入ってきたのは、土方だった。
 黒い小袖に袴姿が、すらりとした長身によく似合う。癇性につめられた襟元さえも、男の色気を感じさせた。
 たまらず、見惚れてしまう。
「……」
 障子を開けてすぐ、土方は総司の存在に気づいたようだった。僅かに眉を顰めつつ見返す。
 だが、それも一瞬のことだ。
 すぐさま、いつもの静かな表情になると、近藤の方へ視線をやった。
「邪魔だったか?」
 そう訊ねる土方に、近藤は肩をすくめた。
「別に、たいした話ではない。ただ……」
「近藤先生」
「おまえの話をしていただけだ」
 揶揄するような口調で云った近藤に、土方は小首をかしげた。後ろ手に障子を閉めながら、微かに唇の端をあげる。
「俺の話なんざ、どうせ禄な話じゃねぇだろう」
「まぁ、そう決めつけるな」
 近藤は笑った。
「最近、おまえはつきあいが悪いという話をしていたのだ」
「そうかな」
「自覚がないのか。おまえ、おればかりか、総司にもあまり……」
「近藤先生」
 焦ったように呼びかけ、総司は立ち上がった。口早に告げる。
「私、稽古がありますので、これで失礼させて頂きます」
 頭を下げると、足早に部屋を横切った。
 土方の傍を通り抜ける時、ふわりと花の匂いが薫った。思わず目で追う。
 障子が開かれ、あっという間に総司は部屋から出ていってしまった。
「……総司は変わらんな」
 腰を下ろした土方に、近藤は穏やかな口調で云った。それに、肩をすくめた。
「俺と違って、と云いたいか」
「そうは云わんが……まぁ、女遊びをする余裕が出てきたのなら、あまり変わっておらんという事だろう」
「あんた、つきあいが悪いと云っていたじゃねぇか」
「確かにそうだが、気持ちに余裕が出たのなら、悪い事ではないだろう。まぁ、総司は淋しがっているようだが」
「……」
 土方は無言のまま、目を伏せた。
 つきりと胸奥が痛みを覚えたのだ。それが罪悪感なのか、後ろめたさなのか、わからなかったが。



 まだ宗次郎と名乗っていた頃からだった。
 土方自身が慈しみ、愛し、この手で大切に守り育ててきたのだ。
 小さな花菫の蕾。
 それがふっくらと綻んでゆく様を、ずっと傍で見守ってきた。
 だが、手を出すことは出来なかった。ふれる事さえできなかった。
 その花菫は穢れ一つなく、雪のように清らかだったのだ。
 少年を愛してきた男には、眩しいほどに。


(どのみち、手を出せるはずもないが)


 生い立ちのためか、総司は少し異常なほど潔癖な質だった。
 もともと人づきあいを嫌っているので、男相手どころか、男女の色恋沙汰さえ拒絶しがちだ。むろん、色町になど行った事もなく、江戸の頃、白粉の匂いをさせて帰ってくる土方に、細い眉を顰めていた。
 そんな総司に、兄代りであるはずの己がずっと抱いてきた愛情など、告げられるはずもない。男の狂った愛など、嫌悪の対象にしかなりえぬだろう。
 だからこそ、土方は総司の前で、己を押し殺しつづける他なかったのだ。
 他の誰にも奪われたくない、愛したい、欲しい──そう、渇望しながら、凝り固まった愛憎と欲望を押し殺し、兄代りとしてふる舞いつづけた。
 もっとも、先日来もちあがった総司の縁談のため、それも限界に達してはいた。
 小紫を得た事で和らぐかと思えば、かえって追い詰められているような気がする。


(八方塞がりだな)


 ふと目を伏せた土方は、声をたてぬまま苦く笑った。










 島原の夜は艶やかだ。
 今夜もその門をくぐった土方は、馴染みである小紫を呼ぶよう命じた。
 座敷へあがると、小紫が現われた。
 愛らしくも、美しい。
 そして、その姿形は、男女の違いこそあれ、総司にうり二つだった。
 大きな瞳も、桜色の唇も、細い指さきも。
 今日、局長室で見た総司そのもの、なのだ。
 土方は黙ったまま、ゆっくりと手をさしのべた。それに、小紫が素直に歩み寄ってくる。
「……」
 少女の細い躯を抱きしめた男の瞳は、昏く翳っていた……。












