昼下がりの局長室だった。
 日差しもあたたかく、外からはぴーちくぱーちくと雀の鳴き声が聞こえ、まったりのどかそのものだ。
 が、室内の気温は冬のように凍っていた。というか、じめっと湿っている。
 その原因である男に、とうとう我慢できなくなった近藤が叫んだ。
「歳、おまえいい加減にしろ!」
「……」
 不機嫌そうに顔をあげた友人に、ため息がもれた。
「何なんだ、さっきから……というか、先日から、仏頂面すぎるだろ。本当に鬼そのものだぞ」
「……どうせ、俺は鬼の副長だよ」
「拗ねるな。似合わん」
「近藤さんにはわからねぇよ、俺の気持ちなんざ」
「いい年して、何だ。おまえ、ほんっと子供みたいだな」
「……」
 子供の頃のような表情で、土方は顔を背けた。むすっとして視線を落としている。
 それを放っておいてもいいのだが、このままでは業務に支障が出まくっている。実際、監察の山崎からも泣きつかれているのだ。
 近藤は、はぁっとため息をついた。
「で、何があったのだ。総司にでもふられたか」
「!? 何でわかるんだっ」
 勢い良く顔をあげる土方に、半目になった。
「おまえが落ち込むなど、それ以外ないだろう。告白したのか、念兄弟になってくれと迫ったのか」
「ちがっ……そんな事しねぇよ!」
「だろうなぁ。おまえに、そんな勇気があったらとっくの昔に総司はおまえの念弟だな」
「う、放っておいてくれ」
 今度こそ本格的に拗ねてしまった男に、近藤はやれやれと肩をすくめた。


 土方の総司への恋慕は、試衛館出身の者なら総司以外は全員周知の事実だ。
 わかりやすぎるぐらい丸わかりなので、あれで気づかない総司はある意味大物だと皆、感心している。
 総司というか、宗次郎だった少年と出会った土方は、一目で恋に堕ちた。
 相手が、まぁ……その、十才の子供だったことは、とりあえず置いておいて(そこを追求すると、やばくなる)、その日から土方の目には総司以外映らなくなってしまったのだ。
 が、遊び馴れたはずの土方は、意外と不器用だった。
 本気の恋というか、これが初恋だったのか(ちょっと怖いが)、とにかく総司に何も言うことが出来ず、近くをうろうろするばかりだったのだ。
 挙句、話す機会があっても、何を話していいのかわからず、ほとんど会話が成り立たない状態。
 当然ながら、それで総司に気持ちが伝わるはずもなく、二人は、同じ道場仲間→京に来てからは上司と部下という関係に落ち着いてしまったのだった。
 土方にとっては誠に不本意ながら!
 しかも、総司は京にのぼってからますます可愛く綺麗になり、いつ縁談が舞い込むか、はたまた念兄弟の申込みがあるかという状況で、それを前に、土方はさーっと青ざめた。
 が、しかし、何も出来ない。
 ここのままじゃやばいっ、どうすりゃいいんだーっと焦りまくっても、総司のつぶらな瞳で見上げられると何も言えなくなる男を、長年、生温かく眺めてきた近藤は、こほんと咳払いした。


「で、何があったのだ」
「……勘違いした」
「は?」
「あいつの気持ちがこっちに向いているのかと思っちまったんだ」
 土方は俯いたまま、ため息をついた。
「この間、総司が俺をかばってくれただろ? で、ちょっと俺も舞い上がっちまって昼飯に誘ったんだ。それで」
「押し倒したのか」
「近藤さんっ、あんた、俺のこと唆しているのか? 面白がっているのか?」
「両方だろう。で?」
「……っ。とにかく、昼飯は順当に終わったんだが、その後から総司の態度が変わったんだ。やたら視線を感じるようになってさ、振り返ったら目があうしで、これは……その、少しは好意を持ってくれているのかなと」
「期待してしまったが、違ったと」
「……」
 無言でがっくり項垂れた土方は、はぁぁあっとため息をついた。両手で顔をおおう。
「ほんっと信じられねぇ。あそこまで嫌われているなんて、思わなかった」
「嫌われているのか、好きではなく」
「みたいだ。俺のことが怖いんだってよ。しかも、伊庭と恋仲になりたいみたいだ」
「? 伊庭? って、あの伊庭八郎か?」
 不思議そうに、近藤は小首をかしげた。
「総司は伊庭と仲が良かったか? あまり親しいとは見えなかったが」
「これから愛を育てるんだとよ」
「? 意味がわからん」
「総司の方が乗り気みたいで、伊庭に言いよっていた。で、そこへ分け入って……」
「邪魔したのか! それは嫌われるだろう」
「いや、そうじゃなくて、いや、そうだな、邪魔したんだが、そこで俺は聞いたんだ。伊庭と恋仲になりたいのかと」
「おま……っ、歳! もう少し言葉を選べ」
 呆れ返る近藤に、土方は不機嫌そうな表情になった。
「俺も頭に血がのぼっていたんだよ。で、聞いたとたん、あいつは否定したんだ。それもすげぇ怯えきった様子で」 
「歳、おまえ、もう少し空気を読まんか。おまえにその形相で聞かれて、肯定できると思うのか」
「……だよな。やっぱり、総司は伊庭と恋仲になりたいんだな」
「問題はそこではないだろう!」
 どこかズレてる友の言葉に、近藤はもう全部、彼方へポーンと放り投げてしまいたくなった。が、ここで手を引けば、また山崎やら島田やらが泣きついてくるのは目に見えている。
 だが、どう言って宥めればいいのか。この拗れまくりの男をどうやって浮上させるのか。
 ため息をついた近藤は、隊の運営以上に頭を悩ませたのだった。












