「……いったい、何を云っているの?」
 呆然自失の状態から覚めると、総司は声音を強めた。
 とても信じられる事ではなかった。何よりも、土方が死ぬなど、信じたいはずがない。
 思わず両手を握りしめた。
「そんな事、口にしないで! たとえ、冗談でも……」
「総司、これは冗談じゃねぇんだ」
 土方は切れの長い目で、まっすぐ総司を見つめた。
「今から話すことは、すべて真実だ。嘘ではない」
「……」
「俺は……一月後、浪士たちの襲撃で死ぬ」
 淡々とした口調で云いきった土方を、呆然と見つめた。
 まるで他人事のようだった。
 そんな彼が怖いとさえ、思ってしまう。
 総司の様子に、土方は僅かに目を伏せた。
「確かに、信じ難いだろうな。俺も、初めは夢だったのかと思った。だが、あれは夢ではない。現にあった事なんだ」
「どういう……事?」
「総司、俺は一度死んだ身なのさ」
「え……」
 総司は細い眉を顰めた。
 一瞬、気が狂ったのかとさえ思ったのだ。
 だが、それに、土方は首をふった。
「狂った訳じゃねぇよ。それに、幽霊でもない」
「話がよく……」
「さっき云ったとおり、一月後のある日、俺は浪士たちの襲撃にあい、命を落とした。その死に際に……一人の女が現われたんだ」
「女?」
「そう、女だ」
 土方は何かを思い出すように、遠くを見やり、目を細めた。
「美しい女だった。だが、その女は、己が鹿の化身だと名乗った。過日、俺に助けられた鹿なのだと」
「……」
「確かに一年前、俺は鹿を助けていた。足に傷を負っていた鹿に手当をしてやったんだ。その鹿が自分だと名乗った女は、対価として願いを叶えてやると云った。但し、命は救えない。あまりにも大きすぎるため、対価としての均衡がとれないのだと」
「なら、どうして」
 総司は思わず訊ねた。
「何故、あなたは……今ここに……?」
「それは、俺がもう一度やり直したいと願ったからだ。数ヶ月前に、時を戻してくれと」
「数ヶ月前……?」
「そうだ、あの春先のことだ。料亭に呼び出した日だ」
「え、じゃあ……」
 総司は目を見開いた。


 ならば、あの時の土方は、その前日の彼とは違っていたのか。
 彼の言葉を信じるなら、時を遡り、やり直すために戻ってきた彼だったのか。


 呆然とする総司の前で、土方は言葉をつづけた。
「以前も、俺はおまえをあの料亭に呼び出しているんだ。だが、おまえに拒まれるのが怖くて……何も云うことが出来なかった」
「……」
「そうして、俺が躊躇っているうちに、事態は取り返しのつかなくなった。おまえは……」
 一瞬、土方は苦しげに瞼を閉じた。今から口にする事が辛くてたまらぬといわんばかりの声音だった。
「おまえは……伊東に心を開き、やがて、伊東の念弟となった」
「え」
「それを、俺は気も狂わんばかりに嫉妬しながら、見ていることしか出来なかったんだ」
「……そんな……」
 総司は目を見開いた。


 信じられない話だが、ようやく合点がいった気がした。
 土方が、何故あれ程、伊東に嫉妬したのか。奪われたくないと、きつく抱きしめてきたのか。
 それは、すべて一度経験した事だからなのだ。
 なら、あの夢は、土方の中にある記憶に呼応したものだったのか。


(だから、あんな夢を見てしまったの……?)


