総司は、微かな吐息をもらした。
 ゆっくりと鉢巻を外しながら、副長室へ向かう。巡察の報告のためだった。それが少し物憂い。


 一番隊組長として再び働くようになってから、随分と時が過ぎていた。
 ただ、その間、ほとんど土方と顔をあわせることはなかった。
 報告は出来るだけ島田にしてもらい、土方を避けるようにしてきたのだ。
 面と向かえば、どうしても、色々と話が出るだろう。隊を去るかどうかだけでなく、もしかすると、土方が己の想いにふれるかもしれない。
 ……それが怖かった。
 一度は退けることが出来た彼の想いだが、土方はそれでも総司に対して、想いを抱きつづけているようだった。愛しつづけてくれているのだ、あんなにも酷い言葉で、彼を拒絶したのに。
 その事を思うと、泣き出したくなった。
 なんて自分は依怙地で意地っ張りなのかと、己を責めた。
 飛び込んでしまえばいいのだ。


 私も愛しています、ずっとずっと好きでした。
 それこそ、初めて逢った時から。


 そう告げれば、彼は必ず自分を抱きしめてくれるだろう。とろけそうなほど愛してくれる。
 だが、それを総司の中の何かが強く禁じていた。矜持、だったのかもしれない。もしくは、意地なのか。


 総司はおとなしく素直な若者だが、もともと武家の出であるためか、誇り高かった。
 己にも他者にも厳しい人間だった。今、自分は病を得てしまった。それも不治の病という身になってしまったのだ。
 なのに、その状態で彼の愛を受け入れるということは、彼に甘えることだと思った。
 土方は恋人となった総司を江戸へ送り返すことはしないだろう。だが、それは総司の誇りを激しく傷つける行為だ。総司の仕事ぶりや力量、剣士としての腕が必要とされるのではなく、男に愛されるために京へ残る。
 それは屈辱的でさえあった。


 むろん、最もたる理由は、土方のためだ。
 こんな労咳もちの者を念弟にすれば、もしもそれが隊内に知られれば、必ず土方は非難される。だから、隊へ残したのかと言われるだろう。
 いくら男同士が認められている世であっても、やはり、男女ではないのだ。所帯をもてる訳でもないし、妾に出来る訳でもない。
 ましてや、総司は花街で花をひさいでいる者ではない、新選組隊士なのだ。それも、一番隊組長、筆頭師範代という大幹部だ。その総司を副長である土方が恋人とすることは、危険極まりなかった。
 人の噂は誹謗中傷に満ちるだろうし、土方自身、嫌な思いもするに違いない。それがたまらなく怖かった。傷ひとつない、あの極上の男である土方が少しでも損なわれることだけは、避けたかったのだ。
 だからこそ、拒絶した。それも、斎藤までも使って。


 だが、やはり、総司も人だ。
 それも感じやすく、心優しい若者なのだ。
 辛くて辛くてたまらなかった。切なく、悲しかった。
 自分を愛してくれている男を拒まなければいけない。ただでさえ人を拒絶することは辛いのに、相手は己自身が気も狂うほど愛している男だ。
 自分の心を押し隠し欺きつづけられるのか、不安だった。
 だが、もう事は始まってしまったのだ。今更、引き返す事など出来ない。
 斎藤までも巻き込んでしまったことに、むろん、強い罪悪感はあった。それでも、地獄だとわかっていても尚、身を投じたのは彼のためだった。
 すべて、あの愛しい男を守るためなのだ。


