世界がきみの敵となっても
俺はきみのために戦う
盾となり味方となり、命をかけても守りぬく
それは
永遠に変わらぬ──俺の真実だ
はじめ、何が起こったのかさえわからなかった。
まったく理解ができず、総司は彼に微笑みかけさえしたのだ。
だが、それに返された表情は、冷ややかな侮蔑にみちたものだった。
土方は冷たく澄んだ瞳でこちらを見据えると、唇の端をあげた。
「……俺が言った事も理解できんのか」
今まで聞いたこともない、刺すような声音だった。
侮蔑と嘲りにみちた、薄い笑み。
傲然とこちらを見下ろす男は、まるで別人だ。
総司は呆然としたまま、土方を見上げた。
それに、彼は軽く肩をすくめてみせた。
「おまえ、昔から子供だったが、一年たっても変わらんようだな」
「土方…さん……」
「もう一度言ってやろう」
土方は両腕を組むと、かるく身をかがめた。鋭い視線を総司に真っ直ぐあてながら、言葉をつづける。
「今すぐ江戸へ帰れ。ここはおまえのような子供がいる処ではない」
「子供って、私は……っ」
「己の分を弁えろという事だ」
そう言い切るなり、土方は背を向けた。着流した黒い着物の裾を翻し、歩み去ってゆく。
それを呆然と見送った総司は、もう何も言うことが出来なかった。彼を追いかけることさえ出来なかったのだ。
(……あの人は……誰……?)
まるで別人だった。
確かに彼と離れてから一年以上の時が過ぎていた。
だが、一緒に江戸を発った近藤や原田、永倉などは何も変わらなかったのだ。彼らから遅れること一年以上後に、ようやく江戸を発って京に着くことが出来た総司を、彼らはあたたかく迎えてくれた。
むろん、初めから違和感はあったのだ。
どうして、ここに彼がいないのかと思った。
総司にとって、土方は実の兄同様の存在であり、幼い頃から半ば彼に育てられたようなものだった。
昔から「歳三さん、歳三さん」と呼んで甘え、土方もそんな少年を優しく慈しみ、愛してくれたのだ。
なのに、今日、総司が京に着くことを知っていたはずなのに、迎えてもくれなかった。
だが、一通り挨拶を終えて、これからどうしようと思っている所へ、土方がようやく帰ってきたのだ。
(え……?)
初めに見た瞬間、違和感を覚えた。
まるで違う男に見えてしまったのだ。
江戸にいた頃の土方は、いつまでも不良少年のようで、悪戯っぽくて、青空のような男だった。
ちょっと斜めに構えた所はあるが、優しくて人好きのする性格だったのだ。
だが、そこに佇んでいる男はまるで違った。
まるで、研ぎ澄まされた刃のようだった。
鋭く冷たい、ぞくりとするほど滑らかで美しい刃だ。
艶やかな黒髪は綺麗に整えられ、黒い着物がすらりとした長身によく似合っていた。端正な顔は変わらぬが、その表情はぞっとするほど冷たかった。
それは総司が駆け寄っても、同様だった。冷ややかに一瞥し、いきなり低い声で言ったのだ。
「今頃、何をしに来た」
と。
その後、呆然とする総司に、「江戸へ帰れ」と傲然と命じてきた。威圧的に物事を断じる態度はまるで別人だった。
どうすればよいのか、もうわからなかった。
むろん、今更と言われようが、江戸へ帰るつもりなど全くない。
だが、誰よりも慕っていた土方にあんな態度をとられ、戸惑うばかりだった。
俯いたまま立ち尽くしていると、肩にそっと手が置かれた。
びくりとしてふり返る。
「……斎藤さん!」
そこにいたのは斎藤だった。年も近く、人見知りが激しい総司の数少ない友人の一人だ。
斎藤は少しつり上がり気味の目を細め、総司を眺めた。
「今日、着いたんだって? 旅の疲れはとれたのか」
「えぇ……あの、斎藤さん」
「わかっている、土方さんの事だろう。さっきから見ていた」
そう言うと、斎藤は総司を外へ連れだしてくれた。屯所の近くにある茶店に入り、腰をおろす。
京と言っても壬生の辺りは田舎で、のんびりしたところだ。総司は、隊士たちでごったがえしていた屯所から逃れられ、少しほっとした。
二人並んで坐ってから、斎藤は口を開いた。
「土方さんは……変わったよ」
「え」
「あの人は京に来てから、少しずつ変わっていったんだ。今となっては江戸にいた頃の土方さんが本来の姿だったのかどうかさえ、わからない。愛想よくしていたのも、何か別の思惑があったからじゃないかと思ってしまうぐらいだ」
「土方さんはそんな人じゃありません!」
思わず叫んだ。
「あの人は、そんな、無理に愛想よく出来るほど器用じゃないし、別の思惑なんて、そんなの」
「総司が思っている土方さんは、もうどこにもいないよ。あの人は……今、血も涙もない鬼の副長として皆に恐れられている」
「そんな……」
総司は目を見開いた。いったい誰の話をされているのか、わからない。