 そんな事をぼんやり考えている総司の前で、土方はゆっくりと言葉をつづけた。
「俺はもう一度やり直したいと願った。拒絶されてもいい、どうせ死ぬのなら、せめて、おまえに想いを告げたかったんだ」
「土方さん……」
「そして、願いは叶えられ、あの春の日に戻る事ができた。おまえにも告白できた。もっとも、恋人同士になれるとは……思ってもみなかったがな」
 くすっと笑い、土方は片手で黒髪をかきあげた。男らしい精悍な横顔が、行灯の明かりにうかびあがる。
 寝着の間からのぞく胸もとや肩、腕も逞しく、何もかもが生命力にみちあふれていた。土方という男は、気力、体力ともに、もっとも充実した時にあるのだ。
 なのに、あと一月で彼が亡くなってしまうなど、到底信じられなかった。否、信じたくない。
「土方さん」
 思わず、膝もとに縋りついた総司に、土方は困ったような笑みをうかべた。そっと髪を撫でてやりながら、呟く。
「余計な事を云って、怖がらせちまったな。すまない」
「そんな……謝らないで」
 声が震えた。男の膝もとに伏せ、唇を噛みしめる。
 確かに、信じられない話だった。
 だが、今まで疑問に思っていたことも、何もかもが符号するのだ。それに、彼が嘘や冗談でこんな事を云うとは、到底思えなかった。
 総司は、土方の性格をよく知っている。
 一見すれば冷たく見えるが、その実、彼はとても真摯で誠実な男なのだ。
「何か……何か、方法はないの?」
 顔をあげ、総司は大きな瞳で土方を見つめた。
 懇願するような口調になった事は自覚したが、それでも訊ねずにはいられなかった。
「その日の事を覚えているのでしょう? なら、一日中、屯所から出ないとか、他にも……!」
「定めからは逃れられない」
 土方は低い声で答えた。
 深く澄んだ瞳が、総司をじっと見つめる。
「この半年、俺が覚えている限りの事を、つぶさに観察してきた。時には手を出し、何とか回避させようともした。だが、無理だった。どんなにそれを変えようとしても、形はどうあれ、最終的にいきつく先は必ず決まっている。逃れようがないんだ」
「だって……っ」
「おまえの云うとおり屯所にいたなら、確かに浪士たちの襲撃は受けないだろう。だが、その代り、隊に潜り込んだ間者によって討たれるのかもしれん。突然、やむを得ぬ用事で出ざるをえなくなるのかもしれん」
 土方は、低い声で呟いた。
「定めは……必ず俺を追ってくる」
「……」
 総司は思わず、ぞっと身震いした。得体の知れぬ恐ろしさを感じたのだ。
 そんな総司の躯に、土方はそっと手をまわした。宥めるように、優しく髪を撫でてくれる。
「大丈夫だ、総司」
 耳もとに彼の声がふれた。鼓動が聞こえる。
 彼の生きている証だ。
「俺は……負けない。戦ってみせる。おまえを愛している、おまえの傍にいたい。その願いを叶えるためにも、俺は死なない」
「土方さん……っ」
「愛してくれ、総司。おまえが俺を愛してくれるなら、俺は大丈夫だ。生きることが出来る、必ず」
「……っ」
 涙がこみあげた。視界がぼやけ、彼の顔がよく見えない。
 それでも、総司は土方のぬくもりを、肌を、鼓動を、深く深く感じながら囁いた。
「愛して…います」
「総司」
「あなたを……愛している、誰よりも愛している……っ」
「総司……!」
 乱暴に引き寄せられ、抱きしめられた。深く唇を重ねられる。
 呼吸まで奪うような激しい口づけだ。
 だが、総司は自ら白い両腕をのばし、男の首をかき抱いた。もっともっと、彼のすべてを感じたくて、刻み込みたくて、躯を密着させる。


 これ以上ないぐらい、愛していた。
 ずっと子どもの頃から、彼だけを見つめてきたのだ。
 憧れ、恋し、大人になってからも初恋だけに一途で激しい恋をしてきた。
 だが、もっと愛したかった。
 愛することで彼を引きとめられるのなら、何もかもかなぐり捨て、己のすべてで彼を愛したい。
 その事で、彼の命が救われるのならば。


(土方さん……!)


