先に言葉を発したのは、土方だった。
「……何があった」
ゆっくりと歩み寄りながら、二人から視線を一度たりともそらさない。
昏い炎を宿した瞳に、この男が抱える総司への執着を見た気がして、斉藤は僅かに身じろいだ。だが、ここで引く訳にはいかない。
「副長には関係のない事です」
「関係がない?」
嘲るように、土方は聞き返した。
「総司の事だ。関係ないはずがねぇだろう」
「ですから、オレたちの間の事です。関わらないで貰えませんか」
「そんなもの……聞けねぇな」
低く嗤った。
そうして手をのばし、突然、総司の細い腕を掴んだ。
斉藤があっと思った時には、華奢な躯は、彼の腕の中におさまってしまっている。
土方は、斉藤から隠すように、奪いとった総司の躯を抱きすくめた。長身の陰に、細い躯は隠れる。
珍しく強引な土方に、総司も驚いたようだった。思わず目を瞠る。
「土方さん……」
戸惑った様子の総司を、土方は静かに見下ろした。
「具合が悪いのか」
「少し……」
「なら、部屋に帰って休め」
そう云うと、土方は総司の躯を軽々と抱きあげた。框をあがり、歩き出してゆく。
全く斉藤を無視したやり方に、総司は慌てて彼の方をふり返った。
玄関口に佇んだまま、斉藤はきつい瞳でこちらを見つめていたが、総司の様子に気づくと、微かに笑ってみせた。
「……」
総司は目を伏せてから、はっと我に返った。
ここは屯所の中なのだ。なのに、自分を抱きあげるなど、土方が隊士たちから奇異の目で見られてしまう。
「お、下ろして下さい」
思わず身を捩った総司に、土方は全く構わなかった。ゆっくりとした足取りで、総司の部屋へと向ってゆく。
「こんな……人に見られたら」
「見られても構わねぇよ」
「ですが……っ」
「池田屋の時だって、こうして抱いて運んだ。今更だろうが」
「え……?」
初めて知らされた事実に、総司は目を瞬いた。
池田屋で土方の腕の中に倒れ込んでから、近くの会所で目覚めるまでの事は、まったく記憶になかった。
まさか、そんなふうに抱き上げられていたなど、思いもしなかったのだ。
半ば呆然としているうちに、総司は自室まで運ばれてしまった。部屋の畳の上におろしながら、土方が問いかけてくる。
「少し休むか」
「いえ……こうしているだけで、大丈夫ですから」
「そうか」
頷いた土方は、総司をじっと見つめていた。不意に、すっとその目が細められる。
「……?」
訝しげに首を傾げた総司に、土方は口許を引き締めた。苦しげに眉を顰めると、顔を背ける。
その様子に、はっと息を呑んだ。慌てて襟元を引き上げてしまう。
土方が見ていたのは、首筋の痕だったのだ。
斉藤との情事の名残。
「……ぁ」
声が喉にからんだ。
だが、云わなければと思った。
そうでなければ、斉藤に願った意味がなくなってしまうのだ。彼を拒絶するために、こうしたのだから。
大切な友人だったはずの斉藤を傷つけてまで、この恋を断ちきろうとした想いは───
「土方さん……」
総司は彼の目を見る事ができず、俯いた。桜色の唇が震え、細い指さきが握りこまれた。
「……私、斉藤さん…と……」
「それ以上云うな」
鋭い口調で遮られた。
はっとして顔をあげると、土方は苦しげな表情で総司を見つめていた。黒い瞳に昏い焔を見た気がして、息を呑む。
土方は一つ息をつくと、低い声で云った。
「俺もおまえに惚れている男だ」
「……」
「他の男との事なんざ、聞きたくねぇ」
「土方さん……」
思わず泣きそうになりながら、彼の名を呼んだ総司を、土方は見下ろした。一瞬、きつく唇を引き結ぶ。
だが、突然、端正な顔を歪めると、両手をのばした。ぐっと腕を掴まれ、乱暴に引寄せられる。
気がついた時には、息もとまるほど抱きしめられていた。広い胸もとに抱きしめられ、髪に、頬に、口づけをおとされる。
