斉藤は一緒にいて、心安らぐ存在だった。
 だが、それはあくまで友人としてだ。
 斉藤から想いを寄せられていることは、薄々勘づいていた。それが明らかになったのは大坂でだったが、総司はその時点で受け入れようとは思わなかった。
 土方との出来事に戸惑い、恐れを抱いている事も確かだったし、正直、そこまで意識がいかなかったのだ。
 だが、今、斉藤は総司の念者として、傍にいる。
「……綺麗」
 総司は、うっとりしたように呟いた。
 それを傍らから、斉藤が静かな瞳で見つめた。
 非番が重なったその日、二人は紅葉を見にやって来ていた。だが、先程から、斉藤は総司に目を奪われてばかりだ。
 真っ赤に紅葉した光景に佇む愛らしい若者に、誰もがふり返ってゆく。まるで、艶やかな絵のようだ。
 潤んだような瞳に、長い睫毛。ふっくらした桜色の唇。なめらかな頬。
 抱きしめれば、今にも消えてしまいそうな華奢な躯つき。
 紅葉よりも艶やかな若者。
「……」
 嘆息し、斉藤は視線を紅葉にむけた。
 正直な話、今でも、この可憐な若者が己のものとなった実感がなかった。その証に、斉藤は総司の肩を抱くでもなく、ただ、傍に佇んでいる。
 押し黙ってしまった斉藤に、総司が気づいた。不思議そうにふり返る。
「斉藤さん……?」
「……」
「どうかしたのですか」
「いや、何でもない」
 斉藤はゆるく首をふった。
 そのまま、ゆっくりと歩き出した斉藤の隣に、総司はならんだ。
 だが、一定の距離は置かれたままだ。
 友人から恋人へ。
 そうなってから、二人の間は逆に遠ざかっていた。気持ちの上でも体の上でも、互いを遠ざけあっている。


(このままでいいはずがないのに……)


 総司は桜色の唇をそっと噛みしめた。
 契りを交わす事を承知した時の斉藤の顔が、忘れられない。
 押し黙り、考え込んでしまった後に見せた昏い笑み。
 あんな斉藤は……見たことがなかった。


(私があんな表情をさせてしまったんだ。大切な友人だったのに、土方さんだけでなく、斉藤さんも傷つけて……)


 恋を煉獄と呼ぶのなら、自分は、土方だけでなく、斉藤もそこへ引きずりこんでしまったのだろう。
 斉藤はもう以前のように穏やかな表情で、総司を見なかった。どこか追いつめられたような、こちらが息苦しくなるほど切ない表情で見つめてくるのだ。それが、今の総司には辛く切ない。
 別れた方がいいのかもしれない、と思った。今なら、まだ引き返せるのだ。
 これ以上、斉藤を苦しめ傷つける前に、いっそ別れてしまった方が───


「……別れないよ」
 不意に、斉藤が静かに云った。
 どきりとして、ふり返る。
 思いを見透かされたようで、胸の鼓動が跳ね上がった。それに、斉藤は、ふっと笑みをうかべた。
 懐手しながら、言葉をつづける。
「オレはおまえと別れない。別れて、元通りになると思ったら大間違いだ」
「……そんな」
 総司は必死に首をふった。
「元通りに……前のような友人に戻れるなどと、そんなこと思っていません」
「なら、何故別れようなどと思うんだ?」
「それは……このままでは、斉藤さんを傷つけるだけだから」
「今更だ」
 斉藤は、低く笑った。
「もうオレは傷ついている。今更、別れようなんて……おまえは本当に残酷だ」
「斉藤…さん」
 息を呑んだ総司に、斉藤は間合いをつめた。少し乱暴な仕草で手首をつかみ、ぐいっと引寄せる。
 いつのまにか、二人は細い道に入りこんでいた。そのため、周囲に人影は全くない。
 さらさらと風に鳴る紅葉の音だけが、総司の耳奥に響いた。それと、己の早くなった呼吸と鼓動。
「…ぃ、や……」
 男の腕に抱きすくめられ、総司は躯中を強ばらせた。必死になって斉藤の肩に手を置き、突っぱねようとする。
 もう涙目になりながら、訴えた。
「私のいやがる事はしないと……そう云ったではありませんか」
 非難するように云った総司に、斉藤は目を細めた。総司の腰に腕をまわして、より強く抱きよせながら、訊ねかける。
「念者に抱かれる事が、いやなこと?」
「……っ」
「そんな事が嫌だなんて、本気で云っているのか」
「……」
 総司の目が大きく見開かれた。ふっくらした桜色の唇が震える。
 それを見た斉藤は、すぐさま己の言葉を後悔した。総司を追いつめても、どうにもなるものではないのに。
 無理強いだけはしたくないと、思っていたはずなのに。
「総司、オレは……」
 きつく唇を噛みしめた斉藤の腕の中、総司はまた身を捩った。今度は簡単に自由の身となる。
 総司は身をひるがえし、駆け出した。それを、斉藤もとめようとはしなかった。固く拳を固めたまま、遠ざかる姿を見つめている。
「……っ」
 駆けながら、総司は半ば泣き出しそうになっていた。


