総司は発熱し、予断を許さない病状にまで陥った。
 血はそれ程抜き取られていなかったが、狂ったヴァンパイアに襲われたのだ。その牙から発せられた毒は総司の躯を冒し、荒れ狂った。
「……総司……!」
 土方はベッドの脇に坐り、荒い呼吸を苦しげにくり返す総司を見つめた。その細い手を握りしめ、まるで祈るように瞼を固く閉ざす。
「頼むから……助かってくれ」
 もしも、それで総司が助かるならば、神にでも悪魔にでも祈りたい気持ちだった。
 もう三日なのだ。ずっと総司の高熱はつづいている。これでは華奢な躯が到底もたなかった。
 だが、その三日の間、土方は一睡もしていなかった。ひたすら総司の傍にあり、懸命に看護をつづけている。
 知らせを聞いて駆けつけた近藤も驚く程の献身ぶりだった。このままでは土方の方が倒れてしまうと心配した近藤に、彼は苦笑した。
「俺はヴァンパイアだぜ? こんな事ぐらいで倒れるものか」
 そう断言された事で、あらためて親友がヴァンパイアである事を、近藤は思い知らされる気がした。
 そして、土方が総司へと抱いている愛情の深さも……。
「おまえは本当に、総司を愛しているんだな」
 そう呟いた近藤に、土方は苦笑した。
「何を今さら。俺が総司を溺れこむほど愛してる事は、とうの昔に知っていただろうが」
「確かにな。だが、今回の事で、おれはおまえの真実を見た気がしたのだ。5年前と何一つ変っていない、おまえの本質を……」
「……」
「総司を襲ったのは、ここの処連続して殺人を犯している者の仕業なのか」
 不意に話題を変えた近藤に、土方は僅かに目を瞬いた。
 が、すぐその黒い瞳を翳らせると、静かに頷いた。
「あぁ……おそらくそうだろうな。完全に狂った目をしていたよ」
「ヴァンパイアになりきれなかった者という事か」
「たぶん、な。もう理性も感情もない。ただ、血を貪り喰らう事だけしか頭にねぇんだ。恐ろしい、醜い存在だ。あんなものは、ヴァンパイアでも何でもねぇよ」
 吐き捨てるような口調で呟いた土方に、近藤は嘆息した。
「その者も、望んでそうなった訳ではあるまい……」
「……はっ」
 土方は椅子の背に片腕をまわして凭れかかると、その形のよい唇に嘲笑をうかべた。
「相変わらず優しいな」
 くっくっと喉奥で笑いながら、近藤の方を切れの長い目で冷ややかに見やった。
「そんな生ぬるい事じゃ、今度はあんたが襲われちまうぜ」
「おれはおまえを殺せない。それと同じように、どんな命であっても奪う気にはなれないのだ」
「俺は違うぜ?」
 すうっと土方の目が細くなった。
 唇の端がつり上がり、思わず息を呑むほど酷薄な笑みがうかべられる。
 愉悦さえ含んだ低い声が、ゆっくりと呟いた。
「……俺は、簡単に殺せるさ」
「……」
「俺を傷つけるもの、そして……俺が大切にしているものを傷つけるもの。みんな、絶対に許さねぇ。この世の果てまで追いかけても、この手で息の根をとめてやる……!」
「歳」
「とめても無駄だ。これは、俺たちヴァンパイアの間の争いだからな。人であるあんたには無関係な話だと思っておいてくれ」
 きっぱりとした口調で云ってから、土方は総司の方へ向き直った。
 とたん、その黒い瞳がとろけるように優しくなった。そっと手をとりあげ、指さきに甘く口づける。
「総司……」
 それから、ふと気づいたように、土方は総司の柔らかな髪を指さきですくった。自然と、その白い首筋が剥き出しになり、視線が落とされる。
 生々しい傷跡が残る白い首筋に───
 あの時の悪夢のような光景が、一瞬にして蘇った。
 とたん、彼の黒い瞳がぎらりと底光りした。
「……絶対に許さねぇ」
 きつく奥歯を噛みしめ、土方は呻いた。
