新撰組は発足から数ヶ月がたっていた。
だが、頭が幾つもある組織はやはり脆く弱い。
芹沢派と近藤派の対立は、表沙汰にこそならなかったが、水面下で激しさを増していた。
しかも、芹沢の暴挙はますます悪化の一途を辿っていた。
借金の取り立てにきた商家の女を手込めにし、己のものにする。
大坂では相撲取り相手に大暴れする。
大店に乗り込み、金を無心した挙げ句、それを断った大和屋には大砲まで撃ちこんだ。
「いくら何でも、あれはまずいだろう」
ある日、そう云った近藤に、土方は「そうだろうな」とまるで他人事のように頷いた。
屯所の一室だった。
他の者は様々な仕事でほとんど出払っている。むろん、近藤も暇な身ではなかった。今から黒谷へ向わなければならないのだ。
暇そうにしているのは、この土方ぐらいなものだろう。
近藤が思わず嘆息した。
「歳……少しはおれを手伝ってくれよ」
「いやだね」
「おい、歳」
「副長だとか何だとか、面倒な事はしたくねぇんだよ」
そう云い捨てると、土方はごろりと畳の上に寝ころんでしまった。自堕落に肩肘をつき、庭の光景を眺めている。
それに、近藤はやれやれと首をふった。
「おまえは本当に江戸の頃のままだな。怠け癖はぬけんか」
「悪いか」
「だが、局中法度をつくったのはおまえだろう。あの頃までは熱心だったのに、もう飽きてしまったのか?」
そう訊ねた近藤に、土方はくすっと笑った。
「あぁ、飽きた。つくっただけで、飽きちまったよ」
「歳」
「だいたいさ、毎日楽しく過ごした方が得だろ? 面倒な事は嫌いなんだよ」
「そう云いながら、最近、女遊びの方はやめているじゃないか。京の女は好かんか」
「いや、そうじゃねぇが」
土方は小さな笑みをうかべ、切れの長い目を部屋の片隅に向けた。
そこでは総司がきちんと端座し、二人のために運んできた茶を置こうとしている処だった。
意味ありげに向けられた男の笑みに、総司はすぐさま気づいた。ちょっと上目遣いに睨んでみせる。
男が何を云いたいのか、わかっているのだ。
それに、土方はくすくす笑った。
二人の意味深なやりとりに気づかぬ近藤は、「何だ?」と驚いた。
だが、それに、かるく手をふる。
「いや、何でもねぇよ」
笑いを含んだ声に、近藤は呆れたような顔になった。
「歳、おまえは本当に呑気でいいな」
「あんたもそう気をはらず、のんびりいけばいいじゃねぇか」
「そういう訳にもいかんのだ」
近藤は憂鬱そうに首をふると、「そうだ、こうしてはおれん」と立ち上がった。慌ただしく出てゆく。
それを見送った総司は湯飲みを手にとり、土方をふり返った。可愛らしく小首をかしげてみせる。
「どうしましょう、これ」
「俺が二杯飲んでやるよ」
「土方さん、お茶そんなに好きでしたっけ?」
「おまえの入れてくれたお茶なら、何よりも旨いさ」
「世辞を云っても、何にも出てきませんよ」
総司はそう云いながらも、湯飲みを置き、土方の傍に膝ですり寄った。肩肘ついてごろ寝している土方の腰あたりに手をおき、そっと凭れかかる。
それに、土方が目をあげた。口角をあげる。
「何かして欲しいのは、おまえの方じゃねぇのか」
「じゃあ、何かあてて?」
悪戯っぽく笑った総司の桜色の唇に、土方は手をのばした。愛撫するように親指でそっと撫でてやる。
そのまま頬から首筋へ手をすべらせて項をつかみ、柔らかく引き寄せた。
深く唇が重ねられ、互いの吐息までも奪いあう。
「ぁ…ん…っ」
甘やかな声をあげ、総司は喘いだ。それにくすくす笑いながら、ほっそりとした躯の線を掌で撫であげた。
「おまえは、本当に可愛いな」
「男なのに可愛いって云われても、嬉しくありません」
「なら、どう褒めればいい。俺はおまえほど綺麗で可愛いのに逢った事がないから、うまく云えねぇよ」
「嘘ばっかり」
総司は土方の腰あたりに背を凭せかけると、両脚を投げ出した。とは云っても、育ちのよい総司らしく、小袖の裾はきちんと合わせられてある。
「ねぇ、土方さん」
しばらくつづいた沈黙の後、総司がぽつりと呼びかけた。
それに、土方が答える。
「何だ」
「本当に、今のままでいいの……?」
「……」
沈黙している土方に、少し躊躇いはした。だが、言葉をつづけた。
「近藤先生も云われていたとおり、土方さん、局中法度をつくるまではあんなに熱心だったのに、いきなり全部放り出しちゃって。色々なことに飽きたみたいで」
「……」
「本当に、このままでいいのかな……と思ったのです」
総司の言葉に、しばらくの間、土方は無言のままだった。
だが、やがて低い声が訊ねた。
「……何故」
ゆっくりと問いかけられた。
「何故、おまえがそんな事を気にする」
「……え?」
男の声音に只ならぬものを感じ、総司は身を固くした。思わずふり返ってしまう。
だが、そこにいるのは、いつもどおりの優しい瞳で見つめる男で……
(……土方さん……?)
