「総司」
 土方は総司がいる処まで戻ってくると、両腕を組んだ。その姿勢でかるく身をかがめ、総司を覗き込む。
「おまえはさ、どこだと思っているんだ?」
「……」
 総司の目がちょっと潤んだ。桜色の唇が尖り、拗ねたような表情で男を見上げる。
 それがまた愛らしく色っぽく、その表情はやばいからやめろよと内心苦笑しつつ、土方は問いを重ねた。
「俺がおまえを連れていこうとしているのは、どこだと思う?」
「……っ」
 ぷいっと総司が顔を背けてしまった。子どものように頬をふくらまし、地面を見つめている。
 それに、土方はたまらず喉奥で笑ってしまった。拗ねきった表情で俯いている可愛い恋人を、胸もとに引き寄せる。
 ぎゅっと抱きしめると、小柄な躯が微かに震えた。
「すまん」
「……」
「少しからかいすぎたな。おまえがあんまり可愛くて、久しぶりで……俺もつい浮かれてしまった」
「土方さんが?」
 驚いたように問いかける総司に、土方は苦笑した。
「おかしいか? 俺が浮かれるなんざ。けど、俺も男だ。久しぶりにおまえと二人きりになれたんだ、浮かれもするさ」
「土方さん……」
「意地悪して悪かったな。とにかく、行こう。あと少しだ」
「……」
「そうだ。おまえが思ったとおり、休息所だよ」
 土方は優しく微笑みかけた。そっと細い肩を引き寄せる。
「と云っても、小さな家だ。たいした事ねぇから、あまり期待はするなよ」
「だけど、そんな……お金かかったでしょう?」
「遊女を落籍したんじゃねぇんだ。そんなにかかるものか」
 そう云ってから、土方は悪戯っぽく笑った。周囲に人気がないのを確かめてから、ちゅっと音をたてて頬に口づけを落としてやる。
「遊女なんざより、おまえの方がずっといいけどな」
「土方さんったら……」
 嬉しさに頬を染める総司を抱きよせながら、土方は歩き出した。休息所は、言葉どおり、すぐそこだった。
 小さいが、落ち着いた佇まいの家だった。二間に土間、小さな庭もあり、どれも小綺麗に整えられてある。
 畳も入れ替え、手直しされたらしく木の香りが清々しかった。
 庭の裏側が竹林に面していて、さわさわと風がわたってゆく音が心地よい。
「気持ちいい……」
 思わず目を閉じた総司を、土方は後ろからそっと抱きしめた。
「気にいったか?」
「えぇ。とても寛げます」
「それは良かった」
 土方は嬉しそうな笑顔になった。
「たった二日だけだが……おまえと一緒にここで過そう。恋人らしく、二人きりでおまえと過したいんだ」
 男の言葉に、総司は頬を赤らめた。土方の腕の中、恥ずかしそうにしつつ、こくりと頷く。
 それが可愛くてたまらず、土方は、白い項や頬に何度も唇を押しあててしまった。そのたびに、総司がくすぐったそうに、鈴のような笑い声をたてる。
「やっ……だめ、土方さんってば」
「いいだろ? 久しぶりのおまえだ。早く全部感じたい」
「だって、だめ」
 総司は身軽に彼の腕から逃れると、大きな瞳で見上げた。そっと細い指さきが彼の頬にのばされる。
「土方さん、朝ご飯たべてないのでしょう? それに、二日も一緒にいられるのだもの。急ぐことはないじゃない」
「余裕だな」
 苦笑まじりの言葉に、総司はゆるく首をふった。土方の手をとり、自分の胸もとへあてさせる。
 目を見開いた土方に、小さく微笑んでみせた。
「ほら、ね。全然、余裕じゃない。それどころか、びっくりして嬉しくて……どうにかなってしまいそう」
「総司」
「だい好き、土方さん」
 総司は爪先立ちになり、そっとふれるだけの口づけをした。そのまま抱きしめてくれる男の背に手をまわし、ぎゅっとしがみつく。
「ずっと……逢いたかった。あなたに逢いたかった」
「俺もだ、総司」
 土方は目を伏せ、掠れた声で囁いた。
「俺も……おまえに逢いたかった」
「土方さん……」
「愛してる、総司……おまえだけを愛してる」
 花びらを降らすような、柔らかな口づけが降らされた。抱きしめられ、甘い優しい口づけを受ける。
 冬空の下、竹林をわたる風の音が静かに鳴った。
 それを聞きながら、二人は睦言をかわし、何度も唇を重ねあう。


(土方さん……)