 あの夕暮れの中、近藤と別れてから戻った彼が、目にしたもの。
 それは、薄汚い獣じみた男にのしかかられ、襲われている総司の姿だったのだ。
 一瞬にして、視界が真っ赤になった。怒りのあまり躯中の血が逆流したかのようだった。
 気がつけば男を荒々しく引き離し、殴り倒していた。逃げる男を確かめる間もなく、この腕に総司の躯を抱きあげて。
 血が流れて出ていた首筋。
 ぐったりと力を失った手足。青ざめてゆく頬。
 何が起ったのか、何をすべきかすぐわかった。
 だからこそ、土方は躊躇いもなく、総司の首筋に顔をうずめたのだ。その毒に冒された傷口に唇を押しあて、無我夢中で毒を吸い出し、吐いた。それを何度も繰り返す事で、懸命に総司の命を救おうとして。
 だが、それでも、少年の華奢な躯は僅かな毒にさえ過敏に反応し、高熱を発してしまったのだ。そして、今こんなにも苦しんでいる。
 許せるはずがなかった。
 彼が世界中の何よりも誰よりも、大切に愛しているものを傷つけられたのだ。この清らかで愛しい存在に、穢れきった手でふれたのだ。
 それは、彼にとって、何よりも許し難い冒涜だった。
「……」
 土方は黙ったまま、総司の手を握りしめた。
 そして。
 まるで何かに祈りを捧げるように、固く瞼を閉ざしたのだった……。








 数日後、総司は意識を取り戻した。
 まだ完治した訳ではなかったが、熱もさがり、床上げもできた。
 だが、それでも土方は総司を、まるで真綿でくるむように優しく見守っていた。ほんの少しの労働もさせず、仕事どころか、身のまわり一つの世話まで丁寧におこなった。
 それに総司は初め驚いたようだったが、すぐ素直に身をまかせた。彼の優しい態度に、自分がそれ程までに愛されてるということを実感したようだった。
 抱き上げてくれる彼の胸もとに凭れかかり、うっとりと目を閉じた。
「……ここでいいか?」
 いつもの窓際のソファにそっと下ろされ、総司はこくりと頷いた。
 土方は総司の背にクッションをあてがってやると、すぐテーブルを引き寄せて食事の用意をしてくれた。まだそれ程の量は食べれないが、口あたりのよい、だが滋養のつく料理がきちんと用意されてある。
「土方さん、お料理上手ですね」
 そう云った総司に、土方は僅かに小首をかしげた。
「そうかな。必要にかられてやっていただけだし、他の奴に食わせた事がねぇから、よくわからねぇよ」
「じゃあ、土方さんの手料理を食べるの、私が初めて?」
「あぁ、そうだな」
 頷いた土方に、総司は嬉しそうに声を弾ませた。
「嬉しい! なんだか、とっても嬉しいです」
「ヴァンパイアの手料理なんざ食って、嬉しいのかよ?」
 呆れたように問いかけた土方に、総司はなめらかな頬を薔薇色にそめた。
「もちろん。というより、土方さんの手料理だという事が嬉しいんです。だって、世界中で一番愛してる人のお料理なんだもの」
「……世界中で一番?」
 そう問いかけた土方に、総司は「あ」と両手で可愛らしく唇をおさえてから、ちょっと恥ずかしそうに微笑んだ。
「だって……本当の事です。土方さんが世界中で一番好き。誰よりも愛してます」
「総司……」
 土方はその濡れたような黒い瞳で、総司を見つめた。
 しばらく黙りこんでいたが、やがて、低い声で問いかけた。
「おまえは……俺を真実愛してくれているのか? 俺だけを本当に?」
「はい」
「じゃあ、もしもだ」
 僅かに躊躇ったが、結局は言葉にした。
「俺が……もしも明日にでもいなくなったら? どこかへ行ってしまったら、おまえはどうするんだ……?」
「……私を…捨てる、の……っ?」
 総司は大きく目を見開いた。
 さぁっとその頬が青ざめ、唇がわなないた。
