明らかな、激しい嫉妬と怒りだった。
引き締まった長身を、青白い炎がゆらりとつつみ込むようにさえ見える。
切れの長い目の眦がつりあがり、きつく唇を噛みしめていた。固く拳を握りしめ、こちらを睨み据えている。
「……」
斎藤と視線があうと、その端正な顔が歪んだ。
その時だった。
総司が身じろぎ、より甘えるように斎藤の腕の中へ凭れかかった。
とたん、堪えられぬように、土方が激しく顔をそむけた。踵を返し、足早に歩み去ってゆく。
その遠ざかる広い背を眺めながら、斎藤は唇を噛んだ。
(やはり……そうなのか)
薄々感づいてはいた事だった。
京に総司がのぼってきてからではない、江戸の頃からわかっていたのだ。
あれ程冷たい仕打ちをしながら、その実、狂いそうなほど土方は総司に執着している。
それこそ、己の命と引き換えにしても構わぬと思うほど大切に思い、愛しているのだ。
総司自身はわかっていないようだったが、江戸の頃から、土方の総司への執着、独占欲、愛情は兄弟の域を明らかに超えたものだった。あれでは、まるで念兄弟のようだとさえ思ったのだ。
土方は総司を可愛がり、どんな願い事も聞いてやるほどだった。甘やかしすぎだと、近藤が注意しているのも見た事がある。
それでも、土方は総司を囲い込むように可愛がり、優しく愛した。幼い頃から道場に入っていた総司は、ほとんど土方の手で育てられたようなものだった。
なのに、京にのぼったとたん、あの仕打ちだった。
むろん、斎藤も土方の考えは朧気ながらも掴めていた。
総司がまだ江戸にいた一年の間、凄まじい内部闘争があったのだ。
土方は自らの手を味方の血で汚し、近藤をただ一人の局長の地位に押し上げた。試衛館一派で新選組の権力を一手に握ったのだ。それは土方の策謀があったからこそ、成ったものだった。
容赦なく、敵どころか邪魔になるのなら味方さえ誅殺する土方の姿に、空恐ろしいものを感じたが、一方で傾倒する自分を感じたことも確かだった。
この人についていこうと思ったのだ。ある意味、男として惚れ込んだ。
その土方は、総司を今も愛している。狂いそうなほど。
しかし、総司を念者にすることは、土方にとって弱点を抱え込むようなものだった。醜聞沙汰になることは確かであり、また、土方自身、危うい橋を渡る事になってしまうだろう。
むろん、斎藤に、土方の色恋沙汰に口出しする気はない。副長としての仕事をしっかり果たすのならば、恋愛など勝手にすればいいと思うが、一方で、土方が溺れこむように愛しているのは、この総司なのだ。斎藤も長く片思いしている、愛しい若者。
斎藤にすれば複雑な思いだった。
総司が土方のことを愛していることは、明らかだ。どんなに冷たくされても、その想いは変わらぬようだった。
土方にすげなくされ、片隅で一人泣いている総司を何度も見たことがあるのだ。それでも、遠目に土方を見つめている総司も。
初恋の一途さで、総司は土方に恋していた。だが、今や、その想いは憎しみまでもが入り混じり、より深く激しい愛へと変化しているようだった。
(この二人の恋の成就を、オレは願っているのか、いないのか……)
総司の幸せを思うなら願うべきだろう。
だが、一方で、斎藤にとって総司は愛しい若者であり、土方は彼ならばと見込んだ男だ。
(どうしたものだろうな)
そんな事をつらつらと考えている斎藤を、総司が訝しげに見上げた。不思議そうに小首をかしげてくる。
「? 斎藤さん、どうかしました?」
「いや……何でもないよ」
斎藤はゆるく総司の身体を抱きながら、答えた。それから、その顔色を見透かすように眺める。
「総司」
「はい?」
「休むかどうかはともかく、一度、医者に行ってみたらどうだ?」
「お医者さま、ですか」
総司は桜色の唇を微かに尖らせた。こういう処が子供っぽくて可愛らしい。
最近、総司はとみに大人びた表情を見せるようになったが、時折、素直に気持ちを出すところがいとけなく愛らしかった。
