朝の光が柔らかく射し込んでいた。
 障子ごしの白っぽい光が、部屋の中を甘く満たしている。
 それを夢心地に感じながら、総司は小さく寝返りを打とうとした。とたん、ずきりとした痛みが走り、思わず息を呑む。
「……っ…ッ」
「総司……!」
 鋭い声がかけられ、誰かが傍に跪く気配があった。
 目を開けば、きれいで端正な顔が総司を覗き込んでいた。形のよい眉が顰められ、黒い瞳は総司だけを見つめている。
 まだ整えられていない黒髪が額にかかっている様が、男の色気をたまらなく感じさせた。
「総司、大丈夫か」
 そっと腰を撫でてくれる手に、総司は黙ったまま布団に顔をうずめた。少しずつ昨夜の記憶が戻ってくる。


 昨夜、ようやく彼のものになれたのだ。
 契りを交わせたのだ。
 それは自分も望んだ事だし、良かったのだが……でも、でも……


「……全然、大丈夫じゃありません」
 布団に顔をうずめたまま、拗ねたように答えた総司に、「え?」と土方は目を見開いた。
 それに、がばっと顔をあげ、一気に叫ぶ。
「全然大丈夫じゃないって云ったの! あんなめちゃくちゃするんだもの、大丈夫のはずないでしょうっ?」
「……あぁ」
 一瞬、驚いた顔をした土方だったが、すぐ、ぱっと笑顔になった。隠しても隠しきれない嬉しさにあふれている。
「昨夜は、夢中で抱いてしまったからな。手加減しようと思ったんだが、おまえがあまりに可愛くて箍が外れてしまった」
「外れすぎ! というか、そういうこと平気で云わないで下さいっ。土方さんには、遠慮とか羞恥心というものがないのっ?」
 総司は怒って叫んでしまったが、土方は怒りもせず、その様を楽しそうに見ているだけだ。
 可愛くて可愛くてたまらないと、目を細める様にあらわれている。
 とうとう拗ねて背を向けてしまった総司を、土方はそっと後ろから抱きすくめた。髪や耳朶に口づけながら、囁きかける。
「すげぇ可愛い……」
「……」
「可愛くて仕方ねぇよ。まだ信じられないんだ。おまえが俺のものになったなんて」
「私は……」
 総司はまだ拗ねたまま、云った。
「痛いから、とってもよく実感できます」
「そんなに痛むのか?」
 たちまち心配そうな声音になった土方に、総司は胸奥が痛んだ。
 そっとふり返ってみれば、土方が気づかわしげに総司を見つめている。その黒い瞳は、総司への愛しさと気づかいにあふれ、そして、どこか罪悪感を覚えているようだった。
 そんな土方に、いつまでも拗ねているなど出来るはずもなかった。
「……大丈夫」
 総司は躯の向きをかえ、土方のさしのべた手に、そっと頬をすり寄せた。仔猫が甘えるようにすり寄せ、目を閉じる。
「大丈夫です……もう平気だから」
「総司」
 土方は柔らかく総司の頬を撫で、身をかがめた。じっと見つめながら、優しい声で囁いてくれる。
「今日は、大人しくしていろ。休んでいていいから、無理だけはするな」
「え、でも……」
「仕事は俺が片付けておく。朝飯は……どうする?」
「あまり食欲がないので、遠慮します。今は眠りたいので……」
「じゃあ、昼飯の時に起すよ。俺が部屋に運んでやるから、おまえは大人しく寝ていろ」
「そ、そんなの駄目です!」
 総司はびっくりして、思わず叫んでしまった。
 副長である土方に食事を運ばせるなど、そんな事をしたら、皆にどう思われるか
「土方さんに、そんな事をさせるなんて……私がとりに行きます」
「なら、仲居に運ばせるさだが、食事は一緒にとろう」
「土方さん、わざわざ宿へ戻ってくるの、大変でしょう? 私は一人でも……」
「俺は、少しでもおまえと一緒にいたんだよ」
 悪戯っぽく笑ってみせた土方に、総司は頬を赤らめてしまった。
 濡れたような黒い瞳が綺麗で、どきどきする。
 今更だが、この人に抱かれたのだと思うと、恥ずかしさが込みあげてつい俯いてしまった。
 それを土方も察してくれたのか、ぽんぽんと布団ごしにかるく叩くと、立ち上がった。手早く身支度を調え、「いい子にしていろよ」と囁きざま、部屋を出ていった。
 総司は布団に顔をうずめながら、小さくため息をついた。
 恋人になってから、とことん甘く優しくなった彼だが、今朝は、本当に、くすぐったいぐらいの甘さだった。
 普段、冷徹な副長として振る舞っている土方から考えれば、信じられぬほど甘ったるい雰囲気に、頬が火照り、今も胸がどきどきしている。
 やはり、それは、二人が契りを交わしたからなのだろう。身も心も繋がったことで、本当の恋人になれたのだ。
 むろん、それは総司も嬉しかったし、幸せな心地だったが、気恥ずかしい事も確かだ。
 今朝も、結局、まともに土方の顔を見ることができなかった。
「昼ご飯の時は、ちゃんと見られるかな……」
 何だか無理そうと思いつつ、総司は目を閉じた。あっという間に、睡魔がおそってくる。
 華奢で病身の総司に、昨夜の行為は、やはり酷すぎたのだろう。躯がひどく疲れていた。
 やがて、深い眠りが、総司を柔らかく包み込んだ。












