「俺が傷つく?」
 聞き返した土方に、総司はこくりと頷いた。
 うまく伝わるか心配になりつつも、言葉を紡いだ。
「あの時、土方さん、売り言葉に買い言葉で、酷い事を言いそうな気がしたのです。でも、それを口にすれば、永倉さんや私たちだけでなく、土方さんも……いえ、土方さんが一番傷つく、そんな気がしたのです」
「総司……」
「それは嫌だと思ったから、止めました。以上です」
 口早に言って、ぺこりと頭を下げた。そのまま立ち上がり、部屋を出た。
 そのまま土方といられなかったのだ。
 恥ずかしいという思いもあったが、やはり、怖いという想いが強かった。
一生懸命気をはって、平気なふりで話していたが、どうしても躰が竦む。彼を前にすると、あれは夢だと思い込もうとするほど、鮮明にあの光景が、あの表情が、あの痛みが蘇ってくるのだ。


(でも、あれは、ただの夢じゃなかったんだよね)


 部屋に戻った総司は考え込んだ。


 あれは全て、未来に起こりうることなのだ。
 このままいけば、自分は彼に殺される。それも、誤解故の幸福の後の地獄だ。
 そんな惨めな最後は絶対に嫌だった。
 夢の中の事であっても、思い出すだけで胸が痛くなるのだ。
 切なくて苦しくて、辛くて悲しくて。
 ……涙がこぼれそうになる。
 愛する男に殺されたのだ。それ以上の悲しみがあるだろうか。
 むろん、現の総司は彼に愛などという気持ちを持っていない。嫌いでも好きでもない存在だ。
 だが、それでも、近くない将来、あの夢のとおりに進めば、総司は彼を愛するのだろう。
 そして、冷たく拒まれた挙句、殺されるのだ。


(私が殺されたのは、どうしてなんだろう。あ、そうだ! あれは伊東先生と隊を出た後に起こったことだった。ということは……)


 土方は副長として処断したのだ。
 新撰組を裏切り隊を出た、一番隊組長、筆頭師範代、近藤の愛弟子。
 大幹部である総司の存在は隊を大きく揺るがすものだった。土方は新撰組を最強の武装集団にすることに心血を注いでいる。それを邪魔する存在は許せなかったのだろう。
 だから、手を下した。彼自ら、総司を暗殺することにしたのだ。
 よりによって、副長たる彼自身が総司を殺す役を買ってでたのは……


(土方さんは、私の気持ちを知っていた……?)


 彼は、総司の秘めた想いを知っていたのだ。
 だからこそ――抱きしめた。優しくすれば油断すると思ったに違いない。
 総司は病をえているとはいえ、京でも指折りの剣士だ。それを殺すには策が必要だった。だから、彼自ら手を下したのだ。己が総司の気持ちを揺らせば、油断が生まれると踏んだからこそ。
 その読みはあたった。
 見事に総司は騙され、そして、殺されたのだ。
 ――愛する男の手で。


「……酷いなぁ」
 夢なのだと思えば責めるのはおかしいが、あれは夢ではない。未来で起こることだ。
 そうである以上、彼の酷さは総司の心を突き刺した。
 だが、それは考えても仕方ない事だった。未来に起こるだろうことで、彼を責めることは出来ないし、自分も感情の持っていきようがない。
 それに、今はそんな事態に陥っていなかった。総司は彼を愛していないし、土方も総司を殺そうと思っていない。
 今は、まだ。
「つまり、私が脱退しなければ大丈夫ってこと……?」
 ふむと腕を組んだ。


 それだけでは弱い気がした。
 さっきも自分が口を出したことで、簡単に事は変化した。そうであるのなら、このさきの行動でいくらでも未来は変わっていく。
 ただ脱退しなければいいで済むのなら楽だが、それでは呑気すぎるだろう。己の命がかかっているのだ。破滅への可能性は全て消していくべきだった。


「伊東先生と親しくなりすぎないようにすることも……大事だよね」


 今のところ、伊東とは年上の友人だ。書について言葉をかわすぐらいで、そこまで深入りしている訳ではない。
 そして、何よりも、土方に敵視されないよう気をつけるべきだった。
 敵だ、隊にとって異分子、邪魔だと判断されれば、排除されかねない。彼の心証を悪くしないよう、言動には慎重になるべきだろう。


「結構難しいなぁ」
 総司は思わずため息をついてしまった。


 江戸の頃から一緒にいたからこそ知っているが、土方は見た目以上に複雑な性格の男だ。
 彼独特の思考や行動の基準をもっている。そのため、他人が「え?」と思う事でも、彼の中では筋が通っているという事が多々あった。
 むろん、土方がその自らの言動を人に強制する訳ではない。
 ただ、思いがけぬ言動をする彼が、どんな切っ掛けで総司を敵視するようになるか、予測しづらいのだ。
 かなりの難敵と言えるだろう。
 だが、あれこれ迷っても仕方がない。このままのほほーんと時を過ごしていれば、先に待ち受けるのはあの最期だ。
 あれだけは絶対に回避したかった。