 小紫は声を失っていた。
 聞く事はできるのだが、病のため、声を失っていたのだ。
 だが、それは逆に、愛らしい小紫をよりいとけなく感じさせ、男達の心を強く惹きつけた。守ってやりたいという庇護欲を、たまらなくかきたてるのだ。
 むろん、土方は違った。小紫がどれ程美しかろうが、ここまで総司と似ていなければ、心惹かれる事はなかっただろう。
 土方にとって、小紫が声を失っていることは、むしろ好都合だった。身勝手な話だが、姿形が全くうり二つの小紫が、総司とは違う娘の声で話せば、いっぺんに興ざめしてしまったはずだ。
 夢の世界だと、割り切っていた。
 現にいる愛しい若者を抱くことができぬかわりに、この小紫を腕に抱いている。
 小紫自身も、そこに土方の気持ちがない事を察しているようだった。可憐な少女だが、総司と同じように利発な質なのだ。それに、小紫には、どうも好いた相手がおり、ただ、最近足が遠のいているという事だった。
「おまえも淋しいか」
 そう問いかけた土方に、小紫は小さく微笑んだ。大きな瞳でじっと男を見上げてから、ゆるく首をふる。
 微かに苦笑した。
「嘘つけ」
 手をのばし、そっと頬にふれた。総司とよく似た、なめらかな白い頬。
「おまえは口がきけぬが、正直だ。その男が恋しい、淋しいと、瞳が云っている」
「……」
「素直なおまえが羨ましい」
 そう呟いた土方に、小紫は静かに寄り添った。ふわりと甘い香りが漂うが、それは総司の匂いとは違う。
 当然のことだと思った。
 これは、総司ではないのだから。
 だが、ならば、いったい自分は何をしているのか。
 身代わりを抱き、己を騙している自分は……。


(偽りばかりだな)


 土方はほろ苦い笑みをうかべると、小紫が酒を注いだ杯をぐいっとあおった。















 昼下がり、土方は副長室で文机にむかっていた。
 山積みになった書類を、片付けている。
 巡察の報告に入ってきたのは、斉藤だった。静かに端座し、いつもどおりの淡々とした口調で述べる。
 それに、短く「ご苦労」と返した土方だったが、何故か、斉藤は出ていかなかった。
 鳶色の瞳で、土方を見つめている。
「……」
 土方は不機嫌そうに、ふり返った。ぶっきらぼうな口調で問いかける。
「何だ。まだ何かあるのか」
「副長……いえ、土方さん」
 居住まいをただしてから、斉藤は静かな声で云った。
「昨夜、オレは島原へ行きました」
「……」
「そこで、オレが何を見たと思いますか」
「……」
 微かに眉を顰めた。
 意味深な云い方に嫌な予感がしたが、土方は平静を装った。知らぬ顔で、筆をすすめる。
 そんな土方を見据えたまま、斉藤はゆっくりと云った。
「あなたですよ。あなたと……小紫を見たのです」
「──」
 土方は思わず斉藤を鋭く一瞥した。その黒い瞳が昏い光を宿す。
 だが、やがて視線を外すと、ゆっくりと答えた。
「そうか」
「……」
「あれを見たのか、おまえは」
「……土方さん」
 斉藤はどこか苦しげに、顔を顰めた。それから、言葉を選びつつ云った。
「オレは何も総司に知らせようとは思っていません。でも、あなたのしている事は、偽りだ」
「……」
「今のまま、自分も総司も騙しつづけるつもりなのですか」
「なら、おまえは」
 土方は俯き、ふっと冷ややかな嗤いをうかべた。
「全部、ぶち撒けてしまえというのか」
「……」
「総司を愛しているのだと」
 何かを孕んだ低い声で、土方は呟いた。
「身も世もなく気が狂いそうなほど求めている……そう告げてしまえと、おまえは云っているのか」
「!」
 斉藤は目を見開いた。


