「ぽ、先斗町……?」
 小さく呟いた土方に、総司はこっくりと頷いた。
 大きなつぶらな瞳で見つめてくる。あくまで可愛らしいあどけない表情で。
「そう、先斗町です。土方さん、とっても親しくしている芸妓さんがいらっしゃるんですよね。私、その方にお会いしてみたくて」
「会って……会って、どうするんだ? い、いや、ちょっと待て、とっても親しくって……ッ」
「親しくしている芸妓さんがいらっしゃるのでしょう? あぁ、いいのです、土方さん」
 にこやかに総司は言葉をつづけた。
「誤魔化さなくても。私、全部、ちゃーんと知っていますから」
「……」(何を知られているのか聞きたいが、聞くのも恐ろしくて苦悩中)
「だから、ね? その方に会わせて頂けませんか? ご挨拶がしたいのです」
「挨拶……なんかする必要もねぇだろう」
 思わず土方は強い口調で言ってしまった。


 やばい気がしたのだ。
 いや、気がするではなく、絶対にやばい。総司を美月に会わせるなど、皿や茶碗が飛び交う修羅場しか思い浮かばなかった。
 総司も気が強いが、美月もとんでもなく気が強い娘なのだ。
 土方はもともと少し手を焼かせるぐらいの勝ち気な子が好みなのだが、実際、確かに周囲に集まってくるのは勝ち気な子ばかりなのだが、しかし、ここまでくるといくら何でも……その。


(もう少し穏やかにならねぇのかと思っちまうのは、望み過ぎなのか?)


 あまりの勝ち気ぶりに、ため息が出そうだ。
 総司は一番隊組長だけあって勝ち気だし最強だし、美月も逢うたびに猛アタックの肉食系女子で、さすがの新選組鬼副長もちょっとお疲れ気味だった。
「挨拶なんてしなくていいから。先斗町には連れていかない」
 きっぱり言い切った土方に、総司はふむと頷いた。
「わかりました」
 しばらく黙ってから返された答えに、え?と、目を瞬かせた。
「いいのか」
「えぇ、私が自分でご挨拶に行きますから。考えてみれば、先斗町って一人でも行けますものね」
「はぁ? ちょっ……冗談じゃねぇよ! 絶対だめだからな」
 断言した土方に、総司は目を細くした。
「なぜです? 芸妓さんにご挨拶するのがそんなに嫌ですか」
「だから、何で挨拶する必要あるのだよ! 喧嘩になるだけだろ」
「喧嘩になる? 恋敵だからですか」
「恋敵になるのかどうか、わからねぇが、けど、美月は」
 そう言いかけたとたん、ヒンヤリしたものを感じた。見れば、総司がうっすらと笑っている。ぞぞぞーっと背筋が寒くなった。
 固まっている土方の前で、総司は小首をかしげた。
「ふうぅぅん? 美月さんっていうんですか。お名前のとおりとても綺麗な方だそうですね。私、ますますお会いしてご挨拶したくなりました」
「…………」
「それに、何ですか、私じゃ恋敵にもならないと。私は土方さんの念弟だと思っていたのですが、物の数にも入りませんか」
「待てよ! 俺、そんな事言ってねぇだろう」
 慌てて土方は弁明した。
「俺は、おまえが俺を想ってくれているのかどうか掴めないから、恋敵っていうのは違う気がして……」
「私が土方さんを?」
 総司はちょっと驚いたように目を見開いた。それから、不意に、ぽっと頬を赤らめた。長い睫毛を瞬かせ、俯いてしまう。
 それに、土方の方も驚いた。


(何だ何だ、その仕草は! これじゃまるで俺に恋しているみたいで……って、まさか!)


「総司、やっと俺の想いに応えてくれるのか!?」
 思わず声に出して叫んでしまった土方を、総司は不思議そうに見つめた。大きな瞳がじっと男を眺める。
「応えてって……応えてきませんでした?」
「え」
「だから、今までも私、ちゃんと土方さんの気持ちに応えてきたつもりでしたけど」


 あれでか!
 あれで、想いに応えた事になるのか!


 あまりの認識の違いに、目眩がした。


 契りはおろか口づけも抱擁もない関係で、想いに応えているとは!
 じゃあ、応えていないのは、どういう場合なんだ。まさかと思うが、絶縁か!?
 絶縁されないだけ有り難いと、思わなければならないのかッ。