「……沖田です、失礼しても宜しいでしょうか」
 そう問いかけた。中から返事があったことを確かめてから、障子を開く。
 土方は文机に向かい、何か書物をしていた。広い背を見つめながら、総司は端座する。
 その気配に彼がふり返る直前に、目を伏せた。
「巡察の報告に伺いました」
「……」
「ご報告するような事は皆無でした。むろん、負傷者もありません」
「……そうか」
 しばらく無言でいた土方は、低い声で答えた。その鋭い視線が自分にあてられているのを感じる。
「ご苦労だった」
「では、これで失礼致します」
 そう言って立ち上がろうとした瞬間、不意に、土方が呼びかけた。
「総司」
「はい」
 素直に答えた総司に、土方は静かな声で訊ねた。
「身体の調子はどうだ」
「だいぶ良くなりました。土方さんにはご心配をおかけし、申し訳ありませんでした」
「謝る事じゃねぇよ。それより……どうするのか決めたのか」
「私は隊に残りたいと思っています」
「そうか……」
 土方は一瞬、目を伏せた。だが、すぐに顔をあげ、言葉をつづけた。
「前にも言ったが、俺はおまえの意思を尊重するつもりだ。ただ、療養はすべきだと思っている。どこか家を借りて、しばらくの間、療養した方がよいのではないか」
「それもお断りします。私は隊から出たくありません」
「総司」
 咎めるような声音だった。それに、総司はまっすぐ彼を見返した。
「一度血を吐いただけです。私は働けますし、斬り合いもしっかりと出来ます」
「そういう事を言っているんじゃねぇよ。働けるとか働けないとかではなく、療養した方がいいと」
「隊から私を出すなら、いっそ切腹を命じて下さい」
「……」
 土方の目が見開かれた。
 まさか、そこまで総司が言うとは思ってもいなかったのだろう。それに、微かに笑ってみせた。
「驚きました? でも、私はそれぐらい隊を出るのが嫌なのです」
「なぜだ。どうして、そこまで新選組にいる事に拘る」


 あなたがここにいるから。


 だが、それを口に出すことは決して出来ない。
 俯いて黙り込んでしまった総司に、しばらくの間、土方は黙ったまま視線をあてていた。だが、やがて、低い声で問いかけた。
「それは……斎藤がいるから、か」
「!」
 思わず弾かれたように顔をあげてしまった。とたん、こちららを見据える男のまなざしの鋭さに、息を呑む。
 もう知られているのかと、愕然とする想いだった。自ら仕掛けたことなのに、一方で、彼に知られる事が少しでも遅ければいいと願っていたのだ。
 これでいいはずなのに、自分が望んだことなのに。
「……」
 何も言えないままの総司に、土方が唇の片端をあげた。皮肉な口調で呟く。
「やはり、そうか」
「……土方さん、あの」
「斎藤の傍にいたいから、この隊に残るのか。おまえにとって、あいつはそれ程大切な男なのか」
 彼の問いかけに、唇を噛んだ。


 ここで肯定することは、より彼を傷つける事になるだろう。
 だが、否定することは出来なかった。
 もう退路は絶たれてしまったのだ。


 総司はぎゅっと膝上に置いた両手を握りしめた。俯き、消え入りそうな声で答える。
「……はい。大切、です」
「……」
 しばらくの間、土方は何も言わなかった。黙ったまま、こちらを見つめているようだった。
 やがて、静かな声が言った。
「わかった」
 はっと見上げれば、土方は無表情でこちらを見据えていた。冷たく澄んだ黒い瞳に、息を呑む。
 そこにいるのは、京に来てから見慣れてしまった副長としての彼だった。
 軽蔑されたのか、と思った。念兄のために隊に残りたいなどと、我儘を言う子供だと思われたのか。
 だが、そんな総司に、土方は言葉をつづけた。
「とりあえず、おまえの考えはわかった。近藤さんと話して……どうするのかは決める」
 反論することも出来なかった。
 先ほどまでの江戸の頃のような、兄代わりの彼ではなかった。ここにいるのは、冷然とした副長なのだ。
 総司は反発することなど考えられぬまま、視線を落とした。先程まで優しく接してくれていただけに、突然、手のひらを返したように冷たくされ、己を偽ることが出来なくなったのだ。
 だが、今更、縋ることも出来なかった。甘えることも許されない。
「はい」
 小さく答えてから、総司は、話は終わったとばかりに背をむける土方に、唇を噛みしめた。そのまま部屋を出ていく。
 話を終えることが出来たのだ、その上、斎藤のことまで告げることが出来た。
 なのに、安堵感など全くなかった……。












