……いつか
あなたと出逢う
遠く離れた私たちでも

あなたの声が聞きたい
優しい鼓動を感じたい
その腕に思いきり抱きしめられたい

私の幸せは、愛は
いつまでも
あなたの傍にだけ……






















 春の新緑が鮮やかだった。
 宗次郎は日野の山々を見上げ、少し息を吸い込んだ。
 あと少しで目的地である佐藤家の屋敷に着く。そこでは、宗次郎を弟のように可愛がってくれる歳三が、待っているはずだった。
 十四才の宗次郎は、この若さでもう師範代だった。剣の才能は天才的で、道場主の近藤にも将来を期待されている。それが宗次郎にすれば少し重荷ではあったが、それでも、剣術は好きだった。十才の夏から身を置いている試衛館も、そこにいる人々もだい好きだった。
 中でも、とくに本当に兄弟のような仲である土方歳三が、宗次郎にとって一番大切な存在だった。兄として憧れ、心から好いている。歳三もまた、この華奢で可愛らしい少年を、本当に可愛がってくれていた。
 歳三は黒髪に黒い瞳の、端麗と云ってもよい容姿をもつ男だが、決して子供好きではなかった。だが、そんな彼が、宗次郎のことだけは全く別だった。
 初めて逢った時から、優しく笑いかけ、「宗次、宗次」と可愛がってくれたのだ。どちらかと云えば、心の殻が固い宗次郎が彼を好きになったのも、無理はないことだった。もっとも、それは兄弟の域を超えるものでは決してなかったが。
「あ……!」
 不意に、宗次郎は声をあげた。
 突然、突風が吹き、宗次郎がもっていた手拭を舞い上げてしまったのだ。先日、離れて暮らす姉にもらったばかりの手拭だった。
 慌てて宗次郎はそれを追って、駆け出した。
 ふわふわと、手拭は飛んでゆく。まるで、生きているかのように。
「やだなぁ、もう……どうしよう」
 見失ってしまった宗次郎は、途方にくれた。
 きょろきょろと辺りを見回す宗次郎の大きな瞳に、手拭の白がかすめた。
 右手奥の崖っぷちの上だった。そこの小さな枝にひっかっている。
 宗次郎は小さな道を駆け上がると、それに手をのばした。届かない。仕方なく膝をつき、思いっきり手をのばした。指さきを手拭がかすめる。
 掴んだ! そう思った瞬間だった。
「あっ!」
 また風が吹き、ふわりと手拭がまた舞い上がる。宗次郎は思わず地面を蹴った。が、次にはもうその小さな体は、宙に投げ出されていた。
「ッ…きゃああああっ!」
 悲鳴をあげた。
 躯がもの凄い勢いで落ちてゆく。
 宙で思わず躯を丸め、きつく目を閉じた。
 全身を襲う激しい衝撃。
 痛み、音、自分があげた悲鳴。
 突然、ざぁ──っと、雨の音が鳴った。
 夜の闇。
「……おい!」
 不意に、力強い手が宗次郎の躯を抱きおこした。揺さぶられる。
 聞きなれた声が、自分を呼んだ。
「おい、大丈夫か!? しっかりしろ!」
「……ぅ……っ」
 うっすら目を開いた視界に、見慣れた男の顔が映った。
 綺麗な、端正なその顔だち。
 宗次郎は安堵し、両手をのろのろとのばした。男の背に手をまわしてしがみつくと、小さな小さな声で呼んだ。
「……歳三…さん……っ」
「!」
 男の体が硬直したのを感じた。激しい驚愕を感じる。
 それを理解する間もなく、宗次郎は深い闇の中へと落ちていった……。

 

 