 拗ねきった気持ちで見下ろせば、総司はつぶらな瞳で彼を見上げていた。視線があう。とたん、謝られた。
「ごめんなさい」
「?」
「私の気持ち、伝わっていなかったのですね。でも、大丈夫、私、土方さんのこと念兄として想っていますから」
「……ありがとう」
「ほら、ね? 想いに応えているでしょう? で、さっきの話ですけど」
「?」
 何の話をしていたんだっけなと思った土方に、総司はにこにこ笑った。
「明日にでも、美月さんにご挨拶に行ってきますね」
「! まだ諦めていないのかよ」
 思わず叫んでしまったが、それに総司は真面目な顔で頷いた。
「私、土方さんの念弟だから、挨拶しなければならないのです。それはお約束なのです」
「約束って……。いったい、何と言うんだ」
「そうですね」
 総司は可愛らしく小首をかしげた。ふわりと絹糸のような髪が揺れる。
 仔ウサギのような可憐さだ。が、言っていることは恐ろしい。
「私の大切な念兄であり、この新選組一番隊組長たる沖田総司のモノである土方さんが、た・い・へ・んお世話になっていますね、でしょうか」
「どこを聞いても喧嘩売ってるじゃねぇか! だいたい言っておくが、俺、全然ッ世話になんかなってねぇからな」
「そうですか、世話をしている方ですか。もう休息所も手配しちゃいましたか」
「頼むから、俺の話を聞いてくれよ。俺、無実だし潔白だし」
 この話が通じない天然子猫ちゃんに、土方は地団駄踏みたい気持ちになった。


 いったい、何だって、この恋人はこうまで疑り深いのか。
 何で初めから、俺が心がわりすると決めつけているのか。
 美月と浮気したと決めつけている大前提が、そもそも間違っているのに。 


 確かに、追い回されていることも、しなだれかかられている事も、事実だった。
 が、しかし、土方は全く相手にしてこなかったのだ。何しろ、彼には長年想ってきた愛しい恋人がいる。なのに、何で他所に目を移さなきゃならないのか。
 だいたい、こんな事総司にバレたらやばいまずいと冷や汗たらたらで、美月の媚態や口説き文句なんか視界にも耳にも入っていなかった。
 なのに、今こうして責められているのだ。
 理不尽だろう! 絶対理不尽だろう!
 が、この天然子猫ちゃんに通じるはずがない。どだい世の中の常識が通じる相手ではないのだ。
 土方は諦めの表情で、天井を仰いだ……。












 翌日だった。
 土方のどんより曇った気持ちとは裏腹に、空は晴れ渡っていた。ちゅんちゅん雲雀がさえずっているぐらいだ。
 結局の処、二人して先斗町へ行くことになってしまったのだ。まぁ、総司一人で行かせるよりはマシだろうと判断したためだが、その正否については彼も今ひとつ自信がない。
 さんざん思い悩んだ末に、昨日の夜、こっそり近藤に相談してみたのだが、憐憫のまなざしと共に「歳、おまえ……相変わらずだな」の一言を貰っただけだった。まったく役に立たない盟友だ。
「……」
 はぁ、とため息をついていると、先を歩いていた総司がくるりとふり返った。不思議そうに小首をかしげる。
「どうしたのです、土方さん」
「……何でもねぇよ」
「何でもないのなら、急いで下さい。さっさと歩かないと、日が暮れちゃいますよ」
「今はまだ朝だが」
「ものの例えです。ほらほら、早く歩いて」
 繊細な(?)男心などガン無視でせかしてくる容赦ない恋人に、ため息をもらしつつ、土方は歩き出した。
 しかし、その足取りは重い。


 いったい、どこの誰が、恋人と妾候補(あくまで自推薦の候補だ!)の修羅場に、いそいそと向かうだろう?