 殺してやろうかと思った。
 実際、あの時、総司がもしも言葉をつづけていたら。斎藤への想いを告げていたなら、くびり殺してしまっていたかもしれなかった。
 刃でなど殺さない。
 この手のひらを総司の細い首にあて、じわじわと縊り殺してやる。
 総司の苦痛、ぬくもり、喘ぎ、それらを感じながら愛しい者の命を奪う行為は、どれほどの快楽か。そして、地獄か。
 心底、殺してやりたいと思ったのだ。
 愛していると告げた者の前で、平気で、他の男を大切に思っていると告げてみせる残酷な若者を。


 美しく愛らしく、そして、誰よりも残酷だ。


「本気で……殺してやればよかったな」
 低く呟いた。
 薄い笑みが端正な顔にうかべられる。人が見れば、ぞっとするほど酷薄な笑みだった。
 土方は文机の上に頬杖をつき、考えこんだ。切れの長い目を細める。


 むろん、あの愛しい若者を殺すよりも、手にいれたいのだ。
 拒絶されているのはわかっている。男として見られていないことも。
 だが、それでも、欲しくてたまらなかった。己のすべてで愛したかったのだ。
 総司が選んだのが、その辺りにいる娘ならばよかった。花街の女でもよかったのだ。
 そうであれば、土方も己の気持ちを押し殺し、祝福してやることが出来ただろう。むろん、嫉妬に苦しみはしただろうが、それでも、仕方がないと己を抑えることが出来たはずなのだ。
 なのに、総司が選んだのは、斎藤だった。
 その事が土方の胸を刺し貫いていた。酷い嫉妬と怒り、屈辱に、叫びだしそうだった。


 なぜ、俺ではなかったのか。
 俺では駄目だったのか。


 斎藤には、俺にない何かがあったということなのか。
 総司に愛されるだけの、何かが。
 否、自分でもわかっていた。
 自分は決して人に好かれるような男ではない。むしろ、嫌われる事の方が多い。女にはもてるが、人好きする性格ではないし、身勝手で傲慢で冷たいところもある自分は嫌われやすい。
 それが総司には嫌だったのだろう。兄としてなら接することが出来るが、恋心までは到底持てなかったに違いなかった。
 斎藤は、総司とも年が近いし、同じように剣術の腕も優れ、いろいろと話があうことも多いのだろう。確かに似合いの二人だった。
 だが、それでも、己を納得させることが出来なかった。


「俺は愚かだな……」
 苦々しい思いで、目を伏せた。
 あれほど拒絶され、想いを否定され、挙句、他の男のものになった若者に、いつまで拘っているのか。いっそ思い切ってしまえばいいのだ。未練たらしい真似をするなど、己が最も忌み嫌っていたはずだった。
 江戸にいた頃も、京にのぼってからも、土方は、総司への想いを押し殺すためにも女遊びを繰り返した。そんな中で、当然、飽きた女に縋りつかれた事が幾度もあった。どれほど鬱陶しいと思ったことか。
 だが、今の己は同様だ。拒絶されても諦めきれず、未練たらしく総司のことを想いつづけている。
 一瞬でもいい。
 総司の心がこちらへ開かれる事がないか、前のように笑いかけてくれる事がないか、期待してしまうのだ。一縷の望みもないと、思い知らされたはずなのに。
「……」
 土方は気持ちを切り換えるように、一瞬だけ固く瞼を閉ざした。それから、文机の筆をとると、仕事の続きを始める。
 その広い背は、世界のすべてを拒絶しているかのようだった……。












「土方さん……知っていました」
 小さな声で、総司は言った。
 それに、斎藤は訝しげに目をあげた。
 二人一緒に出かけた日の午後だった。木陰を見つけて休んでいると、不意に、総司が言ったのだ。


