柔らかな陽光が居間に射し込んでいた。
 黄昏時の、琥珀色にみちた不思議な刻限だ。まるで金粉を散らしたかのように、部屋中のものが淡く静かに輝いていた。
 そんな光景の中、総司は土方の腕に抱きしめられていた。
 ソファに腰かけた彼の膝上に抱かれ、その逞しい胸もとに凭れかかっている。
 土方はもう衣服を身につけていたが、総司はまだ毛布一枚を纏っただけだった。生まれたままの裸身に薄い毛布をまきつけ、土方の腕に抱かれている。
「……」
 総司は細く吐息をもらすと、うっとりした表情で彼の胸もとに頬をすりよせた。
 あれから彼にさんざん抱かれ、甘い快楽の時を過ごしたのだ。痛みは確かにあったが、彼への恋ゆえに、それさえも甘い疼きの中に消えた。
 それほど、幸せだった。
 実際、彼に抱かれるまで、自分の幼い恋心にさえ気づいてなかった。だが、ようやくわかったのだ。
 どうして、あんなにも彼を引き留めたのか。
 傍にいて欲しいと願ったのか。
 それは、彼を愛しているからだった。
 いつのまにか、自分にとって彼は、世界中の誰よりも愛しい存在となっていたのだ。
 だからこそ、自分以外の人には優しい彼に傷つき、嫉妬し、苦しんだ。今日女とキスしていた彼に、目眩さえ覚えるほどの怒りと悲しみを感じたのだ。
 でも、彼は自分を抱いてくれた。
 初めは無理やりだったし乱暴で怖かったが、それでも途中からは優しく愛してくれたのだ。それが、総司には何よりも嬉しかった。
(……好き……)
 その言葉を告げようと、総司は顔をあげた。
 こちらを見下ろしている土方の端正な顔を見つめ、そっと唇を開く。
 だが、総司が告白する寸前、土方はすっと視線をそらせた。
「……」
 黙ったまま腕の力を緩めると、総司の躯をソファの上におろした。そうして立ち上がると、こちらに背をむけたまま低い声で云った。
「……これで、よくわかっただろ」
「え……?」
 総司は突然の男の言葉の意味が掴めず、睫毛を瞬かせた。
 それに、土方はふっと嗤った。
「とぼけるなよ。俺という男が、よくわかっただろうと云ったんだ」
「土方…さん……?」
 ゆっくりと、土方はふり返った。
 その男の表情を見たとたん、思わず息を呑んだ。
「!」
 甘さなど欠片もない表情だった。鋭く刺すような目で、こちらをじっと見据えている。
 傲然と総司を見下ろした土方は、形のよい唇の端をつりあげた。
 冷ややかな声が云い放つ。
「おまえは誤解してるようだからな、はっきり教えてやるよ」
「……」
「俺はな、おまえを欲望のために犯したんだ。初めから云っていただろ? 欲望と自己満足のためなんだと」
「!」
 総司の目が大きく瞠られた。
 呆然としている総司に、土方は酷薄な笑みをうかべた。
「まさか、愛情があるとでも思っていたのか。男である俺が、男のおまえに? 笑わせるんじゃねぇよ」
「だって……土方…さん……」
「俺が何か云ったか? おまえを好きだとでも? 云ってねぇだろ、俺はおまえを犯し、その躯で楽しんだ。ただ、それだけの事なのさ」
 そう口早に告げると、土方は大股に部屋を横切った。
 彼が玄関へ向かっていると知った総司は、慌てて立ち上がった。だが、躯に力が入らず、よろめいてしまう。
「ま……っ」
 思わず待ってと叫びかけた総司に、土方はふり返った。
 冷たく澄んだ黒い瞳が、総司をまっすぐ見据えた。
「おまえだって、こんな男もう顔も見たくねぇだろ? さっさと追い出してぇだろ?」
「……っ、ぁ……」
「出ていってやるよ。金輪際、ここには顔を出さねぇから安心しな」
 そう云いざま、土方は扉に手をかけた。ノブを回し、押し開こうとする。
 その瞬間だった。
 涙まじりの叫びが、部屋の空気を切り裂いた。
「い…いかないで……ッ!」
「!」
 驚きふり返ると、総司は床に半ば倒れこみながら叫んでいた。必死にこちらへ来ようとしている。