言葉よりも彼の想いをつたえてくれる甘い熱に、総司はたちまち身も心もとけてしまった。好きで好きでたまらないと、心の底から叫びたくなる。
「……っ……」
思わず縋りついた。その背に両手をまわし、躯を擦り寄せる。
土方は黙って抱きしめてくれた。両腕の中にその小柄な躯をすっぽりとおさめ、愛しくてたまらぬと云いたげに口づけの雨を降らせてくる。
彼の腕の中は、あたたかく優しかった。そのぬくもりが、何よりも愛おしい。
総司は思わず吐息をもらし、土方の胸もとに顔をうずめた。
だが、次の瞬間、肩を掴まれ、引き離された。驚いて顔をあげると、土方は苦しげに眉根を寄せている。
「……」
何か云いかけたが、すぐさま顔を背けた。
思いきるように総司の躯を離すと、素早く立ち上がった。そのまま、ふり返ることなく、部屋を出ていってしまう。
「……っ」
総司は、目を見開いた。
失ったものの大切さに、大きさに、泣き叫びそうになる。彼を追いかけたいと全身が叫んだ。
だが、そんな事ができるはずもなかった。
自分で選んだことなのだ。自分が彼を傷つけてまでも、別れを突きつけるために行った事。
引き返せるはずがなかった。
「……土方さん……」
総司は愛しい男の名を呼ぶと、そっと目を閉じた。
土方は文机に肘をつくと、微かにため息をついた。
ふと目をあげれば、窓越しに茜色の空が広がる。美しい夕暮れの光景だった。
筆を置き、それをぼんやりと眺めた。
朝から仕事に没頭していたため、頭が少し痛い。思考も鈍っているようだった。
「……少し休むか」
己に云いきかせるように呟き、土方はそのまま文机の前でごろりと横になった。障子越しにも、茜色の光が射し込んでくる。
それを感じながら、瞼を閉じた。このまま眠ってしまいたくなる。
疲れているのかもしれなかった。仕事にも──己自身にも。
総司を部屋に運んでから、二十日ほどの時が流れていた。その間、土方はつとめて今までどおり接してきたが、総司の方は憂いにみちた表情で目を伏せるばかりだった。
池田屋で倒れてからだった。
総司は、時折、そんなふうに儚げな様を見せるようになった。
しっとりと朝露に濡れた花菫のようだ。儚げで艶めかしく、手の中でとけ消える雪のように美しい。
伏せられた長い睫毛や、ふっくらした桜色の唇、俯いた白い項にも、色香が匂いたつようだった。
潤んだ瞳で見つめられると、思わず息をつめそうになる。
(……総司……)
だが、その存在を思ったとたん、胸を抉られるような痛みを覚え、土方は思わず眉を顰めた。
総司が斉藤と関係をもった事は、彼を激しく打ちのめしていた。
あの時も、本当ならば斉藤を斬ってやりたい程だった。だが、総司が望んだことである以上、できるはずがなかった。
奪われたら狂う──と、そう思っていた。
だが、今、総司を斉藤に奪われても尚、土方はそれを遠くから眺めている。日々の中、平然とした態度で二人に接する事のできる自分が、空恐ろしい程だった。
むろん、総司への想いが消えた訳ではない。否、消えるどころか、その愛はより深まっていた。表に出せないからこそ凝り固まり、どす黒い炎となって燻りつづけている。
限界までの日を数えるようだった。
手に入らぬ総司への憎しみにも似た愛に、気も狂いそうになる。そのくせ、平然と隊務を行い、総司にも斉藤にも、穏やかな態度で接しつづける。
(……それは、恐らく……)
いつか殺してやると、思っているからなのだ。
総司だけは、誰の手にも渡さない。
奪われるぐらいなら、いっそ殺してやる──と、そう思い定めたからこそ、黒く凝り固まった殺意にも似た愛を、この身の奥に抱えている。
限界が訪れる日まで。
ゆっくりと身を起した土方は、ふと視界の端に入ったものに気持ちが動いた。
一通の文だった。
