長い沈黙が落ちた。
しばらくの間、土方は無言のまま総司を見つめていた。それを、総司も澄んだ瞳で見つめ返している。
やがて、土方は視線をそらせると、僅かに嘆息した。ゆっくりと文机にもたれながら、低い声で呟いた。
「おまえの命……か」
男の声音に、押し殺された怒気を感じた。
それに息をつめた総司の前で、土方はどこか皮肉げな口調で言葉をつづけた。
「おまえの命を対価に、俺の命が救われる」
「……」
「そんなことを俺が望むと、おまえは思っているのか」
明らかに、彼は怒っていた。声音に感情が滲み出ている。
それに、総司は一瞬、唇を噛んだ。だが、気持ちを奮い立たせ、膝を進めた。
「私は病もちです。もう長くはありません」
「……」
土方の眉が微かに顰められた。切れの長い目が総司を一瞥する。
それをしっかり受けとめつつ、総司は言葉をつづけた。
「あなたはこの隊にも必要な人です。今、死ぬべき人じゃない。私が身代わりになれば、すべてが丸くおさまるのです。あなたの為にこの命をさし出せるなら、本望です」
「本望……?」
僅かに唇を歪め、土方は聞き返した。
しばらく黙り込んだ後、くっと喉を鳴らし、皮肉げな笑みをうかべた。
「確かに、おまえはそれでいいだろう。俺のために死んで、それで本望だと満足できるかもしれん。だがな……」
土方は黒い瞳でまっすぐ総司を見据えた。低い声で問いかける。
「残された俺は、どうなるんだ」
「……土方さん」
「おまえを自分の身代わりにしたという罪悪感に苛まれ、おまえを失った苦痛と絶望の中で生きてゆけと云うのか。そんな生き地獄を、この俺に味わえと……?」
はっとしたように、総司は息を呑んだ。
土方の話を聞いてから、彼を救う事しか考えてこなかったのだ。
自分が残される事ばかり、考えていた。
だが、逆の立場なら、どうなのだろう。
そんな事をされて、嬉しいと思えるのか。
彼がいないこの世に、彼の命と引きかえに生きることを強いられて、それで幸せだと云えるの……?
黙り込んでしまった総司に、土方は深く嘆息した。手をのばし、総司の手をそっと取り上げる。
それに、総司はおずおずと顔をあげた。
きっと今にも泣き出しそうな顔だったのだろう、土方が困ったように笑った。優しく額に口づけられる。
「そんな顔をするな」
「……っ」
「どうすればいいのか、わからなくなる。だが……すまない、言葉がすぎたようだ」
「そんな……っ」
総司は激しく首をふった。
「謝るのは、私の方です! 私が……っ」
「……総司」
土方はその細い躯を胸もとに引き寄せた。そっと抱きしめられる。
「おまえが、俺のために云ってくれたのはわかっている。俺を深く愛してくれているからこその、言葉だという事も。だが、俺がそれを受け入れられないのも、また事実だ」
「……」
「おまえを失う……それも俺のせいでなど、堪えられるはずもない。苦しんだ挙げ句、自ら命を絶ってしまうかもしれん」
「土方さん」
「総司、おまえを残してゆくのは辛い」
そっと髪を撫でながら、土方は低い声で云った。
「だが、頼む……約束してくれ」
「……」
「俺の命と自分の命を引き替えにするなと、決して望むな。残酷な事を云っているのは、承知の上だ。だが、それでも、俺はおまえを身代わりにしてまで、生きたいとは思わない」
「……っ」
涙があふれた。みるみるうちに視界がぼやけ、頬を涙がこぼれ落ちてゆく。
それに、土方が辛そうに顔を歪めるのがわかったが、どうしようもなかった。
苦しくて辛くて哀しくて。
あなたを失ってまで生きたいと思わないのは、私も同じなのに。
どうしようもなく怖くてたまらないのに。
今だって、大声で泣いて叫んで、縋りついてしまいそう。
土方さん、今こうして抱きしめてくれるあなたがいなくなったら、私はどうやって生きてゆけばいいの……?