『土方さんには関係ない事でしょう?』
 静かな声で、云った。
 それに、土方は僅かに目を細めた。端正な顔が少し強ばっている。
『関係ない、だと?』
 低い声だった。暗い怒りが押し殺されている。
『俺には何の関係もないと?』
『だって、私と伊東先生のことですよ? 私が誰の念者になろうと……』
『そんな事、許すか……!』
 土方が鋭い口調で云い、総司の肩を掴んだ。引き寄せ、大きな瞳を見つめる。
『伊東の念者になど、絶対に許さない』
『それは、土方さんと伊東先生が対立しているから? でも、人の気持ちは強制できないものでしょう?』
『おまえは、俺を裏切るのか。伊東の元へ行くのか』
『私は今も土方さんを尊敬しています! 兄として大切に思っています。でも……それと恋は別なの』
『……』
 土方はきつく唇を噛みしめた。ゆっくりと手を離す。
 それを感じながら、総司は彼を見つめた。切ない気持ちがこみあげる。
『どうして……今になってなの。今更、どうして?』
『総司』
『あなたと私の道は、もう……離れてしまったの。私の心は、あなたの元にないのです』
 そう云った総司は、土方にむかって静かに頭を下げた。
『あなたが弟として私を大切にしてくれた事は、感謝しています。でも、伊東先生を私は愛している。愛してしまったのです。だから……』
『……』
『ごめんなさい』
 掠れた声でそう云うと、総司はゆっくりと背を向けた。落ち着いた足取りで歩いてゆく。
 背後で、彼がどんな表情でいるか、わからなかった。ふり返ることが出来なかった。
 傷つけたことも、今まで兄弟のように育ってきた関係も培った信頼も何もかも裏切ったのだと、よくわかっていた。
 だが、それでも、報われない恋に泣くのは、もういやだった。切ない恋に泣いていた総司を、あたたかく抱きしめてくれたのは、伊東なのだ。
 総司は両手を握りしめると、凜と背をのばし歩き出していった……。












