その後、総司は池田屋で倒れ、吐血した。
 池田屋で倒れていた総司を見た時の衝撃は、到底忘れられないだろう。


(……総司)


 土方はきつく目を閉じた。
 今思い出すだけで、息が出来なくなりそうだ。
 血を吐きながら苦しむ姿に、こちらの方が絶叫しそうになった。代われるものなら代わってやりたかった。
 己が傷つけられる方が余程よかった。愛する者が苦しむ姿は、拷問にも等しい苦痛を土方に与えたのだ。
「総司ッ!」
 抱き起こした土方の腕の中で、総司は気を失ってしまった。それに動転し、かなり取り乱してしまったらしい。
 いったい何をしていたのか、何を叫んでいたのか、その間の記憶が全くなかった。
「……土方さんッ!」
 気がつけば、肩を掴まれていた。見れば、永倉が見下ろしている。
「しっかりしなよ。あんた、そのままじゃ総司を殺しちまうぜ」
「……」
「早くここから運び出すべきだ」
 永倉が土方に声をかけてくれたおかげで、総司を会所へ運ぶことが出来た。戸板にのせて運ぶと他の者は言ったが、その間に総司が死んでしまうのではないかと、思った。
 恐ろしさに背筋が冷たくなった。
「いや、俺が運ぶ」
 そう言って総司を抱きあげる土方に、皆、唖然となった。斎藤が言ってくる。
「土方さんはここの指揮があるでしょう。オレが運びますよ」
「……」
 土方はさし出された斎藤の手を完全に無視した。腕の中の総司を宝物のように抱き上げ、歩き出していく。結局、会所へ土方は総司を抱いて運びこんだ。





 数日後、総司に労咳と診断が下された。
 それを聞いた時、土方はやはりと思った。吐血しているのを見た時から、危惧していたのだ。
 近藤は、すぐさま江戸へ帰して療養させようと言ったが、土方はそれに反対した。これ以上、総司の気持ちを無視したくなかったのだ。もう子供ではない。一個の人として生きるために戦っている総司の意思を、今度こそ尊重してやりたかった。
 だからこそ、聞いたのだ。どうしたいのかと。
 結局の処、総司は考えさせて欲しいと言った。江戸へ帰るのか、京に残ることになるのかは、わからない。
 問題は、その結論にいきつくまでの会話だった。


 愛していると告げた土方に対して、総司は拒絶した。それはまだいい。初な総司に拒絶されることはわかりきっていた。
 だが、総司は、愛していないと言えと強要してきたのだ。これほど愛しているのに、愛しているという想いを告げることさえ許さない。
 否、想いを抱くことも禁じられたも同然だった。
 自分のことは弟としてしか思うなと、総司は告げてきた。冷たく傲然と告げる総司は、この世の誰よりも愛らしく可憐で、そして、残酷だった。
 男を蔑み、見下している時でも、総司はあんなにも美しいのだ。あの小さな花は残酷に美しく咲き誇っている。
 それを摘もうとした瞬間、鋭い棘で刺し貫かれた男は、この先、己の想いを殺さなければならないのだ。どれほど、愛しいと思っても表に出すことさえ許されない。
 その苦しみを思うと、土方は胸を掻き毟りたくなった。


 ……それでも。
 まだ今はいい。総司が他の誰のものでもない間は、何とか己を保っていくことが出来るだろう。
 だが、この先、総司が誰かと睦みあうようになったら?
 心から愛しあうようになったら?


(俺は、気が狂う……)


 その瞬間こそ、彼の世界は崩壊してしまう気がした。












 数日後、総司は床上げした。
 以前と同じように一番隊組長、筆頭師範代として働きはじめた総司に、病の翳りはまったくなかった。
 むしろ、己自身で隠してしまったのか。押し殺してしまったのか。
 もともと、総司はおとなしく優しい若者だが、己にも他者にも厳しい一面がある。それが病になってから、より強くなった。どれほど身体が辛い状況にあっても、弱音一つ吐くことがないのだ。
 他の隊士たちが根をあげるような稽古も行い、涼しい顔で佇んでいる。花のような姿でありながら、どこか鬼気迫るものがあった。
 それを友人である斎藤は眉を顰めながら、眺めていた。むろん、斎藤も総司が労咳であることを知っている。
 身体をもっと休ませた方が良いのではないかと忠告したが、総司は小さく笑うばかりだった。
 そんなある日だったのだ。
 総司に誘われ、外出した。
 二人だけでの外出は久しぶりだった。忙しい合間をぬって、斎藤は市などに行くのが好きだったが、総司は帰りの甘味処のため、時々それにつきあっていた。
 だが、今日は違う。総司は話があるのですと言って、斎藤と共に或る寺院へ向かった。
 百合の花が咲いている。
 艶めかしい芳香をもつ美しい花。
「……」
 総司が手をのばした。白い指さきで、ほろりと花が零れ落ちる。
 それは、まるでこの若者のようだった。