「私、ちょっと苦手……なんですよね」
「苦手とかそういう問題じゃないし。一人が嫌なら、オレがつきあってやるよ」
「……そのうち行きます」
総司は小さな声で答えたが、本当に行くのかどうか、怪しいものだと思った。だが、一応言うだけ言ったことに安堵を覚える。
──後に、斎藤はこの時の会話を何度も思い出したものだった。
あの時、無理やりでも医者へ連れていけば、よかったのか。それとも、結局は同じことだったのか。
ゆっくりと、宵山の夜が 近づいてきていた。
蔵の方から獣のような悲鳴が聞こえていた。
それに、総司はきつく目を閉じると、両手で耳を塞いだ。
土方が男を拷問にかけているのだ。それが隊のために必要なのだとわかっていても、聞きたいことではなかった。
ましてや、行っているのは愛しい男なのだ。
永倉が先ほど青い顔で話に来たが、凄まじい状況のようだった。土方の残酷さに背筋が冷たくなったと、言っていた。
(あんなに優しい人が……)
そんな事を思った。
総司にとって、今の土方は、江戸にいた頃の彼とはまるで別人だった。冷酷で容赦なく、人の痛みも死も一顧だにすることはない。
冷徹な副長として振舞っている男が、江戸にいた頃、いつも優しく笑いかけてくれた「歳三さん」だとは、今も信じられないぐらいだった。
江戸にいた頃、彼は本当に優しい男だった。
助けを求められるとすぐに応じたし、自分を頼ってくる者、慕ってくる者は見捨てられない情の深さがあった。何よりも、総司が本当に優しく愛され、育てられたのだ。
手をのばせば、柔らかく抱きあげてくれたあのぬくもりを、今も忘れられない。
自分に向けられた優しい笑顔が、目の裏に焼きついている。
なのに、その優しかった男は今、まるで別人になってしまっていた。平然と人の死を断じ、自分を侮蔑して冷ややかに見下し、捕らえた浪士を残酷な拷問にかける。
江戸の頃の彼からは、到底考えられぬ所業だった。
ふと、顔をあげた。
悲鳴が止んでいる。気絶したのか、それとも、ようやく事が終わったのか。
まさか、殺してしまった訳ではないだろうが。
不安になり、総司は思わず部屋から廊下に歩み出た。とたん、息を呑んだ。
「……っ」
ちょうど、蔵から戻ってくる土方と行きあってしまったのだ。
稽古着は汗にぐっしょりと濡れていたが、その端正な顔にある表情は冷然としたものだった。黒い瞳は深く澄み、唇も固く引き結ばれている。たった今まで浪士を拷問にかけていた男とは思えぬ冷静さだった。
「……」
土方は切れの長い目で総司を鋭く一瞥したが、何も言葉はかけなかった。立ち尽くす総司の前を、無言で通りすぎていく。
そのまま縁側から庭へ降りると、奥の方に向かった。おそらく井戸端で汗を流すのだろう。
その事に気づいた途端、反射的に身体が動いていた。部屋に戻って手ぬぐいをとると、土方の部屋へ向かった。葛籠を開けて中から彼の着物を取り出す。
勝手にこんな事をして叱られるとか、思わなかった。ほとんど無意識のうちに、動いていたのだ。
井戸端へ行くと、案の定、土方は水を浴びていた。稽古着を脱ぎ捨て、下帯だけになっている姿に、どきりとする。
見事に完成された大人の男の躰だった。しっかりと鍛えられた身体は、若い男らしくのびやかで逞しい。
なめらかな褐色の肌が水に濡れている様が、男の色香を匂いたたせた。
(綺麗な獣みたい……)
一瞬、ぼうっと見惚れてしまった。
だが、すぐに我に返り、そっと近寄ってゆく。
気配に気づいたのだろう。土方が濡れた黒髪を煩わしげにかき上げながら、ふり返った。
まさか総司だと思っていなかったのか、かるく目を見開く。
「……手ぬぐいを」
総司は小さな声で言うと、手拭いをさし出した。土方はしばらくの間、総司の顔を見るばかりで受けとろうとしなかったが、やがて、手をのばした。
受け取り、僅かに目を伏せる。
「すまん」
呟くように言われ、驚いた。
