総司は受話器を置くと、小さくため息をもらした。
その長い睫毛がなめらかな頬に翳りを落とし、どこか憂い顔だ。
(……どうしよう……)
そう思いながらもう一度ため息をついた時、後ろから声をかけられた。
「──総司?」
「!」
はっとしてふり返ると、土方が家に入ってきた処だった。数本の薔薇を手にしている様が、午後の柔らかな日差しの中、まるで一枚の美しい絵のようだ。
濡れたような黒い瞳が、じっと総司を見つめた。
「どうした、ため息なんかついて」
「あ……」
「何か、あったのか?」
そう問いかける彼に、総司は慌てて首をふった。
小さく笑ってみせる。
「そんな…何もありませんよ」
「ふうん」
土方はちょっと訝しげに総司を眺めていたが、すぐ視線を落とした。
優しげな外見とは裏腹に、総司が本当はとても気が強く、また意地っぱりなのを、よく知っているのだ。
キッチンに入った土方は綺麗なグラスに薔薇をさすと、そのままケトルを取り上げた。
「そろそろ、お茶にしようか。今日はローズチップを入れた紅茶にしようかと思っているんだが」
「はい……それでいいです。あ、この間焼いたフルーツケーキ出しますね」
しばらくの間、二人は無言のままお茶の用意をした。
二人が恋人になってから、お茶の時間、土方が紅茶を入れ、総司がデザートを用意するのが習慣となっていた。初めて入れてもらった時、総司が思わず息を呑んでしまった程、土方がいれた紅茶はおいしかったのだ。同じ葉、同じ湯で入れたと思えぬほどだった。
「……おいしい」
今日も、そのおいしい紅茶を一口飲み、総司はほっと満足げな吐息をもらした。
それに、土方は嬉しそうに笑った。
「気にいって貰えて、よかった」
「どうして、こんなにおいしいのかなぁ。同じ葉っぱなのに」
「湯の温度と、入れるタイミングさえ気をつければ、誰でも同じように入れれるさ」
「ふうん」
「それより、俺はおまえが作るケーキの方がすごいと思うけどな」
土方はフルーツケーキをフォークで切り分けながら、云った。胡桃や干しぶどうがふんだんに入った、蜂蜜入りのフルーツケーキだ。
「あまり甘いもの好きじゃねぇ俺でも、旨いと思って食っちまえるほどだ。おまえ、シスターなんてやめてケーキ屋でも開いたらどうだ?」
「あ、それ、いいですね」
総司はうきうきした口調で答えた。
「いっそのことカフェ併設にしたりして。もちろん、土方さんが紅茶を入れるんですよ」
「俺が?」
「うん」
こくりと頷き、微笑んでみせた。
だが、総司もよくわかっているのだ。こんなの全部、夢物語だということを。
ヴァンパイアの彼と、聖職者である自分の未来が、そんな明るく優しいものであるはずがなかった。
それでも、少しだけ夢見たかったのだ。
「だけど、土方さん格好いいから今以上に女の人に追いかけられて、私、やきもち妬きまくっちゃうかな」
「可愛いおまえが妬いてくれるなら、嬉しいぐらいさ」
そう云いざま、土方は身をのりだした。テーブルごしに、甘いキスを頬にあたえてくる。
それに、一瞬、総司の瞳が翳った。だが、すぐ可愛らしく笑いながら、自分からも土方の頬にキスを返した。
「あのね」
お茶の後、二人はいつもの窓際のソファにうつった。
午前中たくさん働いたので、今日の午後はゆっくりするつもりだった。総司は土方の肩にそっと小さな頭を凭せかけた。
「あのね、ちょっと話があるんですけど」
「あぁ」
「明日……人が来るんです」
「人が? 客なのか?」
問い返した土方に、総司は頷いた。その澄んだ瞳が複雑な色をうかべる。
白い指さきで彼の手をそっと弄びながら、言葉をつづけた。
「お客様じゃなくて……神父さま、なんです」
「……」
「孤児だった私を育ててくれた家の人で、私の父であり兄みたいな存在の……」
「……そうか」
「土方さん」
より彼に身を寄せると、総司は真摯な声で云った。きゅっと彼の手を縋るように握りしめる。
