[4DAYS]



だい好きな人と
キスした瞬間
世界がかわっちゃうって
本当?







 真っ青な青空が広がっていた。
 本当に一面、雲一つ無いきれいな青空だ。
 どこまでも続く芝生に、総司は歓声をあげて走った。もちろん、スニーカーなんて、とっくに脱ぎ捨てちゃっている。
 土方が苦笑しながら後を追ってくるのを感じていたが、思いっきり手足を動かしたくてたまらなかった。飛んだり跳ねたり、まるでウサギのような足取りで、芝生の上を駆けてゆく。
「おい、総司」
 ふり返ると、土方が木陰にシートを広げていた。
「この辺りにしよう。陰の方がいいだろ?」
「うん」
「適当に跳ねたら、こっちへ戻っておいで」
「はーい!」
 総司は元気よく答えると、またあちこち駆け回った。
 平日の公園はとても空いている。広い広い芝生広場には、人っ子一人いなかった。
 鳥の囀りが緑なす樹木の間に響き、爽やかな風が髪をさらさら吹き乱していって、とても心地よい。
 恋人ごっこ三日目の今日は、またまたデートの定番。ピクニックとあいなっていた。
 もちろん、恋人のお手製弁当つきだ。
「あのね」
 お弁当箱の蓋を開けながら、総司は云った。
 大きな瞳が、ちょっと心配そうに、土方の反応を伺う。
「自分がつくったご飯、誰かに食べて貰うの初めてなんです」
「じゃあ、俺が初めてさん?」
 土方はシートの上で胡座をかきながら、くすっと笑った。さらさらした黒髪が白い開襟シャツに映え、木漏れ日に艶めいてとても魅力的だ。
「それは光栄だね」
「で、でも。その……おいしいかどうかは、わかりませんよ」
「大丈夫だって。ほら、おいしそうだし」
 土方はにっこり笑うと、箸を手にとった。
「いただきます」と手をあわせてから、まずはタラコ入り卵焼きをとり、ぱくりと口の中へ放り込む。
 もぐもぐっと食べてから、土方は微笑んだ。
「ん、うまい」
「ほんとっ?」
 たちまち、総司が満面の笑みをうかべる。
 それに、土方は頷いた。
「あぁ、おいしいよ。おまえ、料理上手だな」
「あのね、あのね、このハンバーグ、煮込みにしたのです。人参と小松菜が入ってるんだけど、土方さんは好き嫌いありませんか?」
「幸いにして、ほとんどないよ。まぁ、甘いものは全般的に好きとは云い難いが」
「あ、そうなんだ。じゃあ、お酒が好きな方?」
「酒もまぁまぁかな。おまえは、酒だめだろ……って、あぁ未成年か」
「まだ18才ですから」
 二人は他愛もない会話をかわしながら、お弁当を食べた。一生懸命つくったお弁当はとてもおいしく、土方も「うまい」と喜んで食べてくれるので、総司は嬉しさに頬を上気させっぱなしだった。





 食後、二人はシートの上に並んで寝ころがった。
 見あげると、雲一つない青空だけが広がっている。
 ふかふかした芝生がシートごしにも感じられ、とても気持ちよかった。
「んー、気持ちいい」
 総司が両手両脚を猫のように、んーっと伸ばした。
 それを肩肘つきながら眺めていた土方が、ふと訊ねた。
「そう云えばさ、知ってるか」
「え?」
 きょとんとした総司に、笑いかける。
「こういうCMあったの」
「CMです…か?」
「あぁ、芝生の上にかな、カップルが寝転がってて」
「あ、知ってます」
 総司は嬉しそうに、にこにこと答えた。
「それって、女の子がシートかぶって、で、確か……」
 云いかけた総司の顔に、突然、影が落ちた。
 え?と見あげたとたん、ばさっとシートがかぶせられる。
 次の瞬間。
 唇にふれた感触に、総司は大きく目を見開いた。

