「……土方、さん?」
思わず縋るような声音になっていたのだろう。
土方は形のよい眉を顰め、総司を見下ろしていた。切れの長い目に苦痛の色がうかぶ。だが、すぐにそれは逸らされた。
しばらく黙りこんでいたが、やがて、土方は低い声で言った。
「どうして……おまえはそうなんだ」
「え」
「俺を拒み突き放したくせに、二人きりになれば、こうして自分から身を寄せてくる。おまえはいったい俺にどうして欲しいんだ」
「あ……」
はっと息を呑んだ。
確かに、彼の言うとおりだった。彼を突き放したのは拒んだのは、己自身であるくせに、そのぬくもりを求めてしまうなんて。
(私はなんて身勝手なの……)
総司は思わず俯いてしまった。それに、土方は鋭いまなざしを向けた。
「おまえは俺に愛することさえ、許さなかった。むろん、初めから、いくら愛しても、受けいれられない事はわかっていたさ。こんな俺など、誰も愛してくれるはずがねぇからな」
男の吐き捨てるような言葉に、総司は目を見開いた。驚いて顔をあげるが、それに構わず土方は言葉をつづけた。
「だが、おまえは俺に、愛するということさえ許さなかったんだ。弟としてしか見るなと強いてきた。それがどんなに残酷なことなのか、わかっているのか」
「わかっています……」
総司は答えた。
「人の想いを否定することは、酷いことだとわかっています。でも、私は土方さんの気持ちは受け入れられない。あなたがいくら私を愛してると言っても、受け入れる気になれないのです。そんな事、絶対に」
「……いい加減にしろよ」
獣が唸るような声だった。
土方は激しい怒りを湛えた目で、総司を見下ろしていた。奥歯を食いしばり、必死にその激情を堪えているのがわかる。
「おまえが俺を受け入れられねぇ事なんざ、わかっているさ。おまえは斎藤のものだからな。だが、それを何度も思い知らせる事はねぇだろう」
「……」
「俺の気持ちを否定し、二人きりになったとたん身を寄せて、挙句、愛する価値などないと思い知らせるのか。どこまで、おまえは残酷なんだ」
土方は一つ大きく息をついた。そして、総司を見つめると、はっきりと言い切った。
「俺はおまえを愛している」
「土方さ……」
「何をどう否定されようが、この気持だけは変えられん。俺はおまえを愛しているんだ」
「じゃあ……その証は?」
即座に返した総司の問いかけに、土方は訝しげに眉を顰めた。
「証?」
「あなたが私を愛しているという証です。それを私に見せることが出来るの?」
「そんなもの……」
「見せられませんよね。愛なんて人の想いなんて、見ることが出来ない。だから、私はあなたの想いも信じられない」
「……」
土方は目を見開いた。驚いた表情で、総司を見下ろしている。
それを、冷たく澄んだ瞳で見つめた。なめらかな頬が紅潮し、怖いように綺麗だった。
「私は、あなたの言葉なんて全部、信じられないのです。だって、あなたは私を裏切ったんですよ。私をいらない、私は邪魔だ、子供だと莫迦にして蔑んで、さんざん傷つけた。なのに、今頃になって、あれは全部偽りだった、本当は好きだ、愛してるなんて。そんなの信じられるはずがない」
「総司……」
「昔、あなたは私を素直だと言ったことがありましたよね。素直で優しいと褒めてくれた。でもね、素直だったからこそ、裏切られたのです。あなたからの行為に、これ以上ないぐらい深く傷ついた。だから、私はもう前の自分を捨てることにしたのです。素直でいても、いい事なんて何もない。傷つきたくなかったら、誰も信じなければいいとわかったから……っ」
これ以上言うべきかどうか、わからない。だが、ここで楔を打ち込んでおくべきだと思ったのだ、お互いのためにも。
だから、言葉をつづけた。
「私はあなたからの言葉なんて、全部信じられない、信じたくない。それに……私はあなたが嫌いだし、今でも憎んでいる」
「……」
土方が息を呑んだのがわかった。それに胸の痛みを覚えながらも、告げた。
