「松原さんが?」
総司は驚き、息を呑んだ。
それに、斉藤は強ばった顔で頷いた。
修羅場をくぐり抜けてきた彼でも、今回の事はまた別なのだろう。後味の悪さに、誰もが嫌な思いを抱いていた。
「例の女と……心中したんだ」
「誰が見つけたのですか」
「オレだ。土方さんの指示で、あの女の家を訪ねていってみたら……」
「土方さんの?」
思わず聞き返してしまった。
何故なのだろうと思ったのだ。
土方が、最近の松原の様子に、眉を顰めていることは知っていた。降格人事を行ったのも、土方だ。だが、よくある事だった。新撰組の中では、上下の関係が入れ替わるのは、稀な事ではないのだ。
なのに、土方は、妙に松原の事を気にしているようだった。声をかける訳ではないが、ただ、動向を見ていた。
まるで、何かを試すように。
「オレもびっくりしたんだ」
斉藤は考えこむような表情で、云った。
「確かに、外泊届けも出していなかったが、まだ夕方だった。門限前だ。それも、女の家へ真っ直ぐ行けと云われて、いったい何を考えているのかと思いつつ向ってみたら……」
「二人が心中していた」
「あぁ」
斉藤は頷き、目を伏せた。
しばらく黙ってから、ぽつりと呟いた。
「まるで……事あることを知っていたようだ」
「そんな、まさか」
「オレだって、まさかと思うけどな。とにかく……嫌なものを見てしまったよ」
ため息をついた斉藤に、総司はきゅっと唇を噛んだ。それから、立ち去ろうとする斉藤を呼びとめ、訊ねる。
「土方さんは?」
「え」
「土方さんは、斉藤さんからの報告を聞いて、どんな様子でした? 驚いていました?」
「驚くというより……何というか、暗い表情だったな。あの人にしては珍しく動揺しているようだった」
「そう……」
斉藤と別れた後、総司はまっすぐ副長室へ向った。固くたてられた白い障子に、彼の拒絶を感じるようで怯んだが、そっと外から声をかける。
「失礼しても宜しいですか?」
少し間があり、中から土方の応えがあった。それに、ほっと安堵しつつ、部屋の中へ入る。
土方は文机に寄りかかり、考え事をしていたようだった。手許に書類はあるが、墨もすられていない。
「……総司か」
俯いていた顔をあげ、微笑みかけた土方に、総司はどきりとした。
手でかき乱したためか、黒髪が額に乱れ、ひどく色っぽい。男にしては長い睫毛が伏せられ、どこか潤んだような黒い瞳に、胸がどきどきした。
いつもの土方は、気性の激しさや峻烈さが前に出るため、冷たい印象をあたえる。
だが、今の土方は、まるで違った。憂いを帯びた表情に、大人の男の艶めかしさが匂いたつ。
「……あ、あの」
総司はぎゅっと両手を握りしめた。だが、何をどう切り出していいのかわからず、口ごもってしまう。
それを、土方は文机に寄りかかったまま、黙ったまま眺めていたが、やがて、低い声で問いかけた。
「聞いたのか」
「え?」
「松原の事だ。斉藤に聞いたのだろう」
「あ、はい」
総司は慌てて答えた。
それに、土方は深くため息をついた。苦い笑みを口許にうかべる。
「俺も無様な処を見せちまったからな……斉藤は何と云っていた。俺の様子を怪訝に思っていただろう」
「不思議がっていました。まるで、事あることを知っていたかのようだと……」
「事あることを知っていた、か」
苦々しげに呟いた。きつく唇を噛みしめる。
「そんなもの知っていても、何もならねぇよ」
「土方…さん?」
「定めは定めなのだ。どうあがいても、変える事はできない」
「定めって……今度の事は、たまたまこうなっただけでしょう? 土方さんが変えられた事ではないし」
「……」
押し黙ったまま目を伏せてしまった土方に、総司はたまらなくなった。
何かわからないけれど、この人は苦しんでいる。
そして、今度の事でひどく傷ついている。
それを少しでも癒してあげたいのに。
私には、何もしてあげられる事がないの……?