「頑張ろう、私!」
 ぎゅっと両手を握りしめ、決意した。













 しかし、その決意も冷めやらぬ数日後のことだった。
 屯所の渡り廊下に立った総司は背中に汗をかきまくっていた。


(やばいやばいやばい、どうしよう)


 目の前で、伊東はにこやかに話をつづけていて、向こうの方から土方が鋭い視線を飛ばしまくっている。
 怖い、やばい。
 あっちに背を向けている伊東は全く気づいていないのか、もしくは気づいていても知らん顔しているのか。
 とにもかくにも、笑顔で話をつづけている図太さが羨ましい。
 さすが、参謀として土方と敵対するだけはある。
 とても真似できません、恐れ入りました。


 伊東がにっこり笑った。
「それで、ですね」
「は、はい」
 やばい、こっちの話も半分聞いていない。
 何がそれで? だったっけ。
「とてもいい店を見つけたのです。今度一緒に行きませんか?」
「え」
 うっわー、お誘いだ。もしかして、甘味屋さん? 違うか、伊東先生だもん、なら美味しい料理屋さん?
 京の料理は綺麗に盛り付けられているし、あっさりとした味付けなので、総司好みだ。
「ご飯ですか? お昼? 夜?」
「お昼ですよ」
「あ、じゃあ、明日なら」
 言いかけ、はっと我に返った。危ない、やばい。あやうく食べ物で釣られるところだった。
 総司はもごもごと口ごもり、俯いた。
「ご、ごめんなさい……あの……ちょっと食が細くなっていて」
「そうなのですか」
「申し訳ないです。体調がよくなったら、またぜひ」
「わかりました。大事にして下さいね」
 優しく微笑みかけると、伊東は歩み去っていった。それをぼうっと見送る。


(どうして、私は伊東先生を好きにならなかったのかな……)


 土方と違い、伊東はとても優しいし、穏やかだ。
 いや、別に土方が意地悪だとか荒々しいだとかではないが、いつも優しくしてくれる伊東が傍にいるのに、土方に心惹かれた夢の中の自分がわからなかった。
 恋心とはそう簡単なものではないのだろうか。
 そんな事を考えていた総司は、声をかけられた事に気づかなかった。
「おい」
 突然、肩を掴まれ、はっと我に返る。とたん、悲鳴をあげそうになった。
「ッ!!!」
 そこに佇み、自分を覗き込んでいたのは土方だった。切れの長い目がまっすぐ自分を見据えている。
 反射的に、後ろへ下がってしまった。三歩分ぐらい飛び退ったかもしれない。
 そんな総司の行動に、土方の黒い瞳が暗い色を浮かべた。が、それは一瞬のことだ。
「……」
 気まずい空気を振り払うように、微かに笑ってみせた。ただし、その声音は皮肉げだ。
「そんな怯えるなよ。おまえ、俺が怖いのか」
「えっ!? い、いえ……そんな事ありませんっ」
「……
 青ざめた顔で否定されても信じられる訳がない。それがわかっていたが、総司もどうすることも出来なかった。
 唇を噛んで俯いてしまう。
 それに、土方がはぁっとため息をついた。
「まぁ、いい」
「……」
「おまえの体調が優れないと聞いたから、声をかけたのだが……」
「え」
 思わず顔をあげてしまった。
 そんなふうに気遣ってもらえるとは思ってもみなかったのだ。
 が、すぐに理解する。新撰組の副長として、一番隊組長の体調を案じているのだ。それは当然の事だった。隊務にも影響があるのだから。
「だ、大丈夫です。この後、手入れがあるのですか」
「いや、そうではない。ただ、俺は……」
 言いかけ、土方は言葉を途切れさせてしまった。またまた沈黙が落ちる。
 が、今度も思い切ったのは、土方だった。
「今日これから、一緒に出かけないか」
「えっ」
「その、昼飯でもどうかと誘っているんだが」
「…………」
 絶句してしまった。
 まさかのお誘いである。伊東からだけでも驚きなのに、連続で土方にまで誘われてしまうとは。


 そんなに、お腹空かせているように見えるわけ?