「あなたからの愛なんて、いらない」
きっぱりと言い切ってから、きつく唇を噛みしめた。
……とうとう言ってしまったのだ。
むろん、彼を嫌いだとか憎んでいるとか、全部嘘だ。
今も苦しいぐらい、こうしているだけでも切なくなるぐらい、大好きだった。心の底から愛していた。
でも、信じることは出来ないのだ。何度愛していると言われても、信じられない。
そんな自分が嫌だった、この世で一番、嫌いだと思った。
愛する人の言葉が信じられないなんて、それも、その愛情を疑ってしまうなんて。
どうして、こんなふうになってしまったのか。
昔のように素直でいたかった。
素直に彼の言葉を信じられたら、どんなに良かっただろう……。
「……そうだな」
気がつけば、土方が低い声で呟いていた。顔を俯かせ、目を伏せている。
「すべて俺が悪いんだな。俺が間違ったから、おまえは変わってしまった」
「……」
「俺を嫌い憎み、挙句、まったく信じられなくなった。当然だな。俺ではなく……斎藤を選び、あいつのものになっちまっても、当然のことか」
「……土方、さん?」
思わず彼の名を呼んだ。
男の声音に、不安を覚えたのだ。言葉は悔恨にみちているが、声音は完全に裏切っていた。狂気じみた危険さえ孕んだ声音だと感じたのだ。
そして、その不安はあたっていた。
「……」
土方はゆっくりと顔をあげた。鋭い目が総司をまっすぐ見つめる。
その黒い瞳に湛えられた狂暴な光に、息を呑んだ。
「!」
まさに狂気の淵に身をおく男の目だった。飢えた挙句、狂ってしまった獰猛な獣を思わせる。
「……っ」
無意識のうちに身を後ずらせていたのだろう。
だが、すぐさま男の手がのび、総司の腕を掴んだ。痛いと顔をしかめるのにも構わず、強引に引き寄せる。
見上げれば、土方は静かに総司を見下ろしていた。視線が絡んだとたん、微かに嗤ってみせる。
その嗤いが酷薄で冷たくて、ぞっとした。
「総司」
やがて、呼びかけた土方に、答えることさえ出来なかった。ただ身体を固くしたまま、見上げている。
そんな総司の前で、土方は目を細めた。形のよい唇が言葉を吐く、まるで断罪するように。
「おまえは俺のすべてが信じられないと言ったな。幾度愛していると繰り返しても……おまえが俺を信じることはない」
「……」
「なら……俺も、おまえに望まねぇよ。いや、心を求めない」
ゆっくりと耳元に唇を寄せた。まるで甘い睦言を囁くように、告げる。
「代わりに、俺はおまえの身体だけを求めてやる」
「ひ、土方さ……」
「今更、遅いか。もう何もかも手遅れだ……俺たちは全部、間違っちまった。これがその報いだろう」
土方はまるで独り言のように呟いた。そして、総司の腕を掴んだまま立ち上がる。
その細い身体を引きずるようにして歩き出した男に、総司は息を呑んだ。必死に抗おうとするが、圧倒的な力の差だった。まるでかなわない。
土方は隣室への襖を押し開くと、中へ向かって総司を乱暴に突き飛ばした。抗う間もなく、褥の上へ倒れこんでしまう。
後ろ手に襖を閉める男の姿に、総司は目を見開いた。思わず首をふり、後ずさる。
「い、いや……ぃ、や」
「総司」
怯えきる総司を見下ろし、土方はうっとりと微笑んだ。
怖がっている様にも、愉悦を覚えているかのようだ。実際そうなのだろう。土方は、この愛らしくも美しい生き物が怯えていることに、これ以上ないぐらい欲情していたのだ。
男の奥に潜む残虐性が、剥き出しになった瞬間だった。
土方はゆっくりと褥に跪き、手をのばした。必死になって後ずさる総司の腕を掴んで、引き寄せる。そのままのしかかってくる男に、総司は悲鳴をあげた。
「いやあ!」
啜り泣きながら首をふり、男の肩を押し返そうとした。だが、力の差は歴然としている。
土方は総司の抵抗など物ともせず、その着物を脱がせた。白い肩が剥き出しになり、そこに口づけられる。男の大きな手のひらが総司の身体を撫であげた。
自分を抑えつける圧倒的な力、男の気配、匂い、身体を撫でまわす大きな手。