「私を捨てて……あなたは、どこか遠くへ行ってしまうの……?」
「……総司、俺は……」
「い…や! そんなの嫌!」
 総司は土方の胸もとにしがみつくと、激しく首をふった。抱きよせた男の腕の中、そのか細い躯が震えている。
「私、私……そんな事になったら、死んでしまいます! きっと悲しみのあまり息絶えてしまう……!」
「総司……」
「お願い、私を捨てないで! 捨てるくらいなら……いっそ殺して……!」
「──」
 その想いを、彼への深い愛を、吐露する激しい言葉に、土方は息を呑んだ。
 まるで、青白い焔だった。
 優しげな総司の中にある、激しい本質。
 燃えあがる焔にも似た、総司の魂、想い、その激情。
 己へむけられるすべてに、土方は目も眩むような歓喜を覚えた。
 この激しく燃えあがる青白い焔にも似た総司の愛を手にいれるためなら、世界中の何を引き換えにしても惜しくなかった。この命も矜持も何もかもさし出し、跪き、乞い願うだろう。
 この少年からあたえられる、永遠の愛を───
「……愛してるよ」
 思わず細い背と腰に両腕をまわし、抱きすくめた。そのまま柔らかな髪に顔をうずめる。
 掠れた声で、低く囁きかけた。
「俺は……おまえを世界中の誰よりも愛してる」
 土方は一瞬だけ、目を閉じた。
「いつまでも、永遠に……愛してる。だから……だから、俺を……」
 土方は何かを云いかけ、不意に言葉を途切らせた。
 腕の中、訝しげに顔をあげた総司を、その深い色の瞳で見つめた。しばらく黙ってから、微かに笑ってみせる。
 そっと──白い額にキスを落とした。
「……土方…さん……?」
 見上げる大きな瞳が不安に揺れていた。
 だが、それを打ち消すように、瞼や頬にキスを落として。
「愛してるよ……」
 土方は、低く静かに囁いたのだった。
 昏い秘密を、その心の奥深くに隠して……。








 その夜の事だった。
 土方は総司が眠ったのを確かめると、静かに腕を抜いた。そっとベッドから滑り出て、そのまま部屋を出てゆく。
 もともと総司を寝かせつけるためだったので、まだ黒いシャツにジーンズ姿だった。それに、椅子にかけていた薄手の黒いコートをふわりと羽織った。腕を通しながら、足早に家を出てゆく。
 もう真夜中近くのため、町はしん──と静まり返っていた。あの事件のため、夕暮れ時でも人出は減っているのだ。こんな真夜中に出歩くものがいるはずもなかった。
 だが、土方はその闇の中を、躊躇いなく歩いていった。町の外れにある森の前で一瞬足をとめたが、すぐ中へ歩み入った。がさっと足下で草むらが鳴った。
 とたん、獣の気配がまきおこる。
 狼なのか何なのか。だが、それも、土方の放つ気配に気づくまでだった。明らかに人ではありえない殺気だった威圧感に怯え、さっさと尻尾を丸め逃げ出してゆく。
 土方はそれに見向きもしなかった。黒いコートの裾をひるがえし、どこか目的があるのか真っ直ぐ森の奥へとわけ入ってゆく。
 やがて、その森の中心らしい小さな空き地に出た。
「……」
 切れの長い目を僅かに細めた。
 むっくりと一つの影が起き上がったのを見たのだ。それは、あの総司を襲ったヴァンパイアだった。狂った獣と化してしまった男。
「……」
 無言のまま、土方は手元から一本の剣を取り出した。小さなそれは銀の宝飾がされ、十字架が刻まれてある。
 払った鞘を投げ捨てながら、土方はその男へと歩み寄った。
 そして、いきなり、一気に右へ剣を薙ぎ払った。
「──っ!」
 男が獣じみた怒号をあげ、退いた。足下がもつれていたが、土方は全く容赦しなかった。敏捷な動きで、右に左にと鋭く薙いでゆく。