「血も涙もない、なんて。あんな優しい人が」
「今のあの人を優しいとは、誰も思わないだろうな。むろん、オレだって、わかっている。土方さんが冷徹にならなければ、新選組はとうの昔に崩壊していたんだ。近藤さんも勿論、たぶん、他の……原田さんや永倉さんも、わかっているのさ。けど、幾らなんでも酷すぎる冷たすぎると思う事も、その……あるよ」
「何か、そんな酷い事をしたのですか……?」
おそるおそる訊ねた総司に、斎藤はきつく唇を噛みしめた。しばらく黙ってから、答えた。
「これは口に出せない事なんだ。隊の中でも秘密で、おまえにもオレは到底話せない」
「……」
「ただ、土方さんは策士だ。冷酷に人を切り捨てられる、恐ろしい人だ。オレはあの人を尊敬しているし、ついていきたいと思っている。けど、心のどこかで恐ろしい、危険な人だとわかっている処もある」
「恐ろしい、なんて……」
そんなふうに彼を思ったことなど、一度もなかった。
総司にとって、土方は、優しい兄代わりだったのだ。
だが、先ほどの冷然とした傲慢な彼を思い返せば、斎藤の言葉もわかる気がした。
まったく別の男に見えたのだ。中身が入れ替わってしまったようだった。
それとも、彼は自ら己を変えたのだろうか。江戸に居た頃の自分を切り捨て、京で新選組副長として生きるために、己を変えてしまったのか。
むろん、それが間違った事だとは思わない。この京で生き抜くためには、そうする事が必要なのだと、土方は判断したのだろう。
だが、それで何故、自分が切り捨てられるのかがわからなかった。
彼の言葉どおり子供だと、邪魔だと思ったのだろうか。ここで新選組副長として生きていく中で、足手まといになると判断されたのか。
確かに、土方は人に対して好き嫌いが激しい男だった。
だが、それでも、総司には優しかったのだ。本当に可愛がってくれたのだ。
(でも、それは私の子供っぽさがわかっていなかったから……?)
京に来て、土方はもっと大勢の人と接したのだろう。
より優れた若者にも逢ったに違いない。
そうするうちに、土方の中で、総司という存在への評価が下がってしまったのか。江戸にいた頃は気づかなかった、総司の欠点が見えるようになってしまったのか。
(私……土方さんに見捨てられたの?)
そう思ったとたん、涙がこぼれそうになった。
こんな事だから子供だと侮蔑されるのだと思うが、心が突きつけられた現を激しく拒絶していた。
ずっと子供の頃から憧れ、恋してきた男に拒絶されたのだ。
逢った瞬間から、土方という男に恋した。
格好よくて陽気で、悪戯っぽくて、ちょっと意地悪で、だが、自分にはとろけそうなほど優しく甘い彼が、大好きだったのだ。好きで好きで仕方がなかった。
もともと、宗次郎だった頃から、総司は人見知りがちな、おとなしい少年だった。
引っ込み思案な処があり、口数も少なかった。勝ち気ではあるし、負けず嫌いの処もあるのだが、それでも、出来るだけ陰の方でひっそりとしている事を選ぶ性質だったのだ。
そんな宗次郎を明るい場所に連れだし、いつも優しく笑いかけてくれたのが歳三だった。
彼と出会ってから、宗次郎の喜びも幸せもすべて、歳三が中心になってしまった。彼に逢うために生まれたのだとさえ、思った。
だから、この一年、彼と逢えなくてどれほど辛かったことか。
本当は一年前、一緒に行きたかった。
だが、もともと身体の弱い総司は病で臥せってしまい、京へのぼる彼らを見送る他なかった。それに、将軍の警護だと聞いていたので、すぐに戻ってくるだろうと思っていたのだ。
だが、実際は違った。
総司が江戸で臥せっている間に、彼らは京で浪士組から離れ、新選組という武装集団をつくりあげた。会津藩お預かりとなり、随分と活躍しているようだという話も聞いた。
一年後、ようやく病を治癒した総司は、すぐさま京へ向かったが、その目的は別に新選組に入るためではなかった。
総司には、そういう野心などが全くなかったのだ。ただ、彼に逢いたかった。逢って、土方を少しでも支えたいと思ったのだ。
なのに、その願いは撥ねつけられた。
冷ややかな侮蔑と共に。
「私……江戸へ帰らないと駄目なのでしょうか」
小さく呟いた総司に、斎藤は唇を噛んだ。組んだ手に視線を落としながら、答える。
「おまえが帰りたくないと思えば、帰らず、ここにいればいいさ。ただ言っておくが、この新選組には鉄の規則がある」
「鉄の規則?」
「局を脱するを許さず、だ。脱走した者は死罪と決っているんだ。つまり、一度入ってしまえば、江戸へは二度と帰れないかもしれない」
「え……」
総司は驚いた。呆気にとられる。
「脱走したら死罪って、それ、誰が決めたのですか。……まさか」