その全てに、総司は目を見開いた。
「──ッ!」
声にならぬ声で絶叫し、跳ね起きた。男の腕の中、狂ったように激しく暴れ始める。
尋常ではない様子に、土方も気がついた。思わず手をとめ、見下ろす。
その男を突き飛ばすようにして、総司は部屋の隅まで逃げた。がたがた震えながら、うわ言のように口にする。
「いやっ、やだ……いやだ……」
「総司」
「あっちへ行け! 私にふれるな、ふれたら殺してやる……ッ」
そう叫んだと思った次の瞬間、細い身体から不意に力が抜けた。
総司は子供のように膝を抱え込み、それに顔を伏せた。肩を震わせ、泣いた。
「いやだ……もう何もかも嫌だ……いやだ……」
「……」
「お願い……助けて……」
「……総司……っ」
誰に助けを求めているのかと思った。殺してやるとまで言われ、土方は目の前が真っ暗になる思いだった。
わかっている。悪いのは自分なのだ。無理やり総司の身体だけでも手にいれようとした自分が悪いのだ。だが、それでも、愕然とした。
殺してやると言われたのだ。己がこの世の誰よりも愛している者から向けられる憎悪に、殺意に、身体が震えた。何も言うことが出来なかった。
もはや、これ以上聞きたくなかった。総司が助けを求める相手が斎藤であるのなら、到底堪えられない。
「……」
土方は激しく顔をそむけると、立ち上がった。部屋を出ていこうとする。
その時だった。
総司の小さな声が聞こえた。
「……土方さん」
「……」
最初は名を呼ばれたのかと思った。だが、それとは違った。
振り返ると、総司はまだ膝を抱え込み、すすり泣いていた。そのままの状態で言ったのだ。
「助けて……土方さん、お願い……」
「……!」
「土方さん、助けて……」
子供のように繰り返される言葉に、呆然となった。理解が出来なかった。
今、自分は総司を手ごめにしようとしたのだ。なのに、何故、自分に助けを求めるのか。
だが、土方はもはや出ていこうとは思わなかった。ゆっくりと歩み寄ると、総司を驚かせないように静かに傍へ跪いた。
呼びかける。
「総司……」
「……」
おずおずと、総司が顔をあげた。涙をいっぱいにためた瞳が彼を見る。
一瞬、恐れられるかと思ったが、杞憂だった。総司は彼だけを求めるように手をのばすと、その腕の中へ飛び込んできたのだ。
抱きしめることも出来ずされるままの土方の背に手をまわし、ぎゅっとしがみついた。男の胸もとに顔をうずめる。
吐息のような声が言った。
「……よかった」
「……」
「助けに来てくれたんだ……土方さん、よかった……」
「総司」
戸惑う土方に、総司は懇願した。まるで、昔のように。
「傍にいて。もうどこにも行かないで……土方さん」
「行かねぇよ……」
思わず言っていた。腕の中の細い身体を抱きしめ、その柔らかな髪に顔をうずめる。
「俺はおまえの傍にいる。ずっと、おまえを愛しているから」
「土方さん……」
安堵したように、総司が微笑んだ。安心しきった様子で、土方の腕の中、身を丸める。
完全に男の腕に身をあずけ、目を閉じる総司に、土方は唇を噛んだ。理解できぬことは山程ある。だが、今は問いただすべきではないと思った。
土方は柔らかく総司の身体を抱き上げると、そっと褥の上に寝かせた。そのまま離れようとしたが、総司の手が彼の着物を掴んで離さない。仕方なく同じ褥に入り、その細い身体をゆるく抱き寄せた。
甘えるように身を寄せてくる総司が、たまらなく愛おしい。先程と違い、情欲は全く起こらなかった。ただ、守ってやりたい、この手で安心させてやりたいと願うだけだ。
「愛しているよ……」
もう一度囁いた土方の腕の中で、総司が夢見心地にか、こくりと頷いた……。
気がつけば、夜になっていた。
総司は呆然とする思いで、周囲を見回した。見慣れぬ天井や部屋の様子に息を呑んだとたん、記憶が押し寄せてきた。
(そうだ、私、土方さんに手ごめにされかけて、それで……それで……?)