 必死になって男は逃げまどったが、力の差は歴然としていた。もはや追い詰められた獲物同然なのだ。だが、それでも、土方は攻撃の手を決して緩めなかった。
 愛する総司のためにも。
 己自身のためにも。
 この男だけは、絶対に許すことができなかったのだ。
「!」
 大きく右へ薙ぎ払った瞬間、今度こそ男の首筋が一気に裂けた。ざぁっと鮮血が吹き出す。
 惨めな咆哮が男の口からほとばしった。
 土方は酷薄な嗤いに唇を歪めると、そのまま返す手で今度は左に薙ぎ払った。また鮮血が吹き出す。
「かっ…ぐぅ……っ」
 呻きながら地面に崩れおちる男を、土方は冷たく澄んだ瞳で見下ろした。
 嘲りと怒りにみちた表情のまま、低く呟いた。
「総司を傷つけたんだ……なぶり殺してやってもいいが、生憎、俺もそれ程暇じゃねぇ。可愛い総司が待ってる事だしな」
 剣を弄びながら、くっくっと喉を鳴らして嗤った。
「ヴァンパイアの名を穢しまくった奴の末路だ。この俺が手を下してやる事を、有り難く思えよ?」
 ゆっくりと、土方は剣をふりあげた。そして、一気に何の躊躇いもなく振り下ろす。
 断末魔の悲鳴が闇に反響し、凄まじい鮮血が迸ったが、彼は表情一つ変えなかった。
 やがて、息絶えたのを確かめると、土方は剣についた血をその男の衣服で綺麗に拭った。鞘を拾い上げて納め、さっさと踵を返して歩き出そうとする。
 その時だった。
「……兄さん」
 澄んだ声が、森の闇に響いた。
 甘い、だが──どこか、艶めかしい声。
 それに、土方は驚かなかった。そんな事ではないかと思い、また、ずっと気配を感じてもいたのだ。
 ゆっくりとふり返った土方は、静かな声で呼びかけた。
「……琴音か」
「久しぶりね」
 その口調は、完全な大人の女だった。
 だが、そこに歩み出た姿はまだ十才になるからならないかの、幼い少女の姿だ。
 可愛らしい少女。
 そうでありながら、その濡れたような瞳も妖艶とした雰囲気も、子供のものではありえなかった。明らかに、その中に宿っているのは、大人の女性なのだ。
 琴音は白いふっくらした両腕をさしのべながら、嫣然と土方へ微笑みかけた。
「その剣、あの神父から貰ったの?」
「あぁ……これか」
 土方はちらりと視線を手元の剣に落とした。
「そうだ。事情を話したら、近藤さんが俺に預けてくれた。ヴァンパイア退治に昔から有効だっだと」
「仲間殺しは禁忌。それを、兄さんは知っているの?」
「もちろんだ」
「じゃあ、どうして……」
「あれが俺たちの仲間か? ヴァンパイアか?」
 蔑みにみちた口調で云い放った土方を、琴音はきらきら光る瞳で見つめた。
「確かにそうね。違うわね。でも、処刑はされないでも、兄さん、立場が結構悪くなるわよ。どんな存在であれ、ヴァンパイアはヴァンパイアだもの」
「あいつを俺が殺した現場を見たのは、おまえだけだ」
「あたしに黙っていろと?」
「黙っててくれるんじゃねぇのか?」
 ゆっくりと腕を組みながら、土方は薄く笑った。黒い瞳に、揶揄するような光がうかべられる。
 それに、琴音は目を細めた。
「……条件があるわ」
「おまえを選べというなら、お断りだ」
 即座に、云い捨てた。
 冷ややかな表情で、妹を見つめた。
「俺は妹を抱く気も、子供を相手にする気もねぇよ」
「子供じゃないわ!」
「中身はそうでも、俺にすればおまえは子供だ。残酷なようだがな」
「仕方ないじゃない。あたしはこの子供の姿の時に、ヴァンパイアとなったのだから」
「それは、おまえ自身が望んだ事だろう? そして、おまえは己をヴァンパイアにしたあの老人を忌み嫌い、俺を伴侶にしようと無理やり血の契約を強制したんだ」
 容赦ない口調で告げた土方に、琴音は息を呑んだ。
 その幼い小さな手が、固く握りあわせられる。