 こんな事、許されるはずがないのに。今のままでいいはずがないのに。
 自分が望んだ事とはいえ、あまりの愚かさに悔いるばかりだった。
 大切な友人だったはずの斉藤まで巻き込んで、いったい自分は何をしたいのか。
 純粋に、彼に──土方に恋していた頃が懐かしい。


(……私は……)


 息が切れてきたため、総司は足を緩めた。
 肩で息をしつつ、屯所にむかって歩いてゆく。すれ違う人々の笑い声、町の賑わいが不思議と遠く感じた。まるで、自分とは違う世界のようだ。
 不意に、腕を掴まれた。
 斉藤かと思い、物憂い気持ちでふり返る。とたん、目を見開いた。
「! ……ぁ」
 声が喉に絡んだ。
 腕を掴んだのは、土方だった。
 形のよい眉を顰め、気遣わしげな表情でこちらを見下ろしている。
 すらりとした長身に黒い小袖と袴がよく似合い、見惚れるほどの男ぶりだった。彼には、人を惹きつける独特の華があるのだ。
「どうして……」
 驚いたように訊ねた総司に、土方は答えた。
「屯所への帰りだ。おまえを見かけたから、声をかけようと思ったんだが」
「……私も、帰りです」
「そうか。だが、少し休んだ方がよくねぇか」
「え?」
「酷い顔色だ。今にも倒れそうだぞ」
「……」
 確かに、気分が悪かった。走ったのがよくなかったのか、頭の奥がぼうっとしている。
 押し黙っていると、土方はそっと肩を抱いてくれた。そのまま、すぐ近くにあった宿屋へ連れて入ってくれる。
 離れに通された総司は、僅かに躊躇った。こんな事まで彼にしてもらっていいのだろうかと、思ったのだ。だが、土方は慣れきった様子で、総司を休ませると、あれこれ世話を焼いてくれた。
 茶を飲ませ、何か食事をとろうかと聞いてくれる。
「いえ……大丈夫です」
 首をふった総司に、土方は眉を顰めた。
「だが、おまえ、まともに食ってねぇだろう」
「食べていますよ」
 総司は微かに笑ってみせた。その儚げな笑顔を見つめた土方は、どこか痛むような表情になった。すっと視線をそらし、縁側の向こうを眺めやる。
 鮮やかな茜色の空が広がっていた。沈んでゆく陽が黄金色に輝き、美しい。
「……斉藤と一緒ではなかったのか」
 外の光景を眺めたまま、土方が不意に問いかけた。
 総司は一瞬、顔を強ばらせたが、すぐに小さな声で答えた。
「一緒に出かけたのですが、途中で……別れました」
「そうか」
 土方はため息をつきながら、前髪を片手でかきあげた。
「一人歩きはあまりするな。むろん……俺も云えた義理じゃねぇけどな」
「土方さんは……」
「何だ」
 ふり返った土方を、総司は見つめた。一瞬下唇を噛んでから、躊躇いがちに訊ねる。
「島原へ……行っていたのですか」
「……」
 思わず眉を顰めた。
 総司の言葉とは思えなかった。何故、そんな事を聞いてくるのか、意図がわからない。
 また、聞かれる理由もなかった。
 土方は柱に凭れかかると、低い声で聞き返した。
「……おまえに何の関係がある」
 突き放した口調に、総司は怯えたように目を見開いた。だが、すぐに俯いてしまう。そのため、さらりと黒髪が流れ、白い項が目を射た。
 色香が匂いたつようだ。
 総司は、島原にいる女達よりも、愛らしく艶やかだった。
 それこそ噂どおり、可憐な花菫のように。
 そんな事を考えていた土方は、次の瞬間、総司が告げた名に息を呑んだ。
「小紫さんを」
 総司は顔をあげ、土方をまっすぐ見つめた。
「大切に思っているのですか?」
「──」
 土方は目を見開いた。どういうつもりなのか、さっぱりわからなかったのだ。
 何故、ここに小紫の名が出されるのか、わからない。
「いったい何を……」
 不機嫌そうに遮りかけた土方に、総司は言葉をつづけた。なめらかな頬が紅潮している。
「落籍すのですか? 彼女を娶られるのですか?」
「……」
 無言のまま、目を細めた。腹の底から、じりじりと怒りが込みあげてくる。
 いったい何なのだ、と思った。