総司は部屋を横切り、土方に近づいた。驚いたように見上げる土方を見つめ、そっと抱きついてゆく。
男の背に細い両腕をまわし、ぎゅっと抱きしめた。
「……総司?」
「土方さん……愛しています」
「……」
「あなたのために、私が何をしてあげられるか、わからない。ううん……何もしてあげられないかもしれない。でも、傍にいるから……ずっと、あなたの傍にいて、あなただけを愛しているから……」
「総司……」
土方は愛しい恋人の名を呼ぶと、その脇に手をまわした。抱きあげ、そっと自分の膝上に下ろす。
すっぽりと腕の中におさめた小柄な躯を、優しく抱きすくめた。
「おまえは、今のままでいいさ」
「土方さん」
「今のままで十分だ。おまえが傍にいてくれるなら……他には何も望まねぇから。総司、おまえが俺を愛していると告げてくれる。それだけで、幸せになれるんだ」
男の真摯な言葉に、躯が震えた。花びらに包まれたような幸せに、うっとりと目を閉じてしまう。
そんな総司に、土方は優しく口づけてくれた。何度も角度をかえて口づけてゆくうちに、舌を絡めあい、その接吻は深く濃厚なものになってゆく。
気がつけば、畳の上に横たえられ、のしかかってきた土方に、深く唇を重ねられていた。男の大きな掌が胸もとや腰のあたりを、もどかしげに撫でてゆく。
土方のしなやかな指が袴の紐にかかり、解こうとした。それに、思わず抗う。
「……だ、め」
「何で」
「ここ、副長室だもの。いつ、誰が来るか……」
「気になって声も出せねぇか?」
悪戯っぽく笑いかける土方に、先程の憂いを帯びた表情はない。それに安堵しつつも、総司は大きな瞳でちょっと睨んでみせた。
「土方さんの意地悪」
「おまえが可愛いから、苛めたくなるのさ」
「でも、ここでは絶対にいやです。それに……」
総司は土方の胸もとにぎゅっとしがみついた。
「まだ二度目だし……少し怖いの」
「あぁ」
土方の瞳の色が和らいだ。そっと総司の華奢な躯を引き寄せ、抱きしめてくれる。
「ごめんな、急いて……またおまえを傷つける処だった」
「傷つけてなんか。前の時だって、私、怪我しなかったでしょう?」
「だが、寝込ませてしまった。俺は駄目だな。おまえの事になると、我を忘れてしまう」
「それは嬉しいけれど……」
総司は頬を染め、小さな声で云った。
「ちょっとだけ……手加減してね」
「総司」
土方はくっくっと喉を鳴らし、笑った。そういうのが男を煽っているのだと云ってやりたいが、無邪気な総司も可愛くてたまらない。
「愛しているよ」
桜色に染まった耳もとに囁きかける土方は、恋人と共に過ごせる故の確かな幸せを感じていた。
角を曲がったとたん、どんっと誰かにぶつかった。
「す、すみません!」
ばさばさっと書物が散らばってしまう。
総司は慌てて謝り、書物を拾いあげた。それに、手伝ってくれた彼が小さく笑う。
「久しぶりですね」
その声に顔をあげれば、伊東がこちらに笑いかけていた。秀麗な顔に、柔らかな笑みをうかべている。
「……あ」
総司は目を見開き、あらためて謝った。
「申し訳ありません。伊東先生にぶつかったりして」
「いや、きみとなら歓迎ですよ」
「え?」
びっくりしたような顔をする総司にくすっと笑い、伊東は総司の手に書物を渡してくれた。それから、小首をかしげる。
「きみにしては、随分な量ですね。買ってきたのですか」
「いえ、平助に押しつけられて……貸してやるからと云われたのです」
「成程。でも、これは」
伊東は小首をかしげ、一冊の書物を総司の手から取り上げた。ぱらぱらと捲りながら、静かな声で話す。
「少し異端な思想ですね。面白い事は確かですが、きみのように素直な若者には辛いかもしれません」
「辛い、ですか?」
「読んでいて、辛いという事ですよ。人は、自分の思考の流れとあまりにも違うものを目にすると、苦痛を覚えますからね」
「つまり、自分が望んでない事を……という話ですか」
「そうです」
頷いた伊東は、総司の手に書物を返しながら、苦笑した。