 一方、総司である。
 清々しい青空の下、素振りを行っていた。時折、休憩と称してお饅頭を食べたりして、元気いっぱいだ。
 しかし、これでも悩んでいたのである。


(謝られちゃった……でも、何で?)


 そこ、謝るとこですかと突っ込みたいぐらいだったのだ。それぐらい意味がわからなかった。
 土方の意に沿わない事をしたのは、自分の方だ。だからこそ、申し訳ありませんと謝ったのに、何で逆に謝られたのか。
 それも、総司の気持ちに気づかなかったなんて。怖がったことがまるで土方に原因があるようではないか。
「まぁ……それは事実なんだけど」


 この先起こりうる未来で、土方は総司を殺める。
 そのために総司は彼を怖いと感じてしまうのだ、その形のよい眉が顰められるだけで、自分の言動に間違いないかと確認してしまうのだ。
 が、それを土方に押し付けるつもりはなかった。彼は今、別に総司に対して悪意も殺意も持っていない。
 むしろ、一番隊組長として遇してもらっている。あの夢の中のように冷たいまなざしを向けられたり、酷い言葉で侮蔑されたりした訳ではなかった。
 そうである以上、土方が謝ることなど何もないのに……。


「むしろ、機嫌そこねちゃった感じがするし」
 総司は深々とため息をついた。
 いつも見ているせいか、よくわかってしまうのだ。土方ば最近ものすごーく機嫌が悪いということを。
 そのため、いつもなら通る決裁もなかなか通らなくて、引き攣った顔の山崎が救いを求めるように、なぜか総司の方を何度も見ていたが、これまた意味がわからない。
 土方の機嫌を急降下させてしまったのは、たぶん、自分だ。が、その機嫌をよくするのは自分にはとても無理だ。
「あーあ、上手くいかないや」
 桜色の唇を尖らせ、総司はぽんっと縁側にすわった。今まで素振りに使っていた竹刀を置き、ぱくぱくとお饅頭を食べ始める。
 ふわふわした白いお饅頭は最近、総司のお気にいりなのだ。
 それを知ったらしい誰かが差し入れてくれたものだった。小姓役をつとめている隊士が持ってきてくれたため、送り主はわからない。
 が、あまり細かい事を気にしない総司は追求する気もなく、ありがたく頂いていた。
 何しろ、昔からこういう事は多々あったのだ。
 総司が好きと思ったお菓子や小物は、なぜかすぐに用意されたし、さり気なく置かれてあったりした。送り主について知っている? と、周囲に聞いても皆、微妙な表情をするばかりで、誰も答えてくれない。
 そのため、総司は次第に追求する気もなくなり、ただ、感謝の気持ちで受け取ることにしたのだった。
 のんびりお饅頭を食べていると、縁側を誰かが歩いてきて傍に立つ気配がした。
 斎藤さんかな? 一番隊の人かな? と思って顔をあげた総司は、次の瞬間、お饅頭を喉に詰めそうになった。
「ひっ、土方さ……ッ」
「……」
 そこに立っていたのは、今まさにあれこれ考えていた男、土方だった。
 突然現れた彼に、すっかり慌ててしまう。必死になってお饅頭を飲み込み、総司は立ち上がった。
「な、何かご用でしょうか?」
 頭を下げながら問いかける。こんな処に副長がやってくるなど、仕事以外では考えられなかったのだ。
 それに、土方は低い声で言った。
「……すまないが、少し話がしたい」
「え」
 顔をあげた総司は、固い表情の土方に息を呑んだ。正直な話、怖い。っていうか、目が据わっているし!
「あ、えっ、あのっ……えーと……」
 断ろうかなと思ってきょろきょろした総司だったが、何の口実も見つからない事に気づくと観念した。
 縁側に坐り直しながら、頷く。
「はい……」
「ありがとう」
 礼を言うと、土方も総司の傍らに腰を下ろした。着流していた着物の裾を払う仕草が流れるようで格好いい。それにぼうっと見惚れている総司に、低い声がかけられた。
「まず、先日のことを謝りたい」
「え」
 きょとんとした。