問いかけるように見つめる総司に、土方は柔らかく微笑んだ。
思わず見惚れてしまいそうなほど、きれいな笑みだ。
そっと総司を引き寄せ、髪に接吻をおとしながら囁きかけた。
「俺はさ、今のままでいいんだよ。うまくいかない時に焦ってどうこうしても、仕方ねぇだろ」
「うまく……いってないのですか」
「じゃあ聞くが、おまえは今の新撰組が万全だと思っているのか」
「違いますけど」
「なら、やっぱり、うまくいってねぇのさ」
まったくの他人事のように云ってのけ、土方はごろりと仰向けに寝ころんだ。両腕をあげて腕枕をし、深く澄んだ瞳で天井を見上げている。
総司はそんな彼の傍で、ゆっくりと庭へ視線を転じた。
「……」
真夏の空はどこまでも青く晴れわたり、まるであの彼と初めて逢った時のようだった。だが、その庭にある見慣れぬ樹木の緑に、ここが試衛館ではなく京都壬生の屯所である事を思いだす。
人が変わらずとも、場所は違うのだ。
ここは試衛館ではない。
「……」
そっと目を伏せた総司の傍で、土方は黙然と天井を見上げていた。
芹沢の腹心であり、新撰組局長の一人である新見錦が祇園亭にて切腹したのは、夏も終わりの頃だった。
最近の不祥事への責任をとってという話だったが、介添えが芹沢一派のものでなく、近藤一派の永倉と山南だったことに、隊士たちの中には疑惑をもつ者もいなくはなかった。
挙げ句、こんな噂までたったのだ。
新見先生は、詰め腹を切らされたのではないか……?
噂はかなり広まっているようだった。
むろん、総司の耳にもそれは届いた。悩んだ末に、不安に駆られた総司は、山南に訊ねたのだ。
噂の真相を。
「くだらない噂だよ」
山南は、きっぱり否定した。
実直で生真面目な彼はいつも穏やかな口調を崩さず、また、かなりの知識人だった。そのため、総司も心から尊敬している。
山南は書物を置き、静かな笑みをうかべた。
「そんな事があるはずもない。実際、私の目の前で、新見さんは見事に腹を切られた。さすが武士と云うべき最期だった」
「……」
「詰め腹などと噂をたてるとは。大方、平間あたりの仕業だと私は思うがね」
「えぇ……」
総司はまだ少し戸惑いながらも、頷いた。
だが、山南の言葉を疑う気にはなれなかった。総司もよく知っているが、山南は本当に裏表のない男なのだ。
俯いてしまった総司の前で、山南は穏やかな笑みをうかべた。
「しかし、総司も隊の事に気をつかうようになったとはね」
「え、いえ。私も……一応、副長助勤ですから」
「土方君と一緒に、遊びまわってばかりいると思っていたよ」
山南の言葉に、総司はどきりとした。
そういう意味で云われたのではないとわかっていても、気落ちしてしまったのだ。
愛など欠片もないくせに男に身をまかせている己が、実直な山南の前で、ひどく不純に思えた。
(姉のためだと思っているのに、なのに、私は)
総司は微かな吐息を押し殺し、山南の部屋から辞した。
広間にしている一番大きな部屋にむかってみると、縁側に腰かけた土方が原田と何か語り、笑いあっていた。
誰もが見惚れるだろう、きれいな笑顔。
だが、そんなふうに明るく笑う事のできる彼が、逆に憎らしかった。
総司に愛されていると思っている。
当然のように恋人としてふるまっている彼が、無性に疎ましかった。
何だか、己の惨めさ愚かさを突きつけられた気がして……。
「総司」
気がつくと、土方がこちらにむかって微笑いかけていた。おいでとばかりに、手をふっている。
それに、無言のまま背をむけた。踵を返し、何かを恐れるようにその場から足早に立ち去ってしまう。
半ば走るように廊下を歩んだ。後ろを、ふり返る事もなかった。