 儚くも麗しい、嫋やかな花のような若者。


 総司は普段からそのような印象をあたえている訳ではなかった。むしろ、幼く無邪気で、あどけない純真な印象が強い。
 そのくせ、ふとした瞬間に、ぞくりとするほどの凄艶さをにじませるのだ。
 以前からそうした処があったが、病になってからより強まった気がした。何かが総司の中で変わったのだ。


 ……あの男が狂うはずだ。


 斎藤は、ふと一人の男の姿を思い浮かべた。
 公の場などで顔をあわせる時、相変わらず二人の関係は余所余所しかった。土方も必要以上の言葉をかけないし、総司も同様だ。
 だが、斎藤は、何度も遠くから総司を見つめている土方の姿を見ていた。切ないような、苦しげな表情で、総司だけを見つめていたのだ。熱情を湛えた黒い瞳で。
 土方がこの若者を激しく愛し、溺れこんでしまっていることは明らかだった。
 むろん、それは決して良い事ではない。あれほど危うい立場にいる男が、一人の若者を溺愛しているのだ。その狂ったような執着と愛が周囲に知られてしまえば、どうなるのか。


「総司」
 意を決して呼びかけた斎藤に、総司がふり返った。煙るような長い睫毛を瞬かせ、そっと斎藤を見つめてくる。
 その潤んだ大きな瞳、僅かに開かれた艶めいた桜色の唇。なめらかな頬、襟元を掴んだ細い指先まで、男を狂わせる艶かしさが零れるようだった。
 これで男を知らぬ上、無意識なのだから恐ろしい。
「何ですか」
 小首を傾げてみせる総司に、訊ねた。
「おまえは……どうするつもりなんだ」
「どうするとは」
「これからの事だ。おまえは土方さんを受け入れるのか」
「……」
 黙ったまま、総司は目を伏せた。その小さな綺麗な顔には何の表情もない。
 あえて言うならば、どこか夢見るような、捉え処のない表情だ。
 最近、よく見せるようになった表情だった。


 労咳になって死を見たからなのか、総司は明らかに変わった。むろん、斎藤もわかっている。江戸から京に来て、土方に拒絶され、少しずつ総司は変わっていったのだ、痛々しいほどに。
 だが、それはまだ小さなものだったのだと、思う。今になれば、あれはまだ前兆に過ぎなかったのだ。もっと早く土方が手をさしのべていれば、ここまで総司も変わってしまう事はなかったのかもしれない。
 総司の瞳にある翳りが、斎藤は辛かった。
 自分に、土方から愛を告げられたのだと言ってきた時の表情が、忘れられない。そこに喜びの色は全くなかった。目を伏せ、ふっくらとした桜色の唇を血がふき出そうなほど噛みしめていた。


 可哀想に……と思った。


 本当は愛しているのに、恋しているのに、飛び込めない。ここ数ヶ月で、総司は土方が考えているよりずっと大人になってしまったのだ。
 恐らく、土方が正しかったのだろう。
 今の京は血みどろの闘争の場と化している。そんな場に、総司のような感じやすい若者が身をおけば、どうなるか目に見えていた。
 土方は総司を愛しているからこそ、江戸へ帰そうとしたのだ。自らが憎まれ役になってまで、懸命に総司を帰そうとした。
 だが、それはことごとく失敗に終わり、総司は変わってしまった。たった数ヶ月だった。ここまで人は変わるのかと、驚くほどだった。
 否、あの池田屋がなければ、総司もこれほど変わらなかったのだろう。労咳だと宣告されたことで、この若さで死を目前にした。それが総司を剣術的には高みへ押し上げただろうが、一方で、この若者の心を暗く翳らせてしまったのだ。
 その事が、斎藤には手にとるように理解できた。
 もともと試衛館からのつきあいだ。長い年月を重ねた友人だった。
 一方で、斎藤は総司を愛していた。深く愛していたのだ。守ってやりたい、傍にいてやりたいと思っていた。
 自分が到底、土方に叶わぬことはわかっている。男としての経験も力量も器量も、土方の方が遥かに上だ。
 それでも、土方には欠点があった。