「この私も同じくです。己が望まぬ事を目の前に突きつけられると、やはり辛い。動揺します」
「……」
「だから……」
声が低められた。
「私はきみに何も聞かない。最近、何故、私と言葉を交わす事さえ拒むのか、避けているのか、聞こうと思わないのです」
はっとして、総司は顔をあげた。それを鳶色の瞳で見つめながら、伊東は言葉をつづけた。
「聞けば、その理由を知る事になる。おそらく、それは土方君との関係になるのでしょう。……いや、私はきみと土方君の関係を薄々は察していますが、きみの口から聞きたいとは思わない」
伊東は微かに笑った。
「案外、臆病なものですね、私も。それとも、恋をすると誰でもそうなのかな」
「伊東先生……」
「さぁ、自室へ戻りなさい。そろそろ風が出てきました」
そっと肩を押すようにされ、総司は歩き出した。だが、考え事をしていた為か、書物の幾冊かを取りこぼしかける。
「あ」
慌ててそれを留めようと身を乗り出したとたん、ずきりと足首が痛んだ。無理な姿勢で手をのばしたため、足を捻ってしまったのだ。
「総司!」
驚き、伊東が傍らに跪いた。総司は蹲り、顔をしかめている。
「大丈夫ですか」
「……大丈夫、です。少し捻っただけなので」
「しかし」
「すみません、みっともない処をお見せして」
「そんな事を云っている場合ではないでしょう。一人で歩けるのですか」
「は、はい」
総司は頷き、何とか立ち上がろうとした。だが、捻ったばかりのため痛みが酷く、きつく唇を噛んでしまう。
その様子を見ていた伊東が嘆息した。
「この場合、意地を張るのは為になりませんよ」
「え……?」
伊東の言葉を訝しく思った瞬間、ふわりと抱きあげられていた。総司の躯を、伊東が両腕に抱きあげたのだ。
総司は驚き、慌てて身を捩った。
「お、下ろして下さい! 伊東先生」
「ほら、暴れないで。自室まで運ぶだけですから」
「でも……っ」
「一人で歩けないのだから、当然のことでしょう」
肩を貸してくれるだけでいいと思ったが、それでは伊東により負担をかけてしまうだろう。伊東にすれば、小柄な総司など軽いものだ。抱いて運んだ方が余程早いとばかりに、廊下を歩いてゆく。
幸い、隊士の誰とも行き会わなかった。その事に安堵した総司は力を抜き、伊東の腕に身をまかせた。
伊東は剣客らしく鍛え抜かれた躯をもっていた。総司を抱く腕も力強く、逞しい。
土方以外の男に抱きあげられるなど、初めてのことだった。
だが、不思議と、嫌だとは思わなかった。もともと好意をもっているからなのか、それとも、あの夢ゆえなのか、総司にもわからなかったのだが……。
「!」
不意に、びくりと目を見開いた。
自室の前に、男が立っているのだ。それも、この状況下では、一番まずい相手だった。
「……土方…さん」
伊東の腕に抱かれたまま、小さな声で呼んだ総司を、土方は鋭い瞳で見据えた。形のよい眉は顰められ、切れの長い目の眦もつりあがっている。
かなり怒っている事は明らかで、思わず身を竦めてしまった。
「あ、あの……土方さん」
懸命に弁解しようとしたが、怖くて混乱してしまい、何を云っていいのかわからなくなる。
張りつめた空気を破ったのは、伊東だった。
「沖田君は足首を捻ってしまったのですよ」
穏やかだが、何かを孕んだ声音だった。それに、土方が低い声で問い返す。
「捻った?」
「えぇ。先程、廊下で行き会った時に。そのため、私が運んできたのですが……」
ここからはどうすると問いかけるように言葉を切った伊東に、土方はきっと唇を引き結んだ。
そのまま歩み寄ると、奪いとるように総司の躯を抱きあげた。小柄な躯を胸もとに引き寄せ、伊東を冷ややかな目で見据える。
「伊東先生には面倒をおかけしました」
「……」
「しかし、もう結構です。ここでお引き取り下さい」
「……では」
伊東は目礼し、踵を返した。ゆっくりと歩み去ってゆく。
それに、総司が慌てて声をかけた。
「あ、あの、伊東先生!」
ふり返った彼に、どうしてもと云った。
「ご面倒をおかけして、すみませんでした」