だからこそ、知らなかったのだ。
己の背を。
土方がどんな表情で見送っていたかを……。
会津藩から、芹沢を斬れという命が下ったのは、その数日後の事だった。
それに対して、総司は少し躊躇いを覚えた。
芹沢の所業はもとより、命が下った以上、それに従わなければならないのは当然だった。
だが、やはり、今まで仲間としてきた──しかも筆頭局長であった人間を斬るということに、躊躇いを感じたのだ。
別に大義だとか信念だとか持っている訳ではないし、芹沢個人に好悪の情がある訳でもなかった。たいして接触のなかった男に、総司はそれなりの関心さえ持っていなかった。
ただ、何となく、暗殺という行為に、仲間であった人間を討つという行為に、どろりとしたものを感じたのだ。
まるで、泥の中に足首までつかってしまい、そのまま底知れぬ沼の中へでも引きずりこまれていくような、そんな感覚だった。
だが、それでも討たなければならない。
近藤が会津藩から命を受けた以上、それに逆らう事は出来なかった。
「……どうして、お梅さんを斬ったのですか?」
芹沢暗殺から数日後の夜、落ちあった茶屋で、総司は土方にそう訊ねた。
同衾していたお梅をも斬った土方に、疑問を覚えていた。だが、それは別に責めている訳ではない。
総司は好きでもない男に身をまかせる自堕落なお梅が、自分自身に重なる気がして、見るのも嫌だった。
嫌悪し、ゆきあっても顔をそむけていたのだ。それに、お梅の方は嫣然と笑うばかりだったが。
「顔を見られたからな」
土方は少し困ったような表情で、そう答えた。
酒の杯をしなやかな指さきで弄びながら、ふと総司の方を眺めやった。その深く澄んだ黒い瞳で、じっと見つめてくる。
「女を斬った俺を、軽蔑するか?」
「いえ」
総司は即座に首をふった。
「ただ、理由が知りたかっただけなのです」
「そうか」
小さく土方は笑った。手をのばし、総司の頬を指さきでそっと撫でた。
「おまえ……お梅のこと、嫌っていたものな」
「同類嫌悪ですよ」
とは、云わなかった。喉元まで出かかった言葉を、総司は呑み込んだ。
そうして、抱き寄せてくる男の腕の中、ふと考えた。
もしかすると、お梅は芹沢を本当に好いていたのだろうか。
手込めにされ、挙げ句、自らの欲望のままその男のものになったお梅。だが、いつしか、彼女は芹沢という男を好くようになっていたのかもしれないのだ。
ならば、同じではなかった。
少なくとも、好きでもない男に身をまかせるという部分では、違ってくるだろう。
だが、本当にそうなのか。
(私は、あのお梅と同じではないの……?)
奇妙な感覚が躯を襲った。
ぞくりとするような予感に、目を瞠る。
いつしか、お梅があんなにも嫌っていた芹沢を好いていったように、自分も、この男を好くようになってはいないのだろうか。
姉の仇にも等しいこの男への憎しみも、姉の嘆きも苦しみも忘れ去り、優しく愛され大切にされている今に、溺れそうになっているのではないだろうか。
躯を抱かれただけでなく、いつしか、心までもこの男に奪われてしまった……?
思わず激しく身じろいだ総司に、土方が気がついた。
「どうした」
と、覗き込んでくる。
それに、総司は息をつめていたが、やがて、ふるりと首をふった。
土方の胸もとに頭を凭せかけると、彼の腕の中で躯を甘えるように小さく丸める。
「総司……?」
そっと髪を撫でてくれる男の手が、泣き出したいぐらい優しかった。
身も心も、とろけてしまいそうなほど。
「……」
総司はきつく唇を噛みしめると、何かを断ちきるように瞼を閉ざした……。
次から大きく展開します。