「……総司……総司?」
 柔らかく肩を揺さぶられた。
 その事と、優しく低い声に、水の上にうかびあがるように目が覚めた。
 見上げれば、朝と同じように土方が総司を見下ろしていた。総司が目覚めた事に気づくと、ほっとしたように息をついた。
「良かった、いつまでたっても起きねぇから、心配しちまったよ」
「……」
「総司? どうしたんだ」
 いつまでも黙り込んでいる総司に、土方は眉を顰めた。訝しく思ったのだろう、手をのばし、額にふれてくる。
 とたん、総司はそれを鋭く払いのけてしまった。
「や……!」
「──」
 土方の目が大きく見開かれる。
 だが、より驚いたのは、総司の方だった。
 自分の行動が信じられない。
 いったい、何故なのか。
 どうして、彼にふれられるのが怖いのか。


(夢のせい? あの夢のせいで私は……)


 夢の中で、総司は伊東の念者だった。
 土方への片恋に泣き、諦め、そして、飛び込んだのが伊東の腕の中だったのだ。
 それを、土方は、隊内の争い故に止めようとした。
 愛しているからではない。彼は、兄代りとしての気持ちしか、もっていないのだ……。
 そんな彼に、優しくなどされたくなかった。ふれられたくなかった。
 あの夢の中でも、今にもこぼれてしまいそうだった。
 気持ちが、想いが。


 心がないなんて、嘘。
 愛してる、愛してる、愛してる。
 土方さん……あなただけを。





「……ごめん…なさい」
 総司は布団の上に起き直り、謝った。
 それに、びくりと土方の手が震えた。のろのろと膝上に戻し、ぐっと拳を固める。
 押し黙ったまま、視線を落とした。
 重苦しい沈黙が流れた。それに堪えきれず、総司は膝を進めた。
「あの、本当に……ごめんなさい」
 小さな声で、総司はつづけた。
「土方さん、あのね、私……」
「……やはり、駄目だと云うのか」
「え?」
 男の低い声に、総司は驚いた。
 それに、土方がゆっくりと顔をあげた。暗い光を宿した瞳が総司を見つめる。
「俺に抱かれた事を後悔しているのか」
「何を云って……」
「こんな俺みたいな男と、一緒になるのが嫌だと……」
「土方さん!」
 思わず叫んでしまった。
 手をのばし、土方の膝に縋りついた。そのまま激しい勢いで云いつのった。
「いったい何を云っているの? 後悔なんかするはずないでしょう? 私は、あなたが好きなの。愛してるの」
「なら、何故、謝るんだ。別れたいからじゃねぇのか」
「別れたいなんて、そんなのあるはずない!」
 総司は大きく首をふった。それから、はっとしたように土方を見上げた。
「もしかして、別れたいのは……あなたの方なの?」
「総司」
「私なんか抱いて、やっぱり気持ちよくなかったから……だから……っ」
 声が震え、大きな瞳に涙があふれた。そのまま布団に突っ伏すと、嗚咽をあげて泣きじゃくり出す。
 それに、土方は慌てて傍に寄った。小柄な躯を両腕でぎゅっと抱きしめる。
「別れたいなんて、あるはずねぇだろう? 昨日だって、すげぇ気持ち良かったよ。あんなに気持ちよかったのは初めてだ。だから……手加減できなくて、おまえを寝込ませてしまったんだろうが」
「でも……だって……」
「俺の方こそ、おまえが嫌だったんじゃないかと思ったんだ。乱暴にしないと云ったのに、いざおまえを抱いたら夢中になっちまったし」
「そんなの……お互いさまだもの」
 総司は頬を染め、小さな声で云った。きゅっと土方の着物を細い指で掴む。
「私だって、もっとって……云ったし……」
「そうだよな。すげぇ可愛かった」
 嬉しそうに笑う土方に、総司はますます頬を染めた。男の広い胸もとにもぐりこむ。
 それを抱きしめながら、土方は「ごめんな」と低い声で囁いた。何度も髪を掌で撫でてやる。
「誤解して……勝手に怒ってすまない」
「いいのです。私も、おかしな事しちゃったし……あのね、ごめんなさいと云ったのは、土方さんの手を払いのけた事を謝りたかったのです。それから、あんな事をしたのは、嫌だとかじゃなくて、夢を……見たから」
「夢?」
 訝しげに眉を顰める土方に、総司はこくりと頷いた。
 だが、夢の内容まで告げる気はない。そんな事を云えば、土方がまた動揺するのは目に見えていた。
 これ以上、彼を傷つけたくない。
「あのね、土方さんと喧嘩する夢なの」
 嘘は云っていない。
「それで、目が覚めてからも、まだ怒ったままで……だから、つい。ごめんなさい」
「夢の中で喧嘩とは」
 土方はくすっと笑った。
「しかも、それが原因で現でも喧嘩しちまっているんだ。傍から見りゃ、笑い話だろうな」
「本当にごめんなさい」
「いや、総司が謝る事じゃねぇよ。俺がいちいち気にしすぎなんだな、すまない」
 真摯に謝ってくれる土方に、ずきりと胸奥が痛んだ。彼のためとはいえ、何だか騙しているようで気が咎める。