 大きな瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれた。
「いや……いやだ、行かないで……お願い、行かないで……っ!」
「総…司……」
「あなたが好きなの! 愛してるのっ、私を好きじゃなくても……嫌われていてもいいから、お願い、出ていかないで……!」
「……っ」
 土方は一瞬、呼吸がとまった後のごとく、激しく喘いだ。信じられぬものを見たように、呆然と泣きじゃくる総司を見つめている。
 のろのろとその手が己の腕を掴み、きつく握りしめた。
 喉奥から、絞り出すような声がもれた。
「……な…んで、どうして、おまえ……」
「わからないの。全部……わからない」
 総司は涙に濡れた瞳で、土方を見つめた。
「でも、だけど、あなたにいて欲しいの! 土方さん、あなたが好きで好きでたまらないの。どんな事をされても、何をされても構わないぐらい……っ」
「なら……!」
 不意に、土方は総司の言葉を激しく遮った。大股に部屋を横切ってくると、総司の傍に跪いた。荒々しく抱き起こし、その小さな綺麗な顔を覗きこんだ。
「なら、俺がおまえに何をしても構わねぇと云うのか!?」
「……ぁ」
「返事しろ! 何をされてもいいと云うのは本気なのか!」
 怒りのためか緊張のためか、土方の顔は青ざめ、その黒い瞳がぎらぎらと光っていた。まるで獲物を前にした獰猛な獣のようだった。
 それを震えながら、総司は見つめ返した。やがて、真剣な表情で、こくりと頷く。
 とたん、土方は総司の細い躯を強く抱きよせた。
 それに安堵の息をもらしたとたん、総司は己の首筋に彼の皓い歯がたてられるのを感じた。
「……な…に……?」
「こうして……」
 土方が掠れた声で囁いた。
「俺がこの肌に牙を食い込ませ……」
「……え……?」
「おまえの温かい血を啜っても……それでも、かまわないと云うのか」
「……」
 一瞬、何を云われたのかわからなかった。
 肌に牙を食い込ませる?
 血を啜る?
 彼の力強い腕に抱かれたまま、総司はぼんやりと彼の言葉を反芻した。
 だが、次の瞬間、その目が大きく見開かれた。
「──っ!」
 幼い頃から、何度も神父に云い聞かされた教えだった。
 悪魔と同等の。
 忌むべき、呪われた闇の存在。
 それは───
「まさ…か……!」
 総司は彼の胸に両手をつき、身を起こした。大きく目を瞠った表情で、男を見上げた。
 それに、土方は薄く笑ってみせた。かるく肩をすくめると、総司の首筋をしなやかな指さきで、すっと撫であげる。
 喉奥で低く笑った。
「そうさ。俺は、おまえたち聖職者が忌み嫌う存在……ヴァンパイアだ」
「──」
 総司はもう何も云えなかった。
 ただ呆然としたまま、目の前の男を見つめた。
 黄昏の光景の中、そこに存在する男を。
 そのしなやかな指さき一つまで美しい男を。
 土方は小さく苦笑すると、男にしては長い睫毛を瞬かせた。うるさげに艶やかな黒髪をかきあげ、嗤ってみせる。
 濡れたような黒い瞳が、総司を見つめた。
「驚いたか? 声もでねぇみたいだな」
「……」
「まぁ無理もねぇか。聖職者がヴァンパイアに抱かれちまったんだ。文字通り穢された訳だ。それも、神に純潔を誓うべきシスターがな」
 さもおかしげに、くっくっと喉を鳴らして笑った。
「幾ら何でも、これじゃ俺を愛してるとは云えねぇだろ?」
「……」
「そればかりか、俺を殺さなきゃならねぇ立場だものな。あぁ、何なら、今ここで俺の心臓に十字架を撃ち込んでも構わねぇぜ? そうすりゃ、このくだらねぇ日々にも終止符がうてるって訳だ」
 そう嘲った土方に、総司はまだ何も云わなかった。ただ黙ったまま、男を見つめている。
 土方はかるく肩をすくめ、立ち上がった。一瞬だけ総司に視線を投げてから、背をむけ、今度こそ出てゆこうとする。
 だが、その歩みは三歩ほど行った処でとまってしまった。
「……!」