 悩み苦しみながらも、想いを告げた。
 真摯に向き合ったつもりだった。
 それを総司が拒絶したのは仕方のない事だと思っている。その心に彼の存在がないのなら、諦めるより他ないと思ったのだ。
 斉藤と念兄弟になった事も、口だしすべき事ではなかった。嫉妬と怒りに気が狂いそうになったが、それでも、総司が選んだ事なのだ。どうする事もできなかった。
 だが、それとこれとは別だ。
 総司が、島原へ行った事や小紫の事を彼に問いただす権利など、どこにもないはずだった。


 それとも、何か?
 自分が捨てた男が他の者に靡くのは、我慢ならないのか。
 惜しくなったか。


 そんな若者ではないとわかっていながら、土方は苛立ちに拳を固めた。
 切れの長い目で総司を見据え、低く掠れた声で問いかける。
「何故、そんな事を聞く」
「……すみません」
「謝って欲しいのではない。理由を聞いたんだ」
「噂に聞いて……」
 総司は目を伏せつつ、小さな声で答えた。
「最近、よく通っておられると聞いて、確かめたくなったのです」
「確かめたくなった?」
 土方は思わず聞き返した。呆れたように総司を眺めてから、くっと喉奥で嗤う。
「確かめてどうする。やめてくれと云うつもりだったのか」
「……」
 黙り込んでしまった総司に、土方はため息をついた。煩わしげに前髪をかきあげなら、言葉をつづける。
「俺が何をしようが、今更おまえには何の関係もねぇだろう。それとも、何か? 一度でもおまえに想いを寄せた男は、拒まれた後も、ずっと束縛されなくちゃいけねぇのか」
「そんな……っ」
 総司は弾かれたように、顔をあげた。大きく目を見開いている。
「私は、そんなつもりで……」
「なら、どういうつもりだッ!」
 いい加減腹をたてた土方は、思わず怒鳴りつけた。びくりと総司が身を竦める。
 あの夜から、ずっと我慢に我慢を重ねてきた。総司が自分以外の男の元へ走ったのを見ても、そうする事で己を拒絶する意志を見せつけられても、それでも堪えてきたのだ。
 だが、もう限界を超えてしまっていた。総司の言葉が限界を決壊させてしまったのだ。
 何の罪の意識もなく男の心を弄び、傷つける。
 この美しい生き物は、この世の誰よりも残酷だ。
「……」
 土方は無言で歩み寄ると、総司の腕をきつく掴んだ。そのまま、怯えたように目を見開く総司の躯を、両腕に抱きあげる。
「な、何……っ?」
 身を竦めるのに構わず、大股に部屋を横切った。奥への襖を開けば、そこには褥が敷かれてある。
 その褥の上へ、総司の躯が乱暴に放り出された。慌てて身を起し逃げようとするが、すぐさま男がのしかかってくる。
「! ぃ、ぃやッ」
 総司は押し倒され、思わず悲鳴をあげた。だが、土方はそれに構わず、総司の手を掴んで一纏めにすると、褥の上に押しつけた。
 底光りする黒い瞳で総司を見据えたまま、ゆっくりと口角をあげてみせる。
「……惜しくなったのか」
「な、何……?」
 意味がわからず聞き返した総司に、土方は低い声で嘲るように云った。
「切り捨てた男が他の女のものになると知ったとたん、惜しくなった。そうじゃねぇのか」
「……っ」
 総司は言葉を詰まらせた。