「あのね、土方さん……気をつけて下さいね」
「……」
「ヴァンパイアだってこと、神父さまにばれないように。数日滞在されると思いますけど、出来るだけ顔をあわさないようにして。それから、絶対に人間のふりをしてて欲しいのです」
「……」
土方は黙ったまま、総司の髪をゆっくりと撫でた。やがて、そっと柔らかな髪にキスしながら、静かな声で訊ねた。
「俺がヴァンパイアである事を、その神父に告げねぇのか」
「云ったでしょう? 私があなたを守りますって、あなたのためなら戦うと……」
総司は一瞬目を閉じてから、きっぱりと言葉をつづけた。
「その気持ちは今も変りません」
「総司……」
「土方さん……私はあなたを愛してる」
そっと身を起こした総司は、深く澄んだ瞳で彼を見上げた。そして、云いきった。
「どんな事があっても、何があっても……私はあなたを愛してるんです。初めて逢った時はこんな気持ちになるなんて思ってもみなかったけど、でも、今は……私は、あなたがいないと生きられないぐらい、あなただけを求め、愛しているんです」
「……」
「それだけは、いつまでも忘れないでいて下さい」
……たとえ。
あなたが、残酷なヴァンパイアであったとしても。
昏い闇の底に棲まう生き物であり、血を奪うことに快楽を覚える。
そんな狂気と邪悪さにみちた姿があなたの真実なのだと、思い知らされる事になっても。
それでも──
(……私はあなたを愛さずにはいられないから)
総司は不意にソファの上で膝立ちになると、細い両手をのばした。そのまま彼の躯に腕をまわすと、きつく抱きついた。
何かを──彼の中にある真実を愛を、優しさを心を、強く求めるように激しく身をすり寄せた。
そんな総司に、土方も何も云わなかった。
ただ黙ったまま、その細い躯を両腕で抱きしめてくれる。
(……土方さん……)
総司はあふれ出しそうな想いに、固く瞼を閉ざした───
翌日の昼過ぎ、神父は予告どおりやってきた。
いつもの黒衣で庭を横切り、総司の小さな家の扉をノックする。
扉を開けて、その姿をみとめた総司は、ぱっと顔を輝かせた。土方の事が気がかりであっても、やはり、家族同然である彼に逢えるのは嬉しいのだ。
「……お久しぶりです、近藤さん」
明るく挨拶する総司に、近藤は穏やかに微笑んでみせた。
一見すれば神父には到底見えない厳つい男だが、その実、素晴らしい聖職者だった。彼は、どんな人にも分け隔て無く接し、彼らの声を聞き、優しくその心に寄りそった。それに総司も見習おうと思うのだが、穏やかな包容力にはまだまだ叶わなかった。
「元気そうで何よりだ」
近藤は家に入ると、中をぐるりと見回した。
「ここも変らない。また元気な総司に会えた事を、神に感謝しなければね」
「はい」
「この町の人たちも皆、お元気か?」
「えぇ、今度はいつ神父さまがいらして下さるのかと、何度か聞かれました」
「そう……忙しくてあまり訪れる事が出来ず、申し訳ない。総司、おまえには苦労をかけるね」
「いえ、そんな……」
総司は僅かに首をふった。
お茶をすすめながら、そっと問いかけた。
「あの……近藤さんは……その、何日ぐらいここに……?」
「悪いが、あまり長居は出来ないのだよ」
ちょっと近藤は罰が悪そうな表情になった。
「明朝、学会へ出る事になっていて、ここに一泊すら出来なくてね」
「……そう、ですか」
総司はこくりと頷いた。
なるべく感情を表に出さないよう気をつけたが、ほっと安堵してしまった事は確かだった。一泊もしないのなら、土方を隠すことも容易だろう。
彼は今、外出をしていた。近藤が訪れる時間近くに、総司は街へ出かけるよう勧めたのだ。
土方は僅かに困惑したような表情になったが、すぐ苦笑すると頷き、そっと総司の額にキスしてくれた。そのまま外出し、まだ帰って来ていない。
(今頃、あの人はどこで何をしているのだろう……?)