 
 覚醒は緩やかだった。
 どこかで小さな音が鳴っている。それは奇妙な楽の音だった。
 妙にふわふわしたものの中に、宗次郎の躯はうもれていた。とても清潔でいい匂いがする。
(……ここ……どこだろ……?)
 宗次郎はごそごそと身動きし、自分をおおっているものを引き寄せた。が、次の瞬間、眉を顰めた。
(? 何これ……?)
 手ざわりが、全く初めてだったのだ。毛皮でもないし、綿でも絹でもない。もっとごわごわした、でも軽く柔らかな心地の手触りだ。
「……」
 ゆっくりと、目を開いた。
 意味がわからないまま、ぼんやりと目の前の光景を眺めた。
 が、次の瞬間、愕然となった。
「!」
 慌てて身を起こし、周囲を見回した。
 その目を大きく見開き、両手で口をおおった。激しく躯が震え始めたのを感じた。
(何、これ! ここ……どこなの!? い、異人の家にでも来ちゃったの……!?)
 まったく見覚えのないものばかりに満たされた部屋だった。
 かなり広い部屋だ。板間なのだが、見たこともない淡い色合いで、天井や壁は何か紙のようなものが貼ってあった。その上、天井から何かがぶら下がっていて、きらきら輝いている。どう見ても火ではないようで、いったい何がどうなってるのかわからなかった。
 部屋のあちこちに、家具らしきものが置かれてあるのだが、それもよくわからない形をしたものばかりだ。宗次郎が寝ていたふわふわしたものも、理解不可能だった。布団をたくさん重ねたものなのか。
 楽の音は、右手奥の小さな箱から聞こえていた。静かで優しいが、どうして、こんな小さな箱から鳴るのかさっぱりわからない。中に人でもいて演奏しているはずもないだろうし。
 呆然としていた宗次郎は、不意にびくっと躯を震わせた。
 カチャッと音が鳴り、誰かが部屋に入ってきたのだ。が、入ってきた男を見た瞬間、宗次郎の躯から力が抜けた。
「歳三さん……!」
 やっぱり、気絶する前に見たのは彼だったのだ。間違いではなかった。
 ほっと安堵し、思わず立ち上がった。走り寄ると、両手をのばしてぎゅっとしがみついた。
「歳三さん、よかった……私、どうなるかと思って……っ」
「……?」
「ここ、どこなんですか? 見たことないものばかりあるし、ここは異人の家?」
「異人? 何だそれ、ここは俺の家だぜ」
 おかしそうに笑い、男は宗次郎の顔を覗きこんだ。
 それに、宗次郎は違和感を覚えた。じっと男を見つめ返し、すぐにその理由に気がついた。
 男の髪が短かったのだ。すっきりと整えられ、端正な顔だちに似合っているが、いつもの彼と全く違う。それに、着ているものもまるで異人のような格好だった。洋装、とでも云うのだろうか……?
「歳三さん……その格好、どうしたの? 髪、いつ切ったんですか?」
「髪? 散髪に行ったのは一ヶ月前で、そろそろ切らなきゃならねぇけど……何で? だいたい、おまえ、大丈夫なのか? さっきから妙なことばかり云ってるが、やっぱり頭を打ったんじゃねぇのか」
 男はそう云うと、宗次郎の手を引いて先ほどの布団のようなものの前に戻った。そこにそっと坐らせ、手にしていた湯のみをわたした。
「柚子茶だ。甘い方がいいだろうと思ったからな」
「……甘い」
「ちょっと甘すぎたか」
 くすっと笑い、男は傍らの家具に凭れかかった。
 しなやかな指さきが黒髪をかきあげた。
「で? おまえ、どこから来たんだ? 家は? 名前は?」
「……え……」
「いきなり、俺の車の前に飛び出してくるんだからな。轢いちまったかと思ったが、車の手前で倒れてるし。怪我もなかったから、俺の家に運んだんだ。もしどこか躯が痛いなら、病院へ連れていってやるぜ」
「……歳三さん」
 そう呼んだ宗次郎に、男は僅かに眉を顰めた。
「それなんだが、どうして、おまえが俺の名を知ってるんだ?」
「だって、だって……あなたは土方歳三さんでしょう?」
「あぁ。だが、俺はおまえを知らない。いったい、誰なんだ?」
「宗次郎です!」
 思わず叫んだ。立ち上がり、両手を握りしめて必死に叫んだ。
「沖田宗次郎です! 試衛館で一緒で、弟みたいに可愛がってくれてたじゃないですか! どうして、そんなこと云うのっ? そんな、誰だなんて、ひどい……っ」
「ひどいって……おい」
 男は慌てて歩みよってくると、宗次郎の顔を覗きこんだ。
「おまえ、泣いてるのか」
「だって……っ」
「訳わかんねぇよなぁ。ったく、おまえ、すげぇ可愛い顔してるのに、変なことばかり云うし」
「わからないのは、あなたの方です」
「いや、絶対におまえの方だって。だいたい、その格好だって……何なんだ、いったい。綺麗な髪だが、そんな長いと女に間違われるぞ。それに、今時、着物を着てるなんて……あぁ、そうか!」
 不意に、男は声をあげた。
「おまえ、日本舞踊か、お茶か何かの家元の子供なんだろ。だから、そういう格好をして……」
「違います。剣術はやってますが」
「へぇ。俺もあれは好きなんだ。けっこう得意だぜ」
 そう頷いてから、男は宗次郎をじっと見つめた。濡れたように黒い瞳で見つめられ、思わずどきまぎしてしまう。
 しばらく黙ってから、男はゆっくりと訊ねた。
「……妙なことを聞くがな」
「さっきから、妙なことばかりです」
「真面目に聞けよ。今年は何年だ?」
「え? 安政六年ですけど……」
「あんせい? それってつまり、安政のことか?」
「つまりも何も……」
「あぁ、わかった」
 男はため息をついた。
 そして、宗次郎の瞳を覗きこむと、静かな声で云ったのだった。
「おまえは、未来に来ちまったんだ」
 