「……今でも、恨んで……いいえ、あたしを憎んでいるの……っ?」
「憎んでるのか、そうじゃねぇのか……俺自身わからねぇよ」
 土方は吐息をもらし、片手で僅かに乱れた黒髪をかきあげた。
「あの時、受け入れたのも俺なら、拒絶しようとしたのも俺だ。けど、どちらにせよ……おまえを伴侶には選べない。俺には、他に、愛するものがいるからな」
「総司って子のこと!?」
 思わず、琴音は叫んだ。
「あんな……男の子! しかも、聖職者よ! なのに、兄さんは……っ」
「おまえには関係ねぇ話だろ?」
 くすっと笑った。
「俺が誰を愛そうが、おまえには何の関係もねぇはずだ。いい加減俺のことは諦めるんだな。おまえは俺と違って、血を糧とする事が出来る。だったら、容易に生きてゆくことができるはずだ」
「兄さん……!」
 琴音は、踵を返し歩きだそうとする土方に走り寄った。その背に縋りつき、白い両腕で男の躯を抱きしめた。
「お願い……行かないで! あたしは兄さんを愛してる! 兄さんと一緒に生きてゆきたいのよ……っ」
「俺はおまえとの生涯を望まない」
 静かな声で、土方は答えた。
「俺が望むのは、ただ一人だけだ。今も昔も……総司だけだ」
「……なら……!」
 不意に琴音は手をふりほどくと、一歩さがった。
 可愛らしい顔を引き攣らせ、切り裂くような声で叫んだ。
「あたし、全部ばらしてやるから! 兄さんが仲間殺し……それも、神父から貰った剣で殺したという事を!」
「琴音」
 ふり返った土方は、切れの長い目をまっすぐ琴音に向けた。
 手をのばし、琴音の小さな手を握りしめ、引き寄せてやる。そして、深々とその瞳を覗き込んだ。    
「……いいか? 覚えておけよ、俺はおまえより力があるんだ」
「……」
「この手で、おまえなんざ簡単に縊り殺せる。なんなら、口封じのためだ。今ここで、それを証明してやろうか?」
 とたん、するりと土方の両手が少女の細い首にかかった。ぐっと力がこめられる。
 琴音の瞳が大きく見開かれた。必死に逃れようと、身を捩った。
「! 兄…さん……っ」
「琴音、おまえはな」
 土方は徐々に力をこめてゆきながら、低い声で囁いた。
 残酷な光をうかべた黒い瞳が、苦しみもがく妹を眺めた。
「最もしてはならない事をしちまったんだ。俺よりも罪深い事をな」
「……な…にを云って……」
「あの男を狂わせたのは、おまえだろうが。毒をうえつけ、狂ったヴァンパイアを生み出した。仲間殺しより、よっぽど罪じゃねぇのか? えぇ?」
「……っ」
「しかも、そいつを使って、おまえは総司を襲わせた。俺が一番大切にし、心から愛している総司を。到底許せる事じゃねぇよな……?」
 土方の切れの長い目がぎらりと底光りした。
 が、次の瞬間には、力が緩められていた。何の興味もなくしたように、不意に少女の躯を突き放す。
 地面に崩れこんだ琴音を見下ろし、土方は低い声で告げた。
「二度と俺の前に現れるな」
「……っ、兄…さん……っ」
「おまえは俺の敵だ。今度逢った時は容赦しねぇぞ。わかったな?」
 冷ややかに云い捨てると、土方は踵を返した。足早に歩みさってゆく。
 二度と、ふり返る事はしなかった。
 固く唇を引き結び、前だけを見据え、歩みつづけた。
 闇の中、そんな彼の背を、啜り泣く声だけが追ってきた……。








 土方は真夜中の小道を歩き、家へ戻った。
 疲れた表情でため息をつきながら、そっと扉を押し開ける。
 眠っている総司を起こさぬよう家へ入ると、足音をたてず自分の部屋へむかったつもりだった。気配も殺していたのだ。
 なのに。
「……土方さん」
 開かれた寝室の扉と声に、土方は驚いてふり返った。見れば、総司が寝着の上にショールをまきつけた格好で立っている。慌てて歩み寄り、その細い肩を抱いた。