最近、足が遠のいてしまっている土方へ、小紫から届けられたものだ。それに、思わず唇を噛みしめた。
どんなに望んでも、総司は手に入らないのだ。苦しみと絶望の果てに、いつか抱きしめる事ができるなら、それは、己自身が殺めた亡骸だろう。
むろん、そんな虚しい恋の結末など、望んでいなかった。だが、もはやどうしようもない事なのだ。
総司を失った己がもう一人の存在を望んだとして、誰に責められるのか。
「……」
土方は文を懐に押しこむと、静かに立ち上がった。ゆっくりとした足取りで、部屋を出てゆく。
彼の消えた部屋に、茜色の光が落ちた。
「……大丈夫か」
そう声をかけられ、総司は、はっと我に返った。
屯所の広間だった。朝の食事時だ。
総司はもともと食の細い方だったが、最近はとみに落ちている。精神的なこともあり、何もかも物憂くなっているのは確かな事だった。
今も、箸をもったまま、ぼんやりとしていたのだ。
顔をあげた総司は、小さく息を呑んだ。
「……土方さん」
土方自身は早めの食事を終え、近藤とともに部屋を出ていこうとする処だった。
総司を見下ろし、訊ねてくる。
「最近、痩せたようだが、ちゃんと食っているのか」
「……はい」
深く澄んだ黒い瞳に見つめられ、頬が火照るのが自分でもわかった。つい口ごもってしまう。
「食べて……います」
「本当か」
「え、はい。……いえ」
「肯だか否だか、わからねぇ答えだな」
土方はくすっと笑った。だが、近藤に呼ばれると、それきり言葉をかける事もなく、ついと視線をそらした。
総司をふり返らぬまま、大股に部屋を横切っていってしまう。
廊下に出た土方は、近藤と談笑しながら歩み去っていった。
「……」
遠ざかる男の背を、総司は沈んだ気持ちで見送った。
追いかけようとは思わない。本当は死ぬほど追いかけたかったが、そんなこと許されるはずがなかった。
あの日から、土方の態度は変わらなかった。
斉藤にも総司にも穏やかな態度で応じる彼に、大人の男の余裕を見た気がした。
愛していると云いながら、そのくせ、総司を奪われても平然と振る舞ってみせる。否、振る舞っているのではない。もう見切ってしまったのか。
総司は、斉藤のものだと。
そう思い知らされたからこそ、平然としているのかもしれなかった。土方は頭も切れ、容姿端麗な男だ。もともと自分のような子どもに目をむけた事自体が、不思議だった。やはり、気まぐれだったという証なのだろう。
総司が斉藤のものとなった事で我に返り、とたん、今まで自分がしてきた事が莫迦らしくなったに違いなかった。総司への気持ちも一気に冷めてしまったのだ。でなければ、自分の想い人が他の男と寄りそう様など、平気で眺めていられるはずがない。
(少なくとも、私はできないもの……)
そんな事を思い、総司はきつく唇を噛みしめた。
土方は、また小紫のもとへ通っているようだった。たびたび訪れているらしい。
その噂を耳にした時、総司を襲ったのは、狂おしい程の嫉妬だった。まるで煉獄の炎で灼かれるような苦しさと辛さ。
こんな想いをするぐらいなら、いっそ恋など失ってしまいたいと願った。
むろん、この息づまるような嫉妬を表にあらわすことは出来なかった。総司の矜持が許さなかったし、それに、あまりにも身勝手すぎる。
本当は好きで好きでたまらないのに。あの人が小紫を抱いている様を思っただけで、苦しくて辛くて気が狂いそうになるのに。
彼の周囲にいる女たちが、この手で殺してやりたいぐらい憎い。
憎くて、たまらない。
「──」
そう思った瞬間、総司は我に返った。はっとして、いつの間にか爪が食いこむほど握りしめていた手に、視線をおとす。
自己嫌悪と悔恨が、胸奥にこみあげた。
(私は、なんて……)
総司はいたたまれぬ思いで、固く瞼を閉ざした。