 もともと、土方は己自身を明かす事を好まない。
 その考えも、想いも、滅多に人に明かす事はなかった。だが、今、土方は吐き出すような口調だったが、総司への想いを口にしたのだ。


 呆然としている斉藤を前に、土方はゆっくりと膝をくずした。片頬に薄い笑みをうかべ、揶揄するような口調で云った。
「おまえも総司に片恋しているのだろう」
「……え」
「恋敵である俺をたきつけて、どうするつもりだ」
「そんな……」
 斉藤はゆるく首をふった。膝元に置いた手を握りしめる。
「別に、どうするつもりもありませんよ。ただ……」
 唇を噛んだ。
「小紫の事を知れば、総司はきっと傷つく」
「……」
 返す言葉はなかった。
 斉藤の云うとおりだった。
 あの潔癖で清廉な総司の事だ。土方が抱いている小紫が、自分にうり二つだと知れば、傷つくに決まっていた。嫌悪し、嘆き哀しみ、苦しむに決まっているのだ。
 必ず、土方から離れていってしまうに違いない。
 儚い均衡の上に成り立っている、兄弟のような関係という自分たち。血の繋がりもなく、友人でもなく、ただ、同じ道場で兄弟のように育ったという関係だけなのだ。
 そんなもの、ほんの些細な切っ掛けで壊れてしまうに違いなかった。
 そして、今、自分はみずからの手で壊そうとしているのか……。
「……」
 斉藤が去った後、土方は頬杖をつき、考えこんだ。


 突き詰めてゆけば、そうなるのかもしれない。
 この中途半端な兄弟のような仲にもはや我慢できず、成就せぬ恋ならば、いっそ壊してしまえと、思っているのか。
 あのきれいな顔が悲しみと憎しみ、嫌悪に濡れるのを、自分はこの目にしたいのか。
 手に入らぬのなら、いっそ滅茶滅茶に壊してしまいたいと……。


「……土方さん」
 不意に傍らから声をかけられ、土方は、はっと我に返った。
 いつのまにか誰かが部屋を訪れており、しかも何度も呼ばれていたようだった。だが、まるで気づかなかったのだ。余程思考に沈み込んでいたのだろう。
 そんな己を自嘲しつつふり返った土方は、とたん、ぎくりとした。
「……総…司」
 そこに端座していたのは、総司だったのだ。
 綺麗に澄んだ瞳で彼を見つめ、心配そうにこちらの様子を伺っている。
 その何の疑いもない、ただ彼への気づかいだけに満ちた表情に、酷い罪悪感を覚えた。
「大丈夫ですか?」
「……何が」
「何度も呼んだのです。なのに、土方さん……」
 総司はちょっと困ったように首をすくめた。
「全然、気づかれずに……体調でも悪いのかと思いました」
「別に何でもない。それより、おまえこそどうした」
「え?」
「何か用だったのか」
「別に、用という訳ではないのですが……」
 珍しく口ごもり、総司は頷いた。とたん、さらりと柔らかな髪が白い項をおおう。質素な着物に包まれた躯は華奢だったが、のびやかで美しく、匂いたつ花のようだ。
 土方は思わず拳を握りしめた。
 気が狂いそうだ、と思った。
 こんなにも愛しい者を目の前にしていながら、手出し一つできないのだ。総司に嫌われたくないがために、ただひたすらこうして堪えているしかない。
 その限界を間近に感じながら、土方は総司から視線を外した。
「用がないのなら、出ていってくれ。俺は忙しい」
「あの……縁談の事なのです」
 筆をとりかけていた土方の手がとまった。
 それに気づかぬまま、総司は俯きがちに言葉をつづけた。
「先日の縁談、どうするべきかと思いまして……」
「……」
「いいお話だとわかっているのですが、でも、今ひとつ踏み切れないのです」
 いつも凜と背筋をのばし、厳しい口調で隊士たちを叱咤激励する総司も、自分の事となれば昔どおりのままだ。どこか頼りなげな口調で話している。
 だが、今の土方には、それを可愛いと思う余裕などなかった。
「……俺に話してどうする」
 突き放すような声音に、びくりと総司が顔をあげた。
「縁談など、自分で決める事だろう」
 土方は、己でも冷たいと感じる口調で、云い放った。
「俺に相談しても、どうにもならんだろうが」
「それは……そうですけど……」
「それとも、何か」
 ふっと薄い笑みが、口許にうかべられた。
「おまえは、俺の云う事を聞くというのか」
「え……?」
「俺が縁談を断れと云ったら、断るのか」
「……」
 総司は黙ったまま、目を見開いた。驚いたように、土方を見つめている。
 その表情に、土方は苦い想いが込みあげるのを禁じ得なかった。