「土方さんだよ。他にも色々とあってさ。まぁ、本来は侍じゃない男たちを纏め上げるんだ、これぐらい厳しい規則がなければ、やっていけないだろうけど……」
そう言った斎藤を、総司は信じられない思いで見つめた。おそるおそる訊ねる。
「……その、それで、実際に死罪になった人はいるのですか」
「あぁ。大勢いるよ」
「……」
「追手をかけられ討ち死にした者もいるし、他の隊規にふれて打首になったり切腹になったり。そのすべてを裁量しているのは、土方さんだ」
「そんな、そんなの……人の死を、それも味方に死を命じるなんて、あの人に出来るはずがない。あの、土方さんが」
「総司」
斎藤は鳶色の瞳で、まっすぐ総司を見つめた。
「おまえ、ここに残るなら覚悟しておいた方がいい。あの人は、江戸にいた頃の土方さんじゃないんだ。まったく別人だと思った方がいい。でなければ、おまえ、酷い目にあう。素直で優しいおまえが傷つくさまを、オレは見たくない」
「斎藤さん……」
「土方さんに、今までのように接するのはやめるべきだ。期待も甘えも一切捨てた方がいい。副長として接した方が、おまえも傷つかなくて済む」
「……」
総司はもう何も言えなかった。
口を閉ざした斎藤が、傍の盆から湯のみをとりあげて口に運ぶ。
茶屋の外はうららかな春の光景が広がっていた。
京の美しい春だ。
だが、今の総司には、そんな光景も何も目に入らなかった……。
江戸へ帰るという選択肢は、総司にはなかった。
どれほど変わってしまっても、冷たく切り捨てられても、それでも、総司の想いは変わらなかったのだ。想いを断ち切ることなど、出来なかった。
むろん、微かな期待があったのかもしれない。
土方が態度を変えてくれるかもしれないという期待が。また、江戸にいた頃のように優しく笑いかけてくれるかもしれないと、心のどこかで期待してしまったのだ。
斎藤に注意されたにもかかわらず、本質的に素直で優しい総司には、今の冷酷な土方をどうしても受け入れることが出来なかった。
だが、その期待はすぐさま裏切られた。
「……おまえ、まだいたのか」
翌日、屯所で顔をあわせた途端、土方は眉を顰めた。莫迦にした表情で、冷ややかな視線をむけてくる。
「俺は警告してやっただろう。江戸へ帰れと」
「でも」
総司は俯いた。
「近藤先生の許可は得ています。私の……師匠は、近藤先生ですから」
「成程、俺よりも近藤さんの立場の方が上だからな。子供なりに頭を働かせる訳だ」
かるく肩をすくめた。
「そんなにしてまで、京にいたいか。足手まといだ、邪魔だと言われてもか」
「足手まといにはなりません」
きっぱりと総司は言い切った。大きな瞳で、まっすぐ彼を見つめる。
「私は、隊士として働いてみせます。迷惑はかけません」
「おまえ、自分の言っている言葉の意味がわかっているのか」
土方は薄く嗤った。形のよい唇の片端がつりあがる。
「新選組隊士として働くとは、人を斬ることだ。殺すことだ。道場剣術しか知らん子供に出来るものか」
「……」
「逆に殺されないうちに、江戸へ帰る事だな」
そう言い捨て、土方は踵を返した。さっさと歩み去っていこうとする。
総司はその広い背を見つめた。
そして、言った。
「私、人を殺した事……あります」
「……」
土方の足がとまった。短い沈黙の後、ゆっくりとふり返る。
切れの長い目が、総司をまっすぐ見据えた。
「……何だと」
眉を顰めた。
「今、おまえ……何と言った。人を殺した事があるだと? 偽りを吐くな」
「偽りじゃありません。江戸にいた頃……土方さんが知らないだけで、私、人を斬っているのです」
「いつの話だ」
「土方さんに話しても仕方がありません。とにかく、私は人を斬った事がある。だから、今更なのです。隊士として働くという言葉の意味も、よくわかっています」
静かに言葉をつらねる総司を、土方は見つめた。一瞬、その端正な顔を、苦痛の表情がよぎる。
だが、すぐに視線をそらした。しばらく黙っていたが、やがて、低い声で言った。
「俺は、おまえがここにいる事自体を認めん。近藤さんが認めても、俺は認めない」
「副長の権限で、除隊するということですか」
「入隊自体を許さんと言っているんだ」
「その理由は? 剣術の腕なら、あなたにも負けない。新選組隊士は剣術の腕を認められれば、入隊を許されるのでしょう」
「……」
「私は京にいます。土方さんの指示は受けません」
そう言い切った総司に、土方は視線をむけた。眉根を寄せ、何か言いかける。
だが、忌々しげに舌打ちすると、踵を返した。そのまま立ち去ってしまう。
その遠ざかる広い背を、総司は見つめた。胸もとをぎゅっと片手で握りしめた。
(あの人は私を嫌っている……)
それを思い知らされた瞬間だった。