「……っ、私だって……っ」
震える手で、土方の着物を掴んだ。握りしめ、云いつのる。
「私だって……あなたを失ったら、生きてゆけない。きっと、後を追ってしまう……っ」
「総司」
土方は真剣な表情で、首をふった。瞳を覗き込み、云いきかせる。
「それは駄目だ。後追いなど許さない」
「どうして?」
知らず知らずのうちに、総司の声が高くなった。
「どうして、そんな残酷なことが云えるの!?」
「……」
「土方さんは勝手だ。残される私の気持ちなんて、全然考えていない……!」
そう叫ぶなり、総司は激しく身を捩った。抱きしめようとする土方を突き返し、立ち上がる。
部屋を横切ると、勢いよく障子を開いた。タンッと鳴った鋭い音に、中庭の向こうにいた隊士たちが驚き、こちらを注視する。
だが、今の総司には、何一つ目に入っていなかった。
「総司」
低い声で呼ぶ土方をふり返らぬまま、部屋を飛び出した。廊下を足早に行きながら、必死に唇を噛みしめる。
そうする事で、今にもこぼれそうな涙と嗚咽を堪えた。
……心から愛していた。
子どもの頃からずっとずっと好きで、憧れ恋し、やがて、誰よりも深く彼を愛したのだ。
なのに、どうして?
何故、あんな事が云えるの?
後追いも身代わりも許さない、なんて。
わかっている。自分も同じ立場に置かれたら、きっとそう告げるはず。
だが、それでも、酷いと思わずにはいられなくて……。
部屋へ戻る途中、総司は人気のない一角で堪らずしゃがみこんだ。
縁側の柱に寄りかかるようにして、蹲る。
「……っ」
鈍色の空の下、声を殺して泣く総司を見守るように、庭の花が静かに揺れていた。
土方の話を聞いてから、伊東との接触はなるべく避けるようにしていた。
ただでさえ気がたっている土方を、刺激したくなかったのだ。
だが、逢わぬようにしていても、同じ建物の中で暮らしている以上、いつまでも避けていられるはずもなかった。
「総司」
僅かに低めた声で呼ばれ、総司は驚き、顔をあげた。
稽古の後、井戸端でぼんやりしていた所に、後ろから声をかけられたのだ。慌ててふり返ると、伊東が佇んでいた。
「何か考え事ですか」
「……いえ」
慌てて首をふり、総司は桶を引き上げた。
だが、手拭いを浸した所で、ふと気が付いた。
今日は、土方は朝から黒谷のはずだった。伊東と話していても、彼を苛立たせる事はない。
「伊東先生」
小さな声で呼びかけた総司に、伊東は僅かに小首をかしげた。鳶色の瞳で総司を見下ろす。
それにふり返らず、桶に手をかけたまま総司は言葉をつづけた。
「伊東先生は……どう思われますか」
「何を」
「逝く者と、残される者。どちらが辛いのだと……思われますか」
「……」
伊東は無言のまま、眉を顰めた。
しばらく考えるように総司を見ていたが、やがて、静かな声で問いかけた。
「それは、きみと土方君の事ですか」
「……!」
弾かれたように顔をあげ、ふり返った総司に、伊東は小さく苦笑した。
「きみが労咳である事は、私も知っています。それを、きみは云っているのでしょう……?」
「……あ」
思わず声を呑んだ。だが、そうとられても当然だった。
誰が、病もちである総司より、土方の方が先に逝く定めだと思うだろう……?