 抱きしめる男の腕の中で、総司は確かに幸せだった……。












 昼ご飯の後、土方は総司を外へ連れ出した。
 近くを散策しようと、竹林の中を二人よりそい、歩いたのだ。
 時折、人とすれ違ったりしたが、それでも、土方はその手を離さなかった。指をからめ、しっかり握りしめている彼に、総司は頬を染めた。
「土方さん、私、子どもじゃないんですけど」
「子ども?」
 不思議そうにふり返った土方に、頷いた。
「そうです。こんなに強く手を繋いで、まるで子ども扱いみたい」
「子ども扱いなんざしてねぇよ」
 土方はくすっと笑った。身をかがめ、耳もとに低い声で囁きかける。
「おまえはもう大人さ。俺の可愛い恋人だ」
「土方さん……」
「それに、子どもでは……あんなこと出来やしねぇだろ?」
 悪戯っぽく笑いかける男に、総司は耳まで真っ赤になった。恥ずかしそうに俯いてしまう恋人を、土方は愛しくてたまらぬという表情で見つめた。


 ようやく手にいれた、大切な恋人。
 何をしても、何を喋っても、可愛いと思ってしまう。
 総司がする事ならどんな事でも許せると思ってしまうあたり、相当溺れ込んでいるなと己を自嘲した。
 今までの女相手の遊びなら、考えられぬことだ。だが、それも、この誰よりも愛しい小柄な若者のためなら、仕方がなかった。
 土方にとって、総司は特別なのだ。
 他の誰とも代え難い、唯一人の恋人なのだ。


「愛してるよ」
 そう囁き、抱き寄せた土方に、総司は黙ったまま凭れかかった。彼の胸もとへ従順に凭れかかり、目を伏せている。
 桜色の唇から、小さな呟きがもれた。
「ずっと……こうしていられたらいいのに」
 だが、すぐに、総司は我に返ったようだった。はっと息を呑み、慌てて彼を見上げる。
「ご、ごめんなさい。勝手な事を云いました」
「謝る事はねぇよ。だが」
 土方は肩をすくめた。
「おまえの願いは全部叶えてやりたいが、そうも出来ないのが現状だな。休みも二日がぎりぎりで……本当にすまん」
「そんな……ごめんなさい」
 総司は土方の腕の中で、俯き、謝った。
「我儘を云いました。あなたを困らせてごめんなさい」
「総司、謝るなって」
 土方は両手をのばし、それで総司の頬を包み込んだ。ひんやり冷たい肌の感触が、愛しさを募らせる。
 不安そうに彼を見上げてくる大きな瞳も、土方の中にある庇護心をたまらなくかきたてた。
「俺は困ってなんざいねぇし、それに、そんなの我儘じゃねぇよ。おまえは素直に心を明かしてくれただけだ。だいたい」
 土方は総司を見つめながら、くすっと笑った。
「我儘なのは、俺の方だ。平気そうなふりをしながら、その実、ずっとこうしていたい。一日どころか、三日でも一月でも……一年でも、おまえをここに閉じこめたいと願っている」
「土方さん……」
 驚いて顔をあげた総司を、黒い瞳が見下ろした。男の情念を帯びた熱っぽい目に、どきりとする。
 しなやかな指さきが、総司の頬をそっと撫でた。
「俺が鬼ならば、おまえを喰らっているだろうな」
「お…に?」
「この東山に伝わる話だ。恋人を愛するあまり狂い、鬼と化し、最後には愛する娘をも喰らってしまった男の話だ」
「……」
 目を見開いた総司に、土方はくすっと笑った。
「そんな怖がるな。俺は鬼にはならねぇよ」
「……」
「可愛い総司、おまえが誰よりも大切だ」
 そう優しい声で囁きかけてやると、ようやく、総司は安堵したようだった。ほっと息をつき、男の胸もとに凭れかかってくる。
 それを抱きしめながら、目を伏せた。


(俺が鬼ならば……喰らうだろうか)


 愛して、愛して、愛しぬいて、気も狂い、身も心も一つにとけあわせた挙げ句、何もかも喰らってしまう。
 鬼となり、狂い、恋人を喰らった男。
 その存在が、今の土方にはひどく身近に思えた。
 否、羨ましいのか。
 逃れえぬ別れ、死。その日が訪れるのを恐れつつ、そのくせ、涼しい顔で普段どおりの日々を淡々と過している。その己の欺瞞さに、吐き気がした。
 いっそ狂ってしまいたい程追いつめられているくせに、己の心情を露にする事は男としての矜持が許さない。
 総司は、土方が達観したと思っているようだったが、それは違った。
 やはり、彼も人間だ。
 あれ以降も、苦しみ悩みつづけていたのだ。
 狂い、鬼と化すことができたなら、どれ程幸せだったことか。
 それを決して許さぬ己の矜持が腹ただしい。
 いっそ、鬼のごとく狂気へ身を沈めることができたなら、どれ程……