 いきなり、総司が後ろから抱きついてきたのだ。縋るようにその細い両腕を男の躯にまわし、きつく抱きしめてくる。
 土方の目が、大きく見開かれた。
 呆然としている彼に、小さな声が囁いた。
「……それでも……好き…です……」
「──」
「あなたが何であっても……ヴァンパイアでも何でも、もう構わない。私は、あなた自身を好きになったのだから、愛してしまったのだから……」
「総…司……っ」
 土方の声が震えた。
 ゆっくりと、己の躯にまわされた手に手を重ねる。そして、ぐっと握りしめた。
 俯き、まるで祈るように固く瞼を閉ざした。
 やがて、低い声が囁いた。
「俺は……ヴァンパイアだ」
「わかっています」
「聖職者から忌み嫌われる、呪われた存在だ。おまえのその想いは、きっと誰も……そう、神も許さない」
「それでも構いません」
「……っ」
 土方はたまらずふり返った。そして、自分を見つめる総司を見下ろした。
 可憐な花のような顔が、彼を見上げていた。綺麗に澄んだ瞳がまっすぐ彼だけを見つめている。
 まだ涙に濡れてはいたけれど、だが、揺るぎ一つない真摯な瞳だった。
 この世の誰よりも何よりも、愛しいものを見つめる瞳だった……。
「!」
 もう我慢などできなかった。これ以上冷たく拒絶することなど、できるはずもなかった。
 逢った時から、ずっと堪えて。
 抱きしめたいという気持ちを、恋しい──愛しいという気持ちをおさえ、冷たく接して。
 己から切り捨てられぬなら、いっそ総司から切り捨てられればいいと、苦い自嘲とともに願い、わざと酷い男を演じてきた。残酷な無残な仕打ちもした。
 なのに、総司は、それでも構わないと云ってくれるのだ。
 ヴァンパイアであっても、愛してると。
 そう──云ってくれたのだ……。
「……総司!」
 突然、土方は両手をのばすと、すくうように総司の躯を引き寄せた。そして、その細い背がしなるほど強く抱きしめた。
「……好きだ……!」
 思わず目を閉じた総司の耳もとで、土方は告げた。
 その髪に頬にふれ、唇を押しあてながら、何度も掠れた声で云った。
「おまえが好きだ……おまえだけを愛してる……っ」
「──」
 突然の告白に、総司の目が大きく見開かれた。その桜色の唇が微かに震える。
「……土方…さん……?」
 そんな総司を固く抱きしめたまま、土方は熱のこもった声で言葉をつづけた。
「ずっと好きだった。可愛い、愛しいと思っていた。だが、俺はヴァンパイアで、おまえは聖職者だ。許されるはずのない恋だと思っていた。だから、おまえに冷たくあたって、自分の気持ちを押し殺そうとして……」
「じゃあ、私を嫌ったり蔑んだりしてたんじゃなかったの……?」
 思わずそう訊ねた総司に、土方は叫んだ。
「あたり前だろうが! 俺はおまえが可愛くて可愛くてたまらなかったんだぞ。おまえにふれたい、おまえを抱きしめたい、いっそ自分のものにしてしまいたいと、何度もそう思って……っ」
「……ぁ……」
 小さく、総司は喘いだ。
 不意に、土方が総司の首筋に顔をうずめたかと思うと、唇を激しく押しあててきたのだ。時折、彼の皓く鋭い歯の感触がふれ、ぞくりとなる。
「……っ」
 不安そうに見上げた総司に気づき、土方はすぐさま身を起こした。
 そっと、柔らかな髪を撫でながら、微笑みかけた。
「大丈夫だ……心配するな。血を吸ったりしねぇよ」
「でも……」
「俺はもともと血を吸うのが嫌いなんだ。別の方法でちゃんと力を維持しているから、大丈夫だ」
「でも、ここへ来た時は倒れてばかりだったじゃありませんか」
「確かにな」
 くすっと笑った。
 総司の細い腰に腕をまわしながら、今まで見せたことのない、悪戯っぽい瞳で覗き込んでくる。
「けど、今は大丈夫だろ? 元気だろ? だから、もう何も心配するな」
「……はい」
 不審な事は多かったが、総司はとりあえず頷いた。