「!」

 シートが戻った後は、また広がる青空。
 だが、さっきまでと違うのは、こちらを覗き込んでいる男の悪戯っぽい笑みだった。
「逆になっちゃったな」
「逆、逆って……い、今のっ」
「今のは、キスですよ。お姫様」
 そう云いざま、土方はまた身をかがめた。そっと唇を重ねられる。
 挨拶のような──でも、そうじゃない甘めのキス。
「んっ……」
 微かに息をついてしまった総司に、土方はちょっと目を見開いた。それから、くすっと笑う。
 しなやかな指さきが、すうっと頬から首筋を撫であげた。
「あまり誘わないでくれ。こんな処で、キス以上の事は駄目だろう?」
「? キス以上のこと?」
 不思議そうに問いかけた総司に、土方はくっくっと喉を鳴らして笑った。
「まぁ、そのうち教えてあげるよ」
 それから不意に手をのばして総司の躯を抱え起こすと、そのまま膝上にひょいっと抱きあげた。小柄な少年の躯など、軽いものなのだろう。
 この間も思ったのだが、土方の躯は驚くほど鍛えられていた。しなやかな筋肉の張った腕や、シャツからのぞく逞しい胸もとに、男の精悍さを感じてどきどきしてしまう。
「3度め」
 もう一度、唇が重ねられた時、総司は云った。
 それに、え?と目を見開いてから、土方は「あぁ」と笑った。
「3度目だな。いちいち数えてるのか」
「うん、だって、ぼくはキスも初めてだから」
「じゃあ……ファーストキス奪ってしまったか。ごめん」
「いいの、土方さんだもの」
 無邪気に答えた少年に、土方は苦笑した。またキスしてしまいたくなる。
 それも、とびきり濃厚な奴を。
 その衝動を実行した男の腕の中で、総司は耳朶まで真っ赤に染めあげた。躯の芯までとろけるような熱いキスの後、くたりと男の胸もとに凭れかかる。
「……4度め」
 律儀に呟いた総司に、土方は喉奥で笑った。
「そのうち数えきれなくなるさ」
「……数えきれなく?」
「あぁ。これから、たくさんキスすれば、何度目かなんざ数えてられねぇって」
 そう云った土方の腕の中で、総司はふと長い睫毛を伏せた。


 ……ほんとに?


 ほんとに、そんないっぱいキスできるのだろうか。
 数えきれないぐらい。 
 それとも、ね、土方さん。
 もしかして、あなたは、ぼくが別の人とキスするだろうと云っているの?
 他の人とのキスで、回数を重ねていくだろうと。
 だったら、それはとても悲しくて辛い。
 ぼくが他の人とキスしてもいい、だなんて。
 でも……それも仕方ないのかもしれないね。
 だって、ぼくたちは恋人ごっこしてるんだもの。本物の恋人じゃないんだもの。
 これは──たった七日間の恋なだから。


「……総司?」
 土方が何か総司の変化に気づいたのか、そっと呼びかけてきた。
 優しく、髪を撫でられる。
 ことんとその肩口に頭を凭せかければ、すっぽりと両腕で抱きすくめられた。それが、とても心地よい。
 心地よくて、幸せで。
 世界中のどこよりもだい好きな場所だ──なんて、そんなふうにまで思ってしまうのに。
 なのに……。
「……」
 黙ったまま目を閉じた総司に、土方は何も云わなかった。
 それきり、どこか気まずいままでデートは終わったのだが、土方は黙っていつもどおり5時にマンションへ総司を送りとどけただけだった。
 潤んだ瞳で見あげた総司を一瞬だけ見つめてから、踵を返し、歩み去ってしまう。
 遠ざかる男の広い背を見つめながら、総司はきゅっと胸もとのシャツを握りしめた。











 その夜は、なかなか眠れなかった。眠る気になれなかった。
 服のままソファに寝っ転がり、幾本もDVDを見ていた。それでも、なかなか眠れなくて。
 ふわふわした恋に、突然、現実が突きつけられた気がしたのだ。
 何だか、怖いと思ったのだ。
 それがどうしてだか、総司にもわからなかったけれど。


 あちこち出かけて、デートして。
 抱きあって。
 キスもして。
 だけど、これは、やっぱり恋人ごっこなのだ。
 本物の恋じゃない。
 土方さんだって、ぼくのファンだから、七日間だけお相手を引き受けてくれただけ。
 今だけ、つきあってくれただけ。
 でも。
 なら、どうして?
 どうして……キスなんかしたの?