 それに、あんな夢を見たのは、自分の彼への想いが浅い故ではないだろうかと、罪悪感を覚えてしまった。
 だい好きで、愛しているのに、なのに……どうして、あんな夢を見てしまったのだろう。
 この人以外を愛せるはずもないのに。
 それも、伊東先生だなんて、何故?
 確かに、伊東先生は優しくて穏やかで、好きにならずにはいられない。
 だが、それはあくまで年長の友人としてだ。念兄弟の契りを結ぶなど、考えたこともなかった。
 何よりも、私には土方さんという愛しい恋人がいるのだから……。


「……総司」
 低い声で呼ばれ、はっと我に返った。
 慌てて顔をあげれば、土方が鋭い瞳で総司を見下ろしていた。どこか探るようなまなざしだ。
「何を考えていた」
「え……?」
「夢のことでも考えていたのか。それとも」
「土方さん……?」
 不安げにその名を呼ぶと、土方は総司の躯を引き寄せた。胸もとに引き込み、ぎゅっと抱きしめる。
 まるで、誰かに奪われるのを恐れるような、縋るような抱きしめ方だった。頬を寄せれば、彼の鼓動が聞こえる。
 それが酷く早いことに、総司は驚きつつ、切なくなった。


 好きなのに、愛しているのに。
 私たちは、心から互いを信じることが出来ないでいるのだ。
 裏切りを恐れているような、土方さんの態度。
 疑惑を消し去れない私。
 私たち、本当にうまくやっていけるの……?
 
 
「土方さん、愛してる」
 そう小さな声で云った総司に、土方は何も答えなかった。ただ黙ったまま、抱きしめる腕に力をこめる。
 誰よりも一番近くに彼の存在を感じているのに、なのに、心はどんどん離れていってしまう気がして、総司はきつく目を閉じたのだった。












 京に戻ってからも、ぎこちなさはとれなかった。
 土方は新撰組副長としては冷徹で厳しいが、総司に対しては、優しく甘い恋人だった。
 だが、伊東の事は別だ。総司が少し伊東と話をするだけでも、ひどく不機嫌になってしまう。
 一方、総司も、土方の言動に、不安を覚えていた。
 何か隠し事をしているのは明らかなのだ。一人ですべてを抱え込み、苦しんでいる。
 それが隊の事でないのは確かだった。
 副長としての土方は、むろん、傷つき苦しむこともあるだろうが、いつも凜と背筋をのばし、決してふり返ることのない男だ。いつまでも思い悩んだりするような、彼ではない。
 それ故、土方が今抱えているのは、個人的な苦しみだった。時折、縋るように総司を抱きしめてくるのが、その証だ。
 そんな時の彼は、まるで泣いているように思えた。
 声にならぬ慟哭だった。
 総司の不安は、次第に募っていった。
 恋人なのにわかってあげられない、心に寄りそってあげられない自分が歯がゆかった。
 そんな中、あの事件が起った……。

















 

次は、土方さんVS伊東先生で、総司の奪い合いです。三角関係展開。