 ヴァンパイアの体質や特性の事など、総司がわかるはずもない。それに、彼を目にして、ずっと語り継がれてきた伝承など、全くの間違いだと知らされていた。
 伝承と違い、彼は陽の光をあびても平然としているし、十字架にふれても平気だ。見たところ、何ら人と変る処はない。ただ、その命を奪う方法だけはあの伝承どおりなのかもしれないが───
「……っ」
 総司はぶるっと身震いした。思わず彼の胸もとに縋りついてしまう。
「どうした……?」
 すぐに土方は優しく両腕で抱き寄せてくれた。すっぽりと抱きしめ、あやすように髪を撫でた。
 その腕の中、総司は目を伏せた。
「あなたがここにいる事……他の聖職者、たとえば神父さまに知られたら……」
「たぶん、殺されるだろうな」
 淡々とした口調で云いきった土方に、総司は身を固くした。激しく首をふる。
「そんなのいや……! いやです」
「総司……」
「わ、私が守ります! あなたを守って、私が戦います……!」
「聖職者であるおまえが?」
 驚いたように聞き返した土方に、総司は真剣な表情で頷いた。
 それに、土方は優しい瞳で微笑んだ。そっと、なめらかな頬に口づけた。
「ありがとう……おまえはそんなにも俺を愛してくれているんだな」
「土方さん……」
「けど、大丈夫だ。おまえが何も思い煩う事はねぇよ」
「……」
 不安はあった。
 抱えきれないほど、多く重く。
 だが、総司は長い睫毛を伏せることでそれを押し隠すと、土方の胸もとに顔をうずめた。
 そして、素直に、小さく頷いたのだった……。








 幸せな日々がつづいていった。
 総司にとって、初恋であり、至福の日々でもあった。
 今までと違い、土方はいつも総司の傍にあり、優しい瞳で見つめてくれた。甘えれば、微笑みながら引き寄せ、そっと抱きすくめてくれる。
 朝、目覚めると彼がいて、一緒に食事をとり仕事をこなし、そして、夜は身を寄せあって二人一緒に眠る。
 それが、総司の毎日だった。
 幸せで幸せで、夢のようだとさえ思ってしまう日々だったのだ。
 ……そう。
 時々、これは夢ではないのかと、不安に震えてしまうほどの───……
「土方さん……!」
 総司は庭に出ると、薔薇の手入れをしている土方に声をかけた。
 それに、土方がふり返った。
 真紅の薔薇の中、あの朝のように彼はとても綺麗だ。黒髪と黒い瞳がまっ白なシャツに映え、とても艶やかだった。
 しかも今、恋人への優しい笑みをうかべながら、そっと手をさしのべてくれる。
 そんな彼に、総司は駆け寄った。
「どうした?」
 腕の中に飛び込んできた総司に、土方は何かあったのかと僅かに眉を顰めた。
 それに、小さく首をふる。
「何も…何もないけど……」
 思わず口ごもると、土方はくすっと笑った。
 優しく瞼に頬に、甘いキスを落としてくれる。
「……俺は何処にも行きはしねぇよ。そんな不安そうな瞳をするな」
 総司は揺れる瞳で彼を見上げた。ぎゅっと指さきが彼のシャツの端を掴んでしまう。  
「本当…に?」
「あぁ。可愛いおまえを残して、どこへ行くって云うんだ。本当に不安がってばかりだな」
「だって……」
「そうだな。俺が全部悪いんだな、けど……今はもう、おまえと恋人同士になれたんだ。出ていったりしねぇよ」
 土方はそう云うと、総司の白い首筋に顔をうずめた。
 かるく皓い歯をたててくる。甘咬みされる感触に、総司はびくりと躯を震わせた。
 何度もされた行為だった。だから、怖いとは思わない。
 だが、それよりも、総司はその行為からある事を思い出したのだ。
 一つの重い不安。何度気にしないでおこうと思っても、胸の奥に刺さった棘はじくじくと総司を傷つけ、責めたてた。
「……」
 そっと両手をあげると、彼の頭をかき抱いた。指さきでかきあげると、くせのない素直な黒髪がさらりと指の間が流れてゆく。
 それを感じながら、総司は目を伏せた。
(……どうして……?)