 

 

「……つまりな」
 男は机の上に置いた紙に、筆でなくペンというもので図を描いてみせた。
「ここが、おまえのいた安政六年。それから、百年以上たって……2006年、これが現代だ。おまえは何かの時間の歪みで、ここまで飛ばされてしまった訳だ。いわゆる、タイムトラベルって奴だな」
「たいむ……とらべる?」
「時の旅って奴だな」
 男は頷き、頬杖をついた。形のよい眉を顰め、真剣な表情で図を眺めた。
「もしくは、パラレルワールド。同姓同名の、しかも同じ容姿の俺がいるってことからも、その可能性も考えられる訳だがな」
「???」
「説明してやるよ」
 くるくると幾つかの丸を描き、男はそれを少しずつ重ねさせた。
「この俺たちがいる世界ってのは、幾つかたくさんあって、それは少しずつ違っているんだ。で、同じ部分もあるし、全く違う部分もある。こういう世界の重なりを、パラレルワールドっていうんだ」
「……よくわかりません」
「わからなくて当然だ。まだこれは仮説の状態だからな。けど、可能性はある訳だ……困ったな」
 苦々しげに呟いた男に、宗次郎は顔をあげた。
 その前で、男はため息をついた。
「おまえをどうやって戻してやればいいのか。俺にもさっぱりわからねぇよ」
「戻れないんですか……?」
 思わず、じわっと涙がこみあげた。
 決して泣き虫ではないはずなのに、ここへ来てからは泣いてばかりのような気がした。
「泣くなよー、ったく、とんでもない事になっちまったな」
「……っ」
「泣くなって。俺がちゃんと探してやるから、帰れる方法を。こういったことにけっこう詳しい男がいるんだ。だからさ、あんまり気を落とすな」
「歳三さん……」
「そうだ。同姓同名の俺を知ってるってのも、何かの縁だ。おまえの面倒はきっちり見てやるから。帰れる日まで、ここにいればいい。俺は一人暮らしだから、何の心配もいらねぇしな」
 そう云った男に、宗次郎はこくりと頷いた。
 男は頷き、微笑みながら片手をさし出した。戸惑う宗次郎の手を握りしめてくれる。ひんやりと冷たい、しなやかな指さき。
「俺は土方歳三、今年で28才だ」
「……二十八? じゃあ、私の歳三さんより、五つ年上ですね」
「そうか。でな、俺は両親がいねぇから、ずっと一人暮らしなんだ。会社を友人と二人でやってて、最近かなり軌道にのってきたところだ」
「私は……」
 宗次郎は居住まいをただし、大きな瞳でまっすぐ土方を見つめた。
「私は、沖田宗次郎といいます。今年で十四才です。試衛館という道場に住んでいて、剣術の師範代をやってました」
「その年で? 凄いな。今度、一緒にやろうか」
「はい」
 宗次郎は頷き、にこりと笑った。
 初めて見る、可愛らしい笑顔に、土方は思わず目を細めた。
「可愛いな」
「え、な……っ」
「こんな可愛いおまえといる、そっちの俺は幸せものだ」
「あの……」
 顔を真っ赤にして俯いてしまった宗次郎に、土方は喉を鳴らして笑った。優しい手つきで、くしゃっと髪をかきあげてくれる。
「ま、これからよろしくな」
「はい! よろしくお願いします!」
 