  歩みがとろくなっても当然ではないか。なのに、愛する恋人は容赦ない。
「土方さん、さっさと歩いて」
「……あぁ」
 しばらく歩いていくと、ようやく先斗町にたどり着いた。島原とは全く違うが、どこか華やいだ雰囲気のある街だ。
「ふうん、私、ここって初めてなんですけど、なんか雰囲気がありますね」
「そうか」
「ま、通いまくって馴れている土方さんにすれば、今更でしょうけど」
「通いまくってねぇから!」
「うん、そういう事にしておきましょう」
 あっさり彼の主張を流した総司は、あちこち見回してから訊ねた。
「それで、美月さんがいるのはどこですか」
「……こっちだ」
 むろん、約束はしてある。少しでも被害が拡大しないように文を出して、会いたい、しかも念弟を連れていくと知らせておいたのだ。
 美月が待っている(待ち構えている?)店に向かった土方は、眉を顰めた。店の前に見知った男が立っていたのだ。無言の土方の傍で、総司は「あ」と声をあげた。
「斎藤さん!」
 ぎくりとふり返った斎藤は、土方と総司という因縁ありまくりの二人連れを見たとたん、さーっと顔を青ざめさせた。やばい所で逢ってしまったという顔だ。
「こんな所で何しているんですか? あ、もしかして、斎藤さんも美月さんって芸妓さんにご用事?」
「ちがっ、そうじゃなくて……ちょっと心配になったから」
「心配?」
 不思議そうに小首をかしげた総司は、しばらく考えてから、にっこり笑った。手をのばすと、ぎゅっと斎藤の手を握りしめる。
「優しいんですね、斎藤さん、大好き」
「えっ、えぇっ! す、すすす好きってッ」
「私のこと心配してくれて調べに来てくれたのでしょう? ありがとう」
「う、ん……まぁ、その」
 照れた顔で総司の手を握り返した斎藤は、突然、ブルブルッ!と身震いした。とてつもない冷気を感じたのだ。やばっと見れば、土方が物凄い形相で斎藤を睨みつけている。その鋭い視線は、二人の繋がれた手に向けられていた。
 はっと慌てて離そうとするが、総司はまるで親の敵のようにガシッと掴んで離さない。にこにこ笑った。
「大丈夫ですよ、斎藤さん。一緒に入りましょうね」
「え?」
「今から、美月さんにご挨拶なのです。土方さんの念弟として、土方さんに言い寄っている芸妓さんに、ご挨拶するのです」
「それ挨拶じゃなくて、殴り込みだから!」
 思わず叫んでしまった斎藤の前で、総司はころころと愛らしく笑った。
「殴り込みなんて、そんなぁ。この私がする訳ないでしょう? ほら、その証拠に、土方さんもこうして連れてきているし(無理やり)」
「いえ、結構です遠慮します。オレ、そんな修羅場経験したくありません」
「まぁまぁ、そう言わず」
 総司は仲良く斎藤と手をつないだまま、店にずんずん入っていった。斎藤は必死に踏ん張っているが、無理やり連れ込まれる(意外と力持ち)。後ろから、目の据わった土方が無言のまま続いた。
「こんにちはー」
 元気よく挨拶する総司に、女将が出てきた。
「へぇ、おいでやす」
「美月さん、いらっしゃいますか? お約束していた沖田総司です」
「沖田さまどすか。……ひっ」
 思わず悲鳴をあげてしまったのは、総司の後ろにげんなり疲れた表情の斎藤、恐ろしい形相の土方を見てしまったからだ。慌てて頭を下げた。
「お、お二階ん部屋でおます。ご案内させ」
「うちが案内させてもらいます」
 勝ち気そうな声が女将の言葉を遮った。
 見れば、二階から一人の芸妓が降りてくる。しっかりと化粧し、上等な着物を纏った娘はとても美しく艶やかだ。が、その目は吊りあがり、完全に戦闘状態だった。
「おこしやす」
 といいながら、全く歓迎していないのが丸わかりだ。
 が、対する総司も負けていなかった。にっこり笑うと、言い放った。
「あなたが土方さんを追い回している芸妓さんですか」
「……っ」
「こんにちは。ご挨拶に伺いました」
「……」
 二人の間に、バチバチバチッと火花が散る様を、土方と斎藤は見た気がした。












 さて、場所は変わって。
 結局の処、二階の部屋に案内された三人である。茶もきちんと出されている。
 総司はその茶を飲んで喉をうるおすと、大きな瞳で美月を見た。美月は黙ったまま見返してくる。
 ふむ、と頷いた。
 それから、土方と斎藤の方を見ると言った。
「少し席を外してもらえませんか」
「え」
 土方は驚いたように総司を見た。思わず顔が強張ってしまう。
「……な、何を話すつもりだ」
「何か私に話されてはまずいことでも?」
「いや、何もねぇが」
「じゃあ、いいでしょう。ほら、早くお願いします」
 言うまでもなく、斎藤はさっさと部屋から逃げ出してしまっている。それにため息をついた土方は渋々立ち上がった。
 正直な話、総司も連れて帰りたかったが、惚れた弱みのある男は全く逆らえない。別室で沙汰が下るのを大人しく待つことにした。
 二人が出ていくと、しんと部屋は静まり返った。
 総司はまっすぐ美月を見た。そして、言った。
「……少しだけ、私の話を聞いて頂けますか」
「へぇ?」
 小首をかしげた美月に、総司は静かな声で言葉をつづけた。
「これは……愚かな若者の話です」
「?」
 美月はきょとんとした。それに構わず、総司は話した。
「その若者は、ある男をとても愛していました。でも、愛していると告げることができなくて、彼への愛も報われず伝わらず、逆に彼から離れることになってしまったのです」
「? それ、どういうこ……」
「最後まで聞いて下さい。ご感想はその後に」
 低い声でぴしっと言った総司に、さすがの美月も怯んだ。黙って頷く。
 それを見てから、静かに言葉をつづけた。
「若者は彼と敵対している人物の元へ走りました。それは彼への裏切りでしたが、思い悩んだ末に若者が歩んでしまった道でした」
「……」
「ある日、若者は彼と町中で出会いました。突然、抱きしめられました。若者は嬉しくて幸せで、泣きたくなりました。そして」
「そ、それで?」
 思わず聞き入っていた美月は訊ねた。それに、総司は目を伏せた。
 告げた。
「殺されました」
「え」
「男の手で殺されたのです。若者が息絶えるまで、彼はじっと見下ろしていました」
「……そんな」
 絶句した美月を、総司は大きな瞳で見つめた。














次で完結です。