はらはらと闇に、花びらが舞った。
それは幾重にも重なり、また風に舞い散らされてゆく。
木の根元に置かれた幾つかの灯籠が、桜を仄かに浮かび上がらせ、幽玄とも云える光景をつくり出している。
夜の闇にうかぶ、垂れ桜。
「……見事なものだろう」
そう云った土方に、総司は小さく頷いた。
ゆったりと脇息に凭れかかる彼の膝もとに、半ば縋るようにして坐っている。細い腰には男の腕がまわされ、柔らかく抱きよせていた。
時折、ゆっくりと腰や背を大きな掌で撫であげられ、甘い吐息をもらした。
彼の後を追って宿に入ってみたが、玄関口には既に姿はなかった。代わりに出迎えた宿のものに、まずは浴場へ案内された。
そこで湯をあび、新しい小袖に着替えさせられ、この離れの部屋へ連れてこられたのだ
中庭に面した小綺麗な部屋。その真ん中に土方は胡座をかき、ゆったりと酒の杯を重ねていた。総司が入ってきても、ふり返りもしない。
無言のまま庭の方を眺めやり、杯を口許にはこんでいる。
その視線を追って見れば、開け放たれた障子のむこう、桜樹木が闇にうかびあがっていた。
垂れ桜だ。
濃い紅色の花びらは闇に映え、はらはらと舞う様は夢のようだった。
その美しい光景に総司も思わず見惚れ、しばらくの間、そこに立ちつくした。
やがて、土方が呼んでくれたので彼の傍へ腰を下ろしたが、それでもなかなか視線が外せなかった。
「なんて綺麗……」
吐息まじりに呟いた総司に、土方は小さく笑った。
「昼の桜もいいが、夜桜もまたいいものだ」
「えぇ」
「おまえに、これを見せてやりたいと思ってな」
「……え」
総司は驚き、男をふり仰いだ。
「何…を云って……誰か女の人と見るつもりだったのでしょう」
「いや、おまえだけさ」
「嘘ばかり」
「あぁ、嘘だ」
そう答えてすぐに、土方はくすくす笑いだした。総司の頬をそっと撫でてやる。
身をかがめ、そっと囁いた。
「そんな拗ねた顔をするな。嘘だよ」
「どれが嘘なのか本当なのか、わかりません」
「なら、俺の云うことなど信じなければいい」
「初めから信じてなんか」
「いないか。成る程、俺は誠実な男じゃねぇからな」
「土方さん」
「だが、俺を選んだのは、おまえだ。ここへ入ってきたという事は、そういう事だろう」
「……わかりません」
総司は視線をそらし、きゅっと唇を噛んだ。その横顔が息を呑むほど美しい。長い睫毛が伏せられ、凄まじいまでの色気が香った。
もともと総司は可愛らしく綺麗だが、初で幼い若者だった。何も知らず、色っぽさなど欠片もなかったのだ。
だが、その総司をここまで艶めいた存在に仕込んだのは、土方自身だった。
そうであるのに、時々、その艶めかしさに息を呑んでしまう事がある。酩酊されそうになるのだ。
今も、そうだった。
「総司」
思わず手をのばすと、総司は僅かに身を捩った。白い手首を掴まれたまま、「いや」と首をふる。
それが男を誘う仕草なのか抗いなのか、わからぬまま、土方は強引に総司の躯を引き寄せた。抱きすくめ、畳の上へ引き倒す。
「いや」
今度は、はっきりと総司がそう叫んだ。
それに首をかしげ、覗きこんでやる。
「いやか」
「はい」
「俺に抱かれるのが?」
「そう…じゃなくて」
総司の耳朶が桜色にそまった。手をのばし、男の背にぎゅっとしがみついてくる。
「……畳の上では、いや」
「どうして」
「久しぶりだから、たくさん可愛がられたい」
「畳の上では嫌ということか。ここなら、あの桜を見ながら出来るぞ」