 祈るように目を閉じた総司を、土方がきつく抱きしめた───











 その日から、総司は土方の傍を離れなくなった。
 巡察に出かける以外は、副長室で土方が仕事をしている傍ら、おとなしく端座し書見などしているのだ。
 むろん、土方が外出する時は護衛として同行し、まるで影のようにひっそりと寄りそう姿に、人の気持ちを察しやすい原田などは怪訝に思ったようだった。
「何かあったのかい」
 そう訊ねる原田に、総司はゆるく首をふった。
 傍らには、斉藤や永倉もいて、心配げに総司を見ている。
「総司も最近元気ねぇし……何かあったかと思ったんだ」
「何でもありませんよ」
 総司はちょっと笑ってみせた。
「喧嘩した訳じゃありませんし、ただ、一緒にいたいと思っただけですから」
「まるで、恋女房だね」
 からかうように云った原田に、総司はなめらかな頬を染めた。
 最近、云われ馴れている事だが、やはり恥ずかしい事は恥ずかしい。事実、念兄弟の契りまで結んだ仲である事は秘密であるのだから、尚のことだった。
 原田たちと別れた後、斉藤にひっそりと訊ねられた。
「本当に、大丈夫なのか?」
「……」
 大きな瞳で見つめ返す総司に、斉藤は唇を噛んだ。躊躇いながらも、言葉をつづける。
「オレは、別に詮索するつもりはない。けど、おまえと土方さんの間に、張り詰めたものを感じるんだ。何か切羽詰まっている気がして」
「切羽詰まっている……ですか」
 総司は微かに笑った。
「そんなに悲壮感漂っていますか? 別に、ふつうにしているつもりですけれど」
「総司」
「心配しないで下さい。何もありませんから」
 そう云って立ち去ろうとする総司に、斉藤は云わずにいられなかった。思わず声を高める。
「オレは、おまえが心配なんだ。何があっても、一人で抱え込んでしまうおまえが」
「……」
 ふり返った総司を見つめ、斉藤は低い声で云った。
「何も……なければいい。おまえが幸せであるのなら、構わないんだ」
「……」
「けれど、もしも……オレが必要なら。少しでも、誰かの手を借りたいと思った時は、思い出してくれ。おまえの助けになりたいと思っている、オレのことを」
「……斉藤さん」
 総司の瞳が潤んだ。声が震え、ぎゅっと手が握りしめられる。
 しばらく斉藤を見つめたまま立ち竦んでいたが、やがて、こくりと小さく頷いた。そのまま踵を返すと、小走りになってその場から去ってゆく。


 斉藤の気持ちは、泣きたいぐらい嬉しかった。
 だが、誰にも打ち明けられなかった。
 信じてもらえるとか、信じられないとか、そういう事ではなく、これは土方の事なのだ。総司が勝手に打ち明けるなど、許されるはずがなかった。
 総司が他言せぬと信じていたからこそ、彼は打ち明けてくれたのだ。
 その信頼と愛情を裏切る訳にはいかなった。
 確かに……辛かった。助けて欲しかった。
 愛する人を奪われる恐怖。
 一人残される絶望と慟哭は、刻一刻と近づいて来ているのだ。


 総司にとって、眠れぬ日々がつづいていた。
 その上、総司の願いで同じ部屋で休むようになったのだが、目覚めた時、土方が傍にいないと、発作を起した。息ができなくなるのだ。
 一度、土方が先に起床し、井戸端から戻ってみると、総司が己の喉を掴み倒れていた事があった。驚き、抱きおこした土方に、総司は半狂乱になってしがみついてきたのだ。
 その日から、土方は総司が目覚めるまで、待つようになった。
 だが、一方で、ある懸念を土方は覚えずにはいられなかった。


 俺が逝った後、総司は生きてゆけるのか──?



 己の喉を両手で掴む様は、まるで自死するかのようだった。
 自分を殺そうとしているとしか、見えなかったのだ。土方の存在がない。ただ、その事だけで総司は絶望し、命を絶ってしまう。
 それが怖かった。不安だった。
 総司を愛している。だが、だからこそ、土方は総司を道連れにしたくなかった。
 自分の分も、生きて欲しいのだ。自分を失っても尚、生きてゆける強さを持って欲しい。それこそが、彼の望むことだった。
 だが、それは我侭なのだろうか。


 ずっと自分だけを愛し想いながら生きてゆけなどと、なんて……残酷な事を望むのか。


「男の身勝手さだな」
 低く呟き、柱に背を凭せかけた。
 腕を組みながら、ぼんやりと視線を庭へ投げかける。
 そろそろ、総司が巡察から戻ってくる頃だった。そして、彼がいる事を真っ先に確かめるためここへ駆け込み、あの潤んだ瞳で彼を見つめるのだろう。
 息苦しいとは思わなかった。重荷だとは思わなかった。
 それどころか、異様なほどの歓びを覚えた。
 総司が、自分をどれほど深く愛してくれているか。その愛の激しさの証のように感じたのだ。
 むろん、歪んでいるとわかっている。
 死への日々を数える中で、互いの傷を舐めあうように愛しあってゆく事は、健やかだとはとても云えなかった。
 今、自分たちは、ぎりぎりの極限状態にあるのだ。崖っぷちで二人して抱きあい、眼下に広がる暗い海を見つめている。
 すべてを打ち明けた事で、二人の絆は深まり、より愛しあうようになった。その想いは、異常なほど深く激しい愛へと昇華したのだ。
 だが、それが幸せだとは到底思えなかった。望んだ事でもなかった。
 死に際の願いが叶えられ、時を戻せた時、ただ想いを告げる事しかなかった。その後の事など、考えてもいなかった。
 総司に、ずっと押し殺してきた想いを告げられるのなら、それでいい。それだけで幸せだと、思い定めていたのだ。
 受け入れられるなど、夢にも思っていなかった。
 総司がまさか、自分を愛してくれるなど……