 
 こうして、二人の奇妙な同居生活は始まったのだった……。

 

 

 
 土方は多忙な男だった。
 毎日、忙しく働いているようで、朝早くに出かけ、夜も遅くに帰ってくる。
 が、その間をぬって、様々なことを教えてくれた。
 まずはこの部屋にあるものから。
 あの小さな箱はステレオというのだと知ったし、電話というものやテレビも知った。宗次郎にとっては驚きの連続だったが、少年の順応性は高い。すぐに呑み込み、それを使いこなしてみせた。
 まだ外出は怖かったので、ずっと部屋の中にいたが、宗次郎は退屈することなどなかった。
 養ってくれる彼のため、せっせと教えてもらった掃除機というもので掃除をし、頭をぐるぐる回して洗濯機を使い、冷蔵庫の中にあったもので料理まで作った。もちろん、たくさん失敗もしたが、それを彼が怒ることは一度だってなかった。
「……まるで嫁さんもらったみたいだな」
 珍しく早く帰ってきた土方は、テーブルの上に並べられた夕食に、ネクタイをゆるめながら苦笑した。
 それに、宗次郎はぽっと頬を桜色に染めた。
 もう着物は着ていない。白いシャツとジーンズ姿だった。長い艶やかな黒髪とあいまって、よく似合い、瑞々しく可愛らしい。
「えっと、テレビのお料理番組というものを見て、つくってみました。やっぱり、お肉はちょっと駄目だけど……」
 今日の晩御飯のメインは、揚げ出し豆腐と揚げ茄子、シャケの塩焼きだった。後、わかめと葱の味噌汁に、胡瓜の浅漬けだ。
「これで十分だよ。すげぇうまそう」
 土方は嬉しそうに席に着くと、宗次郎と二人して「いただきます」と手をあわせた。
 さまざまなことをお喋りしながら、食事をする。それはもう、毎日のことだった。
 初めは戸惑うことも多かったが、いくら別人とわかっているも土方がいてくれる事は心強い。宗次郎は笑顔をよく見せるようになっていた。
 今も、にこにこ笑いながら、土方に今日読んだ本のことなどを話している。
 それを、土方はほっとしながら眺めた。
(……だいぶ元気になってきたな)
 実際、当初はどうなるかと思ったのだ。
 雨の夜、突然、現れた少年。
 それも過去から来たのだという。全く信じられないような話だったが、宗次郎の様子や云うことから考えても、それしかありえなかった。それもパラレルワールドと微妙に重なった過去なのか。宗次郎がいた時代には、自分と全く同性同名の、しかも同じ顔かたちの男がいるのだという。
 これも縁だと思ったが、興味と関心、そして宗次郎への好意もあったのだ。
 雨の闇の中で、宗次郎が自分に抱きつき、名を呼んでくれた瞬間、躯中が熱くなったのだ。それは、信じられないような感覚だった。
 初めてだったのだ。
 こんなにも、誰かを守ってやりたいと思ったのも。
 こんなにも、いとおしいと思ったのも──
(……いとおしいって……)
 土方は思わず首をふった。
(こいつは男だぞ。それも、いつかは遠い過去に戻る奴だ。なのに……)
「土方さん?」
 澄んだ声に、顔をあげた。
 宗次郎は、過去の歳三と区別するためか、彼のことを土方と呼んでいた。それは少し他人行儀な気もしたが、下の名で呼ばれると、妙にもう一人の自分を思い浮かべてしまうので、土方も黙認していた。 
 気がつくと、宗次郎が大きな瞳で見つめている。それに、優しく微笑いかけた。
「今度、外出しようか」
「……外出……?」
「そうだ。そろそろ外へ出よう。あまり人が多いところは辛いだろうから、綺麗なものをたくさん見せてやるよ」
「でも……」
 宗次郎は視線をさまよわせた。きゅっと唇を噛んでいる。
 不安と躊躇いが、その可愛らしい顔にうかんでいた。それがまた、男の保護欲を強くかきたてる。
 思わず手をのばし、なめらかな頬にふれた。そっと手のひらで包み込んだ。驚いたように、宗次郎が大きく目を見張った。
「大丈夫だ。俺がいる……俺がおまえを絶対に守ってやる」
「土方さん……」
「だから、何も心配するな。おまえには、俺がいるから……」
 それに、宗次郎は小さく頷いた。
 信じきった瞳で彼を見上げ、そっと微笑んだ。
 その笑顔はまるで、ぱっと花開いたようで。
 土方はそれを愛しさのこもった黒い瞳で見つめ、優しく微笑み返したのだった。
 