「奥の部屋に敷いてあるのでしょう? 襖を開ければ、そこからでも桜を見られます」
「わかった」
土方は可愛い我侭を云ってくる若者に、小さく笑った。その細い躯を抱きあげ、奥の部屋に敷いてある褥へとはこんでゆく。
男の腕の中、総司は口づけを誘うように目を閉じた。
それはすぐ叶えられ、深く唇が重ねられる。
「っ…ぁ、ん…っ」
甘い陶酔をあたえられ、総司が小さく喘いだ。
柔らかな褥の上に降ろされたのは、そのすぐ後の事だった。
「ぁッ、は、ぁあッ…ぁっ」
褥にしがみつき、激しく喘いだ。
顔をうずめ、腰を後ろへ高くあげさせられた格好だ。その細い躯を組み伏せるようにして、土方は激しく腰を打ちつけていた。
揺さぶりをかけるたび、甘い嬌声があがる。
「んっ、ぁ…ぁ、ぁあ…ぅ──」
「……総司」
しなやかに反らされた白い背中を掌で撫であげながら、囁いた。
「それでは見えねぇだろ?」
「…ぁ、な…に、や、ぁあ…ッ」
「桜だよ」
くすっと笑った。
それに目を瞬いたとたん、ぐっと蕾の奥を突き上げられ悲鳴をあげる。
突っ伏した総司を尚も揺さぶりながら、土方はくっくっと喉を鳴らして嗤った。
「……っ」
情事の最中でありながら全く平然とした様子に、彼が余裕であることを感じとり、総司はどうしてだか泣き出したくなった。
まるで、花街の遊び女のように自分を扱う男の態度が悔しいのか、それとも淋しいのか。
こみあげる涙をこらえ、総司は必死に唇を噛みしめた。すると、その唇に男の指さきがふれ、こじ開けられてしまう。
「っ…ぅ、ぐ…っ」
「声を殺すな。俺は、おまえの可愛い声が聞きたい」
「ぅ、ぁあ、や…ぁ…」
啜り泣きながら首をふって逃れようとする総司に、土方は眉を顰めた。どうしてだか急に抗いはじめた総司を、後ろから柔らかく抱きとめる。
耳もとに唇を寄せた。
「どうした」
「っ、や…も、やだ…っ」
「欲しがったのは、おまえも同じだろう?」
「ちが…う」
総司は首をふり、褥に涙をかくすように顔をうずめた。だが、その細い肩が弱々しく震えている。
「土方さんは……そうじゃない」
「何が」
「私の事なんか、欲しがってない……」
「何を云っている」
土方は繋がったまま総司の躯を抱きおこし、膝上に坐らせた。深く咥えこまされ小さな悲鳴をあげた総司を、背中から宥めるように抱きすくめる。
白い首筋に唇を押しあて、囁いた。
「欲しくなければ、抱くはずがねぇだろう」
「……でも」
「俺がおまえと躯を繋げる意味を、わかっていない」
そう呟いてから、土方は総司の両膝を後ろから手をまわしてすくいあげた。
「あ」
小さく声をあげた総司は、だが、すぐ男の胸に頭を凭せかけた。すべてを委ねるように身をあずけ、おずおずと両脚を開く。
土方はくすっと笑った。
「……いい子だ」
「っ、ぁ…ぁあッ、んんッ」
ゆるやかに始まった突き上げは、すぐさま激しくなった。躯を宙に浮かされた状態で、思うさま真下から腰奥に太い楔を打ちこまれる。
そのたびに、総司は目の前で火花が散るような感覚を覚えた。
強烈な快感美に、我を忘れてしまう。
「ぁあっ、ひっ…ぃぁうッ、ぁうッんっ」
「総司……わかるだろう? 俺がどれだけおまえを欲しているか」
「んっ、ぁ…ぁあっ、土方…さん……っ」
「ずっと……おまえが欲しかったよ」
その言葉に、総司は目を開いた。
本当…に?
本当に、あなたは私を求めてくれているの……?