 ズレまくった勘違いをした総司は、しばし悩んだ。
 ここで彼の誘いを受けるべきか、受けないべきか。
 何しろ、相手は未来で自分を殺す可能性がある男だ。熟慮して対応すべきなのは当然のことだろう。


 誘いを受けますか?
 いいえ  →  土方の機嫌を損ね、心証が悪くなる可能性あり。
 はい   →  土方の心証はよくなるが、下手な事をして機嫌を損ねる可能性あり。


 どっちにしろ詰みじゃんー!
 思わず地団駄踏みたくなったが、ここはより可能性が低い方をとるべきだと思った。ならば、答えは決まっている。
「はい……宜しければ」
 そう答えた総司に、土方は、ほっとしたようだった。安堵したように微笑む。
「そうか、なら……四半刻後に門前で」
「はい」
 こくりと頷く総司に軽く手をあげてから、土方は去っていった。それを見送って、ふうっと息を吐く。
 やっぱり緊張しまくっていたのだ。無意識のうちに躰を竦めていたのだろう。
 そんな事を思っていると、横合いから声をかけられた。今日はよく声をかけられる日だと振り向けば、今度は斎藤が立っている。
「土方さんと何を話していたんだ?」
「……どうして、斎藤さんがそれを気にするの?」
 警戒心いっぱいで問いかける総司に、斎藤はちょっと困った顔になった。
「うーん、気になるから」
「答えになってないんですけど」
「二人だけで話しているの、珍しいだろ?」
「まぁ、確かに」
 総司はちょっと桜色の唇を尖らせた。
「仕方ないから教えてあげますけど。後で二人で出かけて、ご飯食べることになりました。あ、もちろん、土方さんから誘われたんですよ」
「へぇ、それはまた珍しい」
 斎藤は驚いたように、目を瞬いた。
「おまえと食事に行くほど仲が良いとは思わなかったな」
「私自身、びっくりしています。もちろん、斎藤さんの事もですが」
「? どういう意味?」
「斎藤さん、こんなふうに踏み込むのって珍しいでしょ。いつも人の事なんて全然興味ないって感じだし」
「あぁ、なるほど」
 微かに笑った。それがどこか意味深な感じで見つめていると、斎藤が視線を返した。
「オレ、確かに他の誰にも興味ないけど、総司は特別だよ。誰よりも一番、興味がある」
「……私が特別?」
「そう、特別」
 斎藤の声音に、ちょっと怖くなった。夢の中で向けられた侮蔑のまなざしを思い出したのだ。


(この斎藤さんとのやり取りも、私の未来に影響がある……のかな)


 どんな事でも影響はあるに違いないが、とくに、新撰組の中、それも三番隊組長という大幹部である斎藤の言動は大きな影響がある。
 その上、夢の中で、斎藤は土方の右腕、懐刀となっていたのだ。総司の死に、彼が関わっていないはずがなかった。暗殺を勧めた可能性さえあった。
 土方の右腕である斎藤にとって、総司は邪魔な存在だったに違いないのだから。
「……」
 思わずため息をついてしまった。
 あの夢を見るまでは、けっこう呑気に生きていた気がするが、どうも人を見れば疑う状態になっている気がする。疑心暗鬼というか、この人も私を裏切るのかな? などと考えてしまうのだ。


(あー、やだやだ。こういう暗いの性に合わないよ)


 前向きに考えよう! と思った。
 夢は夢。
 今はまだあんな悲惨な状態になっていないし、土方も斎藤も自分を手酷く傷つけたりしていない。それに、人の心というものは移ろいやすいものだ。土方だって……


(……う。土方さんが態度かえるの、それはそれで困るかも)


 今の状態の方がいいのだ。
 仲が良くなければ、悪くもない。試衛館時代からの仲間で、仕事上では信頼のおける上役と部下という関係が一番あっているし、安心だ。余計な感情や思惑が入ってこないから。
 関係が深まって、もしも万一、夢の中のように彼へ恋心を抱くようになったら、どうするのだ。
 ……夢だとはいえ、よく覚えているあの熱情。
 狂おしいほどの愛しさと、愛しいからこその憎しみ、悲しみ、切なさ。
 あんな熱情を向けられて彼が気づかないはずがないのだ。さんざん遊んでいる彼だからこそ、すぐに気づいたに違いない。
 そして、自分の思惑のために利用し、切り捨てた……。


「……っ」
 慌てて首をふった。
 今は、違う。今はまだ、彼に裏切られていないし、自分も彼を裏切っていない。やってもいない事を彼に押し付けるのは、やめるべきだ。
 総司は一つ息をついてから、歩き出した。もう土方との約束の時刻になっていたのだ。
 屯所を出て歩いてゆくと、門前に既に一人の男が佇んでいた。胸の前で腕を組み、軽く傍の樹木に背を凭せかけている。
 僅かに視線を落としていたが、総司が来たことに気づくと、目をあげた。切れの長い目に見つめられた瞬間、どきりとする。
 かぁっと頬まで熱くなるのを感じ、慌てた。