愛しい彼の事に想いをはせていた総司に、近藤が呼びかけた。
「総司」
「……あ、はい」
慌てて我に返って見やると、近藤は真剣な表情で総司を見ていた。
厳しく引き締まった表情に、はっと息を呑む。
「な、何ですか?」
そう問いかけながら、総司は頬が強ばるのを抑えきれなかった。
もしかして、土方の事がもうばれてしまっているのだろうか。
ヴァンパイアである事のみならず、総司の恋人となっている事も、みんな──?
そんなことありえるはずがないと思いながらも、総司はじんわりと手ひらに汗がにじむのを感じた。
「……何か……?」
「いや、実は、今日ここへ突然来たのには理由があるのだ」
「はい……」
「最近、この町や隣町で、不可思議な事件が起っているようだな」
「……」
総司は鋭く息を呑んだまま、沈黙してしまった。いったい、どう答えていいのかわからない。
「女性の首が噛み切られ、血が抜かれていたとか」
「……」
「ヴァンパイアの仕業だという噂さえあるようだが……」
近藤は嘆息した。
「むろん、云うまでもない事だろうが、ヴァンパイアは忌むべき存在だ。そんなものがこの辺りを徘徊し人々に危害を加えているとなれば、我々聖職者も手をこまねいてはおられんだろう」
「!」
近藤の言葉に、総司は弾かれたように顔をあげた。
その瞳が大きく恐怖に瞠られている。
「ヴァンパイア狩りをするのですか……!」
「このままでは、それもあり得ると云っているのだよ」
「ですが、そんな……っ」
「優しいおまえが、生き物である以上、ヴァンパイアを殺す事に躊躇いを覚えるのは当然だろう。だが、そのまま放っておけば、罪なき無辜の人々に害が及ぶばかりなのだ」
「……」
「それから、総司」
近藤は手をのばすと、総司の手をとり握りしめた。反対の手でかるくたたいてやる。
「わたしは何よりも、おまえの事が心配なのだ」
「……近藤さん」
「いいね? 前々から云ってきたように、ヴァンパイアには気をつけるのだよ。おまえのように無垢なものは特に狙われやすい。どんな事があっても、その身近くに彼らを寄せつけてはいけないよ」
「……」
穏やかな近藤の声に、総司は思わず目を伏せてしまった。
もう──遅いのだ。
この身近くに寄せつけるどころか、彼と交わり繋がり、この身がとろけるほど愛しあってしまったのだから。
忌むべき存在であるヴァンパイアと。
それが神への冒涜であろうと、どんなに罪深い事であろうと。
たとえ、この罪ゆえに地獄へ落とされたとしても。
もしも彼を愛することをやめるのならば、いっそこの身を滅ぼされてしまいたかった。
愛して愛して、愛しぬいているのだ。
あの、誰よりも薔薇が似あう、綺麗な黒い瞳をしたヴァンパイアを───
「……お茶、いれかえますね」
総司は静かな声で云うと、立ち上がった。ポットを手にキッチンへ向かってゆく。
そのほっそりした背に、午後の日射しが柔らかく降りかかっていた……。
総司が夕食の支度をしている間に、近藤は教会へむかった。
ここを出る前に、一度は祈りを捧げておかなければと思ったのだ。
中へ入ると、人の気配がした。信者の誰かかと思った近藤は一瞬、周囲を見回したが、誰の姿もない。
「気のせいか」
呟き、近藤は礼拝台の前にすすんだ。頭を垂れると祈りを捧げ、聖句を口にする。
その時だった。
「……よう、久しぶりだな」
突然、響いた声に、近藤は驚愕した。
顔をあげて周囲を見回すが、やはり誰の姿もない。当惑する近藤に、また声が響いた。
「どこ探してるんだ。そんな処じゃねぇよ」
喉奥で低く嗤う声。
それは、上から降ってきていた。
そちらの方をふり返り見上げた近藤は、とたん、大きく目を見開いた。
「!」
教会内でもかなり高い位置にある縦長の窓。
美しいステンドグラスがはめ込まれたそれは、聖母マリアを模したものだ。