「土方、さん?」
 彼の中にある昏い情念を感じたのか、総司が怯えたように身じろいだ。見下ろせば、また不安げな表情で見上げている。
 それに、土方は微笑みかけた。
「どうした」
「……」
「何て顔をしている。そんなに、俺が信じられないのか」
 からかうように云った土方に、総司はゆるく首をふった。
 その細い躯を抱きしめ、そっと柔らかな髪を撫でた。白い額に、口づけを落とす。
 不安げに見上げる総司に、微笑んでみせた。
「俺は、何がどうなっても……結局、俺なんだ。鬼になる事はできない。矜持が許さない」
 そう云ってから、ふと目を伏せた。ほろ苦い笑みが、形のよい唇にうかべられる。
「鬼になれたら幸せだと、そう……思う事もあるがな」
「土方さん」
「……戯れ言だ」
 低い声で呟いた土方に、総司はより身を寄せた。
 竹林に、人気はなかった。だが、そんな事も意識していなかった。今、総司の世界には、昏い目をしている最愛の男しか、存在しない。
「愛しています」
「総司」
「あなただけを、いつまでも。土方さん、あなたがどんなに変わっても、例え、鬼となっても……いつまでも愛しつづけます」
「……」
 土方は、一瞬、固く瞼を閉ざした。そして、唸るように低く喉を鳴らすと、総司の背に手をまわし、乱暴に引き寄せる。
 息もとまるほど強く抱きしめられ、総司は思わず目を見開いた。だが、すぐに躯の力を抜き、従順に抱かれる。
 二人を包みこむように、竹林の音がさわさわと鳴った。冬の夕闇がゆっくりと落ちてくる。
 まるで、少しずつ近づいてくる定めのように。
 それを痛いほど感じながら、総司は土方の胸もとに、きつくしがみついた。












「お待たせしました」
 総司は襷を外しながら、云った。
 一生懸命働いたので、なめらかな頬が薔薇色に上気している。それが愛らしく、初々しかった。
 まるで、可愛い新妻のようだ。
 否、そのものだった。今まで、総司は土方のために夕餉の支度をしていたのだ。
 総司は土方の傍に坐りつつ、不安げに彼を見上げた。
「久しぶりなので、あまり自信がなくて……」
「おまえが作ってくれたものなら、何でもうまいさ」
 土方は優しく笑いかけ、総司の頬にかるく口づけを落とした。それから、二人して頂きますと手をあわせ、箸をとる。
 膳の上に並べられた食事は、どれも散策の途中に買い求めたものだった。京野菜の煮物や、焼き魚、味噌汁などが並んでいる。
 口に含むと、総司らしい懐かしく優しい味がした。
「あぁ、うまい」
 そう云った土方に、総司は、ほっとして頬を綻ばせた。
「よかった。京野菜なんて初めてだったし……」
「江戸の頃によく食べさせて貰った、おまえの味だよ。懐かしくてやさしい味がする」
 土方は目を細めた。
「おまえそのものだな」
「そんな……」
「ほら、おまえも食べろ。さめちまうぞ」
「はい」
 総司は素直に頷き、料理を口にはこんだ。自分でもおいしいと満足したのか、安堵したように笑う。
 その様が可愛らしく、土方は思わず微笑んでしまった。それに気づいた総司が、拗ねたように唇を尖らせるのも、また愛らしい。
「本当に、おまえは可愛いな」
 心からそう云った土方に、総司は黙ったまま俯いた。長い睫毛を伏せ、箸を口にはこんでいる。
 だが、その頬は桜色で、耳朶まで真っ赤だった。恥ずかしがっているのだ。
「すげぇ可愛い」
 くっくっと喉奥で笑うと、総司は拗ねたように彼を見た。手をのばし、細い指さきできゅっと土方の腕をつねる。
「痛いな、おい」
「だって……」
「可愛いものを可愛いと云って、何が悪いんだ」
「恥ずかしいのです」
「馴れればいい」
 そう云った土方に、総司は唇を尖らせた。
「土方さんは……恥ずかしくないの?」
「恥ずかしいはずないだろう。それに」
 土方は総司の方へ体を傾け、耳もとに唇を寄せた。そっと囁きかけてやる。
「ここでは、俺とおまえ……二人きりだ」
「……」
 総司の瞳が潤んだ。一瞬、息をつめるようにして土方を見上げてから、こくりと頷く。
 食事の後、片付けがすむと、総司は土方のもとへ歩み寄った。だが、傍に坐ろうとしたとたん、手をひっぱられ、胡座をかいた彼の膝上に抱きあげられる。
「……あ」
 子どものように抱かれ、総司はまた顔をあからめたが、抗いはしなかった。甘えるように彼の胸もとへ頬を押しつける。
 土方は総司の頬に首筋に口づけをおとし、そっと手にとった細い指さきにも唇を押しあてた。
 桜貝のような爪の形が美しい。
 それに愛しげに口づけてから、小柄な躯を抱きあげた。傍らに敷かれた褥の上に、優しく横たえる。
 総司は長い睫毛を瞬かせ、甘えるように土方を見上げた。それを、土方は柔らかく包みこむように抱きしめた。
 腕の中で、総司が、そっと吐息をもらす。


(……愛してる……)


 やがて、蜜のような時が訪れた。
















 

いよいよ、あと2話です。次で定めが訪れます。冒頭、お褥シーンがあるので、苦手な方は避けてやって下さいませね。尚、東山のお話はオリジナルです。念のため。