 あまりにも総司を愛しすぎていることだ。


 愛しすぎるあまり、他の何も見えなくなってしまっている。
 総司自身の気持ちさえ、掴めなくなっているのだ。今の土方は、あれほど遊んできた男とは到底思えなかった。
 やはり本気の恋は違うのだろう。何をすれば総司の心を取り戻せるのか、まるでわからないらしい。
 己の不器用さに苛立ち、強引に総司を抱きしめようとしている土方は、初恋に夢中になる男のようだった。
 だが、斎藤は違う。溺れこむほどまでは愛していない。冷静に、総司を見つめることが出来る。
 だからこそ、こうして相談相手にもなれるし、土方がどんなに望んでも近づけない、総司の心に寄りそうことが出来るのだ。


「……私が」
 やがて、総司が口を開いた。
 その甘く澄んだ声で、つづける。
「私が土方さんを受け入れることは……ありません。それだけはしたくない」
「それは、おまえがあの人を嫌っているからか。それとも、愛しているからか」
 問いかけた斎藤を、総司は驚いたように見上げた。そして、くすっと笑った。
「斎藤さんって、意外と意地悪ですね。そんな事を聞くなんて」
「意地悪か」
「えぇ」
 こくりと頷いてから、総司はふと視線を泳がせた。
 さきほどふれた花びらを見つめながら、言った。
「私は、土方さんを愛しています」
「……」
「この命よりも何よりも。あの人のためなら何でも出来る、それぐらい愛してる。だから……受け入れない」


 一見、矛盾しているようでありながら、理解のできる言葉だった。
 総司が土方を受け入れる事は、二人を幸せに導かない道だ。それどころか、地獄へ堕ちてしまう可能性さえある。
 土方には副長としての立場もあり、何よりも、総司は同じ隊の幹部だった。そして、同性であり今や労咳もちだ。良縁が降るようにある男がこの若者を選べば、どうなるか。
 すべてが目に見えていた。


「あの人は諦めないだろう」
 そう言った斎藤を、総司は長い睫毛を瞬かせ、見つめた。
「おまえが断っても拒んでも、おそらく求め続ける。土方さんはおまえに夢中だ。狂ったように、おまえだけを欲している」
「そう……ですね」
 微かに笑った。
「あの、江戸から京へ来た時、私の手を払ったのは土方さんなのに。冷たく払いのけ、背を向けたのに。今は、あの人の方が私を懸命に求めている」
「総司……あれは」
「わかっています」
 総司は目を伏せた。
「私だってもう子供じゃない。色々な事を経験して、わかったのです。土方さんがどうして背を向けたのか、私のためを思っての事だったかも全部。でも……すべて遅いんですよ」
「……」
 そう言葉を続けた総司は、小さな声で言った。
「私は……土方さんを受け入れない、何があっても。恨んでいる訳じゃない、憎んでいる訳じゃない。愛しているから、受け入れないのです」
「だが、総司」
「わかっています。だからこそ、斎藤さんにお願いがあります」
「何だ」
 総司は斎藤の方へ向き直ると、まっすぐ見つめた。
「私の念兄になって下さい」
「……」
「あなたが私の念兄になってくれれば、土方さんも諦めざるを得ないはずです。これが最善の策であるはずです」
 しばらく黙った後、斎藤は呟いた。
「そこに、オレの意思はないのか。オレが断るとは思わないのか」
「斎藤さんは……断ならいでしょう?」
 柔らかく問いかけた。驚いて見た斎藤に、小さく微笑みかける。
「あなたは私を好きだと、いつか言ってくれました。でも、それだけじゃなくて……あなたは土方さんを支えたいと思っている。あの人の力になりたいと、心から願っているはずです」
「……」
「土方さんのためなら、あなたも私と同様に何でも出来るはず……だから、私はあなたを選んだの。あなたなら、私と一緒に地獄へ堕ちてくれると思ったから。あの人のために」
 一つ息をついて、総司は斎藤に問いかけた。
「私と一緒に地獄へ堕ちてくれますか」
「総司……」
 斎藤は息を呑んだ。


 断ることなど出来なかった。
 すべて総司の言葉どおりだった。
 斎藤は土方という男の器量に、ある意味、惚れていた。役にたち、支えたい、どこまでもついてゆきたいと願っていた。
 それゆえ、総司への溺愛に危惧を抱いたのだ。こんな事で窮地に陥ってほしくなかった。
 オレが見込んだ男だろう、あんたは。
 そう、怒鳴ってやりたかったのだ。
 だが、それを総司に見ぬかれていたとは、思ってもいなかった。他者に対して全く関心のなさそうな総司に、油断していたというべきか。


