春の日射しが柔らかだった。
すれ違う人々の表情も柔らかく、京の町全体もどことなく華やいでいる。
そんな町中を、総司はゆっくりと歩いていた。
最近屯所となった西本願寺から、目指す場所は少し離れた処にあった。旨い料理を出すと評判の小料理屋だ。
総司は料理屋になどあまり行かぬ方だったが、今日だけは別だった。
ある男から呼び出されたのだ。
「……何だろう、いったい」
話ならば屯所ですればいいのに、わざわざ料理屋まで呼び出す男の意図が掴めない。
総司は、不安な気持ちのまま、料理屋へ向った。
初めてくぐる暖簾を手で払うと、店の者が「おいでやす」と明るい声をかけてきた。見目形を伝えられていたのか、すぐさま小さな離れへと案内される。
小綺麗に整えられた庭が美しく、総司は思わず見惚れてしまった。
案内された離れは、華美ではないが、清楚で美しい佇まいだった。京に来てからもほとんど遊んだ事がなかった総司には、物珍しく、あちこちを見回してしまう。
だが、縁側近くに腰を下ろした男が、こちらをじっと見つめている事に気づき、ぴんと背を伸ばした。
「……土方、さん」
総司を呼び出したのは、新撰組副長土方だった。
幼い頃から兄弟のように育った間柄だ。
道場に入った十才の頃から、土方の手で育てられたと云っても過言ではなかった。
この決して子ども好きではなかった男は、総司だけは可愛がり、大切に育ててくれたのだ。久しぶりに土方が試衛館を訪れた時など、大喜びで飛びつく少年の躯を抱きあげ、あれこれと話しかけ、土産など渡してくれたものだった。
総司も彼に懐き、いつも「歳三さん、歳三さん」と彼の後をついて離れなかった。
京にのぼってから、子ども扱いはさすがになくなったが、今も大切にして貰っている。
新撰組の鬼副長として京に名を轟かせる土方だが、総司にだけは優しかった。兄として受けとめ、江戸の頃のような笑顔を見せてくれたのだ。
だが、今日の彼は違う。
直接でなく小姓を介して呼び出した事も妙だったし、今、総司を見つめる土方の表情もひどく固い。
彼の前に坐りながら、総司はここしばらくの間に自分は何かしたのかと、一生懸命頭をめぐらせた。最近、稽古をさぼった事もないし、医者の元へもきちんと行っている。叱られるような事はないはずだった。
だが、それでも、土方は厳しい表情で、総司を見つめている。
そのため、普段の二人ではありえない緊迫した空気に、総司は息がつまりそうになった。
(どうしよう……)
居心地の悪さに戸惑う総司をよそに、仲居が料理を運んできた。丁寧に並べていってくれる。
馴れた様子で「後はいい」と給仕を断る土方を見ながら、総司はますますいたたまれなくなった。
土方は総司の気持ちをほぐすため、こうしてご馳走を並べてくれたのだろうが、早く本題に入ってくれた方がよかった。これでは、おいしい料理も喉を通らない。
仲居が去ると、また沈黙が落ちた。
土方も総司も箸をとらぬまま、じっと押し黙っている。
やがて、どうにも我慢できなくなった総司が、ぱっと顔をあげた。大きな瞳で土方を見つめる。
彼が何も云う気がないのなら、さっさと食事をしてしまおうと思ったのだ。話があるのなら、そのうち、彼から云い出すに違いない。
「ご飯、頂きますね」
総司は手をのばし、箸をとりながら云った。
「食べても構わないのでしょう?」
そう訊ねた総司に、土方は虚を突かれたようだった。何か他の事を考えていたのか、え?という表情になっている。
そんな土方を珍しく思いながら、念押した。
「頂いても、いいんですよね?」
「……あ、あぁ」
喉にからんだような声だった。
それに、唇を噛んでしまう。
まるで別れ話をする男のようだと、思った。
先日も、原田に聞いたばかりだった。
女と別れ話をする時、今まで連れていった事もない贅沢な処で食事を奢り、それを償いだとばかりに別れる男がいるのだと。
それを聞いた時、酷い男がいるなぁと思ったし、土方がそんな男でない事もわかっている。そもそも自分と彼がそんな関係ではない事も、確かなのだが。
(なんか、ほんと別れ話みたい……)
ぼんやり考えながら、総司は春菊のお浸しを口に運んだ。
その時、だった。
突然、土方が座布団からすべり降りたかと思うと、そのまま畳の上に端座したのだ。そして、勢いよく頭を下げた。
「ひ、土方さん?」
目を丸くする総司の前で、土方は云った。
「おまえは驚いて不快に思うだろうが、聞くだけ聞いてくれ!」
「聞くだけって……え?」
戸惑う総司に、土方は顔をあげた。そして、云った。
「おまえが好きだ」
「……は?」
「総司、おまえが好きだ! 心底、惚れている」
「……」
驚きのあまり、手から箸が落ちた。だが、それを拾う余裕もない。