 

 

 宗次郎の初めての外出日は、とてもいいお天気だった。
 扉を開けて出ると、真っ青な空が広がっている。それを見上げ、土方は宗次郎に笑いかけた。
「行こうか」
「はい」
 こくりと頷いた宗次郎の手をひいて、土方は歩き出した。自分でも思うのだが、どうもこの宗次郎に対しては妙に過保護になってしまう。年齢より幼く見えるし、可愛くてたまらないのだ。
 大きな瞳も、なめらかな頬も、つやつやした桜色の唇も。
 華奢な手足も、抱きしめればすっぽり腕の中におさまってしまう小柄な体も。
 みんな可愛くてたまらなかった。
 女相手にでも抱いたことのない感情に戸惑いながらも、土方はそれを否定しようとは思わなかった。
 綺麗なものは綺麗なのだ。愛しいものは、愛しいのだ。たとえ、それが決して自分のものにならない、告げることさえ許されぬ想いであっても。
「……宗次郎」
 エレベーターの中、土方は怯えたように身をすり寄せてくる宗次郎の細い肩を、思わず抱きしめた。
 腕の中、宗次郎は僅かに長い睫毛をふせている。その不安げな様子がまた愛しくてたまらなかった。
 離したくないと思った。己のものにしてしまいたいとも。
 だが、そんなこと出来るはずがなかった。それだけは絶対に許されないのだ。
 もしも、彼が宗次郎の外見だけで惹かれたなら、まったく悩んだりしなかっただろう。ただ、綺麗だな、可愛いなと、思っただけで済んだはずだった。
 だが、土方は宗次郎の容姿だけでなく、その優しさや素直さ、何事にも一生懸命に頑張る姿、驚くほどの思いやり、生き生きとした瞳の輝き、楽しそうに笑う時の澄んだ声──その何もかもに惹かれていた。
 ずっと傍におきたかった。いつまでも自分の傍にいてほしかった。
 自分でも信じられないのだが、この数週間で、宗次郎の存在は土方の中で驚くほど大きな位置を占めてしまったのだ。長い間一人で生きてきた土方にとって、ある日突然現れた宗次郎は、今や宝物同然だった。
 永遠に、自分の手の中にひっそりと隠しておきたい、大切な宝物───
「土方さん?」
 気がつくと、宗次郎が不思議そうに彼を見上げていた。
 その澄んだ綺麗な瞳に、自分の身勝手な想いを見透かされるようで、土方はどきりとした。が、すぐに何事もないように微笑みかけると、宗次郎の肩を抱く腕に力をこめた。
「行こう。駐車場に車があるから」
「くるま?」
「テレビで見たことあるだろ?」
「はい。でも……怖いです」
「大丈夫だ、俺がついている」
 そう優しく笑ってみせてから、エレベーターを降りて歩きだした土方の傍ら、宗次郎は淡く頬を紅潮させた。
 いつでも、こうして宗次郎の気持ちに寄り添ってくれる優しい彼が、嬉しい。
 すぐ不安になったり怖がったりする宗次郎を、笑うこともなく、いつでも静かに見守ってくれた。優しい声で、丁寧に、一つ一つを教えてくれて。
 彼がだい好きだった。
 それは、もちろん、彼があの「歳三」と同じ容姿という事もあったが。それでも、何か違うものを感じていたのだ。
 彼に対しての気持ちが、どんどん大きくなってくる。
 今や、宗次郎にとって、土方は大切な存在となっていた。それは、彼しか頼るものがないからなのか、彼しかこの世界には存在しないように感じられるからなのか、わからなかったけれど。
 だが、今、宗次郎にとって土方は大切な存在だった。
 否、彼はもう、宗次郎の「世界」そのものだったのだ。そして、それは宗次郎の幸せに直結していた。
 それが正しいことか誤りなのか、わかりえないままに───

 

 