憎むべき仇の男相手に、こんな事を思うのはおかしいとわかっている。いったい、どこから迷い歪みはじめたのか、己自身でも全くわからない。
だが、今、彼に抱かれているだけで、身も心もずくずくと溶けていってしまいそうな、この強烈な快楽は何なのか。
躯が欲しいからか。
心が欲しいからか。
それとも。
ゆっくりと腰奥を男の猛りで捏ねるように抉られ、波のような快楽が何度も押し寄せた。
それを深く心地よく味わいながら、総司はその瞳に桜の樹木を映す。
夜の闇にうかびあがる、美しい垂れ桜を。
「……きれ…い……」
そう手をのばした総司に、土方がくすっと笑った。
白い首筋に背に口づけを落しながら、低い声で囁きかけた。
「俺に抱かれているおまえの方が……ずっと綺麗だ」
「っ…ぁ、土方…さん…っ…は、ぁあ…っ」
「綺麗だ」
そう告げざま、土方は総司の躯を再び褥の上へ這わせた。肩を押さえつけ、腰だけを高くあげさせる。
深い突き込みに、総司が切なく啜り泣きながら身を捩った。それでも最奥を何度も鋭く激しく突き上げてやる。
「ぁあっ、ん、ああ…っ」
褥に突っ伏しながら、見上げた先には、はらはらと舞い落ちる夜桜。
「……綺麗だ、総司」
そう囁きかける虚とも実ともとれぬ男の声に、総司はきつく目を閉じた……。
翌朝、目覚めると総司は一人だった。
傍には誰もおらず、褥の上に一人寝かされていたのだ。
宿の者に聞いてみれば、土方は明け方近くに発ったという事だった。おそらく仕事のためだろう。もしかすると、夜中にでも使いが来たのかもしれない。
土方が褥から抜けでる気配にも気づかなかった事実に、総司は頬を強ばらせた。
それだけ、心を許してしまっているということなのだ。
いつものごとく、抱きあっている時は夢中になれても、その後はたまらない後悔と虚しさに襲われてしまう。今回もそうだった。
ましてや、土方が先に姿を消してしまっているから、尚のことだ。
遊び女のような扱いをされた気がして、たまらなく自分が疎ましくなった。
男の匂いを纏いつかせている自分に嫌悪感を覚え、宿の者に朝湯を使わせて欲しいと頼んだ。心よく案内された浴室で、丹念に躯を洗った。
手拭いで痛いほど肌を擦り、湯を流す。
その作業をくり返すうち、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。それに、自分で驚く。
(……私は、何が悲しいというの)
躯だけならそれでもいい。
土方が己の虜にさえなってくれれば、どんな形であっても構わないはずだった。
そうして虜にして、溺れさせた挙げ句、姉にしたように捨て去ってやる。それで自分の溜飲も下がるはずだったのだ。
なのに、今。
こうして宿の部屋に一人置いていかれたというだけで、涙を零してしまっている。
「何をやっているのだろう、私は」
部屋に戻ってから、庭を眺めやった総司は、思わずため息を吐いた。
夜とは違い、中庭に植えられた桜樹木は朝の日射しの中で柔らかく花開いている。清らかで美しい光景だった。
それとは裏腹に、身も心も汚れてしまった自分がたまらなく厭わしい。
目を閉じると、昨日の男の声が蘇った。
『……おまえの方が綺麗だ』
そんな事あるはずがないのに。
でも、彼の言葉に一瞬、本気で信じそうになったのだ。
「……」
総司は目を伏せると、もう一度ため息をついた。縁側から庭へ降りてみようかと立ち上がりかける。
その時だった。
不意に後ろでわきおこった気配に、総司は息を呑んだ。
ある期待とともにふり返り──そして、大きく目を見開いた。
「……あ」
そこにいたのは、思ってもみない男だった。
鳶色の瞳でこちらをじっと見つめ、唇を噛みしめている。
「斉藤、さん……」
呆然と呟いた総司に、斉藤は微かに視線をさまよわせた。戸口に立っていた彼は、ゆっくりと歩み寄ってきた。
それから、静かな声で云う。
「どうしてここに、と思っているのだろう」
「えぇ」
「土方さんに云われて、来た。迎えに行けと」
「……」
総司は思わず声を呑んだ。
昨夜、斉藤のような誠実な男を選ばないのかと揶揄した土方だった。
なのに、さんざん褥で総司の躯を味わった翌朝、こうしてその斉藤自身を迎えに寄越すなど、いったい何を考えているのか。
土方の真意が掴めなかった。
やはり、気まぐれだという事なのだろうか。
土方の中には、総司への想いや関心など全くないのだろうか。
それとも、これは試しているのか。
いつまでたっても彼の手をとろうとしない総司に、揺さぶりをかけるため、斉藤を寄越したとも考えられるのだ。
様々な思惑に、目眩を覚えた。
(こうして、あの人の謀に引きずりこまれてゆく……)