 何度、いっそ訊ねてしまおうと思った事か。
 だが、もしもその事が引き金になり、再び、彼があの冷ややかな瞳で自分を見たらと思うと、到底できなかった。怖くて不安で仕方なかったのだ。
 総司にとって、彼は初めて恋した人だった。初恋だった。
 だからこそ、より激しく深く切なく、彼のことを心から大切に想っていた。愛しくてたまらなかった。
 ずっと自分が過ごしていくだろうと思っていた小さな優しい世界に、突然現れた男。今や、総司の身も心も狂わせ、溺れさせ、すべてを奪ってしまった彼。
 神に仕える身でありながら、こんなにも、一人の男──それもヴァンパイアを愛するなど、許される事ではなかった。だが、もう引き返せないし、引き返すつもりもなかった。世界中の誰よりも、彼を愛おしいと思ってしまったのだから。
 総司は無我夢中で、この恋に身を投じていた。それは、総司の本質である青白い焔そのもののように激しく、身も心も命さえも捧げる唯一の愛だった。
 それ程までに、彼を愛していたのだ。
 もしも今、土方に見捨てられたら、絶望と悲しみにその場で息絶えてしまうほど……。
(……土方さん……)
 総司は彼に甘えるように身をすりよせた。心の中で、言葉がこぼれる。
(私はあなたを愛してる……だけど、あなたは? 土方さん、あなたは真実、私を愛してくれているの? もしそうなら、もしもあなたが私を嘘偽りなく愛してくれているなら……)
 総司はきつく唇を噛みしめた。
(……どうして、あなたは私にキスしてくれないの……?)
 そう心の中で問いかけたとたん、涙がこぼれそうになった。
 一度もなかったのだ。
 どんなに躯を重ねても、どんなに愛してると囁かれても。
 土方は総司と唇を重ねようとしなかった。キスを決してあたえなかった。
 そればかりか、思わず求めた総司に、すっと視線をそらすことで避けたのだ。
 拒絶されている! そう感じた瞬間、総司の脳裏にうかんだのは、あの教会での光景だった。
 女と抱きあい、激しく熱く唇を重ねあっていた彼。貪りつくすような濃厚なキス───
 あんなキスをされたかった。彼にして欲しかった。
 なのに、彼は望んでいないのだ。
 彼は、自分を望んでない……。
 そう思うと、また涙があふれそうになった。それを堪えるために唇をきつく噛みしめたが、小さな喘ぎがもれてしまう。
「ぁ……」
 だが、それを土方は総司が怖がってるせいだと思ったようだった。
 首筋に唇を押しあてながら、低く囁いた。
「大丈夫だ。本気で牙をたてたりしねぇよ、ただおまえの血の感触を味わってるだけだ」
「しても……いいです」
 そう云った総司の気持ちを、土方は知る由もなかった。小さく笑ってみせる。
「そんな事、おまえに出来るものか」
 そう云いながら、土方は総司のなめらかな肌に唇をすべらせた。
 それでも、まだ総司の心は重く沈んでいた、だが、やがて、何度も花びらを降らすようにあたえられる、彼の甘い囁きに、優しい愛撫に、心が解されてゆく。
 土方の腕の中、総司がくすっと笑った。
「……やだ……くすぐったい……っ」
 それに、土方も嬉しそうに微笑んだ。耳朶を甘く咬んでやりながら、囁いた。
「けど、ここは気持ちいいだろ……?」
「ぁ、ぁ…そこ……」
「いいか? なら、ここは?」
「ん、あ…ぁ、ん…ぁ…っ」
「ったく……」
 土方は思わず苦笑した。
「たまらねぇよな。めちゃくちゃ煽られちまうぜ」
「…ぁ、ぁ…あ、はぁ…ん、んッ……」
 総司はなめらかな頬を火照らせ、艶めかしく喘いだ。感じやすい躯に火がついてしまったのだろう。
 それを見てとり、土方は総司の小柄な躯をそっと両腕に抱きあげた。慌てて縋りつく総司に微笑みかけ、ゆっくりと歩き出してゆく。彼の向かう先が家──それも寝室である事を感じとった総司は、恥ずかしそうに長い睫毛を伏せた。
 喉奥で笑いながら覗き込んだ土方に、「いや……」と耳朶まで薔薇色に染めた。男の胸もとに顔をうずめるその仕草が、たまらなく可愛らしい。
 愛しくて愛しくて、今すぐここで、そのしなやかな細い躯すべてにキスの雨を降らせてやりたい程だった。