(だが、あれで本当に良かったのか)


 土方は思わず瞼を閉ざした。
 結局は、総司に辛い重荷を背負わせてしまった。
 その上、これから更に重い枷を嵌めようとしている。己の狂った愛で、総司を縛りつけようとしている。
 こんな形、望んでいなかったのだ。総司の幸せだけを望んだはず。
 想いを告げる事は願ったが、総司の人生を狂わせるつもりはなかった。
 なのに……人は欲深い。
 一縷の望みもないと思っていた恋が叶ったとたん、今度は、手放したくなくなる。
 艶やかな髪の一筋、その潤んだ瞳、桜んぼのような唇、細い指さき一つまで、独り占めしたくなる。
 永遠に、己だけに縛りつけたくなるのだ。


 土方は吐息をもらし、身を起した。
 玄関の方から、ざわめきが伝わってくる。一番隊が帰営したのだろう。
 もうすぐ総司がここへ来るはずだった。それまでに、想いから覚めなければならない。憂い顔を見せる訳にはいかない。
 これ以上、総司に心配をかけたくなかった。それでなくとも、総司はあの事を告げた時から、笑顔が少なくなってしまっている。
 いつも、土方の鼓動を存在を確かめるように寄りそい、哀しげに目を伏せているのだ。
 いとけない小柄な躯を抱きしめ、どこにも行かないよと囁いてやりたい。


 ずっと、おまえの傍にいると。
 いつまでも。


「……叶わぬ願いだな」
 低く呟いた土方は、ゆっくりと副長室へ入った。文机の前に腰を下ろした処で、廊下を総司が駆けてくる気配がする。
 やがて、澄んだ声が彼の名を呼んだ。
「土方さん」
「……何だ」
 手許の書類を揃えてから、土方は静かにふり返った。黒い瞳で、じっと総司を見つめる。
 それに、廊下で膝をついていた総司は、僅かに目を伏せた。だが、すぐ、不安げに大きな瞳で見つめ返してくる。
「留守中、何も……ありませんでしたか」
「ある訳ねぇだろう」
 苦笑した土方に、総司はそっと唇を噛んだ。それに、土方は微かに嘆息すると、片手をさしのべた。
「おいで」
 優しい声で云ってやる。すると、総司は一瞬目を瞠り、ぱっと頬に血をのぼらせた。
 躊躇うように周囲を見回したが、誰もいない事を確かめると、部屋の中へ入ってきた。障子を閉め、おずおずと土方の傍へ歩み寄る。
「ほら、ここに坐れ」
 土方はまだ立ったままの総司の手をとり、優しく云って聞かせた。
 それに、こくりと頷き、総司は坐った。だが、何か思う事があるのか、そのまま黙り込んでしまう。
 やがて、総司は意を決したように顔をあげると、土方を見つめた。
「お話があるのです」
「何だ」
 静かに問いかけた土方に、総司は唇を噛んだ。だが、言葉をつづけた。
「あなたが助けた鹿の化身の女……彼女に、もう一度、願う事は出来ないのでしょうか」
「何を」
「あなたを助けて欲しいと」
 総司の言葉に、土方は苦笑した。僅かに目を伏せながら、答える。
「云っただろう。願いには、対価となるものが必要なんだ。俺はあの鹿を助けた対価として、時を戻してもらった。これ以上、望む事はできない」
「だから、今度は私が望むのです」
「おまえが?」
「えぇ。むろん、その対価もあります」
「何だ」
 黙ったまま訝しげに眉を顰めた土方を、総司は澄んだ瞳で見つめた。
 そして、答えた。
「私の……命です」
「──」
 土方の目が大きく見開かれた。
















他の定めと異なり、総司の恋人になる事が以前と違ったのは、ずっと総司の想いが土方さんにあったからです。運命の恋人ですもの!