何か自分が叫んだ気がした。だが、その後の記憶が完全に途切れてしまっている。
のろのろと身を起こした総司は、隣室への襖を見つめた。物音はしないが、そこに彼がいる気がした。
総司は唇を噛んでしばらく考えていたが、やがて、意を決して立ち上がった。部屋を横切り、襖をゆっくりと開いた。
「……」
そこには、昼間とは違う光景が広がっていた。明かりが灯され、どこか艶めかしい感じさえする。
こちらに背を向けるかたちで、一人の男が縁側に坐っていた。胡座をかいて坐り、月を眺めているようだ。
総司が出てきたことに気づいているだろうに、一向に振り返らない彼に、躊躇った。だが、声をかける。
「土方さん」
「……」
ゆっくりと、土方がふり返った。総司を見ると、微かに目を細める。
「起きたのか」
「はい……」
こくりと頷いた総司に、言葉をつづけた。
「今夜は月が綺麗だ。おまえもここに来て見ねぇか」
「……はい」
躊躇いはしたが、それでも彼の傍に歩み寄った。土方のすぐ隣に腰をおろし、夜空を見上げる。
美しい夜空だった。彼の言葉どおり月がとても綺麗だ。
ぼんやり眺めていると、土方が静かな声で言った。
「おまえは……全部、覚えているのか」
「……」
「先程のこと、覚えているか」
「あまり……」
総司は俯いた。それに、土方が吐息をもらした。
「そうか」
「私、土方さんに……あの……」
「最後まで抱いてねぇよ」
あっさり答えた土方は、自嘲するように笑った。
「殺してやるとまで言われて、出来るはずがねぇ」
「え」
総司は目を見開いた。思わず彼の横顔を見上げてしまう。
「わ、私、そんなことを言ったのですか」
「あぁ」
「でも、私、そんなこと思っていません! 土方さんを殺そうなんて、そんな」
「わかっているよ」
土方は物憂げな口調で答えた。片手で煩わしげに黒髪をかきあげつつ、言葉をつづける。
「あれは、俺にむけられた言葉じゃない。それは、その後のおまえの言動でわかったんだ」
「その後…の?」
「おまえは泣きながら言った。助けて、土方さんと。おまえはあんな事をした俺に、助けを求めてくれたんだ」
「……」
総司は何も言えないまま、土方を見つめていた。それに視線を返した。
「それを聞いたとたん、憑物が落ちたみたいに我に返ったよ。愛しいおまえに何をしようとしたんだってな。本当に……すまなかった」
「土方さん……」
「あんな事、二度としない。許される事じゃないとわかっているが」
「……」
「それから、総司……」
土方は何か言いかけた。だが、どう聞いてよいのか、迷っているのだろう。彼にしては珍しく躊躇いがちな表情で、目を伏せている。
それに、総司は唇を噛んだ。重い沈黙が落ちる。
やがて、ゆっくりと言った。
「土方さん、あなたは聞きたい事があるのでしょう?」
「……」
「それは、私が昔……男に手ごめにされた事があるのかということ?」
男の手が固く握りしめられた。それを見つめ、言葉をつづけた。
「答えは、肯です」
静かな総司の答えに、土方は、はっと顔をあげた。愕然とした表情で総司を見つめる。
それを、澄んだ瞳が見つめ返した。
完結まで、あと3話です。