「いや」
伊東はゆるく首をふり、微笑んだ。
「お大事に」
そう云ってから、今度こそ背を向けた。一瞬、土方と視線があったようだが、伊東の表情は変わらなかった。
穏やかでありながら、どこか挑戦的な表情。
それを忌々しく思いながら、土方は腕の中の恋人を見下ろした。総司は大きな瞳で、怯えたように彼を見上げている。
「……土方さん」
桜色の唇が、掠れた声で懇願した。
「ごめんなさい。怒らないで……」
「怒っちゃいねぇよ」
吐き捨てるように答えた土方に、尚のこと怯え、総司はびくんと肩を竦めた。これ以上、火に油を注ぐことを恐れたのか、黙ったまま俯いている。
土方は、自分の腕の中にある小柄な躯に、たまらない愛おしさを感じながら、一方で、その白い躯を蹂躙し貪りつくしたいという熱い衝動を覚えた。
獰猛な獣のような衝動だ。
それを、土方は一瞬瞼を閉じることでやり過し、部屋の中へ入った。畳の上に総司を坐らせてから、障子を閉める。
固くたてられた障子に、総司が喘ぐのが聞こえた。以前の事を思いだし、怖がっているのだろう。
それに苛だちを覚えつつも、二の舞だけはすまいと己に云い聞かせた。
やっと手に入れたのだ。
愛することが出来たのだ。
この愛しい恋人を、こんな事で失いたくない。
土方は総司の傍に跪くと、低い声で訊ねた。
「怪我の具合は?」
「……少し、捻っただけです」
土方の落ち着いた声音にほっとしたのか、総司が素直に答えた。
「冷やせば直ると思いますから」
「なら、冷やそう。少し待っていろ」
自ら水で冷やした手拭いと、湿布を手に戻ってきた土方は、丁寧に手当をしてくれた。何度か手拭いで冷やしてから、湿布で足首を包み、晒しを巻いてくれる。
総司は、土方の優しさに、胸の奥が熱くなるのを覚えた。怒られるのではないかと、怖がったことが申し訳なくなる。
「ありがとう、土方さん」
小さな声で礼を云った総司に、土方はゆるく首をふった。その細い躯をそっと抱き寄せながら、静かに云い聞かせる。
「あまり……驚かせるな」
「……ごめんなさい」
「不可抗力だったのはわかるが、それでも、俺が面白くないと思うのは、当然のことだ」
存在を確かめるように、恋人の躯を掌でゆっくりと撫でた。
「他の誰にもふれさせたくないのに、よりによって……伊東とはな」
吐き捨てるような口調に、総司はおそるおそる顔をあげた。
土方は、酷く冷たい目で総司を見下ろしていた。刺すような鋭いまなざしだ。
「あ……」
やはり怒っているのかと、思わず身じろいだ。彼の膝上から降りようとする。
だが、それを男の手が柔らかく引き戻した。きつく抱きしめられる。
「土方…さん……っ」
懇願するように呼ぶと、耳もとで、土方が深くため息をついた。
「怒っちゃいねぇよ」
「でも……っ」
「おまえに怒っているんじゃねぇ。俺が怒っているのは……定めにだ。どうにもならない定めに、苛立ちを覚えている。苦しくなっている、辛くて……たまらなくなる」
「……」
総司は驚き、土方を見上げた。それに、土方は小さく苦笑してみせた。
「駄目だな、俺は。おまえを怖がらせ、不安にばかりさせている」
「そんな……」
「だが、それでも、俺はおまえを手放せない。愛している、おまえだけは絶対に手放さない……」
まるで自分に云い聞かせるような口調に、総司は不安を覚えた。
男の膝上で躯の向きをかえると、男の背に両手をまわした。ぎゅっとしがみつく。
小さな声で囁いた。
「……放さないで」
「総司」
「私を、ずっと放さないで。あなたの傍に置いて」
「……」
きつく抱きしめられた。
息もとまるほど抱きしめられ、やがて、深く唇を重ねられる。
男の腕の中、総司は目を閉じた。まるで貪るように濃厚な口づけに、何もかもがとけてゆく。不安も恐れも何もかも。
だが、それでも、小さな棘が胸奥にあるのは確かだった。
彼を愛しているがゆえの、小さな小さな棘が……。
いよいよ次で、土方さんの抱える秘密が明かされます。お褥シーンがありますので、苦手な方は避けてやって下さいませね。