 
 当初、宗次郎は車に怯えた。
 ゆるやかに道路へと滑り出した時、宗次郎は息をつめ、ぎゅっとシートベルトを握りしめた。
 が、やがて、車窓を過ぎる光景に目を奪われた。
 次々と現れる、鮮やかな色彩。たくさんの人々、変わった形の建物。
 マンションの窓やテレビで見たことはあったが、それでも、宗次郎にとってそれはまるで絵巻もののように遠い世界だった。だが、今、宗次郎はその世界に身をおいているのだ。
 土方は車のことや、あちこちの建物、信号、人々の服装などを説明してくれた。
 低い静かな声で話しながら、丁寧な運転で車を走らせてゆく。
 窓を閉めてしまうと全く外の音が聞こえない車内で、宗次郎は彼の息づかい、静かな低い声、いつもより近く感じる彼の存在に、胸をどきどきさせた。
 土方が宗次郎を連れていったのは、大きな石造りの建物だった。車を駐車場に停めて地上へあがると、ひんやりした空気が二人を包み込んだ。
「……ここは?」
 周囲を見回しながら訊ねた宗次郎に、土方は静かな声で答えた。
「美術館だ」
「……? びじゅ…つ?」
「絵画などを誰もが見れるように、飾ってあるところだ」
 チケットを買うと、土方は宗次郎の手をひいて中へ入った。休日だが、それほど有名なものが来てる訳でもないので、人の数もまばらだ。が、常設展の部屋に飾られた美しい絵画の数々に、宗次郎は息を呑んだ。
 とくに、八重の白い梔子の花が描かれた絵に、目を惹かれた。
「……綺麗……」
 思わず見とれていると、土方が傍に寄りそった。
「綺麗だろう? これは京のある寺の庭園を描いたものらしい」
「京の……?」
「あぁ、本当にこんなふうに白い八重の梔子が満開になるらしい。零れるようで、辺りは甘い香りに包まれ、まるで夢みたいな世界らしいぞ」
「見てみたい……」
 そう呟いた宗次郎に、土方は微笑んだ。そっと、髪を撫でてくれる。
「そうだな。いつか二人で見に行こうか」
「え。でも、京なんて……遠いでしょう? 何日もかかるし……」
 口ごもった宗次郎に、土方は一瞬不思議そうな顔をしてから、小さく苦笑した。
「昔は歩いていってたんだな。宗次郎、車や電車があるんだ。飛行機だってあるから、ほんの2時間……いや、一刻ぐらいで着いちまうさ」
「嘘! 一刻なんて……信じられません」
 宗次郎は目を丸くし、ふるふると首をふった。
「嘘じゃねぇさ。飛行機で空を飛んでしまえば、あっという間さ」
「そ、空って……飛ぶ、飛ぶって、あの鳥みたいに!?」
「宗次郎、静かに」
 思わず声をあげてしまった宗次郎を、かるく嗜めてから、土方はぽんぽんっと少年の背中を叩いた。
「驚かせてしまったな、すまない。だが……人が空を飛べることも、一刻で京に行けることも、全部本当だ」
「……」
「だから、宗次郎……いつか一緒に行こう」
 そう云いながら、土方は宗次郎の細い肩を抱いた。
「この白い花を見に、二人で行こう」
「土方さん……」
 宗次郎は一瞬だけ彼の黒い瞳を見上げてから、こくりと頷いた。そっと男の広い胸もとに頭を凭せかけ、その力強い腕に躯をあずけた。ほっそりした少年の体を、男の腕が優しく抱き寄せる。
 大きなキャンバスに描かれた白い梔子の前、二人は寄りそった。
 その約束が果たされることを、心から願いながら。
 そして。
 いつまでも、このぬくもりが傍にあることを、切ないほど祈りながら……。

 

 






 

[あとがき]
 ふつうは前中後編を連日upの場合、あとがきしないのですが、今回は。由季さま、申し訳ありませんっ。総司でなく、宗次郎になっちゃってます。すみませんすみません。
 それから、皆様。私にSF的用語を求めてはいけません(笑)。総司の時代に何がなくて、現代にはあるのか。それさえわからない私ゆえ、その辺り追求不可〜。タイムスリップというと、「時を駆ける少女」を思い出す、古い古い時代の私でございます(笑)。尚、背景は梔子の花ではありません。つづき、また読んでやって下さいね。


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