もはや、逃れられぬ場所まで来てしまっていた。
底知れぬ闇に落とし込んでしまった身は、そう簡単には抜け出せないのだ。
少しだけとさし入れたが最後、足首から膝までつかり、後は引きずりこまれてゆくばかりなのだろう。
「……」
総司は己の身から、洗い流したはずの彼の匂いがまだ香りたつような気がして、そっと小さく身震いした……。
「どうして、あんな処に?」
そう斉藤から問われたのは、帰り道だった。
あれから宿を出て、屯所へと戻る道。
斉藤はずっと押し黙ったままだった。何を考えているのか、総司の方も見ず、まっすぐ前を向いてひたすら歩を進めていたのだ。
だが、途中、通りかかった神社の前で、総司が疲れのために坐り込んでしまった。
普段なら決してあり得ない事なのだが、やはり、昨夜の土方との激しい閨が華奢な躯に応えていたのだろう。
足もとさえ覚束ぬ総司に、斉藤はすぐさま神社の木陰で休ませてくれた。ひんやりした石段に腰をおろし、水を含ませて貰うと、少し躯が楽になった気がする。
「すみません……面倒かけて」
そう云った総司に、斉藤は首をふった。
「面倒などではない。けれど、本当に大丈夫か」
「えぇ。少し休めば大丈夫だと思います」
「最近のおまえ、調子が悪いように見えるが」
「風邪気味なだけですよ」
少し困ったような笑顔でそう答える総司を、斉藤は鳶色の瞳でじっと見つめた。
奇妙な沈黙が落ちる。
やがて、斉藤は視線を外さぬまま、ゆっくりと問いかけた。
「どうして、あんな処に?」
「え」
総司は目を瞬いた。それに、斉藤が言葉をつづけた。
「どうして、宿になどいたんだ。あそこに昨夜は泊まったのか? 土方さんと」
「あ……えぇ」
「躯の調子でも崩したからか?」
「いえ……」
そう答えてから、総司はようやく気がついた。
はっとして見やれば、斉藤は探るような瞳で総司を見つめている。彼にしては珍しい、焦燥と怒りを滲ませた表情だった。
それに、思わず唇を噛んだ。
今の今まで自分のことや土方への思いでいっぱいで、斉藤がこの状況を見たらどう思うかなど全く考えていなかったのだ。
男と一緒に宿に泊まった総司。
しかも、そこから一人で帰れぬほど弱っている躯。
それを見た時、斉藤がどう察し、思うのか。
明敏な土方ならよくよくわかっていた事だろう。なのに、あえて斉藤を迎えに寄越したあたりに、彼の思惑を感じた。
おそらく、釘を刺したつもりなのだ。
好意を寄せている斉藤に、総司が既に男のものになっているという事を、突きつけてみせた。
これはもう自分のものなのだと、嘲笑ってみせた。
こうして、総司の逃げ場を一つ一つ絶ってゆく。
いずれ、己の手の中へ堕ちる他ないように───
(それでも、斉藤さんまで巻き込むなんて……)
大切な友人として接していきたいと願っている斉藤に、自分たちの歪んだ関係を晒してまで、総司を手にいれようとする土方に、たまらない恐怖を覚えた。背筋がぞっと寒くなった。
容赦なく周囲を切り捨て、総司を孤立させようと目論んでいる。
土方しか頼るもののない世界へ、連れ去ろうとしている。
彼は曖昧な生き方や、生ぬるい幸せなど全く望んでいないのだ。
ただ己の力を試すこと、運命を己の手で動かすことだけを望んでいる。そこに、一片の情けも涙もない。
土方は、総司が彼に対してもっている憎しみと愛情の入り混ざった感情までも、恐らく察しているのだろう。その上で掌中におさめようとしている。
彼自身が既に身を沈めた昏い闇の底へ、引きずりこもうとしている。
どんな手段を使っても。
(怖い……)
総司は俯き、そっと身震いした。
自分がどこへ連れてゆかれるのか。そんな事を恐れた訳ではなかった。
総司が恐ろしいのは、己の心自身だ。
この先、彼についてゆけば、修羅の道しかあり得ない。
底知れぬ闇に引きずりこまれてしまう。
それをわかっていながら、それでも、彼の腕の中ならばと望んでしまう自分が、恐ろしいのだ。
どんな修羅の中であっても、彼が抱きしめてくれるのなら、彼と一緒なら、何も怖くない。
むしろ、ふたり一緒に堕ちてゆけるなら、この上ない至福だろう。
そこまで考えた総司は両手で口許をおおった。喘ぐようなため息をもらす。
(何てことを、私は……)
堕ちること自体を望んでしまうなんて。
理性ではいけないと、こんな事を思うことさえいけないとわかっているのだ。
なのに、感情が、心が、彼だけを求めて叫ぶ。
あの人さえいればいい───と。
あんなにも酷い男なのに。
どうして、なぜ。
彼だけを求めてしまうのか……?
総司は、思わず、祈るように目を閉じた。その儚げで美しい横顔を、傍らにいる斉藤は静かに見つめていた……。