 いったい、何を云っているのか。
 本当は断って欲しい。俺のものにならぬなら、せめて、誰のものにもなって欲しくなかった。
 たとえ相手が似合いの娘であっても、総司が誰かと結ばれるというだけで、怒りと嫉妬と悔しさで、気が狂ってしまいそうだ。
 婚儀の場にまで乗り込み、叫んでしまうかもしれない。
 総司は俺のものだ。
 俺だけのものだ───と。


 思わず固く瞼を閉ざした土方の前で、総司はそっと小さくため息をついた。
 それから、ゆっくりと答えた。
「……断ります」
「……」
 一瞬、何を云われたかわからず、土方は総司をふり向いた。そんな彼を、総司は綺麗に澄んだ瞳でまっすぐ見つめたまま、くり返した。
「あなたが断れと云うのなら、縁談……断ります」
「何を…云って……」
「そうしたいのです。土方さんが駄目だと云うのなら、私……」
「おまえ、自分が何を云っているか、わかっているのか」
「わかっています」
 総司は膝上においた手を握りしめた。
「縁談が来てから悩んでいました。本当に受けていいのか、どうか」
「……」
「これが正しいのか、間違っていないのか。そんなのわかるはずもないですが、でも……不安なのです。苦しいのです。だから、どうしても決められなくて……」
「それ程、嫌なのか」
 訊ねた土方に、総司は小さく息を呑んだ。だが、すぐ、こくりと頷いた。
「いや…だと思います」
「ならば」
 言葉をつづけた。
「断ってしまえば、いいだろう」
 きっぱりと断言した土方に、総司は微かに目を見開いた。それを見つめながら、自嘲するように思う。
 初で素直な総司のことだ。
 こうして彼が導いてやれば、すぐさま「はい」と頷くに決まっていた。それが彼への兄としての信頼故だとわかっているだけに、苦々しい。
 だが、今は、卑怯でもそれを利用すべきだと思った。


 総司は……誰にも渡さない。


 奥歯を食いしばるような、物狂おしいほどの思いで何度もくり返してきた言葉を、胸にして、土方は総司をじっと見つめた。総司も黙ったまま、見つめ返してくる。
 濡れたような黒い瞳に見つめられ、総司はなめらかな頬を仄かに染めた。細い指さきが小さく震える。
「……あ」
 掠れた声で喘ぎ、視線を落とした。それから、一つ一つ言葉を拾い上げるようにして、云った。
「土方さんが……そう云われるのなら」
「……」
「この縁談、断ります……」
「……」
 総司の言葉を聞いたとたん、土方は僅かに息をもらした。不思議そうに見上げる総司に、「何でもねぇよ」と顔をそむける。
 返事がかえってくるまで、息をつめていた事など、知られたくなかった。
 総司の言動すべてに、一喜一憂してしまうのだ。鬼と呼ばれる新撰組副長が、なんてざまなのか。
 そんな土方を、総司は潤んだような瞳でじっと見つめていた。












「……では、これで」
 総司は短い打ち合わせを一番隊隊士たちと済ませ、解散を命じた。
 立ち上がった総司に、隊士たちが一斉に頭を下げる。それに、かるく礼を返してから、総司は廊下に出た。
 ゆっくりと歩いてゆきながら、仕事の事を考えていたつもりだが、副長室の前を庭先の向こうに見たとたん、昨日の事が思い出された。
 副長室の障子は閉められ、今、土方は留守のようだった。そのたてられた白い障子を眺め、小さく唇を始める。