 土方さん……知っていました、と。


「何を」
 問いかけた斎藤に、総司は肩をすくめた。
「わかりきった事じゃないですか。私たちのことですよ」
「……へぇ」
「直接、聞かれました。隊に残りたいのは、斎藤さんのためかと」
 総司は俯き、くすっと笑った。
「そんなこと……土方さん自身に聞かれるなんて。理由なんか、決っているのに」
「少なくとも、オレのためではないな」
「ごめんなさい、斎藤さん」
 少し棘のある口調に、総司は細い眉を顰めた。
「怒っています? あなたを巻き込んだこと」
「いや、怒っていないよ。怒っていたら、初めから話にのらない。オレは、オレなりの考えがあったからこそ、引き受けたんだ」
「斎藤さんなりの考え?」
「オレだって、いろいろ思うところがあるのさ」
 そう言って空を見上げる斎藤に、総司は唇を噛んだ。
「私も……自分なりの考えがあると思っていました。斎藤さんに言ったとおり、あの人のためだと思っていた。でも、土方さんに、斎藤さんの念弟になったと告げた時、ふと思ったのです。本当に、それだけだったのだろうかと」
「……」
「土方さんのためにと言いながら、本当は別の理由があって、私はあの人を拒絶したんじゃないかと……」
「人なんて、身勝手なものだからな」
 斎藤はくすっと笑った。
「結局のところ、自分を一番に考えてしまうのさ。むろん、愛する相手を大切にしたい、愛する相手の幸せを願うのは当然の事だろう。けれど、一方で、他の誰かと幸せになるのなら許せない、いっそ不幸になってくれた方がいいと願ってしまうのも人の性だよな」
「斎藤さんも?」
 総司は小首をかしげた。白い項で、さらりと髪が揺れる。
「そんなふうに思うことがあるのですか」
「いや、残念ながら」
 肩をすくめた。
「オレはそういう処がなくて、執着しないというか、結局のところ、オレが好きな相手が幸せであればいいんだ。それしか望まない」
「斎藤さんは優しいから」
「少し違うけどな。でも、本当は、執着するほどの激しい恋がしたいとも思う」
 斎藤は目を伏せた。
「己と相手しか見えなくなるような、狂った恋をする人はある意味幸せなんだろうな。それだけ人を愛することが出来るって事なんだから」
「だから、残念なのですか」
「そういうこと」
 軽く言ってから、斎藤は伸びをした。それから、総司の方を見やって笑ってみせた。
「だから、オレはおまえと契りを結ばないんだよ」
「斎藤さん……」
「オレはおまえに惚れている、好きだ。幸せになって欲しいんだ」
「それで、この間も……契りを結ばなかったのですか」
 大きな瞳でまっすぐ見つめる総司に、斎藤は苦笑した。
「怒ったのか? 誇りが傷つけられた?」
「そういう訳じゃないですけど、でも、どうしてだろうと思っていました。私は構わないと言ったのに」
「構わないと、おまえは言ったよな。けど、オレが出来ないんだ。オレと結ばれることで、おまえが幸せになるとは到底思えない。それに」
 斎藤は鳶色の瞳で、総司を静かに見つめた。
「もしもオレに抱かれたら、おまえ、きっと泣くよ。オレの腕の中で、あの人のことを思って悲しそうに泣く」
「そんな……」
「オレは、おまえには笑顔でいてほしいから。出来ることなら、江戸にいた頃みたいな笑顔を取り戻して欲しいんだ」
「無理、ですよ」
 総司は悲しげに微笑んだ。ふと視線を空へやり、小さな声で呟く。
「私はこんなにも変わってしまった。あの人も変わって……だから、もう無理なのです」
「けど、土方さんは、オレと同じことを願っていると思うよ」
「……」
 総司の目が見開かれた。それを見下ろしながら、言葉をつづけた。
「あの人は、おまえを泣かせたい訳じゃない。土方さんも、おまえに幸せになって欲しいと思っているんだ。笑顔を見たいと願っている。ただ、オレと違うのは、自分の手でと思っている事だよな」
「そんなの斎藤さんの考えでしょう? 土方さんは、私をあんな形で江戸へ帰そうとした。あの人が私をそんなにも思っているなんて、考えられないのです」
「総司、おまえ」
 ある事に気づいたのか、斎藤は鋭い目で総司を見た。
「もしかして、おまえ……あの人の言葉が信じられないのか」
「えぇ」
「愛していると言われたことも? 気持ちも?」
「そうです」
 総司は目を伏せると、小さく笑った。
「土方さんのことなんて……全部、信じられない」



















次でドーンと展開。ある人が二人のために動きます。