彼からそんな言葉が返ってくるとは、思っていなかったのだ。
ざっと水に濡れた身体を手ぬぐいで拭ってゆく土方を見ながら、総司は言った。
「あの、お着替え……ここに置いておきます。勝手に持ちだして申し訳ありません」
「いや……構わん。助かった」
土方の声音は穏やかだった。
あれ程、総司を見下し侮蔑していた男とは思えぬほどだ。むろん、江戸の頃のような明るさ、親しさはなかったが、それでも、総司にとっては余程よかった。
総司は離れがたい思いで、土方を見上げた。それを彼は見返した。
一瞬、沈黙が落ちる。
「……」
すぐに土方は視線をそらした。縁側の上に置かれた着物を取り上げ、手早く纏っていく。それを感じながら、総司は背を向けた。
もっと彼の傍にいたかった。何か、どんな事でもいい、話をしたかった。
だが、想いが強すぎて言葉が出てこないのだ。
今なら少しは落ち着いて話すことが出来る気がした。土方も穏やかに接してくれそうな態度だった。
なのに、幼い自分はこんな時に愛しい男に話しかける言葉をもっていない。それが切なかった。
「……っ」
唇を噛みしめ、その場から歩み去ろうとする。
その時だった。
「総司」
男の声に、どきりと心の臓が跳ね上がった。
久しぶりの言葉だった。
呼び方だった。
二人の間が疎遠になってから、土方は、総司を沖田君としか呼ばぬようになっていたのだ。
おそるおそる振り返ると、土方はもう着替えを終えていた。
深く澄んだ黒い瞳が、総司をまっすぐ見つめている。
低い声が言った。
「この後……大掛かりな手入れがある。内密に事を運ぶため、何処か別の場所に集合してから向かう事になるだろう」
「大掛かりな手入れですか。もちろん、一番隊も?」
「あぁ」
頷いてから、土方は少し躊躇った。だが、思い切ったように言った。
「俺と一緒に出ないか。その……おまえと話をしたいんだ」
「……」
総司の目が見開かれた。
まさか、彼から話がしたいなどと言われるとは思っていなかったのだ。驚きのあまり、呆然と彼を見つめてしまう。
それを拒絶と受け取ったのか、土方がほろ苦く笑った。
「……断られて当然だな。おまえには、今更、俺と話すことなどないか」
「い、いいえ」
慌てて、総司は言った。
「そんな……断ったりしません。ご一緒します、いえ、ご一緒させて下さい」
口早に言い募る総司を、土方は見つめた。やがて、
「……半刻後、壬生寺の門前で」
とだけ告げると、踵を返した。後はもう振り向きもせぬまま、縁側へと上がり、歩み去ってゆく。
それを、総司は信じられない思いで見送った。
突然、与えられた僥倖が夢のようだった。だが、確かに今、彼は自分を誘ってくれたのだ。話がしたいと言ってくれた。
それがどんな話であれ、彼が自分に向き合ってくれたことが、何よりも嬉しかった……。
土方の言葉どおり、大掛かりな手入れが行われる事になった。
浪士たちに気取られぬように、各自屯所を出た後、会所で集まるという手はずも、土方の言葉どおりだった。むしろ、彼がそう事を決めたのだろう。
そんな事を思いながら支度をしていると、斎藤が部屋を覗いた。
「斎藤さん」
にこりと笑いかけた総司に、不思議そうな顔になる。
それに小首をかしげると、問いかけられた。
「いや、えらく機嫌がいいんだな。何かあったのか?」
「べ、別に何もありません」
総司は慌てて首をふった。一方で、そんなにも自分は子供なのかなと思った。感情がすぐさま顔に出てしまうのだ。
これでは彼に莫迦にされて当然だと、少し落ち込んだ。
斎藤はそんな総司を訝しく思ったようだが、それ以上追求はしなかった。代わりに誘ってくる。
「それより、これから会所へ向かうんだろ? オレと一緒に行かないか」
「あ……ごめんなさい」
総司は首をふった。
「私、他の人と約束しているので」
「他の人?」
斎藤は少し驚いた。総司が自分のように親しくしている友が隊内にいるとは思わなかったのだ。