頭をかすめたのは、戯れなのかという事だった。
自分の想いも知らぬ彼が、戯れでこんな事を仕掛けたのかと。
だが、土方の表情は真剣そのものだった。きれいに整った顔は緊張のため強ばり、両手も膝上できつく握りしめられている。
熱っぽい光をおびた黒い瞳が、総司だけをまっすぐ見つめた。
「ずっと子どもの頃から、好きだった。いや、こんな事を云えば、ますます怖がられ、嫌がられるとわかっている。だが、俺は、おまえが愛しくて愛しくてたまらなかったんだ。欲しいと思っていた。おまえを忘れるため、女遊びもくり返したが、やはり思い切れなかった。いや、わかっている。おまえに受け入れられない事はわかっているが、どうしても、今ここで告げてしまいたかったんだ」
日頃の寡黙さからは信じられぬ程の勢いで一気にまくしたてた土方は、息つぎなのか、大きく息を吸った。
そこで、総司はようやく口を開いた。
「……私も、です」
「え?」
今度は、土方が戸惑う番だった。訝しげに眉を顰め、総司を見やる。
「何が」
「だから、私も……と云ったのです。私も、あなたが好きです」
「……総司」
土方は頭が痛いような表情で、こめかみをおさえた。
「俺が云っているのは、そういう兄弟や、友としての好きではなく……」
「恋という事でしょう? 土方さんは、私に恋心を抱いてくれているのでしょう? なら……私も同じです」
そう云って、真っ赤になってしまった総司に、土方は目を見開いた。呆然と眺めている。
初めは信じられぬようだった。だが、みるみるうちに、その端正な顔に喜色がのぼってくる。
「総司……!」
耳朶まで桜色に染めて俯く総司の手をとり、強く握りしめた。顔を覗きこみ、真剣な口調で訊ねる。
「今の言葉は、本当か!?」
「はい……」
「本当に、俺のことを好き……というか、惚れてくれているのか」
「ずっと昔から……恋していました」
小さな小さな声で、恥ずかしそうに答えた総司に、土方は我慢出来なくなったようだった。その細い躯を引き寄せ、ぎゅっと両腕で抱きしめる。
いきなり男の腕に抱きしめられ、総司は身を固くした。驚いて、目を瞬く。
「……っ」
昔はよく抱きあげられたり、抱きしめられたりしたものだった。彼の膝上で抱かれたまま眠ったこともある。
だが、大人になってからは、当然、そんな事も消えていた。そのため、久しぶりに感じる男のぬくもり、感触に、頬が熱くなる。
夢心地のまま、ぼーっと抱きしめられていると、不意に、土方が慌てたように躯を離した。
「す、すまない」
「え……?」
「いきなりすぎたな。驚かせてしまったか」
とても百戦錬磨の男とは思えぬ慌てぶり、躊躇う様子に、総司はたまらなく幸せな気持ちになった。
夢みたいだけど、本当に、この人は自分を愛してくれている。とてもとても大切にしてくれている。
それが、実感できたのだ。
長い片恋の相手に愛されるなんて、幸せの花びらにうずもれ、息がとまってしまいそう……。
総司は甘えるように、土方の逞しい胸もとへ身を寄せた。その肩口へ小さな頭を凭せかけ、目を閉じる。
「……だい好き」
そっと、大切な言葉を囁いた総司に、土方は小さく息を呑んだ。それから、まだ躊躇いがちに、その細い躯を引き寄せ、腕の中におさめる。
「総司、愛している」
「土方さん……私も……」
想いを確かめあった恋人たちは、世界中の誰よりも幸せだった。
恋人としての日々が始まった。
と云っても、たいして変わった訳ではない。
土方は相変わらず新撰組副長として多忙な日々をおくり、総司も一番隊組長の役目柄、忙しく立ち働いていた。醜聞沙汰になるのを恐れ、屯所では、二人は今までどおりの態度を一切崩さなかった。
だが、外では別だった。
忙しい日々の合間を縫うようにして、二人は屯所の外で待ち合わせ、逢瀬を重ねた。
それも、大抵誘うのは土方だった。総司が逢いたいなと思う頃を見計らったように、文を寄越し、場所と日時を指定してくるのだ。
そのあたりは、さすがに遊び馴れていると思った。だが、そう云った総司に対して、土方は肩をすくめた。
「さんざん遊んだのは確かだが、本気の恋とは別さ」
「本気の恋……?」
小首をかしげる総司に、土方はくすっと笑った。柔らかな髪を撫でてやりながら、耳もとに囁きかける。
「おまえの事に決まっているだろう? 総司」
「……っ」
総司は真っ赤になり、俯いた。
嬉しさと幸せと恥ずかしさがごっちゃになった気持ちで、どうしたらいいかわからなくなる。こんな時、うまい受け答えが出来ない自分がもどかしかった。
だが、そんな総司にも、土方は優しく云ってくれるのだ。
「素直で初なおまえが可愛いのさ。そのままでいてくれた方が、俺はいい」