(私は……何をしているのだろう)


 縁談があってから、土方への想いは消えるばかりか、ますばかりだった。
 迷惑そうな顔をされても纏わりつき、あれこれ話しかけてしまう。挙げ句、彼が島原に馴染みの女が出来たと聞けば、たまらなく気が沈んだ。


 彼の関心が自分以外にあるのが、我慢できない。


 そんなこと云えた立場でもないくせに、どうしても土方の後ばかりを追ってしまうのだ。
 今も土方の部屋に行き、留守である事を知ったばかりだった。
 江戸にいた頃から、土方は総司をよく可愛がってくれた。まるで弟のように可愛がり、あれこれと目をかけてきてくれたのだ。それが昔は純粋に嬉しかったし、いつまでも続くのだとそう無邪気に信じていた。
 むろん、今も、土方は総司を大切にしてくれている。他の隊士とはまるで違う扱いを受けていることは、総司自身もよくわかっているつもりだった。
 だが、土方には恋人がいる。それも、彼女のためなら、他の女とはすべて手を切ってしまう程の、大切な愛しい恋人だ。
 それを思うと、胸が苦しかった。
 嫉妬で息さえできなくなる。恋をするまで知らなかった、どす黒い感情。こんな醜い感情が己の中にあるなど、思ってもいなかったのに。


 総司はふと足をとめ、庭先を眺めやった。
 紫色の花が揺れている。とても美しい、艶やかな花だ。
 あの花は何というのだろうと思ったとたん、先日、近藤から聞いた話を思い出した。
「小紫……」
 島原の女だという。それも、遊女になったばかりの娘。
 彼女が天神として現われたとたん、土方は島原へ通うようになった。今まで、全く通っていなかったのに。
「……ぁ」
 不意に、頭の中で何もかもが符号した。理解できたのだ。
 総司は両手をあげ、唇をふさいだ。ともすれば、声がもれてしまいそうだった。


 彼女は、小紫なのだ。あの小紫が、土方の恋人なのだ。


 もともと京生まれの商家の娘だ。土方が妻に娶りたいと願っても、難しい事だったのだろう。
 そこへ、彼女に大変な災難が降りかかり、遊女になってしまった。彼女を助け出すには莫大な金がいるが、とてもそんなものは用意できない。だからこそ、土方は彼女のもとへ通うのだ。
 愛する恋人──小紫のもとへ。


「そう…だったんだ」
 総司は呆然としたまま、呟いた。傍らの壁に凭れかかる。
 島原へ通い出した土方に、もしかしてと思った。あの恋人とは別れたのかと思っていたのだ。だが、違った。
 たとえ、俗世と浮き世にわかれても、それでも、引き離された事で二人の絆はより深まっただろう。これからも、愛しあってゆくのだろう。
 それを思うと、激しい嫉妬に眩暈さえした。苦しくて切なくて、泣き叫びたくなる。
「……っ」
 両手で胸もとを掴み、ぎゅっと目を閉じた。
 その時だった。
 玄関の方でざわめきが起り、何か事があったのだと知れる。報せを受けたらしい近藤が廊下を走ってゆくのが、見えた。
「何……?」
 すぐさま総司も身を起した。たまらなく嫌な予感がした。
 自然と駆け出してしまい、そのままの勢いで玄関へ飛び込んだ。
 とたん、框の前に立つ男の姿に目を見開く。
「! 土方…さんッ!」
 土方は眉を顰め、壁に寄りかかるようにして立っていた。脇腹をおさえる手の間から、鮮血がぽたぽたと滴り落ちる。黒い着物により濃い染みが広がった。
 斬り合いがあった事は、明らかだった。そして、彼が傷を負ったことも。
 総司は叫び出しそうになった。
 思わず框から裸足のまま飛び降り、駆けよった。両手をのばし、必死になって彼の躯を支えた。
「土方さん、こんな……どうして!?」
「……総…司……」
 掠れた声が、総司の名を呼んだ。不意に、土方の手が、まるで縋るように細い躯を抱きしめる。
 そして、固く瞼を閉ざした……。