その木製の窓枠に、一人の男が腰かけていた。悠然と足を組み、薄く笑いながらこちらを見下ろしている。
すっきり整えられた艶やかな黒髪、こちらを見つめている冷たく澄んだ黒い瞳。
形のよい唇から、その深みのある声、しなやかな指さきまで何一つ変っていなかった。
身に纏う、艶のある雰囲気までも。
それは、5年前に袂を分った───
「……歳……!」
思わず呻くようにその名を叫んだ近藤に、土方はゆっくりと唇の端をつりあげた。
決して人のものではありえない。
ぞっとするほど酷薄な、ヴァンパイアの笑み───
「……元気だったか?」
「歳、おまえ……っ」
「5年ぶりの再会だ。もう少し嬉しそうな顔をしろよ」
そう云いざま、土方はひらりと窓枠から飛び降りた。軽々と敏捷な動きで降り立つと、ゆるやかに近藤の方へ向き直った。
かるく小首をかしげてみせる。
「何だ、驚いて声も出ねぇか」
「お、おまえ……どうして、ここに……」
「総司に助けられたんだよ」
「!」
土方の言葉に、近藤は愕然となった。
それを愉しそうに眺めながら、土方は言葉をつづけた。
「ったく、あいつ、すげぇ人なつこくて優しいからな。すぐ俺を家に入れてくれたぜ。おまけに、そのまま住まわせてくれるし……よくあれで今まで危ねぇ野郎に手出されなかったものだよなぁ」
「まさか、まさか……おまえ」
「あぁ」
土方は、言葉につまった近藤を前に、くすくすと笑った。
片手で僅かに乱れた前髪をくしゃっとかきあげながら、悪戯っぽい瞳でかつての親友を見つめた。
「察しのとおりさ。俺はあいつを抱いたよ、手出しちまった」
「! 歳、おまえ……っ」
「おかげさまで、俺たちは晴れて恋人同士さ。あいつも俺を愛してくれたしな、むろん、俺もあいつが可愛いし大切だ」
ゆっくりと両足を開いて立つと、土方は腕を組んだ。
近藤を切れの長い目で鋭く見つめ、傲慢なまでの口調で云いきった。
「生憎だが、今度ばかりはあんたの負けだ。運命があんたの策略を出し抜いちまったって訳さ」
「そんなこと……許されると思っているのか!」
「神に許されなくてもいい」
揶揄するような口調で呟くと、土方は喉奥で低く笑った。
「あいつがそう云ったんだぜ? ヴァンパイアである俺を守るために、戦うと」
ゆっくりと彼は歩み始めた。しなやかな足取りで教会の中を横切り、近藤の前に歩み寄ってくる。
互いの手をのばせばふれられる程まで近づくと、土方は嘲るような笑みをうかべながら、近藤の顔を覗き込んだ。
「残念だったよなぁ。あんたの可愛い可愛い総司が、ヴァンパイアなんざに籠絡されちまって」
「歳……!」
「けど、もう全部手遅れだ。俺は総司を二度と手放すつもりはねぇし、あいつも俺がいなければ生きてゆけないとまで云っている。どうあがいても、俺たちの絆は絶つことができねぇぜ」
近藤はきつく奥歯を噛みしめた。
しばらくの間、険しい表情で押し黙っていたが、やがて、視線を落とすと深く嘆息した。
低い声で、ゆっくりと云った。
「……教えてくれないか」
「何だ」
「総司に手を出したというのは、本当……なのか」
「あぁ、そんなこと嘘つくはずがねぇだろ」
「ならば、どうして……」
云いかけた近藤に、土方は僅かに瞳を揺らした。途切らせた言葉の先を──その意味を、すぐさま察したのだ。
彼の黒い瞳が昏く翳った。
「……俺だって、迷いはするさ」
今までの嘲りにみちたものと違い、絞り出されるような苦渋の声に、近藤は土方がもつ矛盾と心の揺れを見た気がした。
この親友は今も尚、迷い、苦しみつづけているのだ。あの時、はからずも堕ちてしまった闇の迷路の中で───
「そうか……」
近藤は静かに頷くと、また嘆息した。それから、5年前とまったく変らぬ親友の姿を眺め、云った。
「もう一つだけ訊ねたい」
「あぁ」
「あの事件。最近、この辺りで起っている事件だが、あれは……おまえの仕業なのか」