「……総司、愛してるよ」
 優しい声で囁き、土方は総司の躯をより強く抱きしめた。
 それに、総司はうっとりと微笑んだ。
 甘やかな薔薇の香りがたちこめ、風に色とりどりの花びらが舞い散った。
 そんな光景の中、男と尼僧姿の少年が抱きあう様は背徳的だが、まるで絵のように美しい光景だった。
 至福にみちた恋人たちの光景。
(……どうか、この人がずっと傍にいてくれますように……)
 彼の胸もとに頬をすり寄せながら、総司は心からそう祈らずにはいられなかった。
 世界中の誰からも祝福されない。
 慈悲深い神でさえ許すはずもない、この愛だったけれど……。








 事件が起きたのは、その数日後だった。
「……え?」
 総司は大きく目を見開いた。
 いつも教会に遊びにやってくる子供が、それを教えてくれたのだ。
「首を裂かれてたんだって!」
 今年10才になる鉄之助は、興奮した様子で話した。いつも元気で明るく、総司にとてもよく懐いている少年だった。
 両手をひろげてみせる。
「ものすごい人だかりだったって、こんなに!」
「それは……」
「殺人事件ってことだよね、シスターさま」
 無邪気な表情で云う鉄之助に、総司は小首をかしげた。
 今、聞いたばかりでよく理解できないのだ。
「ごめんね、話がよくわからないの」
 総司は身をかがめ、優しい声で話しかけた。
「鉄之助くんが知ってること、詳しく教えてくれる?」
「うん、いいよ」
 鉄之助はだい好きな綺麗なシスターに何かを教えてあげられるという事に、目を輝かせた。子供ながら一生懸命、大人たちの噂話からもれ聞いた事を喋り始める。
「あのね、ここ二週間の間に、隣の町で三人も殺されたんだって。シスターは外の事に接しないから知らないだろうけど、全部、女の人で。しかも、みんな首を切られていたって……ううん、切られたというより、噛みつかれてたって感じ? まるで狼に喰いつかれたみたいな」
 鉄之助は小首をかしげた。
「でも、不思議なんだよ。狼の仕業みたいなのに、全然食べられてなくてさ。なのに、血だけがすごぉく無くなっているんだって」
「──」
 総司の顔からすうっと血の気がひいた。無意識のうちに躯が震えだす。
 それに全く気づかず、鉄之助は言葉をつづけた。
「でね、昨日、この町でも同じような事件が起ったんだ。やっぱり首を噛み切られた女の人の死体だったって、今朝、うちの父さんが云ってたよ」
「……そう」
「シスターさまも気をつけてね! すっごく綺麗だから、気をつけなくちゃ駄目だよ」
 子供らしい表情で案じてくれる鉄之助に、総司は何とか微笑みをうかべた。
 ぎこちない仕草ながらも、そっと彼の頭を撫でてやった。
「うん、ありがとう。気をつけるね」
 そう云った総司に、鉄之助は少し安堵したようだった。
 にこりと笑うと、傍に放り出してあったリュックサックを取り上げた。
「じゃあ、そろそろ帰るね。母さんが心配してるといけないから」
「鉄之助くんも気をつけてね」
「はぁい。また明日」
 鉄之助はこくりと頷き、背をむけた。ぱたぱたと元気よく教会を走り出てゆく。
 それを、総司はぼんやりと見送った。
 だが、すぐに力が抜けたようになり、思わずその場に坐りこんでしまった。
「……そんな……」
 鉄之助の話が事実であるのなら、それはヴァンパイアの仕業に他ならなかった。血が無くなった遺体。それがすべてを意味しているのだ。
 総司の耳奥に、先日の会話が蘇った。
 あの時、彼は何と云ってたいたか。
『大丈夫だ……心配するな。血を吸ったりしねぇよ』
『でも……』
 戸惑う自分に。
 彼は──こう云ったのだ。
『……別の方法でちゃんと力を維持しているから、大丈夫だ』
 と。
「……まさか」
 総司は己の躯を、のろのろと両手で抱きしめた。
 その目が大きく見開かれる。
「まさか、これが……別の方法なの? 血を奪うため、次々と人を殺す事が……」
 そう呟いたとたん、冷や水を浴びせられたように背中がぞっと寒くなり、思わず身震いした。きつく目を閉じ、何とか気持ちを落ち着けようとするが、冷静になるどころか、総司は恐怖と不安で今にも叫び出してしまいそうだった。