その細い肩に、突然、静かに手が置かれた。驚いてふり返れば、斉藤が気遣わしげな表情で見下ろしている。
「斉藤さん」
「ぼんやり考え事ばかりみたいだな」
「え……えぇ」
ことりと箸を置くと、斉藤が僅かに眉を顰めた。
「もう食べないのか」
「食欲がなくて……」
総司は微かに笑ってみせると、静かに立ち上がった。部屋を出ながら、斉藤が誘いかけてくる。
「この後、おまえ、巡察か?」
「いいえ」
「なら、道場で汗を流さないか? たまにはいいだろう」
「そうですね」
こくりと頷いた総司は、斉藤と連れだって廊下を歩いた。
「久しぶりに……いいかもしれませんね」
今の複雑な関係になる前。
大切な友人同士だった頃に戻れるような気がするから……。
まだ躊躇いがちだったが、総司は斉藤の傍に寄りそった。ゆっくりと、二人して道場へむかってゆく。
二人の姿は、総司自身がどう思っているにせよ、仲睦まじい念兄弟にしか見えなかった。だが、総司は周囲からの視線や思惑に気づく余裕もない。
だからこそ、知らなかったのだ。
渡り廊下の向こうから、鋭い瞳で二人を見つめる土方の存在に……。
身を翻し様、腕を振るった。
重い感触がかかり、ざっと目前で鮮血が飛び散る。
土方は僅かに目を細め、一歩後ろへ飛び退った。長身でありながら、鍛え抜かれた男の躯は、敏捷な動きを見せた。
刀を収めた処に、声をかけられる。
「土方さん、あんたねぇ」
ふり返ると、原田が苦笑いをうかべていた。
手入れの途中の出来事だったため、周囲には十番隊の隊士たちがいる。どれもなかなかの働きをしたようで、皆、肩で息をしていた。
その中で、平然としているのは、原田と土方だけだ。
「副長が前に出ちまって、どうするんだよ」
微かな非難まじりの言葉に、口角をあげた。
「手間がはぶけただろう」
「物は云いようだね」
肩をすくめた原田は、十番隊の者たちに、後始末を命じた。
屯所への帰り道、原田は探るように土方を見やった。他の隊士たちには聞こえぬのを確かめてから、言葉を投げかけた。
「あのさ、土方さん」
「何だ」
「苛立って剣を振るのは、感心しないよ」
「左之に説教されるとはな」
「そうじゃなくてさ、土方さん、あんた……」
ちょっと躊躇ってから、原田は言葉をつづけた。
「総司とうまくいってねぇんだろう?」
「……」
とたん、冷ややかな一瞥をむけた土方に、苦笑した。
「怖い、怖い。総司の名を出しただけで、これだものなぁ。これで気づかねぇ総司も、相当なものさ」
「左之」
「わかっているよ、総司には内緒だろ」
「いや、俺の気持ちは知られている」
「へぇ」
驚いたらしく、原田は目を瞠った。土方の気持ちを総司が知っている事ではなく、その手の事を素直に話した土方に対しての驚きだった。
「なら、どうして総司は今、斉藤と一緒にいるんだい」
ずけずけと訊ねる原田に、土方は形のよい眉を顰めた。それに構わず、原田は言葉をつづける。
「あんたも、総司に想いを知られているくせに、何で今も島原へ通っているんだ。いや、女遊びは男のさがさ。けど、総司はそれを受け入れられる程、大人じゃねぇよ。まだまだ子どもだ」
「わかっている」
「わかっているなら、やめてやれよ。とことん酷い男だね」
原田の言葉に、土方は黙ったまま肩をすくめた。
返す言葉もない。実際、酷い男だと思った。
「……」
黙り込んでしまった土方に、原田はそれきり声をかけなかった。
原田はおおざっぱなように見えて、その実、気も細かく優しい男だ。
総司のことも昔から可愛がっているし、土方に対しても昔どおりの仲間としての立場を変えない。
だからこそ、二人の様子がおかしい事に気づいて、声をかけてきたのだろうが。
(もう……どうしようもねぇよ)
土方は苦々しい思いのまま、秋晴れの空を見上げた。