「……」
近藤の問いかけに、土方は何も答えなかった。無言のまま僅かに目を細め、美しく輝くステンドグラスを眺めている。
その端正な横顔を見つめた近藤は、彼が何も答える気はないのかと思った。諦めようかと考えたが、結局、もう一度だけと問いを重ねた。
「歳、おまえの仕業なのか……?」
それに、土方は目を伏せた。
「……さぁな」
うっすらと笑い、言葉をつづけた。
「あんたはどう思う? やはり、俺の仕業だと?」
「おまえが血に飢えているなら……それもあり得る事だろう」
「じゃあ、あんたの想像に任せるさ」
そう云うと、土方はひらりと手を振ってみせた。これで話は終わりだとばかりに、さっさと教会から歩み出てゆこうとする。
それを思わず追いかけた近藤に、土方は扉の処まで行くとふり返った。
切れの長い目でまっすぐ見つめ、呼びかけた。
「近藤さん」
「……何だ」
「あんたがさ、心から総司を可愛いと思うのなら、俺の事は黙っておけよ。でないと本気でさらっちまうぜ?」
「歳……!」
「相変わらず、怒りっぽいな。年を重ねても、そういう処だけは変らねぇか」
くっくっと喉を鳴らして笑い、土方は扉に手をかけた。ゆっくりと押し開き、教会から出てゆく。
ほんの僅かな間だけ外の世界を垣間見せた扉は、やがて、微かな軋み音をたてて閉じられた。
「……」
それを剣呑な目で見据えた近藤は、何かを堪えるように強く拳をかためた……。
近藤は宿泊はしなかったが、夕食だけは共にした。
むろん、そこに土方は同席したのだ。
二人の関係など全く知る由もない総司は、躊躇いがちにだが彼を近藤に紹介した。
「あの……土方さん、です」
まさか恋人だと云う訳にいかなかったが、何とか言葉をつづけた。
「少し前から、うちに滞在してもらっています。色々と教会の事を手伝ってくれて……その、助かってるんです」
そう云った総司はなめらかな頬を桜色にそめ、ちらりと土方の方へ視線をやった。それに土方は微笑み、近藤は顔を強ばらせる。
「……よろしく」
すっと手をさし出し、土方は静かな声で云った。
その端正な顔に、穢れ一つ知らぬような綺麗な笑みをうかべた。
「こちらで厄介になっている土方です。神父さまにお会いできて嬉しく思います」
他人行儀な口調だった。だが、覗き込んできた黒い瞳は、嘲笑にみちていた。
近藤は口を一文字に引き結んだ。
「……こちらこそ、よろしく」
固い声で答え、握手した。
5年前と何一つ変らない、親友の手を。
しなやかな指さきまで、何もかも同じだった……。
「……」
土方は黙ったまま、僅かに唇の端をつりあげた。
だが、それきり近藤から視線を外すと、総司の方へ向き直りあれこれと世話をやき始める。
食事の用意を手伝い、どこか気が沈みがちな総司に、優しい言葉をかけた。
やがて、総司も少し気が晴れたのか、ふわりと花のような笑顔を見せた。それに、土方も優しい瞳で微笑みかけた。
どこから見ても、似合いの恋人同士だった。
複雑な気持ちの近藤の目から見ても───
食事が終わると、近藤はすぐさま席をたった。まだ夕時だったが、早く行かなければ向こうへ着く頃には真夜中になってしまうのだ。
「……俺が送っていくよ」
見送ろうとする総司に、土方が云った。それに、目を見開いた。
「え、でも……土方さん……」
「町外れまでだ。ちょっと行ってくる」
そう云うと、土方は踵を返した。近藤とつれだち、さっさと出てゆく。
総司は不安げな瞳で見送った。
「……話があるのか」
家を出て前の細い道を歩んで。
町中を半ばほどまで来てから、近藤が不意に云った。それまでは、二人ともずっと押し黙っていたのだ。
土方がくすっと笑った。
「あるのは、あんたの方だろう」
「……」
「聞きたい事があるなら、今のうちに聞いておけよ。そして、あんたの居場所に戻ってから、俺を退治するため再度やってくるんだな」