「そう……です」
俯き、掠れた声で云った。
「私は労咳です。だから、人より先に逝くことになります。その時……残された人たちは、どんな気持ちなのかと……」
「むろん、辛いですよ」
伊東はゆっくりと云った。僅かに目を細め、何かを思い出すような表情になる。
「ましてや、それが愛しい存在であるのなら尚のこと。辛くて哀しくて、いっそ死んだ方がましだと思うでしょう」
「でも……」
「そう。逝く者は、己の後を追って欲しいと望まない。その者もまた愛しているからこそ、道づれなど望まないのです。それどころか、相手に生きて欲しいと心から願ってしまう……」
伊東は僅かに目を伏せ、苦笑した。
「人とは何と残酷で身勝手な生き物でしょうね。愛するからこそ、道づれには出来ない。生きて欲しい。そのくせ、ずっと自分を覚えていて欲しい、愛して欲しいと願って……」
ふと言葉を途切れさせた伊東は、しばらくの間、黙り込んでいた。
その秀麗な横顔を、総司は見つめた。
この人もまた、思い悩んだ事があるのだ。でなければ、こんな言葉を吐けるはずもなかった。
伊東が今生きているという事は、残された方なのか。総司のような苦しみを味わってきたのだろうか。
「伊東先生……」
思わず呼びかけた総司に、伊東が顔をあげた。鳶色の瞳でまっすぐ総司を見つめた。
「気をつけなさい。あまりにも強すぎる愛は人を縛る。死しても尚、愛ゆえに縛りつけてしまうのです。もっとも、きみがそれを望んでいるのなら……是非もありませんが」
「望んでいる……?」
そう聞き返し、総司はきゅっと唇を噛みしめた。
昨日──身代わりを申し出た時、自分は何を望んだのだろう。
身代わりになって死ぬことで、土方の心に永遠に残りつづける。
それは、彼にとって、罪悪感と喪失にもがき苦しむ生き地獄だ。ならば、総司の望んだことは……
(土方さんの生き地獄が、私の望み───?)
「……っ」
総司は思わず口許を両手でおおってしまった。呆然と目を見開く。
あまりにも身勝手で残酷な愛だった。
そんな歪んだ愛が己の中にあるなどと、思ってもみなかったのだ。
……いや、ならば、土方はどうなのか。
土方は、総司の中に永遠に残りつづけることを、望んでいるのか。この世に、総司をたった一人残して……
「……総司」
気がつくと、伊東が覗き込んでいた。血が吹きでそうなほど唇を噛みしめている総司に、声をかけてくる。
「大丈夫ですか? まっ青ですよ」
「……大丈夫、です」
小さな声で答えた総司を、伊東は気遣わしげな表情で見つめた。それから、ため息をつきながら云った。
「私の言葉がきみを動揺させたなら、謝ります。だが、これだけは云っておきたい」
「……」
「きみは優しくて素直で、一途だ。だからこそ、私も……そして、土方君も惹かれたのだと思いますが、時々、その一途さが不安になる」
「不安に……?」
「一途に強く愛するあまり、周囲が見えなくなっていると思うのです。そして、それが周囲も……きみをも深く傷つけてしまう気がする」
「……」
総司は何も反論することができなかった。
伊東の言葉どおりだと思ったのだ。
土方を愛するあまり、周囲が見えなくなってしまう。それは最近になってより顕著になっていた。はっきり云えば、土方の話を聞いてからだ。
挙げ句、土方を傷つけてしまった。より苦しめてしまった。
伊東の言葉どおり、強すぎる愛は相手を縛りつけるのだ。それは、決して、総司の望んだ愛ではないはずだった。
(私は……何をやっているの)
伊東と別れた後、自室へ戻る道すがら、総司はきつく唇を噛みしめた。
不安でたまらない状態は、ずっと続いていた。駆けるように日々は過ぎてゆく。
こうしている間にも、土方を失う日は刻一刻と近づいているのだ。それを思うと、気が狂いそうになった。大声で泣き叫んでしまいたくなる。