(……土方さん……)


 ここ数日のうちに、総司の心の中でどんどんその存在が大きくなってゆく──そのくせ、どこに住んでいるのかさえ知らない彼。
 突然、現れて苺ミルクみたいな恋に、甘く甘くとろけさせてゆく男のことだけを考えながら。
 やがて、総司は眠りに落ちていったのだった……。







[6DAYS]



彼に恋してる
そう自覚した、あの時が……









 インターホンが鳴っていた。
 控えめにだが、何度か。
 それを訝しく思いながら目を開けてみたが、辺りは真っ暗だ。
「……ん……何時……?」
 もぞもぞと身を起こし、時計を見あげた。
 針は、まだ午前4時30分をさしている。
 なのに、インタホーンはまだ鳴っているのだ。
「も、信じらんないっ。こんな時間に……悪戯?」
 目をこすり、立ちあがった。昨日そのままソファで眠ってしまったため、シャツとジーンズのままだ。
 ふわぁと欠伸をしながら、玄関へ向かった。いつもどおり、ばたんっと開けてしまう。
「はぁい、どちらさま?」
「ごめん」
「? え?」
 頭の上から降ってきた声に顔をあげた総司は、とたん、ぴきーんと固まってしまった。
 そこに立っていたのは、土方だったのだ。
 こんな朝早くだというのに、もうきっちり身支度を整えていて、珍しくスーツ姿だ。タイトにネクタイを締め、濃紺のスーツに身をかためた土方はまた、うっとりするほど恰好よくて、朝から思わずぼーっと見惚れてしまった。
 が、すぐに、はっと我に返る。

(ぼ、ぼく……顔も洗ってない!)

 慌てて躯の向きをかえた拍子に、玄関脇の鏡が目に入った。とたん、わぁぁあっと叫びたくなる。

(服めちゃくちゃ、皺くちゃだよっ。それに、何これ!? この跳ねまくった髪―っ!)

 思わず反射的に髪をひっぱったり、シャツをひっぱったりしたが、そんな事で直るようなものでもない。
 焦りまくる総司に、だが、土方は平然としたものだった。
 さっさと少年の手を掴むと、外へ連れだそうとしてくる。
「な、何っ?」
「悪い。時間がないんだ、行こう」
「行こうって……ぼく、こんな恰好なのに!」
「俺以外、誰も見ないさ。それに……」
 土方はくすっと笑った。
 そっと総司の躯を引き寄せ、まだ夢見るように潤んだ瞳を覗き込む。
「こんな寝起きで可愛いおまえを、他の誰にも見せねぇよ」
「か、可愛いって……髪、はねてるのに?」
「そういうのも可愛い」
「服、皺くちゃなのに?」
「ちょっとボタン外れてるとこが、色っぽくていいさ」
「い、色っぽいって……っ」
 絶句しているうちに、総司はマンションから連れ出されてしまった。
 気がつけば、土方の車に乗せられ、まだ夜も明けやらぬ街を疾走している。
「どこへ行くんですか?」
 そう訊ねた総司に、土方はちょっと唇の端をあげてみせた。
「それはついてのお楽しみ」
「またですか。もう……こんなに朝早く起こして」
「ごめんごめん。けど、今日、どうしても抜けられない仕事があってさ。一日つきあえねぇから、お詫びにと思ったんだ」
「お仕事……忙しいんですか」
「休みとりまくってるからな」
「……ごめんなさい」
 たちまち、総司は俯いてしまった。彼に迷惑をかけているのだと思うと、悲しくて辛くてたまらなくなる。
 だが、そんな総司に、土方は優しい声で云った。
「おまえが謝る事じゃないだろ? 俺が好きでやっているんだから」
「でも……」
「前にも云ったよな。俺はおまえのファンで、好きでたまらなくて。だから、そんなだい好きで可愛いおまえの傍に、一週間も……それも恋人としていられるなんて、すげぇ嬉しいって。あの言葉に絶対に嘘はないんだからな」
「ほんとに……?」
「あぁ」
 土方は微笑みながら、手をのばした。そっと頬を指さきで撫でてくれる。
 それに総司はちょっと躊躇ったが、彼の手を両手で握りしめた。驚いたように一瞥してくる土方を見つめたまま、縋るようにぎゅっと握りしめる。
「……」
 土方は仕方ないなと云いたげに苦笑すると、片手を総司にあずけたまま、器用にハンドルを操った。だが、カーブの処で総司も慌てて手を離す。
 もう一度だけ、すっと頬を撫でられた。
「後でな」
 低い声で囁かれた言葉に、総司はこくんと頷いた……。