「歳、そんな事を……」
「しないのか? へぇ、お偉い神父さまが、この世の悪たる忌むべき化け物ヴァンパイアを見逃す。そんな事をして構わねぇのかよ」
「5年前と同じことだ」
絞り出すような声で、近藤が答えた。ぐっと拳を固める。
「あの時も悩み苦しんだが、結局、あの答えしか出せなかった。今度もおれはどうせおまえを殺せない……」
「……近藤さん」
「甘いなら甘いと云え。だが、ずっと子供の頃から一緒に育った親友を殺せる奴が、いったい何処にいる? それが、たとえヴァンパイアであったとしても……」
近藤は苦しげな表情で、視線を落とした。
それに、土方はしばらく黙っていたが、やがて深くため息をついた。くしゃっと片手で前髪をかきあげ、目を細める。
ほろ苦い笑みをうかべながら、呟いた。
「……本当に甘ぇよな」
「何とでも云え」
「そのくせ、開き直ったらあんた強くてさ。そういうとこも全然かわっちゃいねぇ」
くっくっと喉を鳴らして笑った土方に、近藤は顔をあげた。
その端正な横顔を見つめる。
ずっと一緒に遊び、育った親友だった。
いつまでもそうなのだと信じていたのだ。こうして彼と自分は一緒に肩をならべ、生きてゆくのだと。
なのに、あの日───
「琴音とは逢ったのか」
そう訊ねた近藤に、土方は一瞬押し黙った。探るような鋭い一瞥を、投げかけてくる。
「……琴音の行方を追っているのか」
「そうじゃない。だが、今頃、琴音はどうしているのかと思ってな」
「俺を捜しているさ」
どこか遠い処を見やりながら、土方は呟いた。その黒い瞳が昏く翳る。
「俺だけを欲し、俺だけを探し求めているはずだ……」
「だが、おまえは……」
「あぁ……そうだ。俺は琴音を受け入れる事はできねぇ。あいつは俺の妹だ。だからこそ、琴音は俺を選んだのだろうが、あの夜……俺に血の契約を強いたのだと思うが、それでも、俺は己のすべてで琴音を拒絶した」
土方はきつく唇を噛みしめた。
あの時、あの瞬間の、琴音の表情は今も忘れられないのだ。
自分が彼に拒絶されたと知った瞬間、あの驚愕から絶望へと変っていった表情を。
可哀想だとは思った。
だが、どうしても受け入れる事はできなかったのだ。
永遠に時をとめた、可愛らしくも幼い少女。
その琴音が選んだのは、自分の兄である土方だった。
血の契約を強い、最愛の兄を昏い闇の生き物へと生まれ変らせたのだ。だが、そうして妹によってヴァンパイアになった土方は、琴音を受け入れなかった。
それは、憎しみゆえではないと思っていたが───
「……もしかすると」
低い声で呟いた。
「俺は……琴音を憎んでいたのかもしれねぇな」
「歳……」
「こんな地獄のような闇へと引きずりこんだ琴音を、俺はずっと憎んでいた……だからこそ、あいつを受け入れる事ができなかったのかもしれねぇ」
「なら、歳、おまえは……!」
思わず云いかけた近藤に、土方は薄く笑った。僅かに視線を落とし、自嘲するような笑みをうかべた。
「あぁ……そうさ」
「……」
「だから、さっきも云っただろ? 俺だって迷いはするさ──と」
そう云ってから、土方は気をとり直したように顔をあげた。ちらりと視線をその先に投げかけ、手をのばす。
ぽんっと近藤の肩を叩いた。
「……ほら、町外れだ。俺が送るのはここまでさ」
「歳」
「早く帰らねぇと、総司が心配だからな」
そっと目を細め、土方は呟いた。
総司のことを口にしたとたん、その黒い瞳がとけるように優しくなる。
心から愛しいものを想う、男の瞳だった。
世界中の何よりも、誰よりも。
ただ一人だけが大切なのだ、命にかえても守ってやりたいのだと。
そう、男の瞳が静かに語っていた……。
「……」
近藤は小さく息を呑んだ。
本当は、もう一度だけ訊ねようと思っていたのだ。
真実、総司を愛しているのか──と。
しかし、その必要はないようだった。