 もう謝ってもらっていますけど?
 っていうか、謝る必要なんてどこにもなかったはずですが。


「この間、俺はとても身勝手な事をした。おまえが伊庭と恋仲になろうが、つきあおうが、おまえの都合だしおまえが決めることなのに、それに口出しをしたんだ」
「……あー、まぁ、はぁ」
 気のない返事をしてしまったのは許して欲しい。
 総司の中で、伊庭と恋仲になるという選択は消去されていたので、一瞬、思い出せなかったのだ。
 それよりも、伊庭とつきあおうとした事で、土方の機嫌を損ねたという事の方が重大だった。そのため、あれこれ悩んでいたのだから。
「本当にすまなかったと思う。おまえに無理強いしたことを謝る」
「え、いえ、あの、違いますから」
 総司は慌てて手をふった。
「私、無理強いされたなんて思っていませんし、伊庭さんと恋仲になるつもりもありません」
「だが……おまえは望んでいただろう。伊庭に恋人になって欲しいと」
「うわ、あれ、聞いていたんですか」
 聞かれていたんだ、あちゃーと思った総司の前で、土方は慌てて頭を下げた。
「す、すまないっ。立ち聞きするつもりはなかったんだが、つい聞こえてきて、その……」
「いえ、あんな場所で大声で話していた私が悪いのです。でも、なら……正直に言います。はい、伊庭さんとつきあおうかなと思っていました」
 そう言ったとたん、土方が顔を歪めた。苦しそうな表情になり、ぎゅっと膝上においた拳を握りしめる。
 視線を落とした。
「……そう、か……」
「はい。でも、すぐに無理だなぁと思ったんです。なんというか、そういう感じになれないっていうか、自分の気持ちが無理だったんですよね。恋とか愛だとか、どきどきするのとか、そういうの伊庭さんに全然感じなかったですし」
「?」
 土方は訝しげに眉を顰め、顔をあげた。総司をじっと見つめてくる。
「よく意味がわからねぇんだが。おまえ、伊庭に恋慕したからつきあおうと思ったんだろ?」
「いいえ」
 あっさりした口調で答えた。
「私、伊庭さんに恋慕なんて感情、一欠片もありません。でも、まぁ、とある事情でつきあった方がいいかなと思ったので」
「とある事情?」
「いろいろと、その、ありまして……」
 口ごもってしまった。


 まさか、あなたに恋しないためです、なんて言えるはずもない。
 本人を前にして、あなたに見惚れたりどきどきするのがやばいから、他の人とつきあおうとしたなんて、言えるはずもないのだ。
 恥ずかしいし、それに、なんかもう徹底的に軽蔑されて敵視される気がする。
 それこそ、破滅一直線だ。


 総司は必死に頭を働かせた。
「えっと、えーと、その、あ、はい。私、誰ともつきあった事がなくて、恋ってどんなのかなぁ、つきあうってどんなのかなぁと思ったので、経験してみたくなったのです」
 自分でもいい言い訳だと思った。
 これ、うまい! 最高! と、安堵しながらにこにこしていると、不意に、がしっと両手が掴まれた。
 びっくりして見上げれば、ものすごく真剣な土方がこちらを見つめている。


 え、これも駄目だった? やばい事言っちゃった? 破滅一直線への罠踏んじゃった?


 内心だらだら冷や汗もので固まっていると、土方が叫んだ。
「なら、俺とつきあってくれ!」
「…………へ?」
 呆然としている総司の前で、土方は必死にかき口説いてきた。
「誰とつきあってもいいのなら、俺では駄目か? い、いや、おまえに嫌われているのはわかっているが、それでも、他の男とおまえがつきあう姿は見たくない。それこそ、消し去ってやりたくなるんだ。だから、頼む、俺とつきあってくれ!」
「………………」
 総司はぴしりと固まり、土方を凝視した。


(今、なんて言ったの? この人、言ったよね!? 消し去りたくなるって……それって、つまりつまりつまり……うきゃあああッ)


 殺すってことでしょ!
 他の男の人とつきあったら殺すってことでしょ!?
 え、何、それで私、殺されたのっ? 誰ともあの夢の中ではつきあっていなかったのに?
 伊東先生と噂になっていたから? だから、殺されたってことな訳ぇ―!?


 とんでもない予測に総司は震え上がってしまったが、その元凶である土方の手を振り払うことは出来なかった。
 ここで手を振り払ったり断ったりすれば、今度こそ破滅一直線だ。
 しかし、何で、男の人とつきあったら殺されるのか。
 そこだけはわからなかった。土方とつきあうのはいいのに、他の男が駄目だなんて全くわからない。
 それに、土方に恋することは駄目だと考えて他の誰かと恋しようとしたのに、彼とつきあうなんて、本当にやばくないのだろうか? 
 もちろん、ここで断ったらまずいとわかっている。
 が、どのみち彼に恋しても破滅なのだ。報われぬ恋に狂い、絶望し、その恋心を利用されて殺される運命……。


(……あれ? でも、つきあうってことは報われるってことだよね? 絶望すること、ないよね?)


 総司はうーんと考え込んだ。
 だが、すぐに気がつく。


(ちょっと待ってよ。早合点しちゃだめ。この人が私とつきあうのやめる事にした時点で、私の方が熱愛しちゃっていたら? それこそ絶望するよね、報われぬ恋に狂っちゃうよねっ?)


 どのみち詰みでしょ! これって、どうすればいいの!?