 一つ嘆息した後、答えた。
「……わかった」
 ゆっくりと言葉をつづけた。
「オレは、おまえの念兄になる。だが、それはわかっているな。修羅の道だぞ。おまえにとって、辛い道になるはずだ」
「わかっていますよ。だから、あなたを選んだのですから」
 総司は儚げに微笑んだ。
「今日から、あなたは私の念兄です。もちろん、契りを結ぶことも厭いません」
「そこまでするべきか」
「あの人を納得させるためには、必要なことです」
「おまえは……平気なのか。愛する男のためには、その身も犠牲に出来るのか」
「斎藤さん」
 静かな声だった。
「私は犠牲になるのではありません。斎藤さん、あなたと念者になるために契りを結ぶのです」
「……」
 それ以上、もう何も言う気になれなかった。
 斎藤は固く唇を引き結ぶと、総司にむかって手をのばした。それに、総司が夢見るような瞳で微笑みかける。


(修羅の道だ……)


 柔らかく己の腕に凭れかかってくる細い躰を感じながら、斎藤はきつく目を閉じた。












 その光景を見た瞬間、土方は鋭く息を呑んでいた。
 黒谷屋敷からの帰りだった。単独行動を好む土方はこの日も例によって一人だった。
 夏も終わりに近づいていた。そのため、風が涼やかだ。
 それを心地よく感じながら、ゆっくりと歩いた。艶やかな黒髪が風に吹き乱される、それを片手でかきあげた。
 屯所へ真っ直ぐ戻るつもりだったが、ふと花街の方へ足が向いた。酒を飲みたくなったのだ。
 その時だった。
 土方は角を曲がったとたん、微かに眉を顰めた。見覚えのある若者が店へ入ろうとしていたのだ。
 思わず視線をその建物へ走らせた瞬間、鋭く息を呑んだ。


(……総司……!)


 どう見ても、そこは逢引茶屋だった。いわゆる、男女が愛を交わすために入る場所だ。この時代、男女だけではない。男同士でも使うことは当然だった。
 そして、総司は、男にその細い肩を抱かれていた。今から契りを交わすのか、身を寄せあって茶屋へ入ろうとしている。
 日射しの影になり、男の顔は見えづらかった。だが、中へ入る直前に、はっきりと見えてしまう。
「!」
 愕然と目を見開いた。
 総司の肩を抱いているのは、斎藤だった。
 斎藤は総司よりも背が高い。細身だが、しっかりとした身体つきの男だ。つりあがった目が印象的で、なかなか整った顔だちであるため、京に来てからも花街でもてているようだった。
 新選組三番隊組長であり、総司と並び称されるほどの剣術の腕前だ。そのためか、二人は江戸の頃から仲が良かった。友人関係というには、少しいきすぎるぐらいの仲の良さだったのだ。
 むろん、土方はそれを咎めようとはしなかった。
 兄代わりにしか過ぎぬ彼にそんな資格などなかったし、総司に友人関係にまで口出しをして疎まれるのが嫌だったのだ。
 だが、今の今まで、総司にとって斎藤は友人なのだと思っていた。親しいが、あくまで友としての位置にいるのだと。
 だが、それは間違いだった。
 総司は今、斎藤に抱かれるために出会い茶屋へ自ら入っていくのだ。それも身を寄せあい、男の腕に身体をあずけて。
「……っ」
 土方はそれ以上見ていることが出来ず、踵を返した。どこへ行くともなく、足早に歩き出す。ほとんど走りだしていた。


 どこでもいい。
 とにかく、ここから早く離れてしまいたかった。


 二人が睦みあう処など、見たくなかったのだ。
 ましてや、あの建物の中で総司は斎藤に抱かれるのだ。その清らかで美しく幼い身体を、男に開くのだ。それを思うと、頭がおかしくなりそうだった。
 今にも自分が狂って絶叫してしまいそうな気がして、土方はきつく奥歯を噛みしめた。
 狂う、と思った。
 この間、考えたのだ。総司が誰かのものになれば、狂ってしまうと。
 だが、今、自分は正気だった。
 あれこれ考えられるということは、狂ってはいないのだろう。
 否、やはり狂っているのか。
 この腹の底から突き上げくる激しい怒りと嫉妬、独占欲、殺意にも似た憎しみは、狂気の証なのではないのか。


(……総司……総司……っ)


 土方は路地裏へ逃げこむと、壁に背を凭せかけた。両手で顔をおおう。
 食いしばった唇から、獣のような呻きがもれた……。