「……じゃあな」
穏やかな声で告げた近藤に、土方はかるく頷いた。
一瞬だけ、その黒い瞳で親友を見つめてから、すっと踵を返した。不安な瞳で彼を待っているだろう総司のもとへと、帰ってゆく。
それをしばらく見送っていたが、やがて、近藤も歩き出した。二人とも、決してふり返らなかった。
辺りに少しずつ、夕闇が降り始めていた……。
「……まだかな」
総司は不安そうに呟き、そっと窓から外を伺った。
だが、窓外の光景に、愛しい男の姿はない。それに、深いため息をついた。
心配でたまらなかったのだ。
近藤が土方の正体に気づかないか。
もしも彼がヴァンパイアであると知ったなら、信仰のとても篤い神父である近藤のことだ。きっと抹殺しようとするに決まっていた。
総司にとって、世界中の誰よりも大切で愛しい男の命が奪われてしまうのだ。
「……っ」
思わず、ぞっと身震いしてしまった。
不吉な事ばかり考えてしまい、たまらず家の外に出た。もう辺りは夕闇に包まれている。
仄かな青紫に染まりつつある光景の中、総司はきつく唇を噛みしめた。庭先から歩み出ると、躯にまきつけたショールをより強く引き寄せ、足早に歩き出す。
小道に人影はまったくなかった。
あの恐ろしい事件のため、最近、日が暮れ始めると誰も外出しなくなっているのだ。
しん──と静まりかえった小道を、総司は歩いた。
だが、突然、その足がとまった。
「……っ」
大きく目を見開き、両手をきつく握りしめた。
さぁっと躯中が総毛立つのを感じた。
(……何か、いる……!)
それは確かな気配だった。
総司のすぐ後ろ、そこに何かがいるのだ。いつのまに現れたのか、だが、それは邪悪で不吉な気配を放っていた。
荒い息づかいと獣じみた匂いに、ぞっとした。
逃げようと思うのだが、足が竦んでしまったのか一歩も動けない。冷や汗が全身から吹き出し、己の心臓の鼓動だけが激しく響いた。
(怖い! 怖い! 助けて……土方さん……!)
そう、心の中で総司が叫んだ瞬間だった。
不意に後ろから腕を掴まれた。とたん、呪縛がとけたように総司は身を捩り、走り出す。
だが、すぐさま引き戻され、凄まじい力で地面へと叩きつけられた。
「!」
髭をぼうぼうに生やした、獣のような男だった。血走った目で総司を見下ろし、口から涎をたらしている。
狂人だとわかった。いや、それだけではない。
これは───
「や…いやぁあああーッ!」
総司は思わず悲鳴をあげた。
首筋に生温かい息がかかった次の瞬間、鋭い痛みがそこを貫いたのだ。何をされているのかわかる。
血を吸われているのだ。
自分は今、ヴァンパイアに襲われているのだ……!
「……っ」
たちまち、総司の意識は霞んでいった。もう躯中に力が入らず、ぐったりと目を閉じる。
だが、そんな総司の上から、突然、重みが消えた。首筋の鋭い痛みも消える。
すぐ傍で何か争う物音がした。怒号と叫び声が交差している。時にすれば、ほんの数秒の出来事だっただろう。やがて、荒い足音が走り去ってゆくのを聞いた。
「……総司……!」
次の瞬間、その細い躯は荒々しく抱きあげられていた。きつく抱きしめられ、何度もその名を呼ばれる。
「総司! 総司……しっかりしろ……!」
「……土方…さん……?」
うすく目を開いた総司は、掠れた声で訊ねた。
霞んだ視界に、愛しい男の顔があった。力強い腕が総司を抱きしめてくれている。
とたん、総司は安堵した。もう大丈夫なのだと思った。この人が傍にいてくれるなら、何も心配することないのだ。
(……土方さんさえいてくれれば……)
そう思いながら、総司は瞼を閉ざした。
そして、抱きしめてくれる男の腕の中、底なし沼のような深い闇の底へと落ちていったのだった……。
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