。
 が、総司はなんとも思わず、さっさと席について料理を食べ始めた。お酒は飲めない方だが、こういった席の綺麗で美味しい料理は好きだ。江戸にいた頃は見たこともなかったような美しい料理は見るだけで楽しいし、うきうきする。
 ぱくぱくと口にはこんでいると、隣に誰かが坐った。斉藤かと思って顔をあげた総司は、ぴきんと固まってしまった。思わず箸が宙を泳ぐ。
「……い、伊東先生……っ」
「豆鉄砲を食らった鳩みたいですね」
 くすくすと笑う伊東に、総司は慌てて笑顔をつくった。そうしながら、さり気なく広間に視線を走らせる。
 まだ土方は来ていない。彼が来る前に早く伊東から離れるべきだと、警鐘が鳴りまくった。
 そんな総司に、さくっと伊東は切り込んできた。
「土方君の念弟になったそうですね」
「え、は、はい」
「先こされてしまいましたね。私も結構狙っていたのですが」
「は? え、は……はいぃ?」
 思わず声が裏返ってしまった。
「それ、冗談ですねよね? 私のことからかってます? 伊東先生、やだなぁ、もう」
 伊東はくっくっと喉を鳴らした。
「本当にきみは面白い、楽しいですね。いや、本心ですよ。きみが欲しいと思ったのも、一緒にいると楽しいことも」
「欲しいって、それは……あの、隊内の勢力のためですか」
「うーん、それもありますが、それ以上に私自身がきみに惹かれていることが大きいですね」
「それは……その、ありがとうございます」
 律儀に頭を下げた総司は、だが、きっぱりと言い切った。
「でも、私、土方さんの念弟になりましたので、伊東先生のお気持ちは受けられないのです」
「菊の契りは結びましたか?」
「き、き……ッ」
 思わず絶句してしまった。
 こんな事まで踏み込まれるとは思っていなかったのだ。かぁぁああっと耳朶まで赤くなってしまう。そのまま、ぶんぶんと首をふった総司に、伊東はほっとしたように微笑んだ。
「よかった、じゃあ私にもまだ機会がありますね」
「……伊東先生って、こんな積極的でしたっけ」
 押せ押せモードの伊東に戸惑いつつ訊ねると、伊東は悪戯っぽく笑ってみせた。秀麗な顔でそんな表情をするとたまらなく魅力的で、どきりとしてしまう。
 つくづく私って面食いなんだなぁと思いつつ見惚れていると、不意に、傍らから腕を掴まれた。
「!?」
 え? と見上げる間もなく無理やり立ち上がらせられる。
 慌てて見上げようとしたが、そのまま頭を男の胸もとに押し付けられたことで、相手がわかった。匂いで、ぬくもりでわかってしまったのだ。
 一瞬で硬直した。


(ひ、ひひひひ、土方さんッ!? やばいやばいやばいーッ!!!)


 恐怖に固まっている総司を人目も憚らず胸もとにしっかり抱きしめながら、土方は鋭い目を伊東に向けた。むろん、広間はシーンと静まり返り、隊士たちどころか仲居、遊女たちからも注目の的だ。
 底冷えするような低い声が問いかけた。
「これに何か御用でしょうか」
「すっかり自分の所有物扱いですね」
「実際、そうですから。総司は俺のもの、俺の念弟です。その総司に妙な誘いは無用に願いたい」
 ぴしゃりと言い切った土方に、伊東はくすっと笑った。
「妙な誘いなどしていませんよ。ただ、私の念弟になりませんかと言っていただけです」
「それが妙な誘いだ。今後、総司への手出しは一切遠慮願います」
 自分の頭の上で行われる男たちのやり取りを、総司は冷や汗たらたらしながら聞いていた。もう心臓がばくばくして、何をどうすればいいのかわからない。
 伊東がこちらに視線を向けたのを感じた。
「さて、それを総司自身は望んでいるのでしょうか」
「……っ」
 いきなり矢がこちらに飛んできて、総司は思わず固まってしまった。びくびくしながら顔をあげれば、見下ろしている土方と視線があう。