「大人にならなくていい……という事ですか」
「仕事や他の面では大人だろう? だが、色恋沙汰に馴れきったおまえなんざ、あまり見たくねぇな」
「そんなの狡い」
総司は桜色の唇を尖らせた。
「土方さんは馴れているのに、私だけ駄目なんて狡いです」
「だから、云っている。本気の恋は別だと」
そう云った土方は、神社の石段に腰を下ろした。ちょうど木陰になり、また、人目にもつきにくい場所だ。
「おいで」
優しく誘われ、総司は土方の隣に腰かけた。すると、柔らかく肩を抱きよせられ、耳もとに口づけを落とされる。
頬に感じる彼の吐息や、唇の感触に、総司の胸の鼓動が早くなった。かぁっと頬が火照り、恥ずかしくて俯いてしまう。
「すげぇ……可愛い」
土方は微笑み、総司の躯をぎゅっと抱きしめた。可愛くて可愛くてたまらぬと、髪や頬、首筋に唇を押しあてる。
だが、唇にはふれないのだ。接吻だけはくれない。
その事に気づいた総司は、彼の顔を見上げた。大きな瞳でじっと見つめる。
「? 何だ」
小首をかしげる土方の胸もとに、総司はぎゅっとしがみついた。長い睫毛を伏せ、小さな声で訊ねる。
「あのね……どうして?」
「え?」
「どうして、く、口には……その、しない、の……?」
「……」
たどたどしい問いかけだったが、土方には通じたようだった。
耳朶まで真っ赤になってしまった総司が可愛くて、思わず喉奥で笑う。
「本当に、おまえは可愛いな」
「土方さん」
「けど、いいのか? 接吻なんざしちまったら……もう後戻りは出来ねぇぞ」
「後戻り?」
不思議そうに訊ねる総司に、土方はふと真剣な表情になった。総司の髪をそっと撫でてやりながら、その小さな顔を、切れの長い目でまっすぐ見つめる。
「こうして一緒に出かけたり、ちょっと抱きしめたりするぐらいなら、それ程深い関係ではないだろう。親しい兄弟仲って事で済まされる。だが、接吻までしたら、後はもう先へ進むだけだ」
「……」
「俺はおまえと契りを交わしたいと思っている。心でも体でも繋がりたい。だが、おまえに無理強いだけはしたくないんだ」
「……っ」
総司はきゅっと唇を噛んだ。それから、ぽつりと云った。
「無理強いなんかじゃ……ありません」
「総司」
「そんな、無理強いなんて、あり得ないのに」
総司は土方の腕の中から抜け出すと、膝上に置いた手をぎゅっと握りしめた。顔をそむけ、半ば泣きだしそうな声で云った。
「私が土方さんを好きなのも、ずっとずっと子どもの頃から憧れて、片思いしつづけて、好きで好きでたまらなかったのも、別に土方さんが無理強いしたからじゃないでしょう?」
「総司……」
「 こんな気持ち、おかしいとか、逆に知られたら嫌われるって悩んで、あなたが花街で遊ぶ姿に泣いて苦しんで……なのに、土方さんは今更、そんな事を云うのですか? 私の気持ちが、土方さんの想いより浅いと思っているの? そんなの酷すぎます」
一気に云いきった総司は、とたん、はっと我に返ったようだった。慌てて土方の方を向き直ると、頭を下げた。
「ご、ごめんなさいっ。私、なんか……勝手な事ばかり云って。土方さんは私のために云ってくれたのに」
「いや、謝るのは俺の方だ」
土方は首をふり、総司の手をそっと取りあげた。白い手の甲を撫でてやりながら、低い声で云う。
「俺は……たぶん、自信がないんだろうな。おまえに愛されているという自信がなくて、何度も確かめてしまう。これでいいのかと、聞いてしまう。だが、それでおまえが傷つくのなら、もうよそう。もっと好きだと云ってくれるおまえを、信じるよ」
「土方さん……」
「だから、おまえも俺を信じてくれ。この世の誰よりもおまえを愛している、俺の気持ちを」
「はい」
総司はこくりと頷いた。
そうして、土方を見上げると、微笑いかける。ぱっと花が咲いたような笑顔だ。
土方はそれに一瞬見惚れてから、なめらかな頬を掌でつつみこんだ。そっと仰向かせると、総司が目を見開く。
だが、すぐ素直に目を閉じた。
蕾のような桜色の唇に、そっと口づける。
「!」
一瞬だけの接吻だったが、総司の頬がぱっと紅潮した。視線があうと、羞じらいつつも微笑いかける様が愛らしい。
抱きしめれば、己の腕の中にすっぽりとおさまってしまう小柄な躯が、土方にとって何よりも愛しかった。
どんなものにも代え難い、宝物だった。
(……愛してる)
そう心の中で囁き、土方は総司を固く抱きしめた。柔らかな髪に顔をうずめ、瞼を閉じた。
眉が寄せられ、どこか苦痛に似た表情が、端正な顔をかすめる。
だが、男の胸もとに幸せそうに身をよせる総司は、まだ何も気づいていなかった……。
このお話は二人が恋人同士になった処から始まります。でも、色々と、土方さんの方に秘密がありまして……。