 土方が連れてきたのは、東京郊外の小さな湖だった。
 避暑地的な場所であり、また、森の中にある小さな湖のため、どこか神秘的だ。
 建物も人気も全くないそこは、とても静かで美しかった。
 車から降ろされた時、少し不安に思っていた総司は、湖に張り出した桟橋に立ったとたん、思わず目を見開いた。
 そこに広がっていたのは、美しい夜明けだったのだ……。


 乳白色とオレンジ色に染まった空。
 あちこちから聞こえる、鳥の囀り。
 細く風になびいてゆく朝靄。
 少しずつ少しずつ、射し込んでくる陽光。
 それが鏡のような湖や樹木の緑に反射し、きらきらと眩く輝いて───……


「……なんて、きれい……」
 思わず、うっとりと呟いた総司に、土方は満足そうに微笑んだ。総司の隣にならび、目を細める。
「あぁ、そうだな……」
「こんな綺麗な夜明け、見たことないです」
「おまえなら、きっと気にいってくれると思ったんだ。ほら、おまえが作った歌の中で、夜明けのシーンが出てくるのあっただろ?」
「えぇ」
「ここから初めて夜明けを見た時、あの曲が耳奥で鳴ってさ。ずっと離れなかった」
「嬉しい……」
 総司はなめらかな頬を薔薇色に染めた。
「そんなふうに云って貰えるなんて……とても嬉しいです。でも……」
 すっと顔をあげ、大きな瞳で夜明けの光景を見つめた。
 桜色の唇が微かに震えた。
「どんな歌であったとしても、この自然の美しさには叶わない……」
 祈るように両手をくみあわせた。
「土方さん、本当にありがとう。ここに連れてきてくれて……ありがとう」
「総司……」
 囁くような声がしたかと思うと、ふわりと後ろから男の両腕がまわされた。柔らかく彼の広い胸もとに抱き寄せられる。
 それにちょっと驚いたが、総司は抗わなかった。抗いたくなかった。
 きっと彼はわかっていたのだ。
 あのキスで総司が戸惑っていたこと。不安を滲ませていたことに、気づいていた。
 だからこそ、こうして夜明けを見せに連れてきてくれたのだろう。
 彼の想いがどこにあるにしろ、そうした総司の気持ちを思いやる優しさが、たまらなく嬉しかった。

(……優しい人)

 そっと躯の力を抜くと、総司は素直に男の胸もとへ凭れかかった。すると、耳もとで嬉しそうに彼が微笑んだ気配がする。
 あくまでも優しく、両腕ですっぽりと抱きすくめられた。背中から抱きしめられ、まるで大きな翼で包み込まれているような気がする。
 世界中の何からも守られているような……。

(優しくて、ちょっと気まぐれで、でも、いつも心を察してくれて)
(どこに住んでるのかさえ知らなくて。教えてくれた名前だって本当なのか……何もわからない)
(謎めいた人だけど、でも)

 静かに目を閉じた。

(ぼくは……この人が好きだから)

 ずっと思い描いていたような、大人の恋ではなかったけれど。
 でも、甘い甘いいちごミルクの恋は、それよりも幸せで優しくて。

(この人の腕の中、甘く甘くとろけてしまいそう……)

 髪に、首筋に、耳朶に、頬に。
 甘いキスの雨が降らされた。
 ぴくんっと震える総司に、男が低く笑った。
 そのくせ、優しく片手で総司の手を包みこみ、握りしめてくれる。指さきまで絡めあって、もっともっと一つに溶けあってしまいたい──と、そんな事を願ってしまう総司の気持ちを知ってか知らずか、弄ぶように指を絡めあい、指さきで撫であげて。
 時折、もちあげた手にも指さきにも、降らされるキスの雨。

(土方さん……)

 柔らかく躯を回転させられたかと思うと、次の瞬間、ぎゅっと抱きしめられていた。
 かと思えば、突然あたえられるディープ・キス。
 深く唇を重ねられ、総司は目を見開いた。一瞬だけ手が彼の肩を突き放そうとしたが、それも優しく握りこまれる。
 男の腕の中、その細い躯から力が抜けた。やがて、おずおずと男の背に、総司の手がまわされ、ぎゅっとしがみつく。

(……好き、好き……だい好き……!)

 何度も唇を重ねあい、求めあい。
 夢中で互いを抱きしまう恋人たちの傍で。
 美しい湖が、眩いほどの朝の光をうけて煌めいていた───。






彼に恋してる
そう自覚した、あの時が
恋の終わりだったのかもしれなかった……