だが、一番辛いのは土方なのだ。総司と共に生きることのできない定めに、苦しんでいるのは彼なのだ。
なのに、昨日、彼の部屋を飛び出してから、一度として顔をあわせていない。
少しでも傍にいたいと思ったのに。少しでも長く、彼と一緒にいたいと願っていたはずなのに。
それこそが、土方が自分に求めてくれた愛情だったはずなのに。
総司は自室へ戻りかけていた途中で、不意に踵を返した。
今から彼に逢いに行こうと思ったのだ。昼頃に会合が終ると聞いていたから、黒谷から帰ってくる途中に、きっと間に合うだろう。
逢って、仲直りをしたかった。昨日の事を謝り、彼の顔を見て、安堵したかったのだ。
総司は足早に縁側を歩き出した。玄関口へとむかい、框を降りかける。
その瞬間、だった。
ざわりと背筋を悪寒が走った。視界をかすめたものに、目眩さえ覚える。
「──」
震えながら見つめた総司の視線の先、ゆっくりと土方が歩いてくる処だった。だが、その手は片腹をおさえている。傷口をおさえている事は明らかだった。
「……土方…さん…ッ!!」
悲鳴のような声で叫んだ総司に、周囲の隊士たちも気が付いた。皆、慌てて駆け寄ってゆく。
呆然となっていた総司は、不意に框から飛び降りた。裸足のまま玄関を走り抜けた。
「土方さん! 土方さん……!」
気でも狂ったように叫びながら、土方に抱きついてゆく総司に、周囲は驚いていたが、何も目に入っていなかった。
土方の青ざめた顔と、血の匂い、着物を濡らした鮮やかな朱だけが、すべてだった。
男の躯に、支えるように両手を必死でまわした。がたがたと手が震えたが、自分でもおかしいほど動揺し、何が何だかわからない。
「総司……」
そんな総司に、土方が掠れた声で云った。微かに笑ってみせる。
「すまん……」
「……っ、何を謝って…っ」
半ば泣き出している総司に、いつのまにか来ていた原田が云った。
「とりあえず、奥へ運ぼう。医者は呼んだ」
「…は、はい」
「総司はそっちを支えてくれ。いや、おまえは土方さんの刀を。島田、手伝え」
原田と島田が両脇から抱えるようにして、土方を奥へ運んだ。それを彼の刀を胸に抱いた総司が後を追う。
医者が呼ばれ、手当の間、総司は土方の傍にずっと寄りそっていた。寄りそい、人目も気にせず彼の手を握りしめていたのだ。
それは、まるで縋りつくようだった。逆に、土方の方が落ち着いていて、まっ青になっている総司に「心配するな」と微笑みかけたぐらいだった。
怪我の程は、見た目より浅かった。
縫合を終えた医師も、しばらく安静にすれば治ると云い、総司は心から安堵したのだった。
「土方さん……」
二人きりになると、総司は心配そうに土方を覗き込んだ。
黒目がちの瞳が不安そうに揺れるのを、土方は困ったように見上げた。安堵させるため、小さく笑ってみせる。
「……大丈夫だ」
「でも」
「医者も云っていただろう、傷は浅いと。明日になれば、起きる事もできるさ」
「そんな、無理しないで」
総司は震える手をぎゅっと握り込んだ。
「私……本当に怖かったんだから。あなたが怪我しているのを見た時、どうしたらいいか、わからなくなって……っ」
「総司」
「もう、あんなの嫌だ。あんな辛い思い……二度としたくない」
そう云った総司は、半ば泣いているようだった。声が震えている。
そのまま男の肩口に伏せてきた総司に、土方は微かに息を呑んだ。細い肩に手をまわし、そっと抱きよせてやる。
「すまない」
「……っ」
「今度からは気をつける。……いや、今日も気をつけてはいたんだがな」
苦笑まじりの言葉に、総司は、はっとした、勢いよく顔をあげ、彼の瞳を見つめた。
「まさか、土方さん」
「……」
「事あることをわかっていて……外出したの」
抑え切れぬ怒りに声が震えた。
次、お褥シーンがあるので苦手な方は避けてやって下さいね。