「莫迦、こんな格好でうろつく奴があるか。またぶり返しちまうぞ」
 思わず叱咤するような口調で云った土方を、総司は大きな瞳で見上げた。じっと探るように見つめている。
 抱き寄せる男の腕の中、問いかけた。
「土方さん……どこへ行っていたの?」
「……」
「こんな夜中に、どこへ?」
「……総司」
 一瞬、苦しげにその名を呼んでから、土方は総司の躯に両腕をまわした。ふわっと抱きあげ、部屋の中へと入ってゆく。
 ベッドに横たえてやりながら、優しい声で話しかけた。
「おまえが思い煩う事じゃねぇんだ。何も心配はない」
「だって……」
 総司は桜色の唇を震わせ、何か云いかけた。が、その唇にそっと指を押しあてられ、黙り込んだ。
 土方は頬にキスをあたえてから、深く澄んだ黒い瞳で恋人を見つめた。
「俺を信じてくれ。おまえを裏切るような事は絶対にしてねぇから……大丈夫だから」
「土方さん……」
 長い睫毛を伏せ、きゅっと唇を噛みしめた。
 それから、土方の手を握りしめ、指をからませながら、小さな声で云った。
「……夜中に…目が覚めて」
「あぁ」
「何だかすごく怖い夢を見た気がして、それで、あなたの部屋へ行ったら……家のどこにもいなくて」
「……」
「怖くて怖くてたまらなくなって……出ていったんだ、私を捨てていなくなっちゃったんだと思ったら、息ができなくて……心臓がとまってしまいそうだった。だって、私、あなたに捨てられるくらいなら、死んだ方がいいから……っ」
 言葉が途切れた。
 不意に、土方がその細い躯をきつく抱きしめたのだ。おおいかぶさるようにして抱きすくめ、その白い首筋に顔をうずめた。
「……愛してる、総司……!」
「ぁ……っ」
「おまえだけを愛してる。世界中の誰よりも愛してるよ」
「土方…さん……」
「だから、信じてくれ。俺の事を。俺はいつでも、おまえを見守っているし、おまえの幸せだけを願っている。俺のすべては、おまえだけのものなんだ……」
「私の…もの?」
 総司は信じられぬ言葉に、思わず息を弾ませた。
 嬉しくて嬉しくてたまらなくなる。
 愛してる、好きだと何度も囁かれていたが、ここまで云ってくれたのは初めてだったのだ。
 大きな瞳が、歓びに潤んだ。
「あなたは……私のもの? 本当に?」
「あぁ」
 土方は静かに頷いた。僅かに身を起こし、その綺麗な顔を覗き込んだ。
 羽毛のような優しいキスを額に瞼に頬にあたえながら、囁きかけた。
「俺はおまえのものだ、永遠に。総司……おまえだけのものだ」
「嬉しい……」
 総司は花のように微笑い、そっと頬を染めながら囁き返した。
「私のすべても……あなたのものです。ずっとずっと、いつまでも」
「総司……愛してる」
「愛してます……」
 うっとりと答え、総司は男の腕の中で目を閉じた。
 それを抱きしめながら、土方は微かに目を伏せた。その黒い瞳に翳りが落ちる。
(……愛してるよ)
 心の中、その想いのたけをこめて囁いた。
(永遠に、おまえだけを愛してる。そして、俺はおまえだけのものだ)
(何があっても)
(たとえ……もう二度と逢えなくても)
「……土方さん」
 可愛らしく身をすり寄せてくる総司が、何よりも愛おしい。
 いっそ、このまま浚ってしまいたいのに。
 この先にどんな地獄と修羅が待ち受けていようとしても、それでも。
 己が棲む昏い闇の底へ、我が身とともに───
「……」
 土方は唇を噛みしめると、何よりも愛おしい恋人を、きつく抱きすくめたのだった……。

















 

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