「誰と行くんだ? いや、その、詮索する訳じゃないけど」
総司は僅かに俯いた。それから、小さな声で答える。
「……土方さん、です」
「え」
斎藤は驚き、目を見開いた。
まさか、その名がここで出てくるとは思わなかったのだ。
「土方さんって……副長と? またどうして」
「誘われたのです。一緒に行かないかと、その、話がしたいと」
「……」
「だから、ごめんなさい。斎藤さんとは一緒に行けないのです」
「それはいいけど……」
斎藤は何も言えなくなってしまった。
土方の意図がまったくわからなかったのだ。今、この時点で手をさしのべてくる彼の意図が。
先日の事ゆえかもしれなかった。斎藤に奪われる事を危惧した土方が、とうとう行動を起こしたという事なのか。
あの後、屯所でも会ったが、土方は全く言及しなかった。何事もなかったように接してきたのだ。
しっかりと公私を区別する土方を、さすがだとは思ったが、不器用な人だとも思った。矜持がありすぎるのだ。並の男ならすぐにでも斎藤を捕まえ、問いただしてくるだろう。
だが、土方は副長としての立場以上に、その生来の誇り高さのため、そんな無様な事が決して出来ない。
その代わり、総司自身に手をさしのべたのか。この機会に、その身も心も己の腕の中に抱き込んでしまうつもりなのか。
だからと言って、斎藤がそれを止める事など出来なかった。
「……じゃあ、会所で」
それだけを告げて部屋を出た。その斎藤を見送り、総司はちょっと吐息をもらした。
斎藤が自分に対して抱いている感情は、わかっていた。
言葉にされた事もあるし、何となく感じ取れることもあったのだ。
だが、それを受け入れることは出来なかった。
いくら報われぬ恋であっても、土方しか愛することが出来ないのだ。気持ちが彼だけに向かってしまうのだ。
総司は用意を整え終わると、すぐさま屯所を出た。少しでも早く行って、彼を待ちたかったのだ。
だからこそ、驚いた。
壬生寺の門前に、男が佇んでいたのだ。両腕を組み、傍らの樹木へ軽く背を凭せかけている。僅かに目を伏せた端正な横顔に、どきりとした。
駆け寄る総司に気づくと、視線をあげた。
「申し訳ありません、お待たせしました」
この人を待たせるなんて。
叱責されるのではないかと身体が竦んだが、土方は軽く肩をすくめただけだった。
「たいして待っていないから、気にするな」
そう言うと、さっさと歩き出していく。そのすらりとした背に一瞬見惚れたが、慌てて後を追った。
隣に並んで歩いていると、まるで江戸の頃に戻ったようだった。だが、見上げてみた横顔は冷たく整い、どこか総司を拒絶しているように思える。
切れの長い目も形のよい唇も、すべて昔と変わらないのに。
「身体の方はどうだ」
不意にそう訊ねられ、総司はびくりと肩を震わせた。え、と目を見開く。
それに、土方は根気強く言葉を重ねた。
「おまえの体調のことだ。随分と痩せたように感じるが、食事はしっかりとれているのか」
「すみません。夏の暑さが辛くて、あまり……」
本当は夏の暑さのせいばかりではなかったが、土方の前で、彼と同じ広間で食事をとることが辛いとは言えるはずがなかった。
「別に謝って欲しい訳ではない。体調が優れんのなら、遠慮せずに休むようにしろ」
「はい……」
こくりと素直に頷くと、土方は切れの長い目で総司を見やった。
「俺には言いづらいだろう。近藤さんにでも告げて休めばいい」
「……」
そこまで、土方が気遣ってくれるとは思わなかった。今までの言動を考えれば、信じられぬほどだ。
ただ、やはりそこに親しさはない。兄弟のように育った彼とは思えぬ言葉づかい、他人行儀さだった。
土方の意図が掴めず、総司は思わず訊ねていた。
「どうして……なのですか」
口に出してから、やめた方がよかったのでは、また傷つくだけではと思った。
だが、今更引き返せなかった。
総司は大きな瞳で、土方をまっすぐ見つめた。
「どうして……急に私を誘い出したのですか?」