 ……え。


 びっくりした。
 一瞬、ほんの一瞬だったが、まるで縋るような色が瞳をよぎったのだ。捨てられることを怖がっている子供のような表情だった。すぐさま視線をそらしてしまったが、今のが見間違いでないことは、総司の腕を掴んだ手にぎゅっと力がこめられたことでよくわかる。
 総司はすうっと息を吸ってから、伊東の方へ向き直った。ぺこりと頭を下げる。
「ごめんなさい、伊東先生」
「……」
「私、土方さんの念弟なので、お気持ちはとても嬉しいのですが、受けられないのです。申し訳ありません」
 はっきりと言い切った総司に、伊東はちょっと目を見開いた。それから、苦笑する。
「これは完全にふられましたね。いいでしょう、私も男だ。潔く引き下がりますよ」
 そう言って伊東は背を向けた。さっっぱりした表情で広間を出ていく。
 それをぼうっと見送っていると、不意に後ろから引っ張られた。驚いて見上げる間もなく、ぎゅううーっと抱きしめられる。
「ひ、土方さん……っ」
「……」
「土方さんってば、場所柄考えて下さいッ」
 ちょっと怒った声音で言うと、土方はすぐさま腕の力をゆるめてくれた。が、その腕の中から恋人を離そうとはしない。
 総司は困ったなぁと思ったが、意外とその腕の中があたたかくて居心地よかったので、何も言わなかった。黙ったまま大人しく抱かれている。
 結局のところ、それにストップをかけたのは近藤だった。
「部屋へ行け、歳」
 つまりは、いちゃつくなら他所でやれ、バカップルということである。
 土方はその近藤の提案にあっさり頷いた。律儀に「先に失礼する」と断ってから、総司の手をひいてさっさと広間を後にする。
 だが、部屋を用意するよう仲居に言いつけている土方に、ちょっと慌ててしまった。
「あの、土方さん……わ、私……っ」


 まさか、このまま例の伊東曰くの「菊の契り」になるの? そうなっちゃうの!?


 わたわたしている総司を、土方は面白そうに見下ろした。くすっと笑う。
「そんなに警戒しなくても、食っちまったりしねぇよ」
「く、食ってって……」
「俺がおまえを己のものにするのは」
 とん、と、指先で総司の胸をついた。
「ここにある心を、ちゃんと手に入れてからだ」
 そう囁きざま悪戯っぽく笑ってみせる男に、思わず見惚れてしまった。
 なんというか、やっぱり手慣れている。さすが、百戦錬磨の男。やることがそつないし、相手をぼうっとさせることに長けているのだ。
 そんな事を思っていると、土方は総司の手をひいて柔らかく部屋へ連れ込んだ。それも気がつけば襖が閉められ二人きりという手際の良さだ。
 ちょっと警戒していたが、本当にそこまでするつもりはないようだった。料理の膳を運ばせると、あれこれ世話を焼いてくれる。
 が、一方で、位置が問題だと思った。べったりと土方の傍に寄せられ、ほとんど抱き寄せられているのだ。間近で感じる男の気配に、笑顔に、どぎまぎしてしまう。
「……あ、あのっ」
 とうとう申し立てた。それに、土方が「ん?」と小首をかしげる。
「何だ」
「この位置、まずいように思うのですが」
 絶対却下されると思っていたが、総司の言葉に土方は一瞬目を見開いただけで、「あぁ」と頷いた。そして、にっこり笑うと総司の腰に両手をまわした。え?と思った次の瞬間にはふわりと躰が浮き、男の膝上に座らされてしまっている。
「!?」
 目を見開いて固まっている総司に、土方はにっこりと笑いかけた。
「これでいいだろう? そうだな、恋人だものな。これぐらいの位置関係じゃねぇとな」


 いやいや、違うから!
 それ、絶対間違っているから!


 と主張したかったが、自分を膝上に抱いたまま、せっせっと口に料理を運んでくる男に何も言えなくなってしまう。しかも、至極嬉しそうに幸せそうな笑顔を見せられれば、尚の事だ。
 仕方なく黙って食事を終えたが、その後も土方は総司を膝上に抱いたままだった。柔らかく抱きすくめ、頬や髪を撫でて目を細めている。
 総司は思わず言ってしまった。
「……もしかして、もしかしてだけど、土方さんって……私のこと好きなの?」
「……」
 ぴたりと土方の手が止まった。呆気にとられた顔で総司を見ている。かなり長い沈黙の後、聞き返された。
「好きでもねぇのに、念兄になると思うか? この俺が」
「お、思いませんけど」
「なら、そういうことだ」
「……」
 そういう事って、つまり……好きってこと? 好きだから、ほんの少しでも好意があるから念弟にしたの? 隊士として必要だからじゃなくて?
 いろいろ思うところがあったが、今、ここでそれを聞くのはまずい気がした。何しろ、さっきあんな騒動があったばかりだ。危うく夢の再現になるところだったとビクつきまくっていた総司は、また後日にしようと思った。
 そして、甘える仔猫のように男の胸もとに顔をうずめた。
 ……その行動に舞い上がりまくるベタ惚れ男に気がつかぬまま。