 あらためて、思い知らされたのだ。
 ヴァンパイア──という、生き物の残酷さを。
 忌むべき、呪われた存在である事を。
 人の命を、血を、糧として生きてゆく彼らの本質を。
 土方はいつも優しい恋人だった。逢ったばかりの頃から考えれば信じられぬほど、優しく柔らかく総司を甘やかし、心から愛してくれる。
 ふんだんにあたえられる、甘い囁きと抱擁、愛撫。あの頃はどんなに望んでも総司には向られなかった、彼の優しい瞳、その綺麗な微笑み。
 そっと抱きしめてくれる恋人の腕の中、総司は誰よりも幸せだった。
 確かに不安はあったが、それを上回るほどの幸せを彼はあたえてくれたのだ。
 そのため、総司は半ば忘れかけていた。
 彼が、ヴァンパイアであるという事を。
 それは、どんなに望んでも消し去れない、刻印のように灼きつけられた真実だったのに……。
「……あぁ、神さま……!」
 総司は両手で顔をおおった。
 その瞬間、だった。
 突然、教会の扉が静かに開かれたのだ。誰かが入ってきた気配がする。
 やがて、低い声が呼んだ。
「……総司?」
 その声に、弾かれたように顔をあげた。
 大きく瞠った瞳に、教会の扉に手をかけて立つ男の姿が映った。
 僅かに小首をかしげながら、濡れたような黒い瞳で、こちらを見つめている恋人の姿が───
(……土方…さん……!)
 鋭く息を呑んだ。
 身動き一つできないまま、じっと彼の姿を見つめている。
 それに、土方は眉を顰めた。
「総司? どうかしたのか?」
 彼が扉から手を離したので、僅かに軋みながら閉じられた。それを確かめる事もなく、土方はしなやかな動きで歩み寄ってくる。
 息さえつめたまま、総司は己へ近づいてくる男の姿を見つめていた。その瞳が不安と恐怖に揺れ、桜色の唇が震えた。
 だが、不意に立ち上がると、両手をさしのばした。自ら走りより、その腕の中に飛び込んでゆく。
「土方さん……!」
「……総司?」
 戸惑いがちに呼ぶ土方の背に、総司は両手をまわした。縋りつき、ぎゅっと抱きしめる。
「お願い……抱きしめて……っ」
 そう掠れた声で懇願した総司に、土方はますます訝しげな表情になった。
 僅かに身をひこうとするが、まるで溺れかけた人がしがみつくように、必死になって総司は縋りついてくる。
 仕方なく、土方は総司の言葉に従った。その力強い両腕をほっそりした小柄な躯にまわし、優しく抱きしめてやった。
「……何かあったのか」
 柔らかな髪に唇を寄せながら、土方は訊ねた。だが、総司は黙ったまま、ふるふると首をふる。
 その幼くも可愛らしい仕草に、くすっと笑った。
「なら、甘えたくなったのか」
「……うん……」
「可愛いな」
 そっと甘い声で囁いてやり、土方は額に頬にキスを落とした。
 それを感じながら、総司はきつく唇を噛みしめた。
 言葉がこぼれてしまわぬように。心の奥底から、小さな言葉一つでも零れぬように……。
(……本当、なの?)
 だが、それでも心の中では叫んでいた、問いかけていた。
 どうしても、問わずにはいられなかったのだ。
(あなたの仕業なの? あんな残酷なこと……本当に、あなたがしたの?)
(もしも本当だとしたら、どうして?)
(私の血をあげてもいいと云ったのに、なのに)
(どうして……!)
 涙があふれそうだった。
 怖くて不安で、たまらなくなってくる。
 総司は土方の背にまわした手に力をこめた。ぎゅっと彼のシャツに皺がよるほど、抱きついた。
 それを彼も黙ったまま、抱きしめてくれる。
(……土方さん……!)
 愛しい──だが、残酷な殺人者かもしれぬ男の腕の中、総司は固く瞼を閉ざしたのだった……。













[あとがき]
 やっと土方さんと総司、恋人同士になりましたが、色々山あり谷あり。まだまだ展開しまくります。
 つづき、また読んでやって下さいね。


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