 そこまで酷い事は思っていない。だが、ある意味、似たものがある気がした。
 好きで好きで仕方がないこの人を思いきる事が出来ず、拒絶したくせに、小紫のことを嫉妬してしまう。
 違うとは到底云えなかった……。


 黙ったまま、顔を背けた。
 それを肯定と受け取ったのだろう。土方は驚いたようだった。まさかと思っていたのか。
 だが、すぐさま怒りが込みあげた。
「……やってられねぇよな」
 くっくっと喉奥で嗤い、総司の手首を掴む手に力をこめた。凶暴な、どこか獣じみた笑い声。
「どこまで男を莫迦にしているんだ。俺を拒みながら、そのくせ、他の者と幸せになるのは許せない。そんな身勝手な話があるか」
「土方さん……」
「そんなに俺が嫌いか? 憎いのか?」
 突然の問いかけに、総司は目を見開いた。慌てて首をふろうとするが、土方は低い声で言葉をつづけてくる。
「おまえを欺いた罰に、俺を地獄へ堕したいのか。なら、今更だ。俺は……とっくの昔に、地獄に堕ちている」
 そっと手をのばした。怯えたように目を見開いている総司の頬を、優しく撫でてやる。
「だが、一人では御免だ。総司、おまえも」
「……」
「おまえも……共に堕ちろ」
 そう囁きざま、土方は総司の着物の袷を荒々しく押し広げた。露になった白い肌に、唇を押しつけてくる。
 総司は躯を竦ませ、逃げようとした。だが、力が入らない。
 男の両腕に抱きすくめられ、頭の芯がぼうっと霞んだ。鼓動が早くなり、躯も熱く火照りはじめる。


(……どうすればいいの)


 共に堕ちろと云った彼が、たまらなく愛しかった。
 あなたとなら共に堕ちます──、そう告げてしまいたい。
 愛してる、愛してる、愛してる。
 ずっと抱えてきた想いが、今にもあふれてしまいそうだった。長い間、恋焦がれてきた男なのだ。
 その相手に抱きしめられ、躯にふれられている。抗えるはずもなかった。
 初めての事に不安はあったが、それでも、身も心も彼に抱かれる事に、狂おしいほど歓喜してしまう。
「……っ」
 総司は微かに喘いだ。
 もう半ば着物を脱がされてしまっている。男の掌が肌のあちこちをすべり、撫でまわした。熱い唇が押しあてられ、たまらなくて声をあげる。
「ぁ、ぁあ…ッ…ん」
 唇からもれた甘い声に、総司自身驚くほどだった。
 いつのまにか、掴まれていた両手は自由になっていた。だが、それでも総司は逃げなかった。
 土方から与えられる愛撫に夢中になり、夢心地のような表情で声をあげつづけている。
 やがて、下肢を開かれ、間に男の躯が割り入ってきた。それに頬を紅潮させたが、抵抗はしない。彼のしなやかな指さきが下肢の奥にすすめられ、そこにふれた。
「……ぁ」
 小さく声をあげた。
 初な総司だったが、少しは知っている。そこで男を受け入れることは、わかっていた。これから、彼に何をされるのかもわかっている。
 羞恥と怖さが込みあげ、体中が細かく震え出した。思わず土方の腕に縋ってしまう。
 それに、土方は眉を顰めた。探るような目で総司を眺めてから、不意に訝しげな表情になる。
 総司の顔を覗きこみ、低い声で訊ねた。
「……総司」
「……」
「おまえ、斉藤と契りを交わしたのではなかったのか」
「……!」
 とたん、総司は顔を強ばらせた。きつく唇を噛みしめる。
 土方は、その青ざめた小さな顔を見つめ、言葉をつづけた。
「おまえの躯……男を知らないのか」
「……」
「契りを結んでは、いないのか……?」
「……っ」
 思わず両手で顔をおおってしまった。
 自分の愚かな策が露見した事が、恥ずかしくてたまらない。この人を欺けるはずがなかったのに。
「ごめん……なさい」
 震える声で謝った総司に、土方は目を見開いた。どうして、ここで謝られるのかわからなかったのだ。
「総司?」
「何も云えないの……ごめんなさい」
 なめらかな白い頬を、ぽろぽろと真珠のような涙がこぼれた。
















次、お褥シーンが入ります